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感情と論理のすきま(立命館大学での朝鮮学校無償化ビラ配布事件をめぐって)

「立命館大学での授業中に、韓国朝鮮系の教員が、朝鮮学校無償化の嘆願書を書かせた」、といって炎上したツイートは、とある学生が事実を歪曲して伝えたものだった。


「書かせた」というのは明らかに強制の意味を含んだ日本語。
そして以下のサイトに最初にデマの元になったツイート、他の参加者の学生、当該講師を知っており話をきいた金明秀先生のツイートがまとまっている。


【デマ】立命館大学が朝鮮学校無償化の嘆願書を学生に書かせた? - NAVER まとめ


当日起こったことをこれらの情報を元に要約すると、
・当日は当該講師がゲストスピーカーを招いており、ゲストは朝鮮学校への襲撃事件に関することを話した。
・当該活動やそのビラは、学生有志が主体となって行っているもの。
・ビラは、ゲストスピーカーと一緒に来た学生が配り、教員は授業の教材やフィードバックのコメントシートなどを授業のTAに配ってもらっており、明らかに異なる扱いをしている。
・ハガキはあくまでも任意であることを授業終わりにも説明し、回収もハガキは学生、コメントシート等は授業のTAと別々に行っている。
・他の教員や学生も参加できる非常にオープンなセッションだった


今回の事件は、詳細は他の学生のツイートや立命館の説明にもあるように、無償化活動をしている学生が、ビラを配ることを教員に打診して、教員が許可した、という構造だ。授業の内容は朝鮮学校襲撃事件に関することだったとのことであるし、日本で実際に何が起きているのか、そして朝鮮学校をめぐってどのような意見があるのか、という授業を行う上で、無償化活動をしている学生の主張や活動内容を聞くのも授業の一貫だと思う。


署名を「書かせる」というのは明らかな歪曲で、署名をするしないは当然ながら個人の自由であり、その回収にも教員は関わらず、署名してもしなくてもビラ(署名部分が裏にある)は活動団体の学生に返却するように、とわざわざレジュメに明記してある。


この事件に対する大学側の反応(謝罪)はびっくりするものだった。


授業内における学生団体の要請活動への本学嘱託講師の対応について 
デマを流した学生に注意せず、教員を指導して、まずは世間様に謝る立命館クオリティだ。事実の歪曲が諌められるべきであって、 学問の場や主義主張の自由が妨げられるのはあきらかにおかしい。

・・・という内容(ほぼママ)をTwitterに書いたら、300近くRTされ,当然ネトウヨさんをはじめとする様々な方々からメンションが殺到しました。


そして驚くのは、この事件に対する一部のネット住民たちの反応。


まずは立命館ビラ事件で配布物について、「あんなモノ」を配るな、と言い切る人々。
これが「死刑廃止を求める署名活動」とか「米国大使館でのインターンシップ募集」のビラでも同じことをいうのでしょうか。興味があればといってビラを配る、という活動は、どんな教員も多かれ少なかれやっていることではないでしょうか?


私はとある大学で、英語で日本社会にまつわる色々なことをディスカッションすると言うゼミを持っていて、以前米国大使館がやっている大使と学生との対話セッションの募集要項を配ったこともあるし、他にも日中韓青少年交流イベントがあるので、興味があれば外務省のホームページをみて応募してごらん、と授業中に話したこともある。


どれも、極論すれば私の持っている授業の当日の内容とは直接関係がない。でも、国際的なことや国際交流に関心の高い学生にとって、興味があるんじゃないか、良い経験になるのではないかと思い、その「機会の存在」を「情報」として提供している。それを見て、面白そうか面白くなさそうか、自分がやりたいことなのかどうか、取捨選択するのは学生であり、その取捨選択のプロセスにまで教員は関わることは出来ない(それとも、特攻志願者の札みたいに「熱望する」に○をつけなきゃいけないような空気や罰があるとでもいうのでしょうか?戦時中じゃあるまいし)。


