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心配の範囲(東北関東大震災によせて)
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自然は人間に冷淡なり。されど人間なるが故に、人間たる事実を軽蔑すべからず。人間たる尊厳を抛棄すべからず。人肉を食らはずんば生き難しとせよ。汝とともに人肉を食くらはん。人肉を食くらうて腹鼓然たらば、汝の父母妻子を始め、隣人を愛するに躊躇することなかれ。その後に尚余力あらば、風景を愛し、芸術を愛し、万般の学問を愛すべし。

大正十二年九月一日の大震に際して 芥川龍之介


・・・

「心配の範囲」

東北で大震災が起こった時、私は研究調査で3週間のソウル出張を始めたばかりだった。
地震の日は日本にいる人に誰も電話がつながらず、その次の日からの週末はずっとホテルにこもってひたすらNHKとインターネットを往復し、寝るときもテレビをつけて警報が出るたびに慌てておきてネット情報を確認したりしていた。完全に非日常だった。


私が守りたいと思うのは、いったいどのくらいの範囲なんだろう。


ソウル滞在中、韓国人の仲のいい留学生の女友達からメールがあって、「日本の状況がよくないし、風が東京にふいて来ているし、流れてくる放射能がこわい。韓国に彼氏を連れて一緒に帰りたい。ついては彼氏は韓国で日本語教師をやれるか?」という質問がきた。原発事故から1日目くらいの時期だった。そのとき、大きな地震を初めて体感したという彼女が感じた怖さには同情すると同時に、彼氏を連れてくることに関しては、日本語教師はそんな「避難先」の腰掛・かた暇でできるような簡単で無責任な仕事じゃないし、彼氏を国外脱出させるのも時期尚早ではないかという話をした。彼女自身はすでに3日後くらいに日本を離れる飛行機のチケットを持っていて、でもその後の3日間がものすごく怖い。と言っていた。


私は「疎開」に対して、肯定的な部分と批判的な部分があって、それは以下の2つのパターンに分けられると思った。

1、外国からの留学生など(私の友達に一番多い。韓国の元生徒も含む)は地震自体が初体験の人も多く、ものすごい恐怖と今後の不安を抱えている。日本語がそれほど得意じゃない場合、日本国内での情報の収集や人とのつながりにもかなり不安を覚えていて、春休み中なので学校で友達に会うわけでもなく、一人で部屋にいてストレスでものが食べれなかった子もいた。そういう友達は、祖国に帰ることができれば本当に良い思う。子供がいて不安な人や妊婦さんも、ストレスをためないために疎開するのがいいと思う。(できるのならば)

2、かなり初期のころから、東京の中でも非常に動揺していた友達はいた。かなり誇張された海外の報道や、インターネット上のデマ(としか思えないようなかなり誇張された情報)を聞いて、「奇形児が生まれたら困る!」、といって、放射性物質についてはっきりと名言をしない政府や東電の対応に不信感を表し、周りの人に逃げるように薦めたり、不安をまき散らしていた。

原発の話題が始まったときから、疎開問題に対して感じていたのは、比較的安全な場所から、見えない不確定な不安について危ないと騒ぐよりも、まず今被害を受けて大変な状況にいる人の役に立つことを考えることが先決なのではないか、ということだった。
もっと大変な人も、東北にはたくさんいるのに、首都圏にいる人間がどうして自分に迫り来る見えない危険の可能性におびえているんだ、と。その時、逃げることばかりを考えていた人に対して、私はなんだか納得のいかない思いを抱えていたのだった。そしてその気持ちは、一体どこからでてくるんだろう?ということを考えていた。


私が思うに、頑固な両親と先の長くない(と本人たちの言う)祖父母は、放射性物質の危険を考えてよく知らない場所に疎開する、なんてことは考えられないと思う。もし本当に危なくなったらどうにか説得して連れていくが、私は彼らを連れて逃げることのできる先を、今のところ知らない。

