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12.11 (思想地図β+小熊英二)
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3.11から、9ヶ月。今年最後の月になった。
誤解を恐れずに言うならば、神戸の時には感じることができなかった311の胸の痛みは、罪悪感と劣等感だった。

神戸で大地震が起こった時、私は中学生で、その時起こっていたことのインパクトに対してそれほど深く考えが及んでいなかったように思う。
そのあとに起こった地下鉄サリン事件はあまりに身近でリアルだった一方で、神戸の震災が当事者意識を持って長い間心に響きつづけることはなかった。
それが今回、どこまでいってもしこり、のようなものを感じる。
それは今でも続く原発問題や放射性物質を浴びることへの日常的な恐怖だけのせいではない(後述するが、後者の点に関しては、私は半ばあきらめの心境を持っている)。
今回とても強く感じながらずっと残っているこのしこりを言葉で表すとしたら、それは「罪悪感」と「劣等感」だと思った。

週末ボランティアに参加してたりしたら(しかもボランティア・ツアーみたいなもので守られて、たいして役に立たないのに短期間滞在して、なけなしのお金使って少し貢献したような気になって、優しくされたり、間違って感謝なんかされでもしてしまったら)、私はきっと何かモノを言いたくなって、それを書いたり話したりすることでどこかで分かったような気になってしまう気がして、そういう風に解決してはいけない問題だとずっと思って来た。

考えるより行動、ということを良く言う人が言うけれど、それはすべての人に当てはまる黄金律ではない、と思う。
経験として得たものは、絶対的な感覚となってその人の中にしみ込んでしまう可能性を持つ。
優柔不断とか躊躇というものから無縁の私だからこそ、ここは行動して体感してしまう前に、どんな気持ちも複数形でそのまま受け入れるだけの広さを、まず自分の中に用意しておこうと思ったのだ。

そのなかでツイッターで挙げられた様々な議論に参加したり、雑誌の特集記事を読んだり、テレビの特集やYouTubeの映像を見たりする中で、心にしっくりきた書き物をここで2つ、記録しておく。
ひとつは東浩紀さん編集「思想地図β vol.2」、もうひとつは小熊英二さんの記事、である。

東浩紀,津田大介,和合亮一,藤村龍至,佐々木俊尚,竹熊健太郎,八代嘉美,猪瀬直樹,村上隆,鈴木謙介,福嶋亮大,浅子佳英,石垣のりこ,瀬名秀明,中川恵一,新津保建秀
合同会社コンテクチュアズ
発売日:2011-09-01


本体価格の3分の1(635円)は義援金として被災地に送られるという。
3.11とそれに纏わる自分(私)の責任について、考えるための視点をたくさん提供された気がした。

まずは東浩紀先生の序文、「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」。
逃げる人、残る人のこと、その間の壁のことを以前の日記で書いた。
心配の範囲(東北関東大震災によせて) 

もう先が長くないから、放射性物質にさらされるとわかっていても、逃げたりしない、住み慣れた住処に死ぬまでいたいというひとの、あきらめ感や受け入れる気持ちを私たちはどれくらい分っているのだろうか。それと「先のある」こどものことを心配して逃げる人達の間に、ばらばらになるような精神的距離は生まれないのだろうか。逃げる人は強い人。お金と自由と、新しいところで生活することのできる、強さのある人。

残されるのはいつも弱者だ。もうそんなに「先がない」(ひどい言葉だ)から、生まれた街や村を離れたくないという高齢者の人たちや、守るべき無力な人たち(扶養家族)がいて、新天地で仕事を見つけるのは難しいために今いる場所を離れられない人たち。その人たちに、「原発は危ないから逃げるべきだ、自分の身体や生まれてくるこどものことを考えろ」というのは酷だ。放射性物質なんてなければいいに決まってる。でも、あるからといってどうすることもできないし、ここから動けないというのが多くの今そこに留まる人々の心情なのではないか。

最後に、「考えること」が力を取り戻すことを願うと書いてあった。そして新しい連帯が生まれることも。

和合亮一さんの「詩の礫」は、ことばは本当に音になっておなかのなかに響くような詩だった。
読みながら、彼の言う「精神にかいている冷たい汗」が、自分にも流れてくるように思った。
あの震災をあの場所で体験した人の心の慟哭がひびいてくると、その慟哭を共体験しないものが吐く言葉は、まるでうつろに聞こえる。
共体験はできない。でも寄り添おう、とすることはできる。
でもこの詩を読むと、寄り添うということがいかに難しくて、簡単に寄り添えると思ってはいけないことだという気がする。

最後の言葉は「明けない夜はない」、だった。
でもそれを、私は単純な希望の言葉とはとれなっかった。
それでも否応なしに明けていく空を、あの時あの場所にいなかった「私たち」とはまったく違う温度で、
時には怒りながら、悔しがりながら、時には前を向いて希望を探し足り、時には呆然としながら明けていく夜を見る人たちの孤高な心を見た。


