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サイパンをめぐる2つのこと(母と娘のミソジニーと戦争)
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10月2日から5日まで、母親と一緒にサイパンに行ってきた。
「母と娘のミソジニー」をひしひしを実感しながらの旅行だった。

今まで一度しか海外に行ったことのない母。一方で学生時代から貧乏長期旅行を繰り返してきた私。
2005年のパキスタン・新疆・大陸中国の3ヶ月旅行を最後に、長期での旅行はしなくなった私だけど、
今度は学会発表やフィールドワークなどで毎年4、5回は海外に行くようになった。
前よりもいいホテルにとまって、前よりもいい航空券で。
それでも安い旅行には耐性のあるほうである。
たとえば、民宿みたいなホテルも、座席が破れてたりいまどきやたらと揺れる深夜発の飛行機なんかにも。
でも今回、還暦を過ぎた百合ちゃんとの海外旅行、今回みたいな29800円(3泊4日、航空券・ホテル・燃油込み)のツアーじゃなくて、せめて羽田発で移動が楽な時間に出発する便にのせてあげればよかったなと思った。
彼女は地図も読めない。当然英語もしゃべれない。新しい鍵の掛け方や、飛行機の乗り方や、待ち時間の楽しみ方や、そういうのをいっさい知らない。私のような往年のバックパッカーは、「どこにでも寝れる」「何かあってもどうにかする」という変な「生きる力」みたいなのが身に付いているのだけど、彼女は全くそうじゃない、60年間家と、好きなブティックの行き来しかしてこなかった彼女は、私なんかとは桁の違う箱入り女なのだ。

正直何度もイライラした。正直切れそうになったことも何度もあった。
私は何もできない、さえに全部おまかせ!という開き直りと諦念のスタンス。
どこまでも持ち込む日本スタンダードと、それから外れたものに対する(基本的には否定的な)「感想」の数々。
思い込みの激しさに裏付けされた、一定の人や現象に対する妙な蔑視や変な劣等感。
それらの表象は、すべて娘に対する信頼によって正当化されているかのように存在する。
私と血がつながっているからこそ、私が一番恐れ、嫌い、乗り越えたいと思っている数々の性質たち。

帰ってきてから、家を空けてしまった罪滅ぼしのように嶋内さんにあれやこれやと報告をするなかで、
「これで最後の海外旅行だなあ」と何度も言っているのをきいて、今度はなんだか悲しくなってしまった。
彼女自身も、今回の旅行がいかに「さえ任せ」だったかということを実感しているのだと思う。
私は自分が高校生くらいまでは非常に聞き分けの良く、優秀で手のかからない子どもであった自負はあるけど
(もちろんその反動は高校生後半から来た)、彼女が長年感じてきた私へのイライラや我慢に比べたら、この3、4日の我慢くらい何さ、と思ってもいいんじゃないか。
それで最初に感じた、もっとお金をかけて良い旅行に連れていってあげれば良かった、という思いにつながったのだ。


個人的な葛藤はさておき、サイパンに関して感じたことをいくつか。

私は個人で動くのが好きなバックパッカー気質なので、いわゆる観光リゾートにはあまり縁のない旅行ばかりしてきた。
旅行先やそこでの生活を知るためには、ある程度の期間を使って現地の人と同じようなことをしないと無理で、
観光地だけを巡っても何も分からない。そう思っていた。
欧米などの「先進国」での旅行は、それなりのお金を払わないとおいしいものにありつけないし楽しめない。
貧乏旅行をするものにとって、先進国は発展途上国より楽しみ、理解するのが難しい場所である。
以前初めてハワイに行ったときも、4日間のリゾートホテル滞在ではハワイの奥深さをまだまだ分からない気がした。
好きになるとしたら、ハワイ大学に留学するなどして、長期滞在してはじめて分かるのだろうと思った。
サイパンもおそらくそうで、リゾート地として2泊3日で楽しむには十分だけど、それでは何もこの場所のことを分からないで帰るんだろうなあと思う。
それでもサイパンのエッセンスみたいなものを、今回感じることができた。
サイパンは、以前滞在したハワイと比べると、リゾートとしての盛り上がりにはかけているように感じた。
レストランやおみやげやさん、バーなども、時代の流れに取り残されているような場所をいくつも見た。


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GR3で撮った写真はここ

還暦の母を連れて行くリゾートとしてサイパンを選んだ理由の一つに、太平洋戦争への興味がある。
サイパンのガイドブックは、グアムなどの他のマリアナ諸島と比べると圧倒的にすくない。
サイパンに関して事前にこの本を読んだ。



もしこの本を読まなければ、サイパンに行って奇麗な海で泳ぎ、そして少しくたびれた感じのオフシーズンの観光地を見て買い物をして、ああ、なんだか少し物悲しいなあと思っただけに留まってしまったかもしれない。こうしてこの本を夢中になって読んだあとは、自然と出逢う人々の歴史や、彼らの親はどうしていたんだろう、この場所は戦争の前どんな様子だったんだろうか、戦後どんな変容を遂げてきたんだろう、と考えて旅するようになった。

時々出逢う日本人らしい名字を持つ人のそぶりや、言葉や、英語の発音を聞きながら、ものすごい重くて複雑な歴史を感じる。戦前から戦後の流れの中で、日本の統治下からアメリカの統治に代わり、サイパンの人たちもお店もそこにあるものたちも、戦前とは全く異なっているように見えて、でも必ず連続している歴史の中で構築されてきたものなのだ。

万歳クリフや玉砕などの有名な歴史的事実は知っていても、サイパンに戦争前どれくらいの人がいたのか、その人たちはどこから来てどんな生活をしていたのか、こんなに興味深く知ることができるとは思わなかった。

第一次世界大戦後、日本の委任統治領となったサイパンには、東北や沖縄、朝鮮半島などから多くの「日本人」「沖縄人」「朝鮮人」(本文ママ)がやってきたという。この本では、いくつかの家族の歴史を中心に、サイパンの中心部、ガラパン地域で繰り広げられた日本人街構築の様子や、戦争の中で彼らがどのような運命を生き延びたかが描かれている。

序章と後半で書かれていた収容所の中での様子は、濃密な家族の物語を読んだ後に知るとより深々と身に迫るものだった。
友軍(日本からの軍隊)がくることや日本の勝利を信じて最後までで逃げ続けた人が馬鹿を見るという台詞や、日本の敗戦のあと、今までの怨恨をはらすかのような現地のチャモロ人や「朝鮮人」の人々の反応、食料を奪い合い、「負け組」と「勝ち組」に分かれて殺し合う「日本人」。一方で、個人的つながりの中で、「日本人」「朝鮮人」など隔てなく、究極の場面でもお互いを助け合っていた様子。

