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サイパンをめぐる2つのこと(母と娘のミソジニーと戦争)
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10月2日から5日まで、母親と一緒にサイパンに行ってきた。
「母と娘のミソジニー」をひしひしを実感しながらの旅行だった。

今まで一度しか海外に行ったことのない母。一方で学生時代から貧乏長期旅行を繰り返してきた私。
2005年のパキスタン・新疆・大陸中国の3ヶ月旅行を最後に、長期での旅行はしなくなった私だけど、
今度は学会発表やフィールドワークなどで毎年4、5回は海外に行くようになった。
前よりもいいホテルにとまって、前よりもいい航空券で。
それでも安い旅行には耐性のあるほうである。
たとえば、民宿みたいなホテルも、座席が破れてたりいまどきやたらと揺れる深夜発の飛行機なんかにも。
でも今回、還暦を過ぎた百合ちゃんとの海外旅行、今回みたいな29800円(3泊4日、航空券・ホテル・燃油込み)のツアーじゃなくて、せめて羽田発で移動が楽な時間に出発する便にのせてあげればよかったなと思った。
彼女は地図も読めない。当然英語もしゃべれない。新しい鍵の掛け方や、飛行機の乗り方や、待ち時間の楽しみ方や、そういうのをいっさい知らない。私のような往年のバックパッカーは、「どこにでも寝れる」「何かあってもどうにかする」という変な「生きる力」みたいなのが身に付いているのだけど、彼女は全くそうじゃない、60年間家と、好きなブティックの行き来しかしてこなかった彼女は、私なんかとは桁の違う箱入り女なのだ。

正直何度もイライラした。正直切れそうになったことも何度もあった。
私は何もできない、さえに全部おまかせ!という開き直りと諦念のスタンス。
どこまでも持ち込む日本スタンダードと、それから外れたものに対する(基本的には否定的な)「感想」の数々。
思い込みの激しさに裏付けされた、一定の人や現象に対する妙な蔑視や変な劣等感。
それらの表象は、すべて娘に対する信頼によって正当化されているかのように存在する。
私と血がつながっているからこそ、私が一番恐れ、嫌い、乗り越えたいと思っている数々の性質たち。

帰ってきてから、家を空けてしまった罪滅ぼしのように嶋内さんにあれやこれやと報告をするなかで、
「これで最後の海外旅行だなあ」と何度も言っているのをきいて、今度はなんだか悲しくなってしまった。
彼女自身も、今回の旅行がいかに「さえ任せ」だったかということを実感しているのだと思う。
私は自分が高校生くらいまでは非常に聞き分けの良く、優秀で手のかからない子どもであった自負はあるけど
(もちろんその反動は高校生後半から来た)、彼女が長年感じてきた私へのイライラや我慢に比べたら、この3、4日の我慢くらい何さ、と思ってもいいんじゃないか。
それで最初に感じた、もっとお金をかけて良い旅行に連れていってあげれば良かった、という思いにつながったのだ。


個人的な葛藤はさておき、サイパンに関して感じたことをいくつか。

私は個人で動くのが好きなバックパッカー気質なので、いわゆる観光リゾートにはあまり縁のない旅行ばかりしてきた。
旅行先やそこでの生活を知るためには、ある程度の期間を使って現地の人と同じようなことをしないと無理で、
観光地だけを巡っても何も分からない。そう思っていた。
欧米などの「先進国」での旅行は、それなりのお金を払わないとおいしいものにありつけないし楽しめない。
貧乏旅行をするものにとって、先進国は発展途上国より楽しみ、理解するのが難しい場所である。
以前初めてハワイに行ったときも、4日間のリゾートホテル滞在ではハワイの奥深さをまだまだ分からない気がした。
好きになるとしたら、ハワイ大学に留学するなどして、長期滞在してはじめて分かるのだろうと思った。
サイパンもおそらくそうで、リゾート地として2泊3日で楽しむには十分だけど、それでは何もこの場所のことを分からないで帰るんだろうなあと思う。
それでもサイパンのエッセンスみたいなものを、今回感じることができた。
サイパンは、以前滞在したハワイと比べると、リゾートとしての盛り上がりにはかけているように感じた。
レストランやおみやげやさん、バーなども、時代の流れに取り残されているような場所をいくつも見た。