海外に行くのはいい。不安があって、一定期間身を寄せる場所や故郷があるのなら、それはとても幸運なことだ。
でもほとんどの人は、長い間疎開できるような先がなかったり、彼らがいなくなってしまったら困る人がいるから今この場所のこの生活に留まらざるを得なかったりする。

この状況に対して、政府や東電の対応のミスを批判することは可能だし、今後再考すべき部分はたくさんあると思う。ただ今の状況で、批判だけをするのは自分勝手な気がしている。韓国ではNHKしかみれず、韓国のテレビも日本のニュースばかりやっている。NHKでは流れないような、ちょっと目をそむけたくなる映像もある。Facebookみてると、多くの人が日本のことを心配し祈っていくれている一方で、放射能が届くから東京に行かないほうがいい、とか拡散している人や、停電が真っ暗で怖くて死にそうとか書いている人もいる。家族や家がなくなってしまった人もいるのに、電気がつかないくらいなんだ!と言いたい。


たぶん「疎開」に関する人々の動向をみていて、自分が感じていた疎開することへの違和感は、それぞれの人がもつ「心配の範囲」が異なっているからだと思う。

今これから、何が起こっても、全員が逃げる訳にはいかないということ。
原発の周りで働く作業員の人がいて、放射性物質を浴びながらでも日本の経済を動かしていくであろう会社員の人たちがいて、私が無意識化で守りたいものは、もしかしたらそういう漠然とした、「この国を構成する人々」だったのかなあと思う。家族や友達を中心とした人間の輪を守りたいと思い、その延長線上に東北の人や原発の作業員の人がいて、実際にはそんなもの当然守ることなどできないのだけれど、気持ちだけでも守りたいと思っていたのだと思う。






「情報デバイド」


情報への接し方には三種類があると思う。
情報を選択できる人、情報にアクセスできない人、そして情報の制限に気づかない人。

地震があって一週間経つと、日本に帰りたい気持ちはマックスになった。
とりあえず一度帰って現状を把握したい思いと、とりあえず海辺に住んでいる海ばあちゃんと、久里浜の祖父母宅に行って、何かあったときにどうするつもりなのか、どうすればいいのかを、私の知識を総動員してブリーフィングしたかった。彼らは完全に情報にアクセスできないグループに属していて、携帯電話すらも持っていない。

情報の制限に気づかない人というのは、海外にでもたくさんいた。NHKだけ、日本語の報道だけ、もしくはCNNだけ、では分からない事実というのはたくさんある。情報は多ければ多いほどいいというものではないが、自分が手に入る情報がいかに限られたものであるか、ということを自覚することが必要なんだと思う。



そして重ねて、今回の地震で感じたのは、情報デバイドだ。ツイッターひとつをとっても、それを使えるか使えないかよって、だいぶその人自身が得ることができる情報の量が変わってくるのだ。私の両親も祖父母も、誰一人インタネットをしないので、携帯や家の電話がつながらないと完全に連絡手段を絶たれる。

今、情報における格差の問題は、2方向に広がっていっているのを感じている。
ひとつは垂直的な情報デバイドで、もう一つは水平上の情報デバイド。


「垂直的な情報デバイド」とは、この日本という国の中で、日々流れる多くの情報にアクセスできる人とできない人がいる、という縦方向の情報デバイド。このデバイドは、住んでいる地域、環境、仕事などももちろん関係するが、一番大きく影響を与えているのは世代の違いであると思う。

私は地震発生時からついこの間までソウルにいて、地震発生時からその日の夜中過ぎまで、インターネットを全く使用しない自分の家族や祖父母に連絡がとれなかった。友達は皆ツイッターやフェイスブックで連絡が取れているのに、自分の家族や祖父母の安否が確認できない。自分が彼らのそばにいないときに、電話というたった一つの通信手段に頼るしかないということの危うさを実感した。同じように、家の電話しか連絡手段を持っていないという高齢の方が、被災地にも全国にもたくさんいるだろう。そして彼らにこれから新しくスマートフォンを普及させたり、ツイッターを使いこなすなどのスキルを求めるのは非常に非現実的なことだ。

