CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
ナビスコカップ+キャタピラー


文化の日、初めてJリーグを観に、ナビスコカップ@国立競技場に行った。
サッカーのコーチバイトをしているアミンがSS指定席のチケットを貰って、招待してもらったのだ。

ジュビロVSサンフレッチェ、私は事前リサーチで、なんとなくサンフレッチェを応援するつもりで行って、
席も丁度サンフレッチェ側に近い方だったので、周りも紫色のユニフォームを着ている人が多かった。
いい天気の中、試合も5−3と8ゴールも観れる贅沢な内容で、90分終わる寸前に同点に追いつかれたサンフレッチェをみて、
サッカーは本当に精神戦的な部分がたくさんあるんだなあと思った。

クロアチアやブルガリアの選手がいて、サポーターの陣営から、それぞれの国旗が揚がっているのが興味深かった。
同時に隣の神宮では早慶戦もやっていたみたい。帰りの混雑した電車に乗りながら、10年前から行く場所がそれほど変わっていないことに驚く。

ジュビロ優勝







そのあと東中野で「キャタピラー」を観る。
このトレイラーみるだけで、相当考えさせられるしへこんでいて、観たら相当落ちるだろうなあと思って正直びくびくしていたのだけれど、
終わった後ミスドで映画に出て来た色んなことを振り返って話していたら、それほど引きずることなくある程度消化できて帰って来た。
正常位と騎乗位が入れ替わるところで精神の変化を表しているとか、そこを一番始めに指摘するところはすごく男の子っぽい発想だなあと思ったり。
人権とはなんだとか、平等になることとか、必死で話していたけれど、100年たったら今私たちがある程度普遍的だと思っていることが、すごく馬鹿げてみえたりするんだろうなあ、なんて思った。




これから夜行バスで京都に行ってきます。
初京大シンポジウム。

| | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
# 508

私が北京から帰ってきたと思ったら、スイスに帰るChrisや今週末から青年の船に乗ってしまうYudhaやらで、研究室は少しさみしい。
レギュラーなのは私とShuliさんくらい。
あと最近よく顔を出すようになったAmin。
うちの研究科および、私がいるグローバルCOEプログラムの研究室でいつもいいなと思うのは、みんな興味関心が全然違うこと。
なので、自分の研究を話すときに、前提みたいなものがほぼ存在しない。
まっさらな状態で、すごくクリアに、相手の興味を引きつつ語ることを求められる。そしてもらうコメントも、自分の属するゼミ(教育開発)では得られないものばかりだ。基本的に、encourageしてくれるから、へこんだ時や、どうも先が見えないときは相談する。

時々英語レジスタンスしたくなるけれど、ここでの共通言語が英語であることに、前よりもだいぶ居心地良く感じている。それは多分、自分の英語力が上がったってことよりも、日本語に対する自分のもの感がより強まっているからかもしれない。

IMG_1119

この間は夜10時過ぎの研究室で、みんな(くりす、あみん、ゆだ)でイスラムの教義について話していた。突然始まるこういった談義も、ここにいる醍醐味の一つ。

最近思ったけれど、言葉を話せないっていうのも一つのパワーなんじゃないかと思い始めている。
無知であるが故のパワー。
言葉を話せる人は重宝されるけれど、わかることと、使えることは違う。
「わかる」と「使える」の間の差を、どれだけ埋められるかで、自分の存在価値が変わってくると思う。

ということで最近マレーシア語を始めた。
5年くらい前にインドネシア語の授業をとっていたので、本を見ているとさまざまな記憶がよみがえる。マレーシア語とインドネシア語は「そんなに違わない」というのが通説だけれど、それぞれお互いにバハサを使っているところはまだ未確認。ここでも共通語は英語。何があるんだろう。





&今週の読書。

国際社会への日本教育の新次元―今、知らねばならないこと (国際共生研究所叢書)
国際社会への日本教育の新次元―今、知らねばならないこと (国際共生研究所叢書)

中央教育審議会の元会長などそうそうたるメンバー(ほとんどが1930年代生まれ)による共著。第一章世界と日本の教育改革(鳥居泰彦先生)より違和感沸沸。

たとえば教化と教育に関する導入部分で、一般的に言われている森有礼と福沢諭吉の論争はなかった、という根拠として、1、提案した時期がずれている、2、福沢諭吉は森有礼の仲人だったを挙げ、「そのことからみても二人が喧嘩、論争するわけはなかったといえる。」(p.11)と書いているがなんのこっちゃ、である。