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GR3で撮った写真はここ

還暦の母を連れて行くリゾートとしてサイパンを選んだ理由の一つに、太平洋戦争への興味がある。
サイパンのガイドブックは、グアムなどの他のマリアナ諸島と比べると圧倒的にすくない。
サイパンに関して事前にこの本を読んだ。



もしこの本を読まなければ、サイパンに行って奇麗な海で泳ぎ、そして少しくたびれた感じのオフシーズンの観光地を見て買い物をして、ああ、なんだか少し物悲しいなあと思っただけに留まってしまったかもしれない。こうしてこの本を夢中になって読んだあとは、自然と出逢う人々の歴史や、彼らの親はどうしていたんだろう、この場所は戦争の前どんな様子だったんだろうか、戦後どんな変容を遂げてきたんだろう、と考えて旅するようになった。

時々出逢う日本人らしい名字を持つ人のそぶりや、言葉や、英語の発音を聞きながら、ものすごい重くて複雑な歴史を感じる。戦前から戦後の流れの中で、日本の統治下からアメリカの統治に代わり、サイパンの人たちもお店もそこにあるものたちも、戦前とは全く異なっているように見えて、でも必ず連続している歴史の中で構築されてきたものなのだ。

万歳クリフや玉砕などの有名な歴史的事実は知っていても、サイパンに戦争前どれくらいの人がいたのか、その人たちはどこから来てどんな生活をしていたのか、こんなに興味深く知ることができるとは思わなかった。

第一次世界大戦後、日本の委任統治領となったサイパンには、東北や沖縄、朝鮮半島などから多くの「日本人」「沖縄人」「朝鮮人」(本文ママ)がやってきたという。この本では、いくつかの家族の歴史を中心に、サイパンの中心部、ガラパン地域で繰り広げられた日本人街構築の様子や、戦争の中で彼らがどのような運命を生き延びたかが描かれている。

序章と後半で書かれていた収容所の中での様子は、濃密な家族の物語を読んだ後に知るとより深々と身に迫るものだった。
友軍(日本からの軍隊)がくることや日本の勝利を信じて最後までで逃げ続けた人が馬鹿を見るという台詞や、日本の敗戦のあと、今までの怨恨をはらすかのような現地のチャモロ人や「朝鮮人」の人々の反応、食料を奪い合い、「負け組」と「勝ち組」に分かれて殺し合う「日本人」。一方で、個人的つながりの中で、「日本人」「朝鮮人」など隔てなく、究極の場面でもお互いを助け合っていた様子。

戦後何十年も経て生まれた私は、あのとき最後まで逃げ続け、抵抗した人を「馬鹿」だとも思わなければ、洗脳されていて可哀想とも言えない。かといって、彼らを国のために身を捧げた英霊とあがめるのも何か違う気がする。早い段階で捕虜となって、見方によっては敵国であったアメリカ軍におもねっていた人々を卑怯だとも言えない。
あの時の行動にベストや正解などなく、皆が一生懸命必死で、そして今よりも圧倒的な物理的、情報的、精神的制約の中で、自分のとるべき道を探していたんだと思う。

この本を読んだら、自分はサイパンのことなんて何も知らなかったということを痛感した。
レイテ、マリアナ、ガダルカナル、ミッドウェー、パールハーバー、ラバウル・・・戦争のことを学んだときにでてきた、たくさんの聞き覚えのある太平洋の地名や島名のなかでも、私はこの本を通じてサイパンの歴史の一部分を知ったに過ぎない。でもこれでよく分かった。私はまだ戦争のことをまだ全然理解しきれないんだということと、そこに埋まっているたくさんの物語を知ると、その知った部分によって、自分だけの「歴史」が構築されるってことを。そしてたくさんのことを知れば知るほど、その「歴史」が豊かになるし、歴史は一筋じゃないってことを。


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