このようにすでに存在する縦の情報デバイドを自覚し、私を含めて情報へのアクセスに負担を感じない世代やクラスタの人間が、積極的にこの問題に向き合い、フォローアップの手段を考える必要があると感じている。


もう一つの「水平上の情報デバイド」とは、今回の震災の当事国である日本と、世界各国における報道の違いが生み出した情報デバイドだ。

日本に留学している学生に聞いても、それぞれの出身国のテレビや情報を得て話しているため、どの言語で情報を得ているかによって、今回の震災と原発事故に関する危機意識が異なるように見受けられた。同時に政府や東電のあり方に対する批判や、日本の国民の対応に対する賞賛なども、それぞれのメディアで報道されていることに多くの影響を受けている。

私が韓国や中国やアメリカのテレビを通じて得られる情報と、海外出張中に唯一、テレビでみることのできたNHKが流していた報道は、内容も呼びかけもテンションも異なる部分が多く見られた。海外の報道(特に私の見る限り、韓国と中国大陸の報道)はかなり過剰に演出し、危機感をあおるものが多かったのは確かだけれど、一方で日本のNHKでは見ることのできないような、現状をまざまざと見せつけるような衝撃的な映像や、被災地でのインタビュー、原発に関する海外知識人の意見などを知ることができ、震災に対して新しい視点を得ることができたのも事実なのだ。

「情報格差」というと、どちらかが十分でどちらかが不足している、という上下の印象を受けがちだ。
でも、情報があればあるほどいいというわけではないし、一方でどの国やどのメディアの報道が完全に正しいという問題ではない。だからこれは「格差」ではなくて、この場合は「デバイド=二つの異なったものの隔たり」があるのだと思う。

これら2つの情報デバイドが起きている中で、今後私たちが積極的に取り組むべきなのは、この二つの間の隔たりをつなげるための努力ではないかと思う。そのためには、メディアリテラシーをふくめ、公教育の場以外で行うことのできるIT教育、世界に視点を持ち多言語を運用できる次世代の育成が課題になってくると考えている。







90年ほど前、関東で大きな地震が起こった際に(関東大震災)芥川龍之介が書いた日記を全集から。

人を救うのは、いつだって生活の過剰であると思う。
第二次復興の際には、その過剰がたくさん生み出されるような環境を継続してサポートするのが、被害に遭わなかった私たちにできることなのかな、と思う。私の心配の範囲に入った、想像上の共同体に属する人たちを。

・・・


僕は丸の内の焼け跡を通つた。此処を通るのは二度目である。この前来た時には馬場先の濠に何人も泳いでゐる人があつた。けふは――僕は見覚えのある濠の向うを眺めた。堀の向うには薬研やげんなりに石垣の崩れた処がある。崩れた土は丹にのやうに赤い。崩れぬ土手は青芝の上に不相変らず松をうねらせてゐる。其処にけふも三四人、裸の人人が動いてゐた。何もさう云ふ人人は酔興に泳いでゐる訣ではあるまい。しかし行人たる僕の目にはこの前も丁度西洋人の描いた水浴の油画か何かのやうに見えた、今日けふもそれは同じである。いや、この前はこちらの岸に小便をしてゐる土工があつた。けふはそんなものを見かけぬだけ、一層平和に見えた位である。

僕はかう云ふ景色を見ながら、やはり歩みをつづけてゐた。すると突然濠の上から、思ひもよらぬ歌の声が起つた。歌は「懐なつかしのケンタツキイ」である。歌つてゐるのは水の上に頭ばかり出した少年である。僕は妙な興奮を感じた。僕の中にもその少年に声を合せたい心もちを感じた。少年は無心に歌つてゐるのであらう。けれども歌は一瞬の間にいつか僕を捉とらへてゐた否定の精神を打ち破つたのである。