また、彼が「見事な前例」として挙げているのが、サッチャーとレーガンの行った教育改革だ。今から20年以上の前の改革。そして彼は自分が「世界を」しるためにテレビ番組をみる、として、そこで挙げられている国はすべて西洋諸国だ。この人に染み付いた欧米崇拝が透けてみる。

最後に一番違和感、というかむしろ嫌悪感まで出てきたのは、「こともたちにとっぴな格好、珍妙きてれつな格好がなぜ珍妙きてれつなのかということを教えなければならない」(p.27)と主張する部分である。そして子供たちに今まで人類がこの世界でどのようにいきてきたかを広く教えることによって、「彼らの中に正常とは何であるか、何が異常であるかというものの感覚」が初めて生まれてくる、と述べている。

この先生の主張で一番腑に落ちなかったのは、この最後の点にあらわれているような古い感覚の押しつけであると思う。存在するものをちゃんと理解することなしに、異常だ、奇妙だ、といいきってしまうその想像力のなさ。

自分が学校の生徒だったら、こういう教育者には「道徳」なんぞ教わりたくないと思った。

言語戦争と言語政策
言語戦争と言語政策

カルヴェの古典、出版より20年を越えてやっと日本語訳が出版。アメリカのSIL(夏期言語協会)への批判なども含まれている。(あとがきによれば、このSIL批判の章は、英訳版出版の際に削除されたらしい。言語問題はどこまでも政治的なのだ。)

カルヴェは言語の機能を二つのカテゴリーに分け、ひとつは群居機能、もうひとつは媒介機能であるという。(第5章)

媒介とは、コミュニケーションを最大限に拡大したいときに選ぶ言語形態であり、群居とはコミュニケーションを最小限の人数に制限し、自分の特異性を際立たせ、集団の境界線を明確にしたいときに選ぶ言語形態である。さらに、その群居的形態は、社会の中で階層分化の機能も併せ持っている。つまり、意識的に自分の群居言語を変えることで、社会階級が変わったかのようにふるまうことも可能なのだ。ここではプルデューのいう、「ディスタンクション」=自己を他者と区別して際立たせ、社会の中で各個人の行為を組織化する原理、が働いており(pp.113-114)、自分の意思で使う言語を使い分けることによって、どの階級に属しているように見えたいかを決定することができる。

事例は中国、アフリカ、南米の民族語まで多岐にわたる。書かれたのは今から20年以上前なので、ケーススタディに関しては今の現状とは大分かけ離れたものある。しかしカルヴェが指摘している言語と言語政策の政治性の問題は、これからも普遍的に存在するだろう。

東アジア・イデオロギーを超えて
東アジア・イデオロギーを超えて

東アジア共同体形成に向けた研究の一環として、東アジアおけるアジア主義、中華思想とは何なのかを学ぶために読んだ本。

東アジア諸国は、「主権概念が強く自己完結性が極めて高い」ことが特徴で、「一国家を独占する一民族が自己の文化的優越性(これを「中華」という)を主張し、周囲の少数民族や諸国家を蔑む」という。

また古田さんのいう「内発的発展型中華思想」(西洋の衝撃に対し、もともと自国に内在するものを再発展させればよいという中華思想)は、中国だけでなく韓国にも存在し、戦前期の日本にも存在した。それらは現在の中国、韓国においてナショナリズムを鼓舞し、知識人や民衆の矜持を支えているが、日本では戦前期でその歴史を終えているというのが古田さんの解釈である。

面白かったのは、彼の作ったアジア主義の見取り図である。(図が作られていればもっとわかりやすかったのだが、本の中には説明だけが書かれている。)
アジア主義やアジア連帯運動の思想家には三つの軸があり、その軸はそれぞれ、「アジア連帯」と「欧化」と「優越(日本中華)」の3つの方向に向けられていて、それぞれの思想家・運動家はその3つの軸上に配置できるというモデル。

そしてそれと関連して、現在の東アジア研究にかかわる人間のマッピングがあとがきに書かれている。
いわく、古田さんが大学で指導している現代の研究者の卵は3つのグループに分かれ、
1、東アジアに対する「贖罪」から入ったいわゆる「連帯」派学生
2、「優越」からはいった愛国的学生
3、中国オタクおよび韓国オタク
の3つのタイプによって成り立っているというものだ。

このカテゴライズは非常に興味深く、これからの東アジア研究を支える人間のアジア主義とは一体なんなのか、そして自分の立ち位置がどこかのかを改めて再考する機会になった。





来週末に、京都大学のシンポジウムに行くことになりました。
早速夜行バスゲット。土曜日はフリーだから一緒に寺めぐりしてくれる人募集中❤京都→横浜往復、行き3列5500円(シンポジウムに備えて)、帰り4列3500円、じゃらんのポイントを使ってカプセルホテル2300円で予約。締めて11300円の3泊4日京都旅。(うちバス内2泊)。なんて安上がりな。
京都へいらっしゃる皆さん。週末暇があったら、リユニオンしましょう☆
| | 18:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
Who are you?