朝鮮学校無償化という活動に賛同できなければ、署名をしなければいい。その活動にどうしても納得できないのなら、その場で質問したり、懸念を提案したり、議題を持ち出せば良い(もちろんそこで、もし万が一教員が、その疑念を抑えつけるような言動をしたならば、非難されてしかるべき)。自分の主義主張を明確にせずに、その場だけあたかも自分が何かされたかのうような「弱者」の立場になり下がり、「アカハラ」とか「表現の自由を侵害された」などというのはクズの所行だと思います。


そして一番腹が立つのは、自分の気に入らない/相容れないという主張や感情を説明するのに、他のあたかも正当性があるように見える論理を引っ張ってきていること。韓国朝鮮系の教員が、よりにもよって朝鮮学校無償化「なんかの」ビラを配ったから、拒否感を抱き、これだけ噛み付いているんではないでしょうか?それはその人の思想信条や、単なる差別感情に基づいた嫌悪感です。それを「教育の場に関係ないものを持ち込むな」とか、「表現の自由の侵害」とか、ましてや「アカハラ」などという他の論理を拝借してきて反論しているのを見ると大変腹が立ちます。


無償化運動に反論があるなら、議論をすればいい。授業中に自由な議論を許さず、上から押さえつけたり、遮ったり、ただ全否定だけしたり、対話のチャンスを与えないことが「表現の自由の侵害」であり、大学におけるアカデミックハラスメントです。対話ができるチャンスがあるのに始めない人間が、ただビラを配られただけでアカハラだというなんて、どれだけ受け身で自分がない人間なんだ。

| | 14:56 | comments(18) | - |
コメント
こんにちは^^ 立命館の方は中間報告でしょうから何とも言えませんが、「死刑廃止を求める署名活動」と「朝鮮学校無償化の嘆願書」は行政に対する政治的な要求行為であり、「米国大使館でのインターンシップ募集」などの募集とは違うような気がしますが、
(私なら、右翼・左翼・中道どちらであっても、講師が成績の評価には関係が無いと断言していても、そんな署名活動が行われる講座だと事前に知っていたなら、そんな講座を受講しないで近寄らないでしょうね)

弱虫ですんません
| kawasakiina | 2014/01/16 5:44 PM |
p.s.
知識量でハンディがありながら講師に立ち向かうときは、大学を辞めても構わないという覚悟がある時かな
| kawasakiina | 2014/01/16 5:50 PM |
>韓国朝鮮系の教員が、よりにもよって朝鮮学校無償化「なんかの」ビラを配ったから、拒否感を抱き、これだけ噛み付いているんではないでしょうか?それはその人の思想信条や、単なる差別感情に基づいた嫌悪感です。

そうではなくって、特定の政治的立場にコミットしうる(無償化の賛否)内容の授業において、
出自からその特定の政治的立場にコミットすることが合理的とみなされる立場にある(無償化に「賛成」)「教師」が、
その特定の政治的立場(無償化に「賛成」)に立つ「団体」の政治的活動を認め、
そして「教師」とその「団体」との間に繋がり(もう少し強くいうと協力関係)があることが明らかなことが問題なのでは?
| moment | 2014/01/16 9:40 PM |
「ビラを配る」、つまり情報を与えるのと「署名用紙を渡す」意思表明を要求することは全く違います。
いくら講師側が「成績に影響しない」と言っても、学生側はその真偽を確かめることはできません。
そういう権力構造への無関心さ、マイノリティは権力者として振る舞い得ないかのような雑な議論が反発を買っているわけです。
「学生という弱者が権力者である教授に本心を言い出せない」という論理を否定してしまったら、マイノリティを守る多くの理論は崩壊します。マジョリティだけにマッチョイズムを要求するような議論はあまりにバランスを欠いています。

また提出は任意であったことは早い段階で言われており、「書かされた」という表現だけを以てデマと断じることはそれ自体悪質なデマです。
| vi | 2014/01/16 11:28 PM |
もうひとつ。
私も授業でコメントペーパーを「書かせて」いますが提出は任意ですが・・・。
「書かされた」と「書かせた」を混同しているのでは?
| moment | 2014/01/16 11:45 PM |
コメントありがとうございます。
どこまでを政治的活動を見なすか、どこまでを教員と(署名活動を考える)学生の協力関係と見なすかにはそれぞれ個人の見解が違うようで、興味深く拝見しています。