戦後何十年も経て生まれた私は、あのとき最後まで逃げ続け、抵抗した人を「馬鹿」だとも思わなければ、洗脳されていて可哀想とも言えない。かといって、彼らを国のために身を捧げた英霊とあがめるのも何か違う気がする。早い段階で捕虜となって、見方によっては敵国であったアメリカ軍におもねっていた人々を卑怯だとも言えない。
あの時の行動にベストや正解などなく、皆が一生懸命必死で、そして今よりも圧倒的な物理的、情報的、精神的制約の中で、自分のとるべき道を探していたんだと思う。

この本を読んだら、自分はサイパンのことなんて何も知らなかったということを痛感した。
レイテ、マリアナ、ガダルカナル、ミッドウェー、パールハーバー、ラバウル・・・戦争のことを学んだときにでてきた、たくさんの聞き覚えのある太平洋の地名や島名のなかでも、私はこの本を通じてサイパンの歴史の一部分を知ったに過ぎない。でもこれでよく分かった。私はまだ戦争のことをまだ全然理解しきれないんだということと、そこに埋まっているたくさんの物語を知ると、その知った部分によって、自分だけの「歴史」が構築されるってことを。そしてたくさんのことを知れば知るほど、その「歴史」が豊かになるし、歴史は一筋じゃないってことを。


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刺青と復讐
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小森純「タトゥーのどこが悪いの?」閉鎖的な日本社会に号泣!→江角マキコ「後悔しないといえる?」


私には刺青(いれずみ)がある。

自分が刺青持ちであるということは、刺青に纏わるさまざまな社会的拘束や偏見を、自分が当事者となって背負うということである。

もうひとつ。私には刺青に纏わる心理的拘束がある。
それは17年前に死んだ私の大伯父さんのことで、私は彼の持っていた三浦海岸に海の家に、毎年家族で手伝いに行っていた。海は、そして海の家は、私にとって小さい頃の夏休みのすべてだった。
その大伯父さんを、私は海じいちゃんと呼んで大層懐いていたし、子供のいなかった海じいちゃんも私を孫のように可愛がってくれた。

海じいちゃんは身内にも、地元でも、少し恐れられている人だった。
若い頃、特攻隊員になって横須賀で出陣待ちをしている時に終戦になり、軍の倉庫にあった食料をかついで逃げ帰ってきたというエピソードをおばあちゃんが教えてくれた。そのあとの彼が何をしていたのかはしらない。でも海じいちゃんの背中には大きな桜吹雪があり、晩年は、その強面を活かして(?)、地元の警備団なんかもやっていた。

晩年、彼は心臓の病気をわずらい、横浜にある割と格式の高い、評判の心臓外科病院に入院した。
今思えば、入院した時は、もう帰れる予定はなかったのだと思う。
もともと身長の低い人達の多い母方の家系で、160センチほどしかなかった彼は、病気をして余計小さくなった。

背中に刺青を背負った彼は、その病院の大部屋に入れなかった。
病室の、周りの人が怖がるから、という理由だった。
私は彼のしわしわになって、もう模様が良く見えなくなった桜吹雪を見た時に、思ったのだ。

絶対、復讐してやるんだと。
こんなに小さくなってしまっても、死ぬ間際になっても、彼をはみ出し者にしたこの社会に。
身体の衰えとともに、その花をつぼめてしまった桜吹雪に。

海じいちゃんがもっていた美しい刺青は、社会や病気によって消されてしまった。
それは私が絶対によみがえらせるんだと思った。
私に近い人間の中で、今まで死んだ人は彼が最初で、そして今まで他にいない。
これから身近な誰かが死ぬたびに、何かできなかったことの復讐みたいなことをしていくんだろうか。

だから私は、刺青を恥じたことも、消すという選択肢を考えたこともないし、これからもそうだろう。
幸いなことに、就職活動中にそれを見咎めるような会社には入らなかったし、公共施設で入場を断られたこともない。
それはきっと、私が、「いわゆる、刺青持ち」に見えないからだ。
まさか刺青があるかもしれない、と思って私の体を隅々までチェックする人はいない。



刺青を入れるということは、こういうことだ、って断定的に宣言する人がいる。
したりがおで、刺青を入れることの意味を、「刺青を社会がどうみなすか」を語る人がいる。
敬遠されているのは刺青なのか、刺青をした人なのか、
それとも刺青を入れた人達が最大公約的に持っていると想定される暴力性なのか?


それでも刺青を入れる人は、世間のはみ出しもの=自分に危害を与える可能性が高い人という「傾向」があるのだから、それを持っている人が色眼鏡で見られやすい、という「現状」は理解できる。

でもその現状を作り出しているのは、刺青を入れている側だけではなく、刺青持ちを見ている側の人間であるということも忘れないでほしい。

刺青持ちを判断している側の人間に、まるで相手の将来をおもんぱかっているかのように正義づらして、「よく考えてから入れてね、後悔するわよ」なんて言われるのは一番我慢できない。
刺青を入れていない人間は、刺青持ちを排除する側の当事者だってことを自覚するべきだ。


だいたい、お前は誰だ、といいたい。
いつから社会の構成員のひとりとしてじゃなく、俯瞰した目でものを言っているんだ。
刺青という部分でその人の全体を判断するような暗黙のルールを、当たり前のように受け入れている社会を、なぜおかしいと思わないのか。

昔あったどんな差別も、今では少しずつ邂逅されつつある。
差別されていたり、色眼鏡で見られていたグループも、それを決定づける特性などないってことに
やっと周りが気づいたからだ。

大事なのはここ。
気付くのは、いつもマイノリティを排除している側の当事者だってこと。


でも刺青に関しては、その認識がまだ遅れている。
刺青もちには、もう少し長い戦いが待っているのね。





どんなに泣いても苦しくても
決して意志を曲げなかったこの勇者に
心の中で もう一度
小さく忠誠を誓った
(Chapter71)

たとえどんなに異質でも
強ければ それが正道
(Chapter73)

3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)3月のライオン 7 (ジェッツコミックス)
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閖上の灯火 311
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閖上という美しい名前の場所に行った。2012年3月11日。

閖上は今回の東日本大震災で大きな被害を受けた地域のひとつで、5000人いたうちの900人を超える人が亡くなったとのお話をバスの中で聞いた。風の吹く、海に近いその町は、見渡す限りまっさらな土地になっていて、まだところどころにがれきの山があった。

まっさらになった閖上の大地で開かれた朝市の活気は素晴らしかった。秋田や岩手を含めた東北の郷土料理や、美味しい和牛や地元の有名な餃子、手作りのマフィンやお漬物、お惣菜、お野菜など、魅力的で美味しそうなものがたくさん売られていた。 一緒に回っていた留学生たちと、色んなものを買った。たとえ100円の糸こんにゃくでも、笑ってありがとうをいってくれるのが嬉しくて、みんなでありがとうありがとうと言いながら歩いた。