芸術は生活の過剰ださうである。成程さうも思はれぬことはない。しかし人間を人間たらしめるものは常に生活の過剰である。僕等は人間たる尊厳の為に生活の過剰を作らなければならぬ。更に又巧にその過剰を大いなる花束に仕上げねばならぬ。生活に過剰をあらしめるとは生活を豊富にすることである。

僕は丸の内の焼け跡を通つた。けれども僕の目に触れたのは猛火も亦焼き難い何ものかだつた。


大正十二年九月一日の大震に際して 芥川龍之介

*・゜゚・* saereal *・゜゚・* (English)



| | 13:13 | comments(2) | - |
18年
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2011年1月3日
渡辺康幸さん(現駅伝監督)が一区を走って優勝した1993年から、スター選手をたくさん抱えていたのに優勝できなかったその後の数年間。
康幸さんをして「腐った早稲田の駅伝」と言わしめた長年の低迷、佐藤敦之や竹澤健介がいても優勝できなかったここ数年間を経て、今日18年ぶりの優勝。

1993年のとき中学生だった私は、あの優勝で早稲田に憧れ、早稲田受験を決意して、
その5年後に早稲田に入って卒業し、今あのときより倍以上歳をとってやっと優勝できた。

この優勝はほかのどんな早稲田の優勝より嬉しかったです。康幸さん、ありがとう。
(18年前の分も!)


*初めてテレビ画面をカメラで撮りました。10区に1位で襷を渡すなんて。


早稲田大学18年ぶりの箱根駅伝優勝!!復路・早稲田優勝までの応援の軌跡



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| | 23:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
XXMI 箱根駅伝
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あけましておめでとうございます。
今年も私(リアル版)、saerealともにご贔屓ご指導の程、そして半径2メートル以内の愛情を下さい。


新年の抱負

1. 今年の秋には中間発表
2. 毎日自分の仕事に満足して寝る
3. 自分から誘えないとか言い訳を言わずにもっと社交的になる。
4. 艶っぽい女になる
5. 嫌なものから目をそむけない、しかし拘泥することなく軽やかに飛び越える。


あと6時間後には私の青春であり憧れであり、美意識の構築過程に深く関わった箱根駅伝がスタートする。

私が早稲田を受験して早稲田に来たのは、間違いなく箱根駅伝が理由だったと言って間違いない。
そのあと出会って大学入学後もサークル活動で関わっていた「早稲田魂」(学内サークルThe Waseda Guardianによる早稲田受験生のための雑誌)は後付けにすぎなくて、それで青山学院の高等部からそのまま内部進学せずに早稲田を9学部受けたのも、やはりきっかけは小学校のときから見続けて来た箱根駅伝だと思う。

1993年の優勝から早稲田が駅伝でいつも優勝争いのドラマに絡んでいた頃、
私が早稲田に惹かれたのは、頭もよくって早く走れる、というのがひたすらかっこいいと思っていたからだ。
その頃の単純さで思い込んだかっこよさの一方で、圧倒的じゃない力、精神力ともろさ、それから続けて優勝できなかった悔しさ、そういう人間らしいものが妙にリアルに私の心に響いたのだった。

常にトップでいることよりも、常にトップになりたくてもがいている方が苦しいけど楽しくて、
自分は優等生じゃなくて(だから東大ではなくて)、努力をして力をためて、お前は割とできるやつなんでしょ?っていう周りからのプレッシャーを常に感じながら、結果を出すときもあるけど、でも思いもかけないアクシデントが起こったり、周りの人との駆け引きや精神力で負けたり、時にプライドで失敗したりムキになったり、時には仲間とのリエゾンで奇跡を起こす!そういう泥臭い生き方を早稲田駅伝の中に見ていた。


早稲田にスター選手がたくさんいたけどなかなか優勝できなかったあの頃、私は小学生から中学生になった。
女子校にいる年頃の女の子たち(含私)が男の子という異物に対する性欲をどのように処理していたかというと、その矛先は約3つに分かれていて。