個人的に私は、
「学生という弱者が権力者である教授に本心を言い出せない」という論理は自明ではないと考えるし、自明にすべきでないとも思っています。もちろん一方的に権力を持つ事象もありますが(成績付けとか)、その授業における権力のあり方は、教員個々人に拠るでしょう。

マイノリティももちろん権力者になりえます。でも今回のことで手に入れた情報から想像するかぎり、世間的にマイノリティと見なされているであろう韓国朝鮮系の教員が権力を振るっていたとは、私は考えません。

| saereal | 2014/01/16 11:48 PM |
>その授業における権力のあり方は、教員個々人に拠るでしょう。

個人ではなく、授業には受講生が、それこそ教員の数十倍もいるわけです。
その中で権力がどう作用するかを、教員が一意に決められるわけではないでしょう。

それと、
>日本で実際に何が起きているのか、そして朝鮮学校をめぐってどのような意見があるのか、という授業を行う上で、無償化活動をしている学生の主張や活動内容を聞くのも授業の一貫だと思う。

ツッコミを挙げて行ったらキリがなくなりますが、「学生の主張や活動内容を聞く」のではなく「署名」を行わせているわけですが・・・。
| moment | 2014/01/17 12:29 AM |

そもそもどこまでを政治的活動を見なすかという点について、人によってかなり恣意的な線引きをしているように思えます。私からすれば、教員が授業中に署名を強制しないかぎり、それは政治的活動ではありません。自分の主張と違うものを持ってこられたら、それが政治的主張が異なるものにように感じ、それに教員の権力を結びつけてるだけなのではないかと思います。何度も言いますが、任意なのですから、署名はしなくてもいいし、学生の懸念を代弁してまで「成績には関連しない」と言っている訳です(ここまで言わなければいけないこともおかしいと思いますが)。

最後のコメントの、
>ツッコミを挙げて行ったらキリがなくなりますが、「学生の主張や活動内容を聞く」のではなく「署名」を行わせているわけですが・・・。
に関してですが、実際に無償化運動をする学生の活動内容を聞く場を設けていたとのことでしたし、そもそも学生の活動自体が無償化に関する署名運動なわけですから、ビラの裏側に署名欄があり、任意で署名を求めるのは学生の行動として問題ないと思います。何度も言いますが、署名は任意で、学生自身が集める(しかも署名しても署名しなくても用紙は学生に渡すこと、という注意書きまであるので、提出の有無で教員が誰が書いたかを判断するということもない)ということであれば、そこで教員による強制力や権力の公使と結びつけるのは無理があるでしょう。
| saereal | 2014/01/17 2:52 AM |
>私からすれば、教員が授業中に署名を強制しないかぎり、それは政治的活動ではありません。

署名を募った学生団体のやっていることが政治的活動であることは疑う余地がありませんよね。
次にその学生団体の誰かを、講師がゲストスピーカーとして招いている。
そして講師はその学生団体の政治的活動を、授業内に行うことを認めている。
提出が任意であるか否かはそもそも問題ではなく、
(ちなみに、saerealさんは教師に権力があるか否かは教師ごとに異なると主張されていますが、「任意だ」とわざわざ言わなければならないこと自体が、構造的に教師―生徒間に権力の非対称性があることを教師自身が理解していることを示しています)
自分と結びつきがあり、かつ結びついていることが合理的に理解できる(在日韓国/朝鮮人の講師が彼らの権利を守る活動をする)形で彼らの政治的活動を授業内で許可しているのですから、
教師自身が政治的活動に加担していると「生徒が捉える」ことが自然なものになるのではないでしょうか。

