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「分からないけどなんか面白い」の創出


この歳になって、毎日食べて好きな服を買えるくらいのお給料はもらえるようになって、この世で一番貴重なのは時間じゃないかと思うようになってきた。「先生」って呼ばれているとき、私はみんなからその貴重な時間をあずけられているんだなあと思う。90分×人数分。たとえば市大に一回行くと、私にとっての3時間の間に、75時間を預けられたことになる。

教員として大学にいると、むなしく感じることもたくさんある。一生懸命エッセイを書いていると思っていた学生が小さなコピペを繰り返していたり、すごく時間かけて添削しているのにちゃんと読んでもらえなくて同じ間違いを繰り返していたり、結局学生の人生における大学の授業というものの存在の小ささを実感したり。市大の方でやっているディスカッションゼミで感じるのは、学生が英語力という点で一番刺激を受けるのは、自分と同じ歳で自分よりできる(と思える)友人なんだ、ということ。当たり前だけど、教員は自分より(はるかに)出来るのが当然であって、教員はそういう存在であるべきで、学生達が実は持っている力を引き出せば引き出すほど、他の学生はその引き出された力に目標をおいて頑張ろうって気持ちになるんだ。

それでも時々、私が嬉しくなるのは、自分がいい踏み台になったなと実感できるとき。
「〜を学んだ」以上に、「それで〜する気になった」、と言われるのが一番嬉しい。


学内の英語による授業をどのように行うか、という会議では、専門教科を英語で授業を行うと学生の理解度が落ちる、という懸念があがっていたけれど、個人的に私は大学の授業において、「分かりやすさ」とか学生の100%の理解なんて求める必要がないと思っている。自分が学部時代、つまんないことを独り言のように発話しているだけの大学教授に辟易していた覚えがある。90分も時間を拘束しているのだから、私の頭の肥やしになるような話および知識をもっと出せよ!と思っていた。学生だって、分からないけどなんか面白そう、って言うのが最も知的好奇心が刺激される部分だと思う。理解度70−80%位で、あとは学生の自助努力でどうにかする(そしてそのモチベーションを引き出す)くらいの授業難易度が理想なんじゃないかと思っている。



市大が終わった後も、某A大の授業が2月の第三週まであって、先週末でついに今年の授業&成績付けは全部終わった。









不思議なことに、学生は教室に入ったらどこでも座っていいのに、何故かみんな決まった席に座るの。時々はマイナーチェンジもあるけれど、ほとんどいつも一緒。どこに座席を取るかって、その人の性格やクラスでの位置や、やる気や友人関係と密接に関連していると思う。前期と後期でだいたいみんなどこに座っていたか、ちゃんと覚えてる。そしてその意味を納得し始めたころに一年が終わってしまった。

席見て、皆の様子見て、雰囲気を把握してマネジメントできるようになるまで、市大よりも防大の方が大分時間がかかった。一つには、男率95%くらいの環境のなかで、男子の「やる気のつぼ」みたいなものがよくわからなかったこと(正直いまでもよくわからない)。もう一つは、やっぱりこの特殊な生活環境のなかで朝から晩までずっと一緒に過ごしていることが、この一つ一つのグループに他人が簡単には入れないソリッド感みたいなものを作り出していて、そんなつもりは全くないのだろうけれど、他者はなかなか入り込めなかったことにあると思う。その特殊な環境を理解するのに時間がかかったし、今でもまだ理解できているとは思わない。

全員モチベーションの高いいわゆる良い意味での意識高い学生の多い市大(そしてこっちは殆ど女の子。女の子は本当に伸びしろが大きくて、可愛い)と比べて、防大には色んな学生がいて、まじめに授業を聞いて一生懸命勉強する学生も入れば、授業はじめと雑談の時にキラキラしているのに英文読み始めると数秒で寝る学生もいて。

特に規律と命令とよくわからないしきたりの多いこの大学では、学生は多くのことにおいて強制的に選択肢のないまま行動せざるをえないでいて、その中で私は自分の授業で、強制力を発っしたくなかった。少なくとも授業や勉強というのは、自主的にものを学ぶことが大事であって、強制力の元に授業をやることに意味が見いだせないんだもの。寝させたくなければ、寝ないような授業をすればいいことで。前期に比べて後期の方が寝る人も少なかったのがちょっとの救いで、来年は今年の教訓を生かして前期からもっと活発な授業ができるように頑張ろうと思った。


全員個人的には納得の成績を出して、落第する学生もなく送り出したことは嬉しかったけれど、皆はどんどん進級して、卒業していくのに、私はずっと毎年同じ場所に留まっているってことがなんか寂しい。勿論、来年も同じ学年を教えるとしても、自分自身が変わって行っているはずだし、取り残されるなんて思うのはおかしいのだけど。同じようなことを韓国で教えていたときも思った。だから二年くらい教員をやると、今度は自分がインプットする側になりたくなって、学生に戻ったんだった。もうこれ以上取れる学位もないけど、またきっと学生に戻りたくなると思う。
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