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国は闘いを強いても、守ってはくれない
日本人二人の人質事件は、結果的にとても悲しくて悔しい結末を迎えた。

今回のことからよくわかったのは、たとえ同盟国に「日本国と日本国民と連帯してテロ行為と闘って行く」と言われても、「国家」は国民に闘う姿勢は強いても、国民である私たちを守ってくれないということ。そして、国民を守る為の国防の強化や「積極的平和主義」が、結果として国民の平和と安全を脅かしたということ。

安倍批判者への批判がネットで渦巻いているが、「テロリストを許さない=安倍支持」、「安倍批判=テロリストに屈する」みたいな簡単な二元論ではなく、事態はもっと立体的。人質惨殺行為への批判と安倍政治への異議申し立ては当然両立する。

平和と国民の安全を保障するのが国家の役割であり、その命運を動かす政治家の役割。その政治家の行動が自分たちの意思を反映しているかを監視し、行動を起こすのが国民の役割。安倍政権の方針が何をもたらしたか、この国をどこに向かわせているのか、もっと敏感に自覚的にならないと恐ろしい事になる。

いわゆる「イスラム国」の非道なやり方には心から怒りを覚える。彼らの集団に「イスラム」という言葉が冠されることで、嫌な思いをしている世界のすべてのムスリムの方々にも同情する。私はバックパッカー時代に、シリアやヨルダンを含め、パキスタンやクウェート、バングラデシュ、インドネシア、トルコなど、その他多くのイスラム教の人が多く住む国に行って、イスラムの国々にはとても大きな思い入れがある。そして旅の間にはたくさんの人に出会い、たくさんの経験をして、勿論嫌な思いもしたけれど、素敵な思い出がそれ以上にある。イスラム教を信じる人々が、今回の事件を受けて不当な差別や偏見を持たれないように心から願う。

ちょうど昨日(1月末)、憲法学者で9条の会の奥平先生が亡くなったことを知って、戦争を経験した世代の骨のある平和主義者がどんどんいなくなってしまうことに危機感を覚えていたところだった。今朝のニュースをみて、奥平先生だったら一体なんて言っただろうと考える。亡くなってしまった人の声はもう聞く事ができないけれど、人質として捕まってしまった二人の声を聞きたかった。生きて帰ってきてほしかった。


| | 16:24 | comments(0) | - |
「おめでとう」への違和感、後日談。
先日のポストの最後に書いた、妊娠→「おめでとう!」と言われることへの違和感について、私の伝え方に問題があって、意図がうまく伝わらなかったような気がするので、現在考えている範囲でその違和感の正体について、書いてみたいと思います。

前回私は妊娠して分かったこと、感じたことなどの最後に、こんなふうに書きました(そのまま抜粋)。

今回のことに関して、万が一お祝いの気持ちを持って頂ける際には、謹んでお気持ちだけ頂き、おめでとう系の言葉は固辞させて頂く(なんだか自分以外の人間への配慮がないし粋ではない気がしてどうも腑に落ちないので)。でも先人の方々からは、是非お腹の筋肉を如何に保つか、体重コントロールの仕方、だるいときの気合いの入れ方、子ども関連の保険、頭に来るアドバイス狂たちとのつき合い方など、ざまざまなテーマで体験談を聞きたいなと思う。

これに関しては、まず相手がどういう風に反応するか、そして私のブログをどこまで読むか自体も相手次第なので、「こういう風に言わないで欲しい」ということ自体が傲慢だったように思います。実際、私にコメントをくれる人は、皆ものすごい優しい気持ちや愛を持って気持ちを伝えてきてくれたので、友情や信頼に感謝するとともに、私は自分の傲慢を恥じ、その上でなぜ「ありがとう」に違和感を持つのか、今考えていることを共有できればと思っています。


「おめでとう」の使い方について。
私の博士号取得は「おめでとう」でいいと思う。努力して手に入れたものだから。出産も、10ヶ月乗り越えて、分娩っていう努力をした結果。そして誕生日もおめでとう。誕生日はなんだかもうテンプレになっている。しかし私は妊娠=おめでとうをテンプレ化することにも抵抗がある。何故かというと、妊娠という現象は努力じゃなくて、ほぼ運で、先天的な要素も多く、そしてとてつもなく不平等だから。欲しい人には授からないで、望まないのに授かることもある(私は今回望んだ妊娠だったが、一般論として)。