ジャニーズか、ビジュアル系か、アニメ。そういう中に自分がリアルに感じることのないかっこいい男の子像を投影してみていた。
ジャニーズ系はジャニーズ系で固まり、ビジュアルと言えば、アニメ系とも若干共通性を持つアクセス派、過激激派のX、後にラルク、グレイなどを愛好するグループがいて、アニメ系は何人かの優等生グループを含め少し大人しくて今で言うとオタクっぽい人たちが集まっていて。私自身はアニメ系には殆ど興味がなかったけれど、ジャニーズにもビジュアルにもそれぞれ首を突っ込んでいた。


当時、私のような純粋培養女子校生がもっていた「かっこいい」の定義を、遥かに軽やかに飛び越えたのは1993年からの早稲田駅伝メンバーだった。

ただ外見だけみたら、走っていないと本当に冴えない(失礼)のに、走っているときのなんてかっこいいことか。
散々走って死にそうな苦しい顔をしているのに、最後にスパートしてぐんぐんスピードを上げていく渡辺康幸さんは、それから何年も私の中でヒーローだった。早稲田の人間科学部宛にラブレターを出したりもした。

堅そうな胸、無駄のない二の腕、筋張った脚、全部私にないものばかりで単純に羨ましかったし、テレビにでてお化粧をしている人たちより等身大でかっこよく見えたのだった。


だから箱根駅伝愛は、いつも早稲田と、自分のかっこいい意識の形成とともにあった。
康幸さんが駅伝監督になって3連覇を目指す今、あのとき果たせなかった連覇を、あのあと伝説を続けられなかった康幸さんに見せてあげたいなあと思う。

今年も、いつものように特別な箱根駅伝。
いつものように、早稲田を応援するよ。

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自分の記録から他人の記憶へ。

ツイッターのフォロアーが500人を超えて、何故か理由は分からないけれど定期的に増え続けている。私をフォローする人にはいつも理由を聞きたい。そのうち友人は150人にも満たないだろうから、あとの350人以上は完全に赤の他人だ。しかも私は芸能人でもなんでもないから、どこかの発言かなにかでひっかかってフォローされ始めたのだろう。

私がフォローをしている人が200人、私のフォロアーが300人を超える頃から、私の友人の内、ツイッターにそれほどアクティブではない友人たちの何人かがフォローを外し始めた。フォローを外されるというのは、彼らのツイッターのページ(そしてそれを見る彼らの時間)の中から自分の存在が消える、ということで、最初はそれほど気持ちのいいものではなかったし、自分の発言がうざかったのか、などと妙にへこんだりもしていた。

でも実は自分も同じようなことをしている。私も実際、非常にツイート数の多い何人かの知り合いや友達のツイートがあまりにも自分のTLの中に現れてほかのものが見えなくなるので、フォローを外したことがある。私のフォローを外した友人たちも、フォローしている人の数が100人以下、しかもその100人があまりツイッターにアクティブではない人たちであれば、彼らのタイムラインを私のツイートが占領することになる。日に、ときに酔っては20ツイート以上する私の存在が、必要以上に全面に出て来てうざいと思うのも仕方のないことだろうと思う。

文化系トークラジオを聞いていて、ツイッターの使い方について語られていた。
私は普通の個人の博士課程学生として、よく知らない人からフォローされ、ときどき知らない人にリプライされ、時には発言の一部だけをRTされたり、難癖を付けられたりしてる。パンピーでされこうなんだから、有名人は色んな人にコメントを寄せられ、時には批判され、大変だと思う。
(そういう点で、乙武さんの心ないコメントに対するきめ細やかな返信行為にはいつも感心させられる)

ラジオで語られていたのは浜崎あゆみとゼブラで、彼らはフォロアーからの@に対して、RTをすることによって全体を巻き込むという教師のテクニックをつかっていて、個別な質問を全体に返しているという。こういった非公式のRT(発言だけをRT)することによって、全員への晒しをするのだけれど、圧倒的なフォロアーの差があると、過度にさらしてしまうといじめの構図みたいでつらい。ただ、得るべき批判はちゃんと返していると見ている人が論争なのか、いいがかりなのかが分かるし、人によっては、常におんなじパターンで返すことによって、自分が大事にしたい側にたって自分が何を大事にしたいのか、一貫した自分を見せ続けていたりもする。

こういう風に、タレント力のある人にとってツイッターは楽しいツールだけれど、みんなが彼らにようにできるかっていったらそうではない。ネットに載っているものを、全部読むか、全部無視するか、っていう話があって、私は全部読むタイプの人間だと思う。だから時々、ネットに気持ちを振り回されることもあるし、反対にエネルギーを貰ったりもする。

デジタル時代だからこその孤独に内省的に考える、自分との対話が進んでいくという話もあって、それは非常に同感した。
私がここ10年、ずっと何らかの形でウェブを使って何かを発信しているのも、記憶も記録も、全部大事だったから。
記録と、記憶と、今の自分の落差があると悲しい。そして過去の人、元カノ元カレだったり、死んだ人だったり
今自分の手元にないものがあって、でもネットがあるからうまいこと切れない。

私もつい今年の4月くらいから、エバーノートを使い始めて、日記も、研究に関するデータも全部そこに放り込んでいる。情報の保存のルールができてくるので、自分しか分からない形で、自分の本棚みたいな感じで今年1年間の情報が蓄積している。前に書いて消えたたくさんの日記たちも、あのときこのエバーノートがあれば消えることがなかったのに、と思う。
自分で自分の日記を見返すことは殆どないけれど、それでも自分が生きた証みたいなのを、ライフログとしてこうしてウェブに載せていて、ちょっとでも誰かの記憶に残るっていうことが、自分にとってはとても大事な作業なんだと思う。


自分の記録から他人の記憶へ。


参考:文化系トークラジオLife、「情報社会の限界(ギリギリ)ライン」Part5まで公開中。出演:鈴木謙介、津田大介、濱野智史、速水健朗、斎藤哲也、森山裕之 http://bit.ly/dv8Q2W
| | 15:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
Eternal Blue Sky
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モンゴルから帰ってきて二日目。
まだ夢の中でもYLPのメンバーが出てくるし、ソウルから、北京から電話がかかってくる。

今月第一週にあったサマーインスティチュートの時は、同じように地域内の博士が集まって、レクチャー+プレゼン+ディスカッションをするっていう内容なのに、これほど終わった後の心持ちが違うのは、やっぱりモンゴルという異国で寝食をともにしたことが大きかったのだと思う。

行く前に、今回は真正面から全力を出して、素直にぶつかっていこうと思った。
2週間も外国のホテルや大学にいるなら、日本にいる時のように、ほかに逃げる場所もない。
みんなそれぞれの仮面を被っているだろうし、素の自分をぶつけ合ってるわけじゃない。
でも2週間もずっともっているものを隠しきれる人はいない。
2週間ずっと人を見ていて、毎日何らかの形で関わり合って、
一部の人間とは夜遅くまでご飯を食べて、飲んで、話して、途方もない時間を同じ空間にいた。
いいところも、嫌なところもたくさんみて、いろんな確執も嫉妬もけんかもあったけれど、
その中で、自分がどんな人間で、ひとつのグループの中で自分がどんな影響力を持っているのかを自覚することができた。

ということでfacebookにたくさん写真を載せています。
最近ミクシをほとんど使っていないので、facebook持っている方は是非。
saereal@facebook



プレゼンって毎回プレッシャーや緊張や睡眠不足で毎回大変な思いをするのに、
何故また次にチャンスがあると、またやろうと思ってしまうのだろう。

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you don't know how much I miss you guys!