津田さんの「ソーシャルメディアは東北を再生可能か」。
震災のときのソーシャルメディアは、救援要請など新しい可能性をリアルタイムで感じさせるもので、私自身Twitterのヘビーユーザーとしてみていて、ドキドキしたものだ。この寄稿文の中で津田さんは、Twitterなどのソーシャルメディアの役割と可能性に対して、基本的にはとてもポジティブな視線を送る一方で、その情報を持てる人たちと、高齢者などインターネットへのアクセスも難しい人たちとの、いわゆる「情報格差」が生まれ、そこでは情報弱者と強者の間に、死を分けるような情報の隔たりが生まれることもある、という問題を指摘している。その格差を解決するためには、ソーシャルメディアの情報流通だけでは届かない、「ラストワンマイル」を埋めていくために、「非常時に『情報の声がけ』を行う意識を共有できるか」(p.57)を課題として挙げていた。

『リアルタイムメディアが動かす社会』の中で、ジャーナリストの岩上安身さんも話してたのは、
「あらゆる年代の人がお互いの足りないところを補い合い、教育しあう関係が大事だ」ということで、これも津田さんのいう、声掛けと似ていると思う。声掛けという行為が発展して、自分の得意分野をシェアし、コミュニティの中で生かし、お互いに補完し合うような関係をつくるのが大事なのだ。

八木 啓代,常岡 浩介,上杉 隆,岩上 安身,すがや みつる,渋井 哲也,郷原 信郎,津田 大介
東京書籍
発売日:2011-09-01


デジタルとアナログがお互いに補完関係にあるとき、それは二乗効果をもたらす。
それはお年寄りや情報に弱い人達にも使いやすい、簡単なスマートフォンの開発など技術的な進歩だけでは、到達できないゴールだ。
機械は、電池が切れれば終わりなのだ。充電できなければ、どんなに賢い機械もただの固まりでしかない。

情報の声掛けについては、その情報が本当に死を分けるような貴重な情報であったとき・・・どこかに行けばみんなが助かるというような情報であればまだしも、その資源や場所が限りあるときに、人々は本当にその情報を共有し合うことができるのだろうか。それは非常に難しい問題だと思った。

津田さんが書いている中で、Ustreamやニコニコ生放送の良い点として、ソーシャル・ストリームを通して「話されている内容に懐疑的な「ツッコミ」がリアルタイムで入る」、という点をあげていた。そして、このようなソーシャルメディアは、情報の多様性や一般市民の情報へのアクセス機会を増大させているので、ネット中継の批判はできないといい、その意見には賛同している。

そのソーシャル・ストリームに関して、何かを批判している人達に対する絶賛やイエスマンの増大のことを怖いと思ってしまう。ディスる人は、基本的に好かれる。過激派につく信奉者は怖い。空気に弱い「日本人」たちが醸し出してしまう、ディスへの同感が一番恐ろしいと感じる。



思想地図を読んだのは、これが出てすぐの9月初旬だったのだけど、この前に読んだ小熊英二さんのこの記事で、私は自分がもっているしこりに二つのカテゴリー名をつけた。

小熊英二「あすを探る 思想・歴史」“東北と東京の分断くっきり”(朝日新聞2011年4月28日)
新聞の切り抜き画像
文字で打ち直したもの

罪悪感は、私がいかに今まで、東北が継続的に持っていた問題を見逃してきたか。
それは、いかに国内オリエンタリズムみたいな、周辺を見るような視点を持っていたかっていうことにも言い換えられると思う。
テレビで東北の人たちが出てくると、「標準語」に変換された字幕がでてくる。
私は今まで50数カ国の海外に行っているのに、東北には一度も行ったことがなかった。
国内旅行が高いこと、日本よりも外に興味があったことなど色んな理由は挙げられるけど、それでも沖縄や北海道や、京都や広島や、そういう場所には私は何度も旅行や観光で行っているのだ。
でも東北には、数日の学会や国際会議で仙台をとんぼ返りした以外、本当に一度も行ったことがなかった。
自分が見るべきだった東北は、私が無知のために知らなかった間に、その大事な一部が流されてしまったのだ。
私はもう元の場所を知ることがない。


劣等感は、私が手に入れることのできなかった、生まれ育った土地への愛着。
コミュニティへの帰属意識。相互扶助の人付き合い。
お年寄りから教わること、子どもをみんなで育てること、野菜や動物や魚など、いきものと共にする生活。
それは私には、一つもないことだ。私にあるのは家から30メートル歩けば会話せずにモノを買えるコンビニや、まずは電話やインターネットを通じて連絡しないと会えない友達や、電車に2時間ものらなければ会えない祖父母や親戚たちだ。

私が知らなかった世界、私がずっと持てずにいたものを、あの地震と津波がもっていってしまった。
それを取り戻そうとしているのか、それとも新しい何かを作ろうとしているのか。
もし今までのものを取り戻そうとