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アルゼンチンへの旅と学会
6月の終わりから移動を入れて10日間。
アルゼンチンのブエノスアイレスに世界比較教育学会の世界大会に行ってきました。
そのあと現在の所属大学で日本比較教育学会。運営委員会であり、かつラウンドテーブルと個人の自由研究発表があった。この一週間の私は、アルゼンチンで発表→移動・時差ぼけ→非常勤二コマ→比較教育学会でラウンドテーブル登壇→二次会→終日運営委員会でばたばた→学会最終日個人発表。今は非常に寝不足なので、少し感傷的なことを書く。

楽しい学会だった。今まで英語でやった発表の中では一番落ち着いて、うまい伝え方ができたと思う。いくつかの興味深いセッションに参加して、今後自分が取り組みたいことのアイデアも湧いてきたし、何より次は英語で書こうという強いモチベーションが湧いた。そして、自分が歳をとったときに、若手の研究者に「she is good」って陰で噂されるような研究者になりたいなと思った。もっと勉強しなきゃ行けないことがたくさんだなあ。

アルゼンチンでは韓国の研究者の人に誘われて、部屋をシェアしていた。でも私には、なかなかリアルに話せる人がいなかった。正直、最初の何日かはとても居心地が悪くて、だから1人がもっといいと思っていた。1人でモーニングを食べ、カフェで何時間が仕事をして、街を歩くのが楽しかった。




一緒に過ごして気持ちのいい人、というのは、本当に国は関係ないんだなと実感する。文化的なことや、言語や習慣が共通していると居心地がいいかというと、私にとっては全くそうじゃない。男性も女性も関係ない。合わない人とは合わないし、合う人とは合う。


仲良くなった人の中には、もう名前を忘れてしまった人もたくさんいる。中国の北部、カシュガルからシルクロードの一部まで、4日間くらい一緒にいたアイルランドの男性とブラジルの男性。毎晩遅くまで一緒に飲んで、色んな店に行った。shit headというトランプゲームをおそわり、毎晩やって、たらふく中華を食べ、ずっとおしゃべりしていた。

コロンビアーナのタティアーナ。香港の大学で中国語を習っているときにあった。あのとき日本から来た学生はたくさんいるなかで、一緒にいて楽しく心地いい人は本当に少数だった。その中でタティアーナとは色んな話をした。アジアの文化のことからファッション、とくに恋愛や男女関係の話をたくさんした。こういう話ができる女友達を、今でも恋しく思う。中国語のクラスにいて、私たちのレベルは同じくらいだったけれど、両者とも英語の方が中国語より便利だったので、結局ずっと英語で。

オーストラリアで学会に参加した時。現地ではたくさんの日本人で早稲田から行っている人がいた。そのとき一番抱えていた悩みをなぜかすぐに話してしまった女友達がいる。今でもそのことは彼女にしか話していない。何だろう。波長があったときに、いつもは縛っている心の紐がふっと解けてなにかを話してしまうような。

同年代じゃなくて、大分年上の人とそうなることもある。高麗大学にフィールドワークにいったとき、たまたまvisiting scholarとしてスタンフォード大学から来ていた経済学の研究者ともなんだか仲良くなった。夜のソウルを徘徊して、お店を梯子して、アカデミックなことやら将来の悩みやら、日韓の文化についてなど話した。

私は元々感覚的な人間で、その感覚を小さな頃から持て余していた。考えすぎたり、重すぎたり、勘違いしたり、自意識過剰になったり。持て余すほどの自由を持っているのだが、自由は孤独で、寂しくて、疲れるし、いつも闘わなければ行けない。拘束されていた方が、実は楽なこともたくさんある。それでも自由じゃないと耐えられない人間な気がする。たとえ海外旅行が大好きでもずっと行っていると今度は日本が恋しくなるように(そしてずっと日本にいると息が詰まりそうになってまたどこかに行きたくなるように)、拘束と自由の間を行ったり来たりしている。



飛行機のなかで、TCK(Third Culture Kids)に関する本を読んだ。私はTCKではない。でも似ているなと思うところもある。地元や故郷というものが自分に根付いていない感じ。

人間関係が安定するまでのコミュニケーションには、表面レベル、安全圏レベル、判断レベル、感情レベル、打ち明けレベルがあり、TCKは、これらのステップをすすむのが早く、積極的に相手の意見を聞いたり議論したりするのを好むという。自分が合うなと思う人と出会った時。なぜかあってすぐなのに、今まで人に話したことのないようなことを言ってしまったりする経験は、さっき書いたように私にも多くある。問題は、表面レベル、安全圏レベルの会話、5段階目に至るまでの前置きのようなそれを、大事だと思えない自分の心性にある。うまくいく人とはなにもかも飛び越えて仲良くなれるし認め合えるしリスペクトし合えても、日常生活で求められるのはもっと基本的でさらさらとした心地のいいもの。私も大人になって、だいぶそれができるようになった。でもそれを自分の強みとして認識するまでにはなっていない。大人になるって、それをうまく自分の技術として認識して、自信をもって使いこなせることなんじゃないのかなあと思う。




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