68168_1577040498799_1019193265_1604648_5368469_n




先週末、マレーシアンの友達たちのOPEN HOUSEにおよばれしてきた。


マレーシアンは本当にマルチカルチャーで、母語干渉を多分に受けた(現地化された)英語、マレーシア語、日本語、北京語、福建語、広東語などが1文の中に入り交じる。中国系の人たちだけで話すときは中国語だけど、マレー系の人と話すときはマレー語。そして私が入るとマレー語の入った英語になる。帰って来たあと、今回声をかけてくれたあみんから来たメールには、


- Sae, for being such a sport, being the lone Japanese in a group full of Malaysians, & surviving the confusing mixture of English-Malay-Mandarin-Japanese-Cantonese-Hokkien conversations! Jom lepak with us again, ya!



だって。Jom lepakっていうのはマレーシア語で、みんなで一緒にだべる、くらいの意味だそうだ。


そういえば、うちの研究科では、もはや誰もWhere are you from?と聞かない。だからいつもしゃべっている人が「何人(なにじん)」なのか、ずいぶん後になって知ることがたくさんある。国籍、アイデンティティ、外見、言語が異なることが普通なので、なにじんか、ということはそれほど重要じゃなくて、むしろどんな言葉を話心地良いのか、食べるものに制約はないのかとかが、一緒にいるときにキーになる。あとから聞くと、「〜民族の血がまざった〜人だけど、〜の学校で育ったので、〜語の方が得意」なんて言うケースがたくさんあって、その人自身を見るしかないのだ。


北京にきて、思ったのは、この国は色んな民族がいるけれど、その大半は漢民族で、そして色んな言語を話すけれど、北京語できれいに統制がとれていて、外国人(つまり明らかに北京語をはなせない人)が感じる排除感はかなり高いと思う。韓国にいるときと、日本にいるときとおなじくらいに。この排除感の違いは、民族の数ではない気がする。


ということで今日から本格的にインタビュー三昧です。
北京は思ったよりだいぶ寒くて、この間だしたばっかりの秋物だけでは全然足りない。タイツとジーンズを重ね履きしています。



今泊まっている場所(ウィークリーマンション?みたいなところ)では、ツイッター&facebookにアクセスできません。ということで、メッセージやリプライくれて、返信できてない方々、ここにてお詫び申し上げます。


この本で山田教授が一番主張したいのは、キャリアではない仕事に従事している女性が、高収入ではない男性と結婚して、そこそこ豊かな生活を送るための条件を整えることが重要であるという。山田教授の分析によれば、その「キャリアではない女性」は仕事と家庭の両立よりは、早いところ収入の高い男性と結婚して仕事はやめたい。しかし非正規職についている男性と結婚しても、親と暮らす今より生活が楽にならない。だから未婚率が高く、少子社会となる、というのである。

データとしては理解できても、そこから導いた分析と主張にはところどころ違和感があった。それは主に、彼の使っているデータが、選択式のアンケート調査の答えに頼っており、インタビューなどの質的調査をきちんと行っていないことからくるように思った。もちろん中には、インタビューした人の中には・・・とか、私の知り合いで、もしくは学生の中には・・・といったちょっとした例の提示もあるのだが、それだけでは量的調査(アンケート)の分析の正当性を高める実証例として身近な例をあげているに過ぎない。

読んでいて、特に違和感があった部分は大きく以下の2点。

1.少子社会を生み出す問題点のひとつとして、男女の「魅力の格差」をあげ、基本的に女性は男性の収入に、男性は女性の容姿や性格に興味があるという点を挙げている。確かに、女性はより現実的なファンクションに、男性は女性の精神的なファンクションにより重点を置いている、というのは確かかもしれない。この魅力の感じ方は、時代が変わってもそう変わるものではなく、変わったのは生活水準の向上(だからパラサイトシングルになる)、就労状況などで、それらの要因によってこの格差が少子社会を生んでいる、とのべている。しかしこの議論で欠けているのは、この魅力の格差を説明するときに、それぞれの男性、女性に対する意識変化や、性役割の変化についてきちんとした調査や考察がなされていないことだ。これらは「男性に期待するものはなにか?1、収入、2、趣味の一致・・・」のような単純化されたアンケート調査で明らかになるものではなく、やはりこれも質的研究をきちんとやることでしか明らかにならないことだと思う。

