CALENDAR
S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
<< 集団的自衛権に関する安倍首相の会見を聞いて | main | 36.5ミリ >>
想像力の必要性(いまさらだけど、『永遠の0』を観て思ったこと)


最近残念だと思うのは、戦争のことを語ったり、戦争関連の話に興味があるというと、途端に右系にカテゴライズされるケースが決して少なくないことだ。そして、実際に戦争体験ではなく戦争そのもののあり方について積極的に語る人達が、右系に多いような印象を受けるのも残念に思う。

私の授業では、ナショナリズムや歴史認識、領土問題や靖国などについて考え、レクチャーと問題提起のあと皆で英語でディスカッションをしている。海外からのゲストスピーカーを呼んで歴史について討論することもある。あるとき、とある学生が私がテレビドラマの話をしていたのを聞いて、「先生は産経新聞とかしか読まないと思ったのに!」と言ったのを聞いて(内心大変)ショックを受けた。前後の文脈からして特に深い意図なしに軽い気持ちで流れで言ったようだったので、学生に対しては何の悪い感情もないのだけれど、戦争の話=ニッポン大好きな人=ウヨクみたいな図式がそれとなく共有されているようで、この社会にモヤみたいにかかったカテゴライズの空気を感じた。



去年の暮れ、映画『永遠の0』を観た。観たあとに様々な思いが去来し、すぐにこの文章の下書きを書いたのだがまとめられずに半年も寝かしてしまったが、思い切ってあげてしまう。

『永遠の0』大ヒット以降、NHK経営委員にもなって香ばしい言動で注目を集めている百田直樹さん。
私はこの人の南京や慰安婦に関する発言のことは残念だと思っているし、その他報道されている発言を観る限り、ほぼ反発を覚えても共感することはあまりない。しかし、彼の書いた『永遠の0』は夢中で読み、映画も最後まで真剣に観た。作者の思想や脚色(いわゆる美化しているところ)はともあれ、あの頃、この国で闘ってきた人達の物語を読んだり見たりしながら思いを馳せるということが、とても大事だと感じる。


戦争に関する物語(本や映画や人々の語り)に触れていつも思う。
戦争は、圧倒的な悪だ。それは命がどんどん軽くなるという意味において。
それは実際に命が使い捨てにされているという意味だけでなく、
命というものに対する人間の価値観をも変えていると思う。

永遠の0の中で、こんな台詞がある。
『彼らが死ぬことで、生きながらえている』
戦争がもっとも最悪なのは、生きるということを悪いと思ってしまうような環境を作ってしまうことだ。
悲劇や悲しみがあまりに当たり前になってしまった時代のなかで、生き延びることを正当化できない環境が作られていて、それはナショナリズムと同じくらい怖いものだと感じた。


そして当たり前のことだけれど、軍というのは一つの生き物で、その内部には有機的なつながりがある。
そこで起こる論理や動きについて思いを馳せなければ、この物語を理解することはできない。
兵士1人ひとりを見れば、彼らは名目上大義上は国や天皇といったために闘っているが、「天皇」も「国」も個人レベルにおいてはただの後生大事な概念に過ぎず、実際は同じ仲間や家族や軍隊、という狭いけれども自分にとっては本当に大事な世界のなかで、愛情や憎しみや葛藤や様々な思いを抱えながら生きているものだ。

友人の名誉を守った人を守りたいと思ったから、誰かを守った。
そうやって守ってもらったから、相手を生かした。
人間を動かしているものは、そして人間の生き方や運命を決定的にするときに、人々の感情が果たす役割の大きさを決して過小評価してはいけないし、だからこそ人は戦争と非常事態のなかで時代の流れに簡単にコントロールされて行ったのだろう。