>実際に無償化運動をする学生の活動内容を聞く場を設けていた
これはなおさら悪いというか、
授業内で署名活動をさせることの問題点の一つは、
本来確保されるべき思想の自由を制限されて、
署名者がその場のポリティクスから離れて判断することができなくなる点にあるように思います。
社会調査の基本のきとして特定の立場を表明した後にその立場についての判断を問うてはいけない、
というものがありますが、
明らかにどちらかの政治的立場に立っている人が説明した後に、
本来知に対して公平であるべき授業内で
その政治的立場についての署名を行わせる―そしてその署名は実効的な政治的効力をもつ―なら、
受講生の政治的思想および能力を制約していると捉えられてしょうがないのではないでしょうか。
署名を「書かせる」という当該生徒のクレームは、
こうした広い権力性をも射程に含んだものだと思いますが。
| moment | 2014/01/17 8:30 AM |
本当に学生が集めた後に教授に渡さないのか? 成績に影響しないのか? といったことは学生側は分からないという情報の非対称性みたいな部分が確実に残るわけです。まして今回、教授自身がコリアンで学生サイドがコリアン団体、そして授業の内容がコリアン支援という明確な繋がりがあるわけですから。
そういう不安が学生の自由意思をコントロールしうることについて、やはり鈍感に過ぎると思います。これがガチガチの保守教授による署名とかなら「ああいう人は配慮がないから」で嗤われる・指導されるだけで済むかもしれませんが、自由の意義を訴えているであろう層が今回この学生を平気で攻撃している図はあまりに醜悪で嗤えません。

さらに言えば、そういう権力の場で集められた署名が政治的に行使されることは正当なのかという問題もあるでしょう。
何度も言われている通り、せめて「授業を終わらせ、退席しても良いというムードになってから説明したり署名を配ったりするべきだった」「回収は教室外、できれば各自が任意提出する形にすべきだった」のは間違いありませんし、だからこそ今回の大学や文科省による指導という形にも至ったはずです。
| vi | 2014/01/17 9:45 AM |
興味深く拝読しました。

一点確認したいのですが、
当該講師がマイノリティであることおよび彼女に対する差別性は、
saerealさんの議論のどこにかかわってくるのですか?
彼女の行動の問題性を問うコメントは、
基本的に誰にでも(マイノリティであるか否かにかかわらず)適用できる論点を挙げてきているように思うのですが。

マイノリティだからいじめるんだ、という推測の部分を除けば関連があるようにはみえなかったので、お教えいただければ幸いです。
| kanayama | 2014/01/17 11:43 AM |
弱者の立場になり下がりってあなた、生徒の方が立場は弱いに決まっているじゃないですか…
それとも教師と生徒という立場の差があれど日本人はマジョリティなので弱者ぶるのは許さないということですかね?
それはそれですごい差別だと思いますよ
そもそもこれはチラシ配りやアンケートの類とは配布のやり方が違うことに問題があるのでは
それにより生徒がどう感じたかが重要ですよ。何らかの強制性を感じた生徒がいれば、それは広義の強制と言えます
| 紅 | 2014/01/17 10:59 PM |
金曜日から家族旅行に出かけており、御返事もろもろ遅れました。失礼しました。

momentさんのおっしゃる「広い権力性」という観点から見れば、教員が行う多くの講義内活動は、「広い権力性」に該当し、今回の一連の事象を取り上げて権力の行使だという批判には値しないと考えます(前に述べた通りです)。

さらに、当該教員が「任意だ」と強調したということは、教員が権力を持っていることを認識している、というのはその通りでしょうし、だからこそ任意だ、念を押した上で学生に説明・配布・回収を任せるというスタンスをとり、かつ書かなくてもどちらにしろ回収する(回収しない・するで誰が書いたか教員には分からないようにする)という方法をとったのだと理解しています。そこまでいっても「信用できない」ということでしたら、その信用できないという部分に、回収などの方法論的な問題点を議論するか、もしくは受け手が信用できない理由を議論するかの二点です。

方法論に関しては、傍観者の私たちが現在知りうる情報を元に議論するのも限界がありますが、少なくともここにはある程度のコンセンサスがあるように見受けられます。一方、受け手が信用できないと思う理由について何も疑念を抱かなかったり、議論の土壌に挙げようとしない理由が分かりません。ここにコメントを下さる人達のお話には、全部この部分が欠けているように思います。


最後の
>弱者の立場になり下がりってあなた、生徒の方が立場は弱いに決まっているじゃないですか…
それとも教師と生徒という立場の差があれど日本人はマジョリティなので弱者ぶるのは許さないということですかね?