2.これらの少子社会の対策として、最後に最近の若者におけるコミュニケーション力の低下を挙げ、公的機関や公教育が、コミュニケーション力能力を高めるセミナーなどを開催するべきという提言を出しているが、失笑してしまった。以前「心のノート」かなにかを配って、自殺やいじめをなくそうとした公教育の失敗も、同じ感性から来ているように思う。

3.最後に、パラサイトシングルへの対策という節に、中年無職男性が死体遺棄の罪で逮捕された事件を挙げ、「こういったニュースを最近月1回くらいの割合で見るようになった」、「私が気付いたのは2004年ごろだが、それ以前から存在していたに違いない」、「自宅で亡くなった親を生きていることにして年金をもらい続けていたのではないかと思っている」という曖昧な記述がされている。もちろんこういった事情はなかなか察しにくいものではあるけれど、新書として世に送り出すものならば、もう少しちゃんとした情報を記述してほしい。


本文は長い割にはそれほどはっとするような主張もなく、結婚という非常にメンタルで価値観や考え方の変化が分るものを扱っているのに、頼っているデータがあまりに量的に偏りすぎていること、取り上げられている例が、自分の意見をサポートする形でしか取り上げられていないこともあって、何となく最後まで説得力に欠ける新書だった。
| | 11:10 | comments(0) | trackbacks(0) |
夏の終わり
ここまで寒いと、まだ9月なのに夏の終わりを受け入れざるを得ない。

木曜日。秋分の日。久里浜のおじいちゃんおばあちゃんちに行く。iPhoneで見せたモンゴルの写真を、一枚一枚1分ずつくらいかけてみていた。夜は代々木公園近くのカフェで満月ヨガ。

R0013153

土曜日は、セバのレガシーで宇都宮へ。朝、マンションの下までお迎えがきて、
陽子、せばと宇都宮へ。春日部でなぜかこっちに帰って来ている(奥方みんちゃんはソウル)のなをのせて、ひたすら北上。一日中餃子を食べ続けた。野中が純喫茶に行きたいというので地元の喫茶店にいって、そこにおいてあった雑記帳をみんなで一生懸命読む。ここ10年くらいのいろんな思いが詰まっていて、爆笑したりしんみりしたりしながら珈琲フロートを飲んだ。佐野インターで那須高原のチーズケーキ。栃木、埼玉、東京を横切って、また横浜に戻る。観覧車を3つ通り過ぎる。



この間書いた本のレビューを、著者の乙武さんがブログで紹介してくれる。
h_ototake@Twitter
乙武洋匡公式サイト『だいじょうぶ3組』解説

乙武効果でフォロアーが増えたのは、自分をみてくれる人が入れるってことで嬉しいのだけど、実際に私は伝えたいことは、半径5メートルくらいの好きな友達だけに書いているから、ときどき質問が来ても、この人は私に興味があるんじゃなくて、乙武さんがRTしたから興味あるんだろうなあ、とか穿って考えてしまう。アンチあいだみつをなのはあいだみつをさんが嫌いなんじゃなくて、あいだみつを的考えを後生大事にしてお守り的使用するファンが嫌いなのと同じように、私は乙武さんの大人さとやんちゃさのバランスをとても敬愛してるけど、彼におべっかを使う取り巻きは苦手だと感じる。



でもまあきっと、分からないものには疑わしくなるんだよね。
そして知ると、ああ全然大丈夫だったんだ、とか、思っていた以上に安心したり、
実はものすごい悪意があったりするんだと思う。
でも私はおそらく根本のところは心配症でnegative thinkingだから、
最悪のケースを考えて、もしかしたらって杞憂したりするのだ。

人を信じるってさ。
本当に難しいなあと思うのだ。
遠くで、実は私のこと、私が思っているようには全然考えてないけど、
その人なりに考えてくれているってことは多々ある。

尖閣諸島関連のニュースで勝手に暗澹たる気持ちになったり、
いや、実は大丈夫だ、国家の事情は個人的環境にそれほど影響は及ぼさない、とポィティヴになってみたり、そんな浮き沈みの激しい1週間を過ごしてきました。