私たちが担当したのはその朝市会場と、10数人の犠牲者を出した閖上中学校の校庭での復興イベントのお手伝いだった。閖上中の体育館には、「卒業おめでとう」の旗が去年のまま飾られていた。校庭にはまだ、打ち上げられた船があり、教室の棚の上には、持ち主を失って泥まみれになったノートがあった。

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その体育館で、私たちはイベントで火をともすための灯篭を作った。3000個もの四角い灯篭(想・いのり・名取市などの文字が入っている)と、各地から寄せられたメッセージや絵の入った絵灯篭。それらにろうそくを入れ、校庭に並べた。

何千個もの灯篭と、神戸からきた復興の絆の竹灯篭、コップに水とろうそくを入れた灯篭、それらを全部、3.11 、絆、閖上、さまざまな形をつくって閖上中学校の校庭に並べた。美術室だった教室からリレー式で灯篭を運び、降り続いた雨で泥沼のようになった校庭に刺した。

「ヒミズ」という映画を見た時、泥のなかで転んだり殴り合ったりする場面がたくさん出てきたけれど、閖中の校庭にあった泥を見て、ヒミズのことを思い出した。震災の象徴のような泥。津波が運んできた、塩分を含んだ海の泥は、雨を含むとじっとりと人の足に絡みつき、ひっぱった。

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ぱっとしない天候のせいもあって、閖中への来場者は予定より少なかった。閖上のスタッフの方達や早大勢含め多くのボランティアが作った灯篭は、たったの1時間半ほどで燃え盛る火の中に投げ入れられた。
3000を超える紙の灯篭は、蝋燭ごと火にくべられ、あとかたもなく燃えた。

それらを「もったいない」と感じて、綺麗に片づけるつもりでいたのは、むしろボランティアだった。
1日手伝っただけの私たちより、このイベントを企画してからもっと長い長い間、この日のために働いてきた閖上のスタッフの方たちは、躊躇いもなく「ぜんぶ、燃やせばいい」といった。

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私たちはどうしても役に立ちたいとかどれだけ喜んでもらえたかとか、結果を見ようとしてしまう。
それはもちろん、どうしても役に立ちたい、助けになりたいと思う純粋な心から来ている。でも、自分たちのやっていることには、いつも不安になる。意味なんてあったんだろうか。自己満足じゃなかったんだろうか。いつもそう思う。

だけど、もし私たちの活動に意味があるとしたら、留学生も含めて何十人も東京から来て、とにかく一生懸命作業して、こんなにも儚く終わってしまうことに、みんなで一緒に力を注いだということなのかな、と思った。

第一、人生だってなんだって、一生懸命積み上げてきたものが一瞬で消えてしまったりする。
色んな人の思いや、時間や、お金や、手間が込められたものも、命も、いつかは燃えて灰になって亡くなってしまう。あの灯篭たちみたいに。
でも一瞬でも綺麗だったんならそれでいいじゃない、って思ったんだ。

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3月10日から12日の朝まで、0泊3日(夜行バス2泊)で宮城県名取市閖上へ復興イベントのお手伝いに行ってきました。早稲田からは早大生・教職員を含めた80人を超えるボランティアが参加。私は今回学生リーダーとして、英語話者の留学生のフォローをしました。これはそのイベントに関する、私の個人的な感想です。所属大学やその他参加学生とは何も関係がありません。

WAVOC(早稲田大学ボランティアセンター)

早稲田大学のホームページには私の小さいインタビューも載せていただきました。
名取市「3.11ゆりあげの集い」
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持続可能な「雪かき」について:はじめて行った被災地、釜石市箱崎のこと。
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週末、ちょっとだけですが東北に行ってきました。
早稲田のボランティアセンター、WAVOCで行っている東日本大震災復興支援プロジェクトによる、週末ボランティア(英語便)

場所は、岩手県釜石市箱崎町。
WAVOCでは震災直後から定期的にボランティア便を送っていて、今回の「英語便」には早稲田在学の留学生(含む交換留学生)が多数参加した。

WAVOCによる東日本大震災復興支援プロジェクトは、早稲田大学卒業生からの支援金・義援金によって成り立っている。それらは被災した学生への奨学金や、ボランティアを東北に送るための活動資金になっていて、参加者の私たちが払ったのはボランティア保険の1000円とそれぞれの食事代だけ。岩手の遠野地方まで、バスを貸し切って留学生と日本人学生合わせて36人で、2泊3日の東北の旅だった。


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私たちが活動したのは釜石市の箱崎町という、数ある半島の先の方に位置する小さな街。
半島の先のその街から釜石へは、一本の道でつながっており、その途中にトンネルがあった。
救助や支援の命綱であるそのトンネルには、津波のあとたくさんの泥と、そして遺体が埋まっていたという。

震災後の箱崎の救助・復興活動は、まずそのトンネルから遺体を運びだし、トンネルを開通させることから始まったという。
その小さいトンネルは、私たちの乗った大型バスがやっととれるくらい小さくて、抜けた先には、雪に覆われて真っ白で真っ平らな箱崎町が出て来た。

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箱崎にあった240世帯のうち、180世帯は津波で流されてしまったという。
震災から11ヶ月近くたった今でも、家の解体をやっていて、シャベルカーで家をおもちゃのように壊していく様子を、現地の人が見守っていた。

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東北に行って、釜石の周辺で見たたくさんの家々には、○と×のサインがついていた。
震災後の混乱の際、遺体を発見する救助隊と遺体を回収する部隊が別々だったことで、目印のためにつけたという。
×は、この建物の中に、遺体があるというサイン。○は、その回収をさす。

崩れて人が住めなくなってから、この11ヶ月の間に風化したまま晒された誰かのおうちにも、
廃校になった小学校にも、看板だけが残る商店にも、このマークがあった。

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箱崎は、半島の先という地理的な条件からもあって、支援が十分に届いていない地域だ。
その町には産業がない。レストランも、商店もない。
買い出しは、日に3本あるバスに乗るか、誰かの車に乗せてもらってトンネルを抜け、釜石のスーパーなどに行く。

津波のこと、被災のことだけではなく、都市生活者の私たちには分からない地方の現状も知った。
廃校になった小学校に泊まり、若い人の消えた町をみた。
町の端に一つだけそびえていた真新しい自動販売機が、ものすごく不釣り合いで、暴力的なものに見えた。


私たちは、雪かきをした。仮設住宅の周りを取り囲んだ雪を、除去する作業。
私は個人的に「雪かき」という活動をしたのは始めてだったが、重くて危険で大変な作業だと思った。
殆どのひとが高齢な箱崎では、こんな重労働をできる人はいないだろう。