鶴見 俊輔,重松 清
潮出版社
発売日:2010-01-05

鶴見俊輔さんと重松清さんの対談集。

重松さんはこれは対談ではなくて講義だといっているが、その通り、重松さんを相手に鶴見さんが語るという体裁のもの。
重松さんも第二章くらいから随分積極的な聞き手になってきて、子供の話にたいしてはいくつか面白いエピソードを紹介して、鶴見さんの更なる話を引き出してくれている。

鶴見さんの話は何度も聞き覚えのある話でも、そのエピソードがでるコンテクストによって様々な意味合いをもたらしてくれるから不思議だ。

今回初めて読んだもので面白かったのは、
自殺してもいいの?という鶴見さんの息子さんが発した問いに対する鶴見俊輔風の答え。
「もし強姦をして、証拠隠滅のために女を殺そうと思ったのなら、そのときは自分を殺しなさい。」

とても軽い本で2時間くらいで読めるけれど、鶴見さん入門としては少し物足りない。鶴見ファンの鶴見思想コンプリヘンションのための本と言った方が的確。

今編集者の人たちは、彼の言葉を少しでも残しておこうと必死なのだろうと思う。

| | 23:26 | comments(0) | trackbacks(0) |
29 北東アジア経済フォーラム一日目。

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同時通訳は、英語/韓国語/中国語/モンゴル語。
韓国語/中国語の通訳はいるのに、日本語やロシア語の通訳はない、というのがこの地域においてどの国が勢力を持ち始めているかというのがわかる。
もちろん、このカンファレンスにどの国の人たちが積極的に噛んでいるかっていうのも。

モンゴルからの参加者がモンゴル語で話すときは、それぞれのチャンネルで三か国語の通訳が入るのだけど、
韓国語/中国語の通訳がとてもわかりにくくて、中国からはヤングリーダーのチームから2人、英語の堪能なインとハンが急遽通訳に入る。

ハワイ大学の先生に、ハワイ大学に来てはどうか、とお誘いを受ける。
こっちに来てから、ハワイ大学に行くか、北京大学に行くかという二つの選択肢ができた。

国際教養大学の山本先生とお話。
私にこれから必要なのは、迫力と、人脈と専門性。
どこでもやっていけるって迫力っていうのは、人間力?人間が好きかどうか。
人間に対する愛と興味。ただ仲良くなれる人と、本当に人間が好きな人は違う。



いい劇場を選ぶか、いい女優になるか。
いい女優になれば、どこかに属さなくても、みんなあなたをほしがるよ。と。
でもどこでいい女優になっていくかっていう過程はいろいろあると思う。
いい女優っていうのが演技力だけかっていうとそうじゃない。
(きっと人間力とか、人脈とか、人に愛される力とか、そういうものは全部入るんだと思う。)

私は今までいろんな劇場を、これかも?これかも?って選んできて、それなりに欲しい場所は手に入れてきたけれど、
結局最後までどっぷり漬かることもなかったし、日テレも、韓国の塾も、それぞれいい経験を積ませてもらったけれど、ずっといる場所ではないと思っていた。
まずは組織を選ぶって言うのは私には似合わないし、今までそれをやって、何度も失敗してきたのだ。


ちゃんと一貫して同じような人を好きだと思う所に自分のささやかな哲学を感じて嬉しくなる。
しらふでさらっとかっこ良く愛とか言える人は、やっぱりかっこいいと思う。



今懐かしく思うのは、ゲルキャンプからの帰り道、路上でバスが故障して、バスに荷物を残したままみんなでちょっと先のガソリンスタンドまで歩いた。
途中にらくだを連れた人たちがいて、少しのお金を払って載せて、

ちょうどマジックアワーで、最後の夕日が私たちを照らして、靴が砂埃でみんな同じ色になりながら道路を歩いた。
今思い出すのは、こういうときの写真はとれないのだった。


モンゴルに来て、YLPにきて本当に良かったな、と終わってないのにしみじみ思う。



夜、21歳のハンと「完璧」について語る。
洋帆は天津の政府関係者とワンショットをし続けたおかげで早々と就寝、いつもは切れたジョークを言うニールも段々言うことがつまらなくなってきたと思ったらふらふらで帰宅、壊れたテホを意識朦朧のタイショーが運び、そのタイショーをハンと悠が運び、私の29歳は終わり。
バスカが寝ている間にかえって、寝ている間に起きる。
誕生日の今日は、7時前に目が覚めた。
明日、正確には今日、は北東アジア経済フォーラム最終日、それから私の誕生日。