こんなことは一言も言っていませんし、私は学生が弱者で教員が権力者という論理が「自明ではない」かつそうすべきではないと言っているだけで、多くの場面で教員が権力を持りうることには同意しています(たとえば成績付けなど)。それを行使するかどうかは教員によって異なると考えています。

またkanayamaさんのコメントで「「マイノリティだからいじめるんだ」という推測、と書かれていますが、私の書いていることに対応していると思えません。この教員の行ったことに反論している人が、異なった思想信条を持っているから他の論理(授業中の政治的行動はだめ、など)を持ち出して批判しているのではないかと指摘しているだけです。

なお、17日の夜くらいにいくつかのタイポを直し、元々の学生の発言で「書かせる」と書いてあったので、ここの記述もすべてそれに統一し、最後の二段落を一段落にまとめました。
| saereal | 2014/01/19 1:04 PM |
お返事ありがとうございます.

>momentさんのおっしゃる「広い権力性」という観点から見れば、教員が行う多くの講義内活動は、「広い権力性」に該当し、今回の一連の事象を取り上げて権力の行使だという批判には値しないと考えます(前に述べた通りです)。

おっしゃっていることの意味を理解できているかどうか自信がありませんが,
今回の議論の争点はその「権力性」を政治的活動(署名)に行使したかどうかにあるのであって,
他の授業内活動も権力性を帯びるから今回の件もそれと同様であり特別なものではない,
と主張しても意味がないように思いますが.

>さらに、当該教員が「任意だ」と強調したということは、教員が権力を持っていることを認識している、というのはその通りでしょうし、だからこそ任意だ、念を押した上で学生に説明・配布・回収を任せるというスタンスをとり、かつ書かなくてもどちらにしろ回収する(回収しない・するで誰が書いたか教員には分からないようにする)という方法をとったのだと理解しています。

ひとまず,権力性をもつか否かは教師個人毎の事情に依る,
という主張は取り下げていただけたという理解でよろしいでしょうか.
第三者が権力を抑制できる状況でない限り,
「非対称的な権力をもつけれども権力者の意向で行使するかどうかを決められる」という議論には妥当性がありません.
けっきょくのところ最終的に権力を行使するかどうかを
決めること自体が権力的に行われる(生徒の側からアクセスできない)からであり,
この構造自体は動かし得ないからです.
しかもこの授業の場合,何度も申し上げているように,
生徒の側には教師を疑うに足る十分に自然かつ合理的な根拠があります.
これは差別とは何も関係がありません.
つまり,教師の側が呼んだゲストスピーカーが政治的活動を行っており,
かつその政治的活動において教師は個人としてゲストスピーカーの側に立つ十分な根拠があり,
教師とそのゲストスピーカーとの間の関係性は今後も継続することが明らかなわけですから.
saerealさんは
>受け手が信用できないと思う理由について何も疑念を抱かなかったり、議論の土壌に挙げようとしない理由が分かりません。ここにコメントを下さる人達のお話には、全部この部分が欠けているように思います。
と言いますが,上に挙げた(何度も指摘している)理由で何か足りないでしょうか.

>書かなくてもどちらにしろ回収する(回収しない・するで誰が書いたか教員には分からないようにする)

書かなくても回収する場合,署名を書いていない生徒が誰かは結局教師がチェックできるわけですし,
教師がチェックしうることが「生徒にも」わかるわけですが・・・.

もうひとつ,そもそも署名自体が中立に行われない(教室のポリティクスの中で行われざるを得ない)という論点についてはどう思われますか?
この点についてはコメントがいただけていないようなので.
| moment | 2014/01/19 3:37 PM |
“傍観者の私たちが現在知りうる情報”ということで、気になった事を少し書かせていただきます。

まず、saerealさんは“とある学生が事実を歪曲して伝えた”として“「書かせた」というのは明らかに強制の意味を含んだ日本語”とお書きですが、「〜せる」という使役の助動詞は、強制の意味だけでなく、許可の意味も持っているはずです。講師が研究会の学生に嘆願書を配らせ(強制ではなく許可の意味で)、授業時間内にそれへの記入を許可したのであれば、自分の意に沿わないものを書く機会を与えるという反感から“出席カードとともにこんなカードを書かせる”とツイートすることはあり得ると思いますし、それ自体はデマにはならないと私は考えます。