いくら私たちボランティアが雪かきしても、もう一度雪が降ればまた雪がつもる。
雪かきにはきりがない。「支援」なるものはきりがない。
箱崎での「支援」は、雪かきのようだと思った。
コミュニティから若者という構成員がすぽっと抜け落ちてしまっているから、ずっとやりつづけなければ意味がないのだ。

お弁当などを支給するのも、生活用品を支援するのも、時折民間団体などが入って行っているようだが、
人間の生とルーティーンを支えるその「支援」は、雪かきのように終わりのないものだろう。
本当ならば、雪かきをするシステムが、その中に生まれなければいけないのだ。

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開発でも、教育政策でも、みんなよくSustainableということばをいう。
持続可能なもの。ずーっとできること。
「雪かき」をして、私はそれをもっとずーっとやっていたいなと思った。

今回参加する前から、私は役に立たない活動をして、やったような気になる、ということを一番恐れていた。
被災地にいって、ボランティアといって、実際には小さなことしかできないのに、何か学んだ気になってしまうってことがとても恐ろしかった。

多くの人は「少しでも役に立てば」「小さくても貢献」という思いでボランティアに参加するだろうし、
私たち早稲田からのボランティアも、たった週末の何時間だけかの雪かきを、
「それでも行って、体験して、小さくても何かすることが大切」と言った。
何回か行ったミーティングの中でも、「何かしたくてここにきた。小さいけれど、大事なことをしたんだ。」と言い合った。

しかし終わって感じたことは、やはり自分のやったことが、たった一回・一部の「雪かき」に過ぎないことだった。
「雪かき」は、ずっとやり続けなければ意味がないのだ。


ボランティアをして貢献をすることより、体験して自分が得たものの方が大きかった、
ということは良くあることだし、私も、今回の英語便で東北に行ったみんなも、きっとそうだった。
行って、今までとは明らかに意識が変わった。
都心からの遠さや、瓦礫や、人や、平らになった土地や、暴力的な自動販売機や、寒さに触れて、はじめて感じた、当事者意識。


私はずーっと雪かきしたかった。
帰って来てからも雪かきのことを思い出す。
体力を消費される、あのくらいの単純労働が、何もできなかった自分(の贖罪)にあっている。
ずっと居れないから、実際には雪かきはできない。
でも雪かき的な何かを、し続けなきゃいけないと思った。

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聞いて聴いて?
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誠心誠意、インタビューズ答えています。
RT(Twitter)とLike(facebook)が多かったものからいくつか抜粋。質問されることで改めて言語化して考えることもたくさんあった。そういう質問がくるととても嬉しい。私も自分の興味のある人に、ちょこちょこ投げています。

嫌韓・嫌中についてどう思いますか?

可哀想な人たち、と思います。そもそも何かを嫌うって、結構精神的に疲れる作業じゃないですか。しかもその嫌う相手が国家と国家に関連する国民や民族や文化や、そういう漠然としたもの全体を相手にしているわけですから、大変な戦いをされているんですよね。私はよっぽど私的に嫌な思いをしたとしても、そんな戦い到底できません。

私は韓国との縁が深いですけど、韓国礼賛をしたこともないし、韓国をdisった記憶もありません。人間一人で言えば、あいつ嫌い、好きって言えますけど、「韓国」に纏わることに関しては嫌いな部分もあれば、好きな部分もある。

韓国的なものや、中国的なものを全部を嫌うって、私にはよっぽど精神的疲労を感じたいマゾヒストか、なんでも大きなもののせいにしたがるこども性を抜け出せないか、そして個人的なトラウマや精神的苦痛を感じたことがあるのだと思っています。どんな理由があるにせよ、同情に値する精神的疾患があると思うので、単純に可哀想と思います。お大事に。


愛について思う存分語ってください。

10年くらい前からずっと言っていることなんですけど、愛って結局「熱移動」のことなんじゃないかと思っていて。

くっつくとどちらかの熱がどちらかに移動して、二つ違った温度のものが、少しずつ同じ温度になっていくこと。あったかいところからつめたいところへ。つめたいところからあったかいとこへ。この熱移動理論に関してはいつか本を書きたいと思っているんだけど、誰か本出させて?


思考停止に陥ってる人の目を覚まさせるテクニックをお持ちでしたら披露して頂けますか?

そんなテクニックなんて持っていないですけど。思考停止に陥るときって、自分が正しいとか自分が何かを譲れないって思って、それ以上考えるのをやめてしまうってことですよね。

私は「自覚」ってことばが好きなんですけど、世の中の大抵の問題は、「自覚」がすすむことによって解決する気がしています。自分がどんな人間で、どうしてそのように思って、どうしてこうしてしまうのか。自分が何かを絶対的に正しいと思ってしまうのは、何か理由があるはずです。自分がこういう人間で、こういう部分を大事に思うから、こういう風に思う。でもそうおもう自分が、私っていう特別な存在であることを忘れてしまうと、自分と同じように考えない他者をおかしい、正しくないと否定することになってしまう。

すぐ問題を他者の方に見てしまうけど、同時にそれを捉える自分側から分析することを忘れないようにすればいいんじゃないかな、と思います。

だから思考停止しているな、と思う人に対しては、その人の存在自体を、結構えぐるコメントをしていると思います。そして人は、自分のことをえぐらえることは大嫌いです。お前には分からない、っていいたくなるし、そう言ってしまえばそこで議論は終わりです。


考えていたら、思考停止って戦争が起こる一番の原因に思えて来ました。


これまで様々な国の方と交流していると思いますが、その経験を通して、こういった感覚は日本人特有だなぁと思わせる、日本人の長所があったら教えてください。

期待を裏切らない回答だと思いますが、私の答えは「そんな国民単位で表現できるような特有の長所なんてない」です。もしあると信じているひとがいるのだったら、気持ち悪い。

「傾向」はあると思います。「日本人は目でモノを語る傾向がある」とか?
あら、気持ち悪い。私は語りませんし。

私が感じる”日本人の長所”なるものは唯一、共通して経験しているものがあって、それを共有しやすいってことでしょうか。あの時代に街で流れていた音楽。あの頃観た映画やドラマ。一緒に育って来た様々な文化。そういう同じような環境でおなじようなものに接して来たから、ともに懐かしさを覚えたり、体験について語れたりする。それは日本で育って来た人と付き合う上での長所ですね。



旅の魅力って何ですか?

