2012.03.29 Thursday
刺青と復讐

小森純「タトゥーのどこが悪いの?」閉鎖的な日本社会に号泣!→江角マキコ「後悔しないといえる?」
私には刺青(いれずみ)がある。
自分が刺青持ちであるということは、刺青に纏わるさまざまな社会的拘束や偏見を、自分が当事者となって背負うということである。
もうひとつ。私には刺青に纏わる心理的拘束がある。
それは17年前に死んだ私の大伯父さんのことで、私は彼の持っていた三浦海岸に海の家に、毎年家族で手伝いに行っていた。海は、そして海の家は、私にとって小さい頃の夏休みのすべてだった。
その大伯父さんを、私は海じいちゃんと呼んで大層懐いていたし、子供のいなかった海じいちゃんも私を孫のように可愛がってくれた。
海じいちゃんは身内にも、地元でも、少し恐れられている人だった。
若い頃、特攻隊員になって横須賀で出陣待ちをしている時に終戦になり、軍の倉庫にあった食料をかついで逃げ帰ってきたというエピソードをおばあちゃんが教えてくれた。そのあとの彼が何をしていたのかはしらない。でも海じいちゃんの背中には大きな桜吹雪があり、晩年は、その強面を活かして(?)、地元の警備団なんかもやっていた。
晩年、彼は心臓の病気をわずらい、横浜にある割と格式の高い、評判の心臓外科病院に入院した。
今思えば、入院した時は、もう帰れる予定はなかったのだと思う。
もともと身長の低い人達の多い母方の家系で、160センチほどしかなかった彼は、病気をして余計小さくなった。
背中に刺青を背負った彼は、その病院の大部屋に入れなかった。
病室の、周りの人が怖がるから、という理由だった。
私は彼のしわしわになって、もう模様が良く見えなくなった桜吹雪を見た時に、思ったのだ。
絶対、復讐してやるんだと。
こんなに小さくなってしまっても、死ぬ間際になっても、彼をはみ出し者にしたこの社会に。
身体の衰えとともに、その花をつぼめてしまった桜吹雪に。
海じいちゃんがもっていた美しい刺青は、社会や病気によって消されてしまった。
それは私が絶対によみがえらせるんだと思った。
私に近い人間の中で、今まで死んだ人は彼が最初で、そして今まで他にいない。
これから身近な誰かが死ぬたびに、何かできなかったことの復讐みたいなことをしていくんだろうか。
だから私は、刺青を恥じたことも、消すという選択肢を考えたこともないし、これからもそうだろう。
幸いなことに、就職活動中にそれを見咎めるような会社には入らなかったし、公共施設で入場を断られたこともない。
それはきっと、私が、「いわゆる、刺青持ち」に見えないからだ。
まさか刺青があるかもしれない、と思って私の体を隅々までチェックする人はいない。
刺青を入れるということは、こういうことだ、って断定的に宣言する人がいる。
したりがおで、刺青を入れることの意味を、「刺青を社会がどうみなすか」を語る人がいる。
敬遠されているのは刺青なのか、刺青をした人なのか、
それとも刺青を入れた人達が最大公約的に持っていると想定される暴力性なのか?
それでも刺青を入れる人は、世間のはみ出しもの=自分に危害を与える可能性が高い人という「傾向」があるのだから、それを持っている人が色眼鏡で見られやすい、という「現状」は理解できる。
でもその現状を作り出しているのは、刺青を入れている側だけではなく、刺青持ちを見ている側の人間であるということも忘れないでほしい。
刺青持ちを判断している側の人間に、まるで相手の将来をおもんぱかっているかのように正義づらして、「よく考えてから入れてね、後悔するわよ」なんて言われるのは一番我慢できない。
刺青を入れていない人間は、刺青持ちを排除する側の当事者だってことを自覚するべきだ。
だいたい、お前は誰だ、といいたい。
いつから社会の構成員のひとりとしてじゃなく、俯瞰した目でものを言っているんだ。
刺青という部分でその人の全体を判断するような暗黙のルールを、当たり前のように受け入れている社会を、なぜおかしいと思わないのか。
昔あったどんな差別も、今では少しずつ邂逅されつつある。
差別されていたり、色眼鏡で見られていたグループも、それを決定づける特性などないってことに
やっと周りが気づいたからだ。
大事なのはここ。
気付くのは、いつもマイノリティを排除している側の当事者だってこと。
でも刺青に関しては、その認識がまだ遅れている。
刺青もちには、もう少し長い戦いが待っているのね。
☆
どんなに泣いても苦しくても
決して意志を曲げなかったこの勇者に
心の中で もう一度
小さく忠誠を誓った
(Chapter71)
たとえどんなに異質でも
強ければ それが正道
(Chapter73)