周りではこの週末に「悪人」を観た人がたくさんいて、誰もが絶賛。間違いなく演技も演出もいいし、ロケーションもストーリーも、余韻の遺し方も最高なんだけど、絶賛の陰には否定しにくいっていう要素も入ってるんじゃないかと思う。社会資本も文化資本も持った人間の優越感と作りだした寛容さ。



昨日の日曜日、夜秦野であった「たばこ祭り」なるものへいって、ブロックバスターのきよたくんと秋花火。鶴見俊輔、風俗の種類と特色/違法性、諏訪湖花火、母性の処理、構成主義、言語は人間を規定するか、人前で見せてはいけない目薬、見栄と相手への期待、対中外交、恋愛のない入籍、家族や学校で殴られること、ジャンルかベースか、安保映画などいろいろ話す。ミスド、下北沢で共同体同居人のもりたくんにあって蜷川舞台の話を聞いて、終電でTBSへ文化系トークラジオLifeを聴きにいく。「新・家族の条件」生放送。出演は鈴木謙介、宇野常寛、古市憲寿、速水健朗、仲俣暁生、柳瀬博一、澁谷知美、津田大介(まとめて)さん、などなど。

渋谷さんがリクエストした曲が、タテタカコの「宝石」。誰もしらないの挿入歌。
津田さんに会ったら、困ったことがあったらいつでも、とかいって、頼れるくまさんみたいな人だった。なるほど、とかちくしょう、とか、いろいろ思いながら、ときどきまったくラジオを無視して話したりしながら朝の5時半まで。帰りに松屋でご飯をたべて、納豆を讃えながら帰宅。秋を運んでくる雨は冷たく、寒すぎて、帰ってきてお風呂にはいって羽布団に潜ったときに天国かと思った。



昨日あげた本ともらった本。
鶴見俊輔だったら当然「戦争が遺したもの」をお勧めしたいのだけど、私の本はあまりに書き込みと付箋だらけなのでこの2つ。重松さんとのはなぜかアマゾンで間違って2冊注文してしまった。

鶴見 俊輔,重松 清
潮出版社
発売日:2010-01-05
鶴見俊輔さんと重松清さんの対談集。重松さんはこれは対談ではなくて講義だといっているが、その通り、重松さんを相手に鶴見さんが語るという体裁のもの。重松さんも第二章くらいから随分積極的な聞き手になってきて、子供の話にたいしてはいくつか面白いエピソードを紹介して、鶴見さんの更なる話を引き出してくれている。鶴見さんの話は何度も聞き覚えのある話でも、そのエピソードがでるコンテクストによって様々な意味合いをもたらしてくれるから不思議だ。今回初めて読んだもので面白かったのは、自殺してもいいの?という鶴見さんの息子さんが発した問いに対する鶴見俊輔風の答え。「もし強姦をして、証拠隠滅のために女を殺そうと思ったのなら、そのときは自分を殺しなさい。」とても軽い本で2時間くらいで読めるけれど、鶴見さん入門としては少し物足りない。鶴見ファンの鶴見思想コンプリヘンションのための本と言った方が的確。今編集者の人たちは、彼の言葉を少しでも残しておこうと必死なのだろうと思う。




貰ったのはこの本。帰って来て半分くらいまで読んで、いろいろと書きたいことがたくさんでてきたので、全部読み終わったらレビューかこう。



明日から大学が始業する。
授業のない私にとってはあまり関係はないけど、でも新しい学期の匂いは好き。
| | 22:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
なぜ羊を食べないか?
R0012474


自分を正当化するつもりはさらさらないのだけれど、私は羊肉が苦手だ。
もっというと、肉っぽいお肉が全体的に苦手だ。皮も苦手だし、ホルモンも苦手。
ベジタリアンではないけれど、正直肉がなくても生きていけると思う。

なんで羊肉が嫌いか、ということを自己分析した結果、やはり獣っぽい匂いが苦手なんだと思う。肉でも、ささみとか、筋や皮を取り除いたものなら食べれるのは、それが生き物であることを意識させないでくれるように加工したものならば食べられる、なんていうのは、小さい頃からなんでもカットされてパックに入ったものばかり食べていたからかもしれない。
それを正当化するつもりは本当になく、できればなんでも食べれる人間になりたいけれど、
生理的に無理、苦手、と思ってしまうのが羊肉だった。