大きく3つあるかな、と思っていて。

ひとつめは、
日本にいたら、中々会えなかったであろう人(おそらく階層の違い)に、会えるということでしょうか。

例えば私は、小さい頃から地元の学校に通っていなかったので、大学に入って同じように大学に入るようなタイプの人と会うことは比較的容易でも、例えば中学卒業してずっと働いているような友達をもつことがなかったので、日本国内にいても会えなかった日本の人と会えるのはとても魅力的でした。

あんなにたくさんのいわゆる私にとっての「外国人」と生活を共にするのも、刺激的でした。同じように旅をして、色んな時間を共有する中で、すれ違うこともあれば、ものすごく共感して高揚することもあり、学ぶことも腹の立つこともたくさんあって、人を通して文化や国家を見たり、彼らを通してみたものの違いを楽しんだり。旅行先の現地で出会う人たちもそう。旅を通して出会うことのできる人達が、例えばそのあと「友達」としてつながっていなくても、色んなことを考えさせられて影響を受けてきたと思います。

ふたつめは、当然自分が知らない新しい世界(文化や価値観や、人々の行動様式)に出会うことができて、自分がそれを実体験できるということですね。毎日の生活の中でいつも新しいこと直面していたので、旅で過ごしている時間がずっと、学習機会だっていうこと。

最後は自分のことで、旅を通じて自分がどんなことができて、何ができなくて、これからどうしたらいいのか、どうなりたいのか、っていうことをいつもひしひしと感じざるを得ないということで、それは日本にいてある程度のお金と安定を持っている立場だったら分らなかったことだと思います。新しいものに出会って、どこまで適応できるのか、何が譲れないのか。自分がどれだけ使えなくて実力がないかって、自分の存在の軽さについても、日本を離れたからこそ分るし、だからこそ頑張れることもあると思います。



恋愛に努力は必要だと思いますか?

努力の定義にもよりますけど、少なくとも私は恋愛中に「努力」するということを考えたことはありません。実際には、喧嘩して仲直りしよう、とか、相手をもっと理解しよう、とか、努力的なことをしているんでしょうけど、それを努力とは捉えていないんだと思います。好きで一緒にいたいから、その努力的なことを自然とするんじゃないでしょうか。


松本大洋の新刊。震えました。

松本 大洋
小学館
発売日:2011-08-30

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主体的で、安寧なるセックスのために。
アンアンのセックスできれいになれた?アンアンのセックスできれいになれた?


名作すぎて、5回くらい震えて1回号泣した。
号泣したのは、北原さんとこの間亡くなった飯島愛さんの関わりについて書かれた部分。
それは単に自殺してしまった飯島愛さんへのセンチメンタルな共感とかじゃなくて、セックスに対する女の悲しい思いを飯島さんが象徴していたように読み取った北原さんの、セックスに纏わる女の悲しさに対する寄り添い方に、ものすごく心打たれたから。


私は筆者の北原みのりさんより10つ年下で、かつてはオリーブとかJAPANとかを購読しているサブカル女子ではあったが、アンアンという雑誌については今までほとんど手に取ったことがなかったし、アンアンはいつもセックスや「どうやったらもてるのか?」についてばかり書いてあるつまらないマニュアル雑誌、というイメージしかもっていなかった。


そんな私はついこの間、生まれて初めてアンアンを購入した。
私の恋人が会社の人たちと一緒に、「”脈あり”かと思ったら全然違った!思わせぶりな男の心理とは」という企画で紙面に載っていたからだ。生まれて初めてかぶりつくように読んだアンアンはとても「興味深く」て思わず、アンアンすごいなあ、とツイッターでも呟いた。おもしろかったのは、自分が知っている人の意見を紙面で読んだってこと以上に、ここまで女に「もてること」や「愛されること」を求める雑誌と、それを読んでいるこの社会の女たちってなんなんだろう?と思ったのだ。



北原さんも後半で指摘しているような、「愛される女になることが大事」イデオロギーや「愛あるセックス至上主義」。

そして愛される女になるためには、いくつものマニュアルが存在する。複雑で(時にはすごく単純なところもある)、プライドが高く、地雷の多い男の子たちが、肉食系・草食系・文化系など様々なカテゴリーに分けられていて、それぞれに対してより効果的なアプローチがあり、彼らの求める女の子像がこれでもかというくらい詳細に提示される。やれこういう仕草にきゅんとくるだの、こういう状況ではこんな言葉をかけてほしいだの。


アンアンから私が感じた事は、読んでる女の子たちが全然主体的になれていないっていうこと。
希求する先が自分を中心とした憧れの世界じゃない。いつも参照枠があって、そこに照らし合わせながら自分の立ち位置を確認したり、男に通用する魅力を評価される世界。


私という女が中心で、女目線で書かれていたセックスから、男に愛され、認めてもらうためのセックスへ。
この本(北原みのり『アンアンのセックスできれいになれた?』)では、アンアンという雑誌の分析を通して、日本で女にとっての性のあり方やセックスがどういう風に変わっていったのかを分析し、提示している。





セックスは愛とつながるけれど、愛とつながらないこともある。
一時期センセーショナルな事件だった東電OL殺人事件の被害者は、殺されたのに「売春していたから」騒がれ、死んだあとも社会的にレイプされた。
愛とつながらないセックスをする女の子はビッチって言われる。男は言われないのに。


愛とつながらないことをすごく恐れている女の子たちがいて、それは身体にリスクがあるから。
怖いのは、妊娠したらどうしよう、ということ。それは男は絶対持つことのない(そして絶対にわからない)怖さだ。
生命を生み出すという奇跡をおこして、場合によってはそれを殺してしまわなければいけないということが自分の内部でおこるのは、はっきりいって半端ない。もし半端なくなんかなくて、堕ろしてもへっちゃら!っていう女の子がいるとしたら、それは自分が傷つかないように麻痺させているからだ。

愛あるセックス至上主義や「愛されるオンナになることが大事」イデオロギーは、この怖さによって加担され、そしてその怖さが愛=性の関係を正当化することで、女の子たちのセックスを「愛」という名前でとことん縛る。
大事にしてもらうために。愛されるために。セックスしても嫌われたり飽きられたりしないために。
愛っていう看板を掲げているだけ、何倍もタチの悪い、抑圧だ。


本来ならば、と思う。
自分のために体があって、それを男の人が愛してくれたら気持ちがいい。
ほめてくれて、夢中になってくれるような体でいたいと思うのは、そういう体であれば自分自身も自分のことを好きでいられるからだと思う。
でも愛あるセックス至上主義のせいで、自分を愛してくれるはずの男の反応や評価や視点を気にして、女の子たちがもがいているのだとしたら悲しすぎる。


私は目指す自分や好きな愛や性の形に自由でいて、そんな自由でいる自分を可愛いとか魅力的だと思ってくれる男の人と一緒にいたい。
究極のところで味方でいてくれるのならば、社会で言われているような女的な役割も性奴隷的プレイも、喜んでするのに。

私には「自由になりたい私、従属したい私」が共存していて、男という主体の中に収まりたい欲だって持っている。
でもそれは私の「趣味」だ。
それを社会的な雰囲気で当たり前のように押し付けられるなんて、ごめんだ、と思う。


アンアンのセックスできれいになれた?