「永遠の0」は、私にとって観て感動した!泣ける!という映画ではなく(そういう感想が多いのにも驚いた)、胸が苦しくなって、場面場面で考えさせられるとてもいい映画だった。「風立ちぬ」のように「生きろ!」オチではなく、生きるということを正当化・美談化できないところを、きちんと描けていたように覚えている。半年前のことなのでもうネタバレしてもいいと思うから書くと、最後に現代の渋谷で三浦春馬がおじいちゃんの過去に思いを馳せていると、想像のなかで飛行機が飛んでくる場面はいらなかったと思う。あれはなんだったんだ。

脇を固める年配の俳優陣がさすがの存在感と抑制された演技力が印象に残ったのと、昔→現在の流れのなかでは新井浩文、田中泯という役者の流れが最高でした。




何かに思いを馳せるために、物語はとても重要な役割を果たす。
そして、自分が経験していないことを理解するには「想像力」が必要だ。
そして想像力は、創造性とは全く異なるもので、何もないところからは生まれない。
様々な考え方やものに触れることでしか鍛えられない。

歴史教育に一番大切なのは、学生達の想像力を育てることだと思う。
実際の歴史というのは、その出来事に能動的に、受動的に関わってきた人間達のそれぞれのストーリーの結晶体だ。
人間はそれぞれ一つの物事(たとえば戦争)に関して皆違う関わり方をして生きていて、それぞれがそれぞれの物語と歴史的事実に対する解釈を持っている。

最後のセリフでもあったけれど、あと10年もすれば戦争を経験した人たちはいなくなる。
それまでにどうやって戦争の記憶を伝えていくか。
ひとりひとりがみんな持っているという物語は、学校の歴史教育では見えてこないものだし、個人個人の歴史を忘れ、その総体であるべきところの「国家の歴史」ばかりが受け継がれて行くとき、私には危うい未来しか見えてこない。
| | 16:12 | comments(3) | - |
コメント
戦争の話もそうですが、私が最近気になるのは捕鯨。
戦後長く私の世代も含めて、鯨肉には大変お世話になったの
ですが、一部の他国の人達には鯨を食べる日本人がとても野蛮に見える様です。
単に鯨が可愛いというだけで、捕鯨妨害を続けるその主張には到底賛成できません。
また、単に可愛いというだけなら、それこそ猫や犬など私たち日本人が昔からペットとして可愛がっている動物を食用として供される国々が、特にアジアでは少なからず見受けられ、違和感を感じる人もいるかと思います。
大切なことは日本がもっと世界に情報を発信する事。鯨に関する日本の思いや歴史伝統を知ってもらう必要があります。
| 宇田川 達也 | 2014/06/15 5:04 AM |
>それこそ猫や犬など私たち日本人が昔からペットとして可愛がっている動物を食用として供される国々が、
>特にアジアでは少なからず見受けられ、違和感を感じる人もいるかと思います。


「オレらの鯨は感情的にオッケーだけど犬やネコは許さない!」ってことでしょうか?
ちなみに前回の捕鯨判決は商業捕鯨ではなく調査捕鯨として破綻しているという判決であり
科学的な面で間違っているという話であって文化や歴史伝統的な話ではないのですが。
捕鯨に関わらず世界に情報を発信し、知ってもらう前に相手がどういうメッセージを発しているのか
正確に認識しない限り独り善がりな「どうしてぼくたちのことを理解してくれないんだ!」とだだをこねる子供になってしまうでしょうね。

| フリーコースター | 2014/06/16 5:15 PM |
違和感を感じる人がいるということを紹介しただけであり、
私自身はそれぞれの食文化を尊重しています。誤解のないように。

外国人労働者や移民等これからの日本は世界に向けて門戸を
開放する必要があり、食文化はとても大切なものです。

私は中華料理が好きで、その中国はいろいろな動物を食用にし
ていることでも有名で、そのたくましさには感じ入ります。
鯨料理には長い歴史と伝統があり、これから訪れる外国の方
にもぜひ紹介できればと願っています。
| 宇田川 達也 | 2014/06/17 6:03 AM |
コメントする