羊肉も、新彊に行ったときは、ちいさいものを串刺しにして香辛料を一杯ふったものをたくさん食べていて、そういうものなら大丈夫なのだけれど、ゆでたものとかただ焼いたものとか、鍋に入ったものはどうしても敬遠してしまう。
ただ、そういう食べ物を出してくれる人をリスペクトするために、人から直接貰ったもの(特に好意で)は絶対食べるようにしている。
モンゴルでフィールドトリップに行ったとき、山へのピクニックからの帰り道で、モンゴル人のキャンパーが野外鍋をやっていて、通りかかった私と洋帆に、とっておきの羊スープを飲ませてくれたのだ。正直匂いだけで死にそうになったけど、そういうのはちゃんと美味しそうに飲むようにがんばる。
でもレストランに入ったら自分から羊は頼まないし、一緒にいるYLPのメンバーにも、是非肉以外のものがあるレストランに入ってくれと懇願していたものだった。


体質的なものなのか、精神的なものなのかよくわからないけれど、
小さい頃、肉の脂身を食べてじんましんを出したことがある。
小学校のとき、給食で出てきたロースかつかなにかの脂身を食べて、
当時、給食を残すことが許されていなかったのでひどいじんましんがでた。
そのときは何が原因かわからなかったけど、二回目に同じものを食べたときに、ああこの脂身なんだということがわかった。
それ以降は学校側も配慮してくれて、残すこともできたけれど、思えばあの頃からずっと肉や生き物らしいものからさけて生きてきたんだなあと思う。

モンゴルではいつも野菜ばっかり食べていたので、多くの仲間たちに何度もサエはベジタリアンなのかと聞かれていた。でも日本では、魚も鶏肉も豚肉も一杯食べる。(牛や羊はあんまり食べない。)
なんでだろう。それは、日本では獣っぽさを排除していろんなものが売られているからだ。
食べるために、本当はたくさん血を流して殺しているのに、それを意識させない形で生き物が売られていて、私はそれを食べ続けてきたのだ。


好好学习,天天向上!
ということでついに中国語学習本格的に再開しました。
英語をがんばることは勿論、韓国語、中国語。この二つはもっとあげたい。
あとはアジア言語ということで、数から行くとインドネシア/マレー語かなあ。
でも興味の矛先から行くとタイ語なんだけど、一度挫折しているからな。
将来のことを考えれば断然フランス語かスペイン語をやった方がいいのだけれど、
どうもモチベーションがあがらず。リーガエスパニョーラとかを見ればあがるのか。

IMG_0535
| | 15:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
30
IMG_0532

SAEとはどういう意味なのでしょう?

Society of Automotive Engineers
South American Explorers
Screen Archives Entertainment

But it doesn't.

For us, Sae is much more.

As a flower, she would be a Chysaenthemum.
Lovely in fragrance and appearance, this beautiful flower is complex and calming.

If she were a song, she might be invited to "Come Sael away with me".

To the blind, she gives saeght.

As the mongolian wind saeghs through the rigged steppes, its touch is warm and gentle.

Therefore, let us offer this saelute to our colleague, neighbor and friend, Miss Sae Shimauchi.

Happy 30th birthday to Sae from the Young Leaders Program fellows at the Northeast Asia Economic Forum.


IMG_0610


R0012873

Big love and appreciation to all of the YLP fellows.

Love,

Sae
| | 18:27 | comments(2) | trackbacks(0) |
20 - 23 モンゴル、夏の陣(中間報告)

@19日、フィールドワークに行ったUBから30分ほど離れた郊外の町、ホロー。


17, Tuesday
一日中、歴史に関するレクチャー&ディスカッション。
大人数での昼食で、食事の提供が遅いと何人かが切れ、注文したのレストランから立ち去るという事件。
このプログラムは、昔からいろいろあるようだ。
アメリカ、ロシア、モンゴル、中国、韓国、日本。この6つの国が集まれば、中でどんな闘争があってもおかしくない。
正直にいえば、日中韓の人間は、この3カ国以外の人がいると、相対的に非常に仲良くなれたりする。
夜は一日中、次の日のエリアグループ研究の発表と、交渉術の授業の準備。
バスカ(モンゴル)とヤンファン(中国)で3時頃までがんばった。


18, Wednesday
午前中はエリアグループの発表。
私はロシア班で、ハットナ、アロン、シヨンと一緒のグループ。
パワーポイントを作るのはちょっと手間だったけれど、冗談もちゃんと受けたのでよかった。
その後の交渉術のセミナーは、白熱/緊迫の5時間。このことについては後できちんと書こうと思う。