なお、“出席カードとともに”ということの真偽については、NAVERまとめでこの講義に出席していたとツイートしていた学生が、“書かせたってのは嘘ですね。 これは大学や先生ではなくて、朝鮮系の文化研究会の学生がよかったら書いて下さいって言ってただけです”とツイートした後、続けて“あ、でも確かに出席カード配った後に研究会の学生が配ってましたから、そう捉える人もいるかもですね(~_~;)” https://twitter.com/t_rex259/status/422932121477341185 とツイートしています(なぜかこのツイートは件のNAVERまとめには収められていません)。

嘆願書を配布した人が講師であるか他の人であるかについては、講義時間内に講師が嘆願書の配布を許可し、その扱いについて講師が指示したのであれば、ツイート主が講師を批判の対象に据えるのは自然と思えます。

私自身は朝鮮学校の無償化には賛成ですし、このツイート主とは思想的には対極にある人間ではあります。ただ、このツイートが本当に「デマ」であるという点については疑問を感じています。特に、これが「悪質なデマ」と言われている背景には、金明秀氏の“タイムラインを一目見るだけで、ネトウヨであることは明白だ。この騒ぎが起こってもアカウントを削除していないことから考えても、むしろ故意に印象操作をしていると考えるのが自然じゃないかね” https://twitter.com/han_org/status/423370235467415552 という考えがあるように思えます。でもそれは、レッテルだけで判断するという意味で、非常に危ういものだとお思いになりませんか。「アカハラ」や「表現の自由を侵害された」という批判は、ツイート主の発したものではありませんし。

私が拘っているのはこの一点です。果たしてデマだったのかということを再確認なさった上で、講師が授業内に政治的署名を書かせる(許可するという意味で)という行為の是非が論じられればと思っております。
| 柊 | 2014/01/19 5:11 PM |

私が事実の歪曲であると考えている当該学生による当初のツイートから浮かび上がるのは、ツイート主である本人と、直接的な言及はありませんが授業を行っている講師という二人の人間です。〜せるには使役に意味もあるという柊さんのご指摘は、「配らせた」であれば理解できますが、「書かせた」という単体で使えば、このツイートから授業の背景を想像するのは不可能ですし、ツイートから判断できる「学生」と「授業を行っているであろう教員」との関係で考えると、受け手は強制の意味で捉えるのが通常ではないかと考えます。

あとから様々な情報を読み、柊さんの言うような「使役」の意味で、「講師が研究会の学生に嘆願書を配らせ(強制ではなく許可の意味で)、授業時間内にそれへの記入を許可したのであれば、自分の意に沿わないものを書く機会を与えるという反感から“出席カードとともにこんなカードを書かせる”とツイートすることはあり得る」と解釈することは可能でしょう。ただ、当該学生の最初のツイートを見る限り、金明秀さんの言葉を借りれば、「印象操作」にあたると考えます。その意味で、当該ツイート自体は事実の歪曲であると書きました。

アカハラや表現の自由云々ということに関する私の意見は、無論当該学生のツイートではなく、彼の主張を擁護する側の主張に反論する形で書いています。
| saereal | 2014/01/20 12:06 AM |
横から失礼します。議論が止まってしまうとアレなのと少々気になったので一言書かせてください。

柊さんのご指摘ですが、この講義に参加していた学生たちは、件の嘆願書について何も書かずに提出しても良い、というアナウンスを受けていたわけですよね。

となれば、「『東アジアと朝鮮半島』という授業にて出席カードとともにこんなカードを書かせるから立命は糞」という事の発端となったツイートを、
「こんなカードを書かせる(ことを許可した=配ることを許可した)から立命館は糞」と解釈するのは不可能ではありませんか?