女とセックスや、女の自由についてすごく興味があるのは、私が当事者であり、変革したくて、かつ自分はそれを変革する力を持っていると思っていて、そしてなにより自分は違うから、って言ってほおっておけないから。
私は何一つ違わないのだ。私は他の女の人を代弁できない。でもすべての女の物語は、私の中の何かを物語っている。

でも私は「〜の方法」「〜になるための7つの秘訣」的な本を嫌悪している。女対象の本の「〜」には、大抵「幸せ」や「愛」に関連するキーワードが入る。だからセックスと女に興味があっても、今まで手に取りたいと思った本はなかった。ツイッターで北原さんの存在を知り、読んだこの本の中では、こういうセックスをするのがいい!とか、幸せになるためのセックスをリードしない。ただアンアンというこんなにも存在感の大きい雑誌が提示してきた性とセックスのあり方や、それが象徴する社会の雰囲気を読み解いてくれていて、自分がセックスで感じていた喜びや痛みや、迷いがどういうことだったのかということを何度も何度も考えた。
そして気づいたのは、自分のその感情が、一人のものではないんだ、ってことだ。
社会とも、その時代の女たちともすごく密接につながっているのだ。

女の人にも、そして男の人にも読んでほしい本です。


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31
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香港と花火と誕生日。

8月27日、31歳になりました。モンゴルで始まった私の30代。
私の一年はいつも、誕生日を基準にして始まります。
去年30になったときから、その数字の重さと、自分がその数字の重さに追いついていないような感覚をいつも持っていました。童顔のおかげで、30だというといつもどん引きされ、30扱いされることはほぼなかった。31になっても、そういう状況は殆ど変わらないんだろうなと思います。

今年の目標は、言い訳しないこと。いつも前向きになれるようにすること。ネガティブな妄想の暴走を止める術を手に入れること。人に優しくすること。守るべきものをちゃんと大切にすること。世界のことも自分のこともいろいろ諦めないこと。これからも半径2メートル以内の幸せを実現しながら、もっと大きな範囲の幸せを希求する人間でいたいと思います。これからも私の好きな人たちが、私の手の届くところにいてくれると嬉しいです(❛◡❛✿)

30 SAEとはどういう意味なのでしょう?

あの時モンゴルで北東アジア経済フォーラムヤングリーダープログラムのみんなから貰った手紙は、いまでも研究室の机の一番上に飾ってあります。



深夜のお散歩効果と映画。でも書いたけれど、私は6月から7月、ちょっと悲しい恋の終わりがあって、七夕の日に也寸志と渋谷で飲んだ後、急に呼びだれた友達のシェアハウスで、マジカルな10時間トークをして、それから毎週末、12時間くらい夜から朝まで話し続けるという耐久デートをしてた。だから7月の記憶は、ほとんどが明け方の空だ。いつも4時とか5時とかの明けていく東京や横浜や湘南の空を特別な気持ちで眺めていた。久しぶりに振り幅の大きい私をちゃんとつなぎ止めてくれるでっかい人にあって、7月から8月の私はとても幸せだった。

そしてそのあと香港にいって、1日から25日まで香港の香港中文大学で中国語研修。
滞在中は日本人という人たちの集団や、ことばを学ぶということ、香港の変化について考える事がいっぱいあったけど、それはそのうちまとめるとして、成田には久しぶりに出迎えの人がいて嬉しくて、帰って来た次の日はわせだのわでたくさんの人に会った。わせだのわ発起人の川島さんがアメリカいっちゃうので最後にハグもできたし(そしてその前に差しで恋愛相談も乗ってもらったので、その後に関するハッピーな報告もできたし)、東日本大震災への国際救援に対する感謝のコンサート伊藤さんに、ネットでのイメージと全然違う、実際のほうが明るくていいって言われた。確かに社交的になっているときの私は世間一般的にいう良い子だと思う。津田さんにはふぁぼりの中でさえちゃんのツイートに対するふぁぼりが一番多いっていわれたし、津田さんと僕秩のヨシナガさんにGoogleプラスでアイドル(?)になる方法も教わったし、BLOCKBUSTERのなかのひとと付き合ってる報告もしたし、山田くんや烈くんやリンクスのみなさんとも会えたし、帰ってから降り続いていた雨は放射性なんとかのことも思い起こさせてやっぱり嫌いだと思ったけれど、それでも楽しかった。

わせだのみんなと会うと、自分がもっと大人になって、どういう風になりたいかっていう明確なモチベーションを多方向から貰える気がする。津田さんまであと7つ、乙さんまであと4つ、川島さんまであと3つ。決して追いつけない年月だけど、言われてみれば、私がいつも先にいる先輩として見ているのは、いつも男の人だった。

そして帰って来てから久しぶりに日本の新聞を2つ買って、一気に読んだ。自分では決めることのできない次の総理に誰がいいのか、真剣に悩んでみたりもした。あっという間に次のリーダーが決まった。

いいリーダーとは決断力がある人のことじゃなくて、ベリーベストの決断ができる人のことだと思う。今、日本ではリーダーに対する期待感が相当下がっているから、それだけ少しでもリーダーシップ的なものを発揮するだけで簡単に世論が傾いてしまう可能性がありそうで怖い。まるで純一郎さんのときみたいに。例えば「原発再稼働します!(キリッ)」とか言われると、そのきっぱりさに思考停止しちゃう人がでそうで怖い。よく考えるんだ、私も、みんなも。

原発は「想定外のリスクは考えないことにしています」という思考停止。66年前のあの戦争は「負けることは考えないことにしています」という思考停止。上野千鶴子も書いているように、私たちは「薄々気付いていた」はずなのに、なぜ全力で動きださなかったのだろう?

『生き延びるための思想』上野千鶴子最終講義 @東京大学 文學界9月号




上野せんせの描く世界で、好きな人とずっと一緒にいたくて、相手をプチ拘束することで独り占めして安心したいから結婚する、というストーリーはどんな風に位置づけられるんだろう、と思っていたら、ゆんさんに「そういう趣味」っていう位置づけだろうって言われた。それで目が覚めた。そっか、趣味なんだ。自分が好きだからする、趣味的なこと。マゾなのも、拘束されたいのも、従属プレイを楽しむのも趣味。

快楽と権力は相容れないものではないし、排斥しあうものでもなくて、互いに求めあい重なり合い強化しあうって、フーコーさんもそう言った。それなのに、セックスに応じないことが正当な離婚理由になるなんて。家庭内ヘゲモニーに国家権力は無力どころか、加担してるのね。

最近結婚前にこどもができたとき、こどもができたことを素直に幸せだねって思ってあげられないその周りの人に対して、すごく腹が立ってる。こどもができるというリスク(お金とか時間とか心構えとか)を受け入れる準備があるなら、順番はほんとにどうでもいい。それに対して世間(主にその二人の両親や友達などを中心とした)が、こどもができたから結婚するのか、って苦々しい目でみたり、子どもを素直に喜べないのはつまらない固定観念だな、って思う。そのつまんない固定観念で生命の奇跡にケチつけるやつは淘汰されればいいと思ってる。