世の中には流産したり、体調や年齢やタイミングの問題などで産みたくても産めない人がいっぱいいるわけだ。それでも、妊娠できないということで、女だといわれのない批判をされたり、周りからプレッシャーを受けたり、精神的に大変な思いをしている人を、直接的にも間接的にもたくさん知っている。妊娠できるか、子どもを産めるか産めないかで女としての価値や幸せを判断されてしまう風潮は明らかにあって、私はそれにまったく賛同できない。

「おめでとう」と言うと、その運で不平等で、その人の努力でもなんでもないことを祝い、まるでその人自身がでかした!また、それが幸せの姿だ!という一方的な価値観に自分が加担しているようで、まず違和感を感じたのだと思う。


もう一つは、人間関係における「いいとこどり」みたいな風潮への抵抗感もあると思う。
妊娠を公開するとまずそれほど付き合いのない人からも尋常じゃない数の「おめでとう」がやってくる。誰かの悩みなどをきくよりも、良いと思われる報告に「いいね!」をして、「おめでとう!」という方が楽だからだ。しかも、人を祝うことで自分もいい人になれるし、もしかしたら少し幸せな気分になるのかもしれないし、リスクもない。普段、人が丹誠込めて書いた政治的主張や意見などの投稿には見向きもしない人も、人の幸せと思われる報告にはそれこそ簡単に便乗する。それは人間としてものすごく自然なことだと思う一方で、いいとこ取りのような気がして、私自身は他人に対してこういう態度を取ることができない。そしてひねくれものの私は、そうされると「こんなときばっかりなんなんだろう」、と思ってしまう。

この「規範的幸せ」や「いいとこ取り」への違和感は、他のことにもつながっている。
普通とは違うものに対するタブー視や、いわゆる可哀想目線なども、特に日本の人達によるFacebook投稿を見ていると感じる部分だったりする。幸せな結婚、望んだ妊娠、健康な子ども。こういうもの以外にはなるべく触れないことで、色んな幸せの形、もしくは「他の人と違うから幸せじゃないのかも?」と感じている人を排除しているように感じる。正直、自分の子どもが障がいをもっていたら、この社会で育てるのは可哀想だと感じる。多様性への免疫がなく、一方的な価値観で相手を判断し、見なかったことにして回避されるから。

長年様々なSNSとつき合っているものとして、Facebookによる幸せの一方的報告勝ち、みたいな雰囲気があまり好きではない。私の書き込みのほとんどはいわゆる「幸せ報告」ではないので、私の書き込みを好きではない人も多いとは思うがそれで全く構わないと思っている。読みたい人だけ読めば良いし、目に入るのもいやなのであればミュートしたりunfriendしてもらって一向に構わない。私の個人的考えだけど、facebookみたいに(Twitterなどと比べれば)閉じたSNSだからこそ、もう少し多様性のあるコミュニケーションが取れる場だと面白いと思う。




前回のブログにも書いているが、おめでとうと言ってくれる気持ち自体は嬉しい。その気持ちが伝わるものならなおさらだ。今回私は、妊娠自体のおめでたさではなく、妊婦という立場にたって感じたことで伝えたいことがいっぱいあった。主に日本社会における妊婦の扱われ方についてだったのだが、今回はそれがうまく書けなかった(なぜならまだまだもやもやしているから)。結果として妊娠の報告でしかなく、もちろん写真だけみて条件反射してくれた人もいる訳で、私こそが「おめでとうほいほい」のような投稿をしてしまったことも、書き手として失敗だったと思う。これは表現するものとして反省すべき点である。




東京が恋しい夜。
9月1日@ハワイ大学
| | 22:47 | comments(0) | - |
36.5ミリ



妊娠しました。
名前はまだないので、ここでは便宜上、子豆(こまめ)と呼ぶ。


仕事との兼ね合い
私は思いがけず妊娠したのだけど(つまり、特に排卵日を調べたりしていなかったという点で)、今思えば大変よいタイミングであったように思う。つわりの一番ひどくなるといわれる第8週くらいには、非常勤で教えている大学がちょうど補講が終わって夏休み。出産予定日は2月の最終日で、これも横浜市立大学は授業が1月に終わるし、防衛大学校も2月の中旬には終わるので、授業を補講にせずに出産を迎えることができる。2月28日が予定日で、3月いっぱいと4月の新学期が始まるまで、一ヶ月半くらいは休養できるわけだ。学振PDでありつつ非常勤講師である私は、補講をいつでもできるわけではないし、教育者として責任ある立場にいるので、何週も続けて産休を取るのは避けたかったから、これは大変有り難かった。生まれる前からできる子どもだ。ありがとう子豆。