だって、「書くこと」が必須ではないことを生徒は知っていたのですから。

にも拘らず「書かせる」と表現したのは、本件を、あたかも「何らかの意思表明を必ず書かなくてはならないもの」と伝えようとする当該生徒の意志によるものでしょう。

当時、当該生徒が「『見えない権力』による圧力」を感じた可能性はあると思います。ただし、以上のことから、件のツイートに「当該生徒が、この講義の進め方に問題があると感じ、それを提起した可能性」を見るのは、拡大解釈と言わざるを得ません。

長文失礼しました。
| 紫 | 2014/01/20 2:09 AM |
前後してしまいましたが、
>ひとまず,権力性をもつか否かは教師個人毎の事情に依る,
という主張は取り下げていただけたという理解でよろしいでしょうか.
という御発言は、私の主張を過って解釈されていますね。少し前のコメントに、「saerealさんは教師に権力があるか否かは教師ごとに異なる」と言っている、と書いていらっしゃいますが、私は教師ごとに権力があるかどうかは異なるという発言はしていません。

少し前に書いた「学生という弱者が権力者である教授に本心を言い出せない」という論理は自明ではないし自明にすべきでない、という考え方も、権力の(とくにその行使の)あり方は教員個々人に拠る、という考え方も変わっていません。momentさんの言う「決めること自体が権力的に行われる(生徒の側からアクセスできない)から」、「第三者が権力を抑制できる状況でない限り,非対称的な権力をもつけれども権力者の意向で行使するかどうかを決められるという議論には妥当性がない」という主張は、一般的な論理としては理解していますが、私が大学の教育という現場を、そして今回のケースに関しても、その論理が当てはまる場として捉えていないのです。この辺は理解されづらい所だと思いますので、そのうちまたエントリーでも書くつもりです。

今回の一連の話で、momentさんの言うような学生が抱きうる疑念や不安というのはもちろん想像することはできますし、そのように感じる学生がいるのは、おそらく私が前に指摘した方法論等以外にも、学生と教員の信頼関係の問題もあるようにも思います。この点については、実態が分からないので、ここで議論できることはありませんが、私自身はその信頼関係があり、今回行ったような方法論であれば、問題があるとは思いませんし、学生の当初のツイートはいらぬ誤解を招くものとして大学側が注意すべきことだと思います(「書かせる」の使用方法は、あとでどんな解釈ができるにしろ、当該ツイートだけを見る限りは事実の歪曲です)。

広義の権力性という意味であれば、ビラ(嘆願書)の配布、そして任意の署名と活動団体の学生による回収というのは、たとえば日中韓青少年対話セミナーの参加申し込み書の配布と同じレベルと考えます。状況として教員は東アジア地域の地域研究者で日中韓の対話を大事と考えている。そのセミナーでは東アジア共同体構想について話し合われる。教員はそれらの構想に大きな関心を示している。こういうことはどこの教育現場でもなされていることだと思います。

しかし「そのセミナーに申し込んだら、教員に好かれるかもしれないし、もし行かなかったらだめなやつだと思われるかも」と思うのには、そのセミナーの案内をするときの方法論や、普段から政治的な問題を扱うときに、教員がどのように学生に接しているか、そして学生の受け取り方によるかと思います。

たとえ教員が強固な政治的意見を持っていてそれを表現していても、反対意見を持っている学生がのびのび発言できて、対話を持てるような授業を行っていれば
、そして学生がそのような態度を持っていれば、今回の事件の授業には何の問題もないと思います。すべての大学での授業は、教員が90分を自由に使って良い、多くの場合内容も自分で決められるという点で、大きく言えば権力の行使です。でもその場をどのように生かすかは、教員の力量や学生の態度など、それぞれの個人/各コンテクストに拠るものでしょう。

今回は情報を悪意のある形でツイートしたのが学生のツイートであり、それに関しては言葉足らずだった、と注意すればいい程度のことかもしれません。しかし、大学やTwitterでの反応は、一部だけを取り上げて批判しており、コメント欄では論旨がずれてしまいましたが、私の当初のエントリーも傍観者側の反応に疑問を覚えて書いています。

もちろん、あらゆるリスクを考えて、今回の方法論が学生に「誤解を与えない」ためのベストな方法だったとは思いませんが、だからといって大学が謝ったり文科省が注意するようなことではない、というのが私の意見です。

一部の人には色々と連続してコメントを頂いていますが、解釈の違いで勝手に論旨が飛躍している部分もありますし、議論のための議論のようになってきたら、お互い学べることがあると思いません。私からのネット上での返信はここまでにします。
| saereal | 2014/01/20 2:14 AM |
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