終わった後、中華料理を食べにいく。
バスカ、シヨン、スルギ、テホ、ルーク、ハットナ、タイシュー、ヤンファン、私 の8人で展望台のようなところに行く。

夜のウランバートルを見渡す。こういうとき、いつも一番嬉しそうにするのはつれてっていってくれるモンゴル人。車を出してくれて、秘蔵のウォッカを出してくれて、寒いとマフラーを貸してくれる。
モンゴリアンホスピタリティー。ハットナとタイシューに感謝。
この階段をあがるとき、寒さと標高とその前に飲んでいたチンギスハン(ビール)で息が上がりすぎて、のどが切れたかと思った。ずっと血の味がしていたのだ。こういうときに大丈夫?っていって普通に手を差し伸べてくれるのは、人との距離が近い中国の男の子。
シャイな日本人ができないことを、下心なしに(少なくとも誰にも平等に)する中国の男の子、
性役割への意識とかなり相手を選んで優しくしてくれる韓国人の男の子と、
リスクを恐れて沈黙は金、を守る日本人の男の子、という構図がだんだん見えてくる。

そのあとはジュンの部屋で宴会。

昨日三時までがんばったメンバーと。終わった開放感とウォッカで至福の表情。

19, Thursday
GOBIカシミヤ工場の内部見学、モンゴル銀行に行って経済政策に関するブリーフィング、銀行内のミュージアム見学、昼間にはモンゴルの高位政治家の人がやってきて、モンゴルの伝統料理やでのランチの後にレクチャー。
夜はバーにいって、モンゴルで有名なバンドのライブを見に行く。
伝統楽器を使ったヘビィメタルでかなりかっこ良かった。
日本にきたらかなり売れると思う。(お金がある人がいたら呼んでほしい)

手相について、韓国人と中国人(ルークとヤンファン)と討論。
手相を見せに北京とソウルに行きたい。


イゴールに持ち上げられたりもした。
お姫様だっこはいろいろしてもらったけど、2メートル以上になったのは初めて。
夜はUBの少しはずれの部分にあるクラブへ。


20, Friday
今日は交渉術のラップアップセッションと、昨日のフィールドワークに関する討論。
昼は、相変わらず日中韓メンバー+バスカでプログラムが行われているモンゴル国立大学の近くにある安いフレンチレストランへ。
今日はさすがに休肝日にして23日のプレゼンの支度をする予定。


明日、土曜日から日曜日には、郊外にキャンプに行ってきます。
考えてみれば、ここにきてもう1週間がたつ。
こんなにずっとおんなじメンバーでいたら、きっと別れるときには悲しくなってしまうと思う。
| | 00:37 | comments(2) | trackbacks(0) |
18 モンゴル、夏の陣2日目



少し遅れていますが、15日から20日まで5日分の日記をまとめてアップします。

15日はオープニングで、ミュージアムやらお寺やらを見学しつつ渡されたのは、
紙に書かれた誰かの個人的インフォメーション。
例えばこんなの。
post doctor in international politics
working experience in international NGOs
この紙を持ってそれに該当する人を一日の終わりまでに探せ、というもの。
そして自己紹介をする代わりに、探した人をみんなの前で発表。
このタスクのおかげで、一日目でたいていの人の名前と顔、何をやっている人なのかわかった。
この日は夜はおとなしく寝たのだった。だから日記を書く暇があった。
NEAEF初日


16, Monday
この日がレクチャーの始まり。
主にモンゴル社会や歴史について。この日は基本的にレクチャー+ディスカッションのセットを朝から三回。
モンゴルの頭脳流出について質問すると、モンゴルは遊牧民の国だけれども、海外にでても帰る故郷を心に持っているとのお言葉。

3日目で既にモンゴルのお肉攻撃にめげてきた私たちは、韓国人/日本人/中国人/ロシア人みんなで韓国料理を食べにいく。UBの韓国料理やさんはどこもなかなかハイクオリティだそうで、今回言ったところも故郷の味に飢えた韓国のビジネスマンや観光客でいっぱいだった。モンゴル人の店員さんの女の子も、みんな韓国の女のこのようなメイクと髪型をして、流暢な韓国語を話す。
ロシア人のイゴール(そのうち登場)は軍隊チゲが辛すぎて食べれなかったみたいだった。
テホ(韓国)の部屋に集まって、モンゴルウォッカを空け、ひたすらゲームをする。
韓国にも中国にもあるけど少しルールが違う。ルールを知らないアメリカ人にはみんなでルール説明。