分娩予約は競争
帰ってきて産婦人科にいって妊娠が判明したときは、6週半。そのあと旦那や親などに報告し、7週ちょっとの時点で現在の家からも実家からも近いみなとみらい地区の総合病院に電話したら、「もう来年3月半ばまで分娩予約はいっぱい」とのこと。つまり妊娠5週かおそくとも6週になった時点で電話しないと、分娩予約はできない、と。どうやら、首都圏の有名な総合病院では、これは当たり前のようだ。少子化対策とか言っているが、まずは安心して、自分の好きな病院で子どもを産める環境をもっとちゃんと整えることも重要なのではと思う。


その後、とにかく分娩できる病院探し。考慮したのはまず交通の便。私の現住所は東横線沿いの大田区なのだが、勤務先が横浜と横須賀なので、できればその沿線上で、乗り換えのないところ。また我が家も私の実家も車文化がまったくないので、何かあったときもしくは妊娠後期が真冬であることを考えると、タクシーでなるべく安く行ける距離にあるのがベスト。結局、家から2キロくらいのところにある大学病院で予約をした。私は一昨年腹腔鏡の手術を受けていて、また小さい頃の持病もあるので、産む時は帝王切開で、また内科や脳神経外科のある総合病院でという条件もクリアしていた。


さらに、私は価値観を押し付けられるのが最も嫌いである。母乳絶対主義とか、何がなんでも生まれた直後から退院まで母子同室主義とか、一つのやり方をモットーとして取り入れて、それを徹底する病院はごめんだった(母親が痛がっても看護師さんがおっぱいを絞りとるとか)。また看護師さんが「お母さんなんだからしっかりしなさい」みたいなことを言う病院もごめんだ。私にとって「自覚」というのは自分で手に入れるから自覚なのであって、人に押し付けられたり、ましてや会って何日かくらいの赤の他人に言われるのは自覚ではない。口コミを見ていると、かなり信念のようなものを持った病院というのも多くあったが、自分の性格的にそういうのがとても嫌いなので、なるべく柔軟に対応してくれそうなところを選んだつもりだ。



色々直面する問題。
まずは、出張中に飲んだワインは大丈夫なのか問題。ヨーロッパ出張の途中で生理が来なかったのだが、参加していた国際会議の最後(第5週くらい)まで、出されたワインなどを大量ではないにしろ、毎日1杯ずつくらい飲んでいた。私のせいで子どもに悪いことが起きたらとても申し訳ないので、これだけは気になる。次にマタニティーマークについて。自分がまさに妊婦になって、特に前期の授業が終わるまでは、通勤の電車でかなりしんどい思いをした。譲ってくれた優しい方々に心から感謝するとともに、非常に複雑な思いを抱いていている。これは次の機会に落ち着いて書きたいと思う。


私自身の身体の変化について書くと、いわゆるつわりと考えられるものが6週終わりからずっと続いている。友達の話を聞くと、起き上がれないとか毎日吐いたなどの経験も聞くので、それに比べたら私はだいぶ軽い方なのだと思う。仕事のなかでも、特に授業など対面関係で成り立っていることをしているときは、気持ちも張っているし、気分がまぎれる。しんどかったのはその仕事に向かったり帰ったりするときの電車の中だった。酔いやすく、臭いにも敏感で、そして常に気持ちが悪かった。もう一点感じたのは、反射神経が落ちた。突然閉まるドアや落ちてきた何かにすぐに反応できない。さらにはものを良く落としたりこぼしたりもする。眠気を感じることや頭がぼーっとすることが多いせいかもしれない。



妊娠して勿論旦那も、双方の両親も喜んだ。私の両親に至っては、自分も育児に参加する気で仕事を辞めようかしらなどと、なんだかやたらと張り切りだした。それは私も見ていて、とても嬉しく思う。一方で、妊娠・出産には、今感じているだけでも面倒くさいイデオロギーとか価値観の押しつけがいっぱいである。しかもみんな、それが良いと思って良い意図(GOOD INTENTION)でアドバイスしてくるから、無碍にするわけにもいかず、大変面倒くさい。これからはそういうものともうまく折り合いをつけてやっていかなければいけない。それと私は自分の気持ちはかなりあけすけに出すタイプだけど、自分の子どものように超絶対的なものに対して、「可愛い」とか「大事だ」というこれもまた当たり前のことをネット上でだだ漏れさせるのは性に合わないので、多分言わないと思う。でもだからといって、愛情とか考え方を他人からジャッジされるのはごめんだ。