それに、相手に対する誠実さを、「きちんと避妊すること」ではかる方法にはすごく抵抗を感じる。
避妊しないことは相手を大事にしていないことで、避妊することが相手を大事にしていること、というのは非常にまっとうな方程式にみえて、私にはちっとも通用しない。ただセックスしたいだけ、こどもはほしくない、っていう意図をどこまで二人の間で同じ温度で共有できるかって人それぞれだと思うから。避妊をしないことを嬉しく感じている女子に対する周りの心配=もっと自分を大事にしようよ、避妊は大事だよ、っていう人は、なんで考えなしに避妊しないでセックスする男を責めないで、女の防衛ばっかり義務のように喚起するんだろう。




好きな人とすごす日常はいつも非日常並に楽しいけれど、
いつもの場所がいつもと違う目的で使われるだけでこんなに特別な気分になるなんて思わなかった。
街は、時々そういう非日常を取り入れる事で息を吹き返すんだと思う。


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愛とはけして途絶えることがないのです。一度誰かから受けた愛はあなたの胸にとどまり、やがて必要なだれかのもとに渡るでしょう。その循環のことを、私たちは共存と呼ぶのです。(2011年8月27日 嶋内佐絵)
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自由になりたい私、従属したい私

南新宿リベンジ


私は自分がフェミニストなのかどうかわからなかった。
人によってはさえさんはフェミニストだと思った、という。
でもその理由は、男や男中心社会に対して批判的な事を言うからという理由だけだ。
フェミニズムを学問として人通り学んで来た人に言わせると、時々フェミっぽいことはいうけれど、ツイッターでの発言を総合して考えるとフェミニストではないように見えるという。

私は自分がどこにいるのか知りたかった。今まで体系立ててきちんと勉強したり本を読んだ事がなかったので、本をちゃんと読んでみようと思って本を買い漁った。ネットでフェミニズムなるものや様々な分派について調べてみて、直感的に一番私が同意できて読みやすいのは上野千鶴子だろう、と判断し、まず一人からコンプリートしたいたちなのでアマゾンで彼女の著作をいくつか買う。


今でもまだフェミニズムっていう地図の中で自分がどこにいるのかは分からないけれど、彼女の著作をいくつか読んで、彼女や本の中の対談相手のいう「フェミニズム」がなんなのかはちょっと分かった気がする。
そしてそれを構成するエッセンスのいくつかに対して、自分が同感するか、共感するか、同意するかをひとつひとつ考えた。


ツイッターをやっていると、自分の意見を140字にまとめる中で、そこに含まれた(隠された)意識をたくさんの人に推測されて、自分が気づかなかったことを気づかされたり、誤読する人がどうして誤読するのかを考えたりする。フェミはブス、というのもどうやら反フェミの中の定説で、私がブスかどうかを確かめたい人がいて仕方がないらしい。

この間、なでしこへの結婚フリに対して異議を唱えたツイートで闘争したときに、私にも質問してきた人いた。ところであなたブス?って。あのときは色んな人の目に触れた事で、私がいつも見ている(つまり興味があってフォローしている)良心的な人たちの言葉からはかけ離れた言葉をかけてくる人がたくさんいて、この程度のコメントには慣れていたけれど、世界はざらついた言葉で溢れているなあと思ったものだ。


でもこのコメントを貰った時の気持ちを後から分析して、自分で分かった。
「可愛い」を決めるのは私と半径2メートル以内の大事な人だから、腐れ外道が何を言っても痛くないんだ。
可愛いやおんな性を他人から規定されてきたけど、それを自分の手にいれようとしていたんだ。


私が「女」であることは私が決める。他の誰にも決められたくない。
存在証明は自分がする、という弱者の権利主張=自己決定権がフェミニズムだというのを上野千鶴子の本で読んだ。
たぶん、可愛いも一緒かもしれないと思う。



そして何か人の意見を批判するときに、「この人のこの発言はコンプレックスからきている」と分析することはなんて簡単で、そしてそういう批判や勘違いから生まれる闘争がいかに多いかっていうのを感じる。
また誰かが凹んでいたり荒れているときに「あの人は幸せじゃない。なぜなら私にはある幸せが、あの人にはないから」と考えるのも至極簡単。何故自分の規範で相手をはかるんだろう。
私はそういうのには誠心誠意反抗して生きたい。


みんなが特権を持ちたがっている。そしてそれを特権をだと思いたがっている。自分の幸せを絶対視したがっている。そんなこと、全然ないのに。人の幸せなんて、結局誰もわからないのに、と思う。家庭が崩壊してても、身体のどっかが足りなくても、幸せなことはたくさんある。だからこそ幸せなことだってある。私は本当に幸せイデオロギーを押し付けられる事がすごく苦手。


だからかな、「おめでとう」ってことばがあんまり好きじゃない。いってほしい人には言うけれど、自分に言われることには抵抗を感じる。誕生日、卒業した時、結婚した時、こどもができた時。誕生日は嬉しかったのか。おめでとうは単なる挨拶で、そこからプレゼントくれたりいっきコールくれたりケーキぶつけてくれたりしたから。それ意外は未遂も含めて、「おめでとう」は複雑だった。それよりも、私が幸せだよっていったら、良かったねって笑って欲しい。


上野 千鶴子,趙韓 惠浄,佐々木 典子,金 賛鎬
岩波書店
発売日:2004-07-06


上野 千鶴子,小倉 千加子
筑摩書房
発売日:2005-09-07






この『上野千鶴子に挑む』の中にあった論文は皆それぞれとても読み応えがあって、上野千鶴子の返信も含めてとても刺激的だったのだけど、今まで読んだ事のなかった男性学に関する論文がとても面白かった。

男性の自己省察としての男性学。
私の周りには、意外と自分のおとこ性について自覚的で、嘆いたり自己批判したり、私が恋人とうまくいかないときなんかに相談に乗ってくれる男友達が何人かいる。話をすると、その男(私の恋人)の気持ちがわかる、という一方で、それって男の悲しいサガでそれじゃだめなんだよね、っていって、今からそいつを殴りにいこうぜ!って言ってくれる。(もちろん実際殴りにいったりしないけど、そういう台詞は嬉しくない訳がない。)

そのうちの一人である友人たちが、こんなラジオをやっている。
二軍ラジオ(旧桃山ラジオ)

男が何を思っているか、というのと、その男たちが自分のおとこ性をどう自覚して、自分たち男にどんな評価を下しているか、というのが非常に面白い。

女性学とはその男性中心的な視点から女性を主体として奪い返す試みだった、という。
そして男性学とはその女性学の視点を通過したあとに、女性の目に映る男性の自画像を通じての、男性の自己省察である、と。
男も女も、単体として考えるのではなくて、相手にする他者=異性がいるから自分が成り立つんだと思う。