ネイティブじゃないっていうのは、寛容になるってことなんだなあと思う。


ネットがこうして流通して、世界中でどこでも人とつながれるチャンスがある。
本当にネットには助けられ、そして拘束され、時には知りたくないことを知ってしまって絶望的になり、時には近くにいない人に愛されてるんだなあってことを感じたりする。
こんなに人々の精神生活を変えるとみんな想像できていたのかな。
| | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
15 - 16 モンゴル、夏の陣



1:11くらいからのバイオリンがやばい。
私は間奏フェチだ。

小さいときから田舎がある人がうらやましかった。
あたしに故郷があるとしたら、三浦の海だなあ。
かえるたびに寂れていくけど。

木曜日夜はU-press documentary collective 同窓会。
綾音にさえはストライクゾーンが狭いでしょと言われて否定したけど、そんなことないんだって。
私の周りの世界が、いかに私によって淘汰されてきたことか。
そして私は世界の中で、本当に自分がリスペクトできて好きな人ばかりに囲まれているのだと思った。
そしてそのことは、自分が選んだ自然淘汰のループから外れた異質物が入ったときに、
はじめて、ああ、私はなんて特定の輪の中で生きてきたのだと思う。
そして自分も、その特権とか恩恵とか、偏見とかいろんなものを付随させて、自分の世界を振り回してるんだろうな。



今日は朝一番で原口さんのところで髪を切って、頭が軽くなった。
おととい明るい色に染めてあったから、よけいガキっぽくなった。





明日からモンゴルに行きます。
今回参加するのは、ウランバートルで開かれる北東アジア経済フォーラム(NEAEF)の第五回Young Leaders Training & Research Program In Regional Cooperation & Developmentというもの。
私は18日と23日にプレゼンが一個ずつ。
実際の北東アジア経済フォーラム自体は26、27日で、28日が私たちYLP参加者のディスカッションとそうまとめ、という感じ。スケジュールを見る限り、毎日レクチャー/プレゼンテーション/ディスカッション 2週間の間、文字通りトレーニングされる日々になりそうです。



敗戦記念日にむけて。
私が人にあげる「絶賛本」はいくつかあって、これもそのうちのひとつ。
内容について前にブログに書いたので書かないけれど、内田樹さんが言っていたマルクスのすごいところ:答えはくれないけど、何が問題で何を自分で考えるべきなのかを教えてくれる(意訳)、というのと同じ効果を持つ本。
これをきっかけに調べたこと、手にした本のいかに多いことか。
そういう意味で、自分がどんな部分に疑問を持つのか、今後何を知りたいのかの指針になる。
あとはやくざで男らしくて、そして誠実な鶴見俊輔的哲学に、ただただ、ほれぼれする。

鶴見 俊輔,上野 千鶴子,小熊 英二
新曜社
発売日:2004-03-11



今年も15日は日本にいない。
お盆も、うちの本家は早盆だから7月で、8月のお盆は別になんの感慨もない。
でもこの大事な時期に、日本を去ることに少し後ろめたさを残しつつ。


羊はすきだけど、食べるのはいまでも、苦手だ。

| | 00:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
14 Bye Bye, see you later


人間関係なんて、正直ほんとにはかないものだ
まだ好きとかそういうんじゃなくて、その儚さに愕然としちゃうよ。

実は、全然こっちが信頼していなかったり、特段好きじゃない人の方が自分をしっかり把握してくれていたり。
あとはへんにすきになって、弱いところとかを共有しちゃうと、自分の一部みたいになっちゃうからなあ。



横須賀の祖父母宅へ。
私の30代の目標は、
自分の存在意義が、自分の中でちゃんと府に落ちるように。
そしてエネルギーを自家発電できるようになること。

25になる前は、25で死んでもいいと思えるように生きていこうって思ってて
今度はそれを36歳かなと思ってる。


私自身はともかくも、私の好きな人たちには死んでいなくなってほしくないな。



全然関係ないけど、
アマゾンでのカスタマーレビューで一番上にのっていてうれしい!
サッカーの見方は1日で変えられる

iPhoneに音楽を入れるために、家にあるアルバムを全部Mac Proに入れ直してる。
久しぶりに聴いた誰もしらないのタテタカコのサントラが出てきた。いい歌。
残念なのは、この映画の中で評価されたのは柳楽くんだけだったってこと。
この主演男優賞はみんなでとったもの、って徹子の部屋で言っていた是枝さんは正しいと思う。
誰も知らない [DVD]



| | 13:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
<< | 2/10PAGES | >>