今回のことに関して、万が一お祝いの気持ちを持って頂ける際には、謹んでお気持ちだけ頂き、おめでとう系の言葉は固辞させて頂く(なんだか自分以外の人間への配慮がないし粋ではない気がしてどうも腑に落ちないので)。でも先人の方々からは、是非お腹の筋肉を如何に保つか、体重コントロールの仕方、だるいときの気合いの入れ方、子ども関連の保険、頭に来るアドバイス狂たちとのつき合い方など、ざまざまなテーマで体験談を聞きたいなと思う。



これから一ヶ月(12週から15週にかけけて)
8月の上旬から約一ヶ月、訪問研究員としてハワイ大学内にあるイーストウェストセンターに行く。レジデンスも用意して貰い、1ヶ月、論文の執筆に集中するつもりだ。ネタはある。あとは集中が必要なだけ。目標は日本。少なくとも少しこの異常に暑い東京(と原発への不安)から少し離れられるだけでも嬉しい。旦那と離れるのは寂しい。HARIBOばっかり食べるから心配だし。

| | 22:23 | comments(0) | - |
想像力の必要性(いまさらだけど、『永遠の0』を観て思ったこと)


最近残念だと思うのは、戦争のことを語ったり、戦争関連の話に興味があるというと、途端に右系にカテゴライズされるケースが決して少なくないことだ。そして、実際に戦争体験ではなく戦争そのもののあり方について積極的に語る人達が、右系に多いような印象を受けるのも残念に思う。

私の授業では、ナショナリズムや歴史認識、領土問題や靖国などについて考え、レクチャーと問題提起のあと皆で英語でディスカッションをしている。海外からのゲストスピーカーを呼んで歴史について討論することもある。あるとき、とある学生が私がテレビドラマの話をしていたのを聞いて、「先生は産経新聞とかしか読まないと思ったのに!」と言ったのを聞いて(内心大変)ショックを受けた。前後の文脈からして特に深い意図なしに軽い気持ちで流れで言ったようだったので、学生に対しては何の悪い感情もないのだけれど、戦争の話=ニッポン大好きな人=ウヨクみたいな図式がそれとなく共有されているようで、この社会にモヤみたいにかかったカテゴライズの空気を感じた。



去年の暮れ、映画『永遠の0』を観た。観たあとに様々な思いが去来し、すぐにこの文章の下書きを書いたのだがまとめられずに半年も寝かしてしまったが、思い切ってあげてしまう。

『永遠の0』大ヒット以降、NHK経営委員にもなって香ばしい言動で注目を集めている百田直樹さん。
私はこの人の南京や慰安婦に関する発言のことは残念だと思っているし、その他報道されている発言を観る限り、ほぼ反発を覚えても共感することはあまりない。しかし、彼の書いた『永遠の0』は夢中で読み、映画も最後まで真剣に観た。作者の思想や脚色(いわゆる美化しているところ)はともあれ、あの頃、この国で闘ってきた人達の物語を読んだり見たりしながら思いを馳せるということが、とても大事だと感じる。


戦争に関する物語(本や映画や人々の語り)に触れていつも思う。
戦争は、圧倒的な悪だ。それは命がどんどん軽くなるという意味において。
それは実際に命が使い捨てにされているという意味だけでなく、
命というものに対する人間の価値観をも変えていると思う。

永遠の0の中で、こんな台詞がある。
『彼らが死ぬことで、生きながらえている』
戦争がもっとも最悪なのは、生きるということを悪いと思ってしまうような環境を作ってしまうことだ。
悲劇や悲しみがあまりに当たり前になってしまった時代のなかで、生き延びることを正当化できない環境が作られていて、それはナショナリズムと同じくらい怖いものだと感じた。


そして当たり前のことだけれど、軍というのは一つの生き物で、その内部には有機的なつながりがある。
そこで起こる論理や動きについて思いを馳せなければ、この物語を理解することはできない。
兵士1人ひとりを見れば、彼らは名目上大義上は国や天皇といったために闘っているが、「天皇」も「国」も個人レベルにおいてはただの後生大事な概念に過ぎず、実際は同じ仲間や家族や軍隊、という狭いけれども自分にとっては本当に大事な世界のなかで、愛情や憎しみや葛藤や様々な思いを抱えながら生きているものだ。

友人の名誉を守った人を守りたいと思ったから、誰かを守った。
そうやって守ってもらったから、相手を生かした。
人間を動かしているものは、そして人間の生き方や運命を決定的にするときに、人々の感情が果たす役割の大きさを決して過小評価してはいけないし、だからこそ人は戦争と非常事態のなかで時代の流れに簡単にコントロールされて行ったのだろう。