そしてそういう女や男っていう人たちも一枚岩じゃないから、私は他のどんな女も代弁できない。
そして誰にも代弁されたくないし、私の気持ちは私にしか分からない。そして、それでいい。


そんな中で、自分のことをかなりの近いところから理解してくれて、感覚を共有できる人って言うのは奇跡だと思う。例えば、食べるものの趣味がピンポイントでいくつも合うひとって、前世で同じ生物だったのかもしれない。ウミガメのころすれ違っただけとは思えない。


上野 千鶴子
日本放送出版協会
発売日:2010-04-22


研究者だから考えた事は売るけれど感じたことは売らない、と言っていた彼女が、感じたことをたくさん語った本。両親について、逆風に強いことをアダルトチルドレンと重ね合わせて書いたエッセイが一番好きだった。

以下はこれから読もうと思っている積読本。













会いたい人に会いたいっていう勇気は、会いたい度が真剣なときほど必要になる。

「勇気100%」を検索してたら、たまたまテゴマスのライブ曲を見つけて、ジャニーズへの免疫が下がっていたのか、感動してしまった。




君がいればそれだけで嬉しい系の歌、ピュアに女の子を想いたい男の子の歌って、そういう風に思われたい女子をつくりあげてきたのかもしれない。韓国のアイドルが歌う曲と、ジャニーズの歌うラブソングの歌詞は全然ちがうもんなあ。


そして気づいた。
そっか、ここにあるのは、包み込んでくれる優しさなんだ。だからみんな包み込んでもらえるサイズになろうとするんだ。

女の子はどういう自分になりたいんだろう。


私は自由でいたいと思う一方で、誰かの手のひらが十分に届き、それに慰められるような人間でありたいと思う。
それを従属と呼ぶのなら、私は自由になりたくて、かつ誰かの作った秩序と規範の中で、安住したい熱も持っているんだ。

| | 16:45 | comments(3) | - |
花筏 the hopes in our hearts fashion the deepest prayers 2
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毎日ちょっとずつ揺られながら、やりたいこと成果をださなきゃいけないこと、色んなものを一緒くたに抱えながら、時々耄けたように何かを考えているときがあって、それはやっぱり人とのつながりのこと。

頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。

ネットでも話題になっていたこれを読んで相当へこんで自分が痛かったのは、
内容が真実だろうとそうでなかろうと、「相手も不幸になればいい」という言い分に納得できようとなかろうと、
私が何も言い返せないのは、劣等感と無力感があったから。

私には圧倒的に劣等感がある。
都市部生活者の劣等感。比較的安全な場所にいることの劣等感。役に立つ技能がないことの劣等感。
情報や知識にまみれて自然と対峙した生活をしていないことの劣等感。周りにコミュニティがないことの劣等感。
どこにでもいけるような自分になりたくて、どこにでも行けるだけの財力と行動力と語学力と学歴をもつようになって、でも本質的にはどこにいっても自分の居場所がないような気もしてる。


相手の気持ちや状況は、他人には分からない。
でもそこで、あいつならこうなんじゃないか?の想像をして、できるだけ相手に寄り添おうとするのが大事なのは分かる。

でもそういう風に、誰かに寄り添ってもらって、それを幸せだと思えるのは、どういう人?
自分に余裕があるからじゃないのかな。それによって苦しんで来た人の気持ちは、人に想像してもらって幸せだと感じる人間には結局分からないんじゃないか、と思った。
本当にしんどい思いをした人には、何かを抱えている人には、何もかも失った人には、彼らだけが分かるという特権がある。それは私みたいな甘ったるい環境にいる人間には分からない。その「特権」は、誰かが羨むものじゃないかもしれないけど、でもそこで私は自分が「甘ったるい環境」にいることの「幸せ」を噛み締める、ということができない。もしそこで自分が持っていることに感謝してしまったら、自分が何かを持っていることで、ある価値観の上の方にいるみたいになって、失った人に対して上から手を差し伸べるみたいな、そんなことはしたくないと思った。


一緒に頑張ろうとか、一人じゃないとかは、やっぱりどうしても暴力的な言葉だと思う。
誰かと一緒にそばにいるってことはそんなに簡単なことじゃない。
ましてや知らない人や、同じ日本って言う国に住んでいるだけで、
私が簡単に誰かに寄り添えるなんて思えなくて、でもそういう状態であることが掻きむしりたいくらい嫌だ。


何かが大事なのは、
やっぱり自分にとって大事だからなんじゃないだろうか
失いたくないから。
手放したくないから。
なくしたら痛いから。
そういう自分勝手な誰かが大事って気持ちは、どこまでピュアに、どこくらい届くのだろう。
その範囲は、どれくらいなんだろう。


頑張ろうや大丈夫は、自分に対してだけ効くおまじないの言葉だと思った。
そのおまじないの効力は、そんなに大きくないってこと。
相手が自分のことを好きだったら、そのおまじないは効くんだろうか。
だったら自分のことを好きな人がいっぱいいたら、その人たちの踏み台になったりできるんだろうか。


自分が無力であることを恐れるのは、自分に劣等感があるっていうのは、自分が傷つきたくないから。
でも無力であることを言い訳にしないこと。閉じこもらないこと。
そして、こうして逡巡してるときの気持ちも、最後まで忘れないこと。
私は到底全員のところまでいけないけど、自分が行ける範囲が、少しずつ大きくなっていったらいい。


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さくら愛でよう。もうすぐなくなっちゃうから。






明日は東大で寺沢さんと共同研究のミーティングの後、乙武さんとデート。
好きな人と二人で会うときはいつもデートです。
男でも女でも、既婚者でも未婚でもバツイチでも彼女がいても彼氏がいても。



それからいくつか報告。今自分がやってることをもっと一生懸命やるために。

1、JICA&民間大企業がコラボする案件で、BOPビジネス×教育×ICTのプロジェクトに専門家として関わることになりました。フィールドワーク&報告書の執筆をすることになりそうです。
2、指導先生と一緒にアジア地域統合研究方法に関する本を書いています。今月末がドラフト締め切り。
3、去年書いていた英語の論文が出ました。一応査読付きなので、博士入って一個目の論文業績です。早稲田のグローバルCOEプログラム「アジア地域統合における世界的人材育成拠点」事務所前にあります。ほしい方はお送りしますのでお知らせください。
4、今月末からゴールデンウィークにかけてカナダのモントリオールで米国比較教育学会に参加します。できればこの間の韓国でのインタビュー分析を含めた発表をしたいと思っています。


明日もあさっても、みんなが安寧に過ごせますように。



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SAKURA, and the hopes in our hearts fashion the deepest prayers 1
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