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27 -28 フルムーン
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パネルディスカッションの日々も今日で終了。
最後に行われた政治家の人たちが集まるセッションがとても面白かった。
夜、洋帆と中国の人民広場のようなスクエアに散歩にいく。
12時近くになっても、人がたくさん集って談笑し、自転車に乗ったり写真を撮ったり思い思いのことをしていた。



火曜日はタイ料理、カラオケ、そしてそのあとルークの部屋で飲み、もう5、6年ぶりにお酒を飲んで吐くという経験をしました。
日々ずっと寝不足が続いていたから、体がウォッカを受け付けなかったんだと思う。
そして今日はいつもとは違うメンバーと火鍋。
モンゴルに来てから、多国籍の料理をたくさん食べる。
韓国料理、中華、タイ料理、日本料理、メキシカン、インド料理、などなど。
昨日スーパーにいったときも、章句良品から日用品まで韓国のものが非常に多くおいてあった。



明日から、本格的な北東アジア経済フォーラムが始まる。
この時間になって、興奮してきて眠れなくなってきた。
そして私の29歳もあと24時間。

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26 ゲル明け
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プレゼンテーションの終了。
アメリカ人からの質問の際にちょっとディフェンシブになってしまったことが悔やまれるけれど、
初めてスクリプトの全くない英語のプレゼンテーションというものをして、
今まで何度もやっているトピックではあるけれど、なかなか良くできたと思う。
ハワイ大学マノア校の心理学部長にenlighteningってほめられたし、
ヤングリーダーのメンバーからも、あなたのプレゼン好きよ、とのコメントをもらったし、
つなぎっぱなしのメッセンジャーからは真棒!とのメッセージ。
夜を明かした甲斐はあったのだと思う。


昼はモンゴル人の仲間の一人と一悶着あり、
ダブルニールとジニーとアレクセイの食べているフレンチレストランへ途中参加。
みんな心の奥底ではいろんなことを考えて、いろんな人の噂をしているんだなあってことがわかる。
一対一のときにはみんながみんなに思慮深い優しい人でありながら、周りに自分と近い人間を探して徒党を組みたがる。
みんなではなせないくらいの団体になると、小さなグループ間をうろうろしながら、ロビー活動をする。
相手を客観的に見ることは大事だけど、それが外に現れたときにどうしても人に対する評価になってしまうのは悲しいなあ。
これだけずっと一緒にいると、実はそれほどお互いのことが理解できているわけではないのに、
好きだと思う部分もいらっとくる部分も出てきて、それを解決するには2週間は短く、
無視するにはずっと一緒にいすぎているのだ。

夜は町をぐるぐる歩いて、たどり着いた日本料理やでごはん。
韓国料理を食べるときはいつも韓国人の仲間が焼酎の分などをちょっと多めに払ってくれるので、
今日は日本ごはんナイト!ということで私たちがごちそう。
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24 - 25 ゲルキャンプ、月と馬と草原と火
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イリーナをお姫様だっこして川を渡り、女子群の喝采を浴びたイゴールと、北東アジア女子一同。

21日から22日まで、ウランバートル(UB)から1時間半ほどのところにあるゲルキャンプに行く。
完全に観光客のために作られたゲルで、形や家の中の構成は伝統的なゲルだけれど、
調度品や洗面システムは完璧に西洋スタイル。
ナーダム(モンゴル相撲と競馬と弓射)が行われる。
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馬に乗る。
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月を見る。
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キャンプファイヤーで踊る。英語のうた。
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草原の緑、空の青、私たちがイメージするモンゴルってこういうものじゃなかったかなと思う。
二日目は、みんなで集まって山に登った。
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19 きみはぼくのともだち



終戦も敗戦もとばして

もっと触って、えぐって、ひっくりかえして、そして救って!

北東アジア最高。

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