「永遠の0」は、私にとって観て感動した!泣ける!という映画ではなく(そういう感想が多いのにも驚いた)、胸が苦しくなって、場面場面で考えさせられるとてもいい映画だった。「風立ちぬ」のように「生きろ!」オチではなく、生きるということを正当化・美談化できないところを、きちんと描けていたように覚えている。半年前のことなのでもうネタバレしてもいいと思うから書くと、最後に現代の渋谷で三浦春馬がおじいちゃんの過去に思いを馳せていると、想像のなかで飛行機が飛んでくる場面はいらなかったと思う。あれはなんだったんだ。

脇を固める年配の俳優陣がさすがの存在感と抑制された演技力が印象に残ったのと、昔→現在の流れのなかでは新井浩文、田中泯という役者の流れが最高でした。




何かに思いを馳せるために、物語はとても重要な役割を果たす。
そして、自分が経験していないことを理解するには「想像力」が必要だ。
そして想像力は、創造性とは全く異なるもので、何もないところからは生まれない。
様々な考え方やものに触れることでしか鍛えられない。

歴史教育に一番大切なのは、学生達の想像力を育てることだと思う。
実際の歴史というのは、その出来事に能動的に、受動的に関わってきた人間達のそれぞれのストーリーの結晶体だ。
人間はそれぞれ一つの物事(たとえば戦争)に関して皆違う関わり方をして生きていて、それぞれがそれぞれの物語と歴史的事実に対する解釈を持っている。

最後のセリフでもあったけれど、あと10年もすれば戦争を経験した人たちはいなくなる。
それまでにどうやって戦争の記憶を伝えていくか。
ひとりひとりがみんな持っているという物語は、学校の歴史教育では見えてこないものだし、個人個人の歴史を忘れ、その総体であるべきところの「国家の歴史」ばかりが受け継がれて行くとき、私には危うい未来しか見えてこない。
| | 16:12 | comments(3) | - |
集団的自衛権に関する安倍首相の会見を聞いて



5月16日。
大好きな大相撲中継を5時から見ながら事務仕事をしていたら、終了後即この会見が始まってしまい、最後まで見て絶望的な気分になりました。

まず「海外にいる日本国民を守ること」と「能力のある自衛隊があること」と「集団的自衛権を認めること」は基本的に全く異なった次元の話。これらを全部安倍ロジックでつなげ、集団的自衛権を正当化しようとしていることに唖然としました。

誤解を招くことを承知で言えば、知的鍛錬を受けていない人の中にはこの「レトリック」がまったくもって「ロジック」ではないことを理解できない人もいるのではないかと思います。日本の指導的立場にいる人間が、善良で特に無知な国民をだまし、冷静に考えれば勝算のない戦争に精神主義でつっこませていった数十年前を同じことをしているとしか思えません。

一番腹が立ったのは、自衛隊という能力のある人たちをロマン主義的ナショナリズムで戦場に送ろうとしている人間が「こどもの安全」とか「おとうさんおかあさんの安全」とかいうキーワードを繰り返して感情をつかもうとしているそのあざとさ。あと数年後には、その自衛隊に私が教えたことのある学生が入る訳で、とても他人事には思えない。

また、記者会見のあり方にも問題があると思いました。書いたものを棒読みする記者の質問に対し、安倍首相は質問に真っ正面から答えようとせず、「こどもの命」を出して感情に訴えた上で、最初に述べたことを繰り返しているだけ。回答時間も長過ぎて、質問をなるべく少なく、言葉を重ねて聞き手が諦めるようにしむける戦法。


少し時間をおいて落ち着いたあと首相官邸(03-3581-0101)に電話しました。いろいろ考えていたら頭にくるわ泣きたくなるわで興奮していたので、気持ちを鎮めてポイントを整理して、相手が聞き取りやすい形に言葉をまとめました。電話を受け取った人に「意見を伝えたい」というと、一つ声のトーンが落ち、より疲労した暗い感じの声の女性に代わりました。「質問には答えないけれども、意見があったことはお伝えします」と断られた上で、丁寧にこちらの意図を伝えると、「わかりました。一意見としてお伝えします」、とのこと。


私が伝えたのは以下の2点。
ゝ者会見においては、特に安倍総理からの回答に関してもう少し短い時間でまとめるようにし、より多くの記者からの質問を受けてほしいこと、一般市民やジャーナリスト、研究者、海外の知日派知識人などを含めた公開討論会を行ってほしいこと。

どちらも現実的とは言いがたいけれど、不可能ではないと思うし、日本の指導者とことばをやりとりできる場がもっと増えるべきだと思います。

*この記事は記者会見があった日に個人のFacebookに投稿したものの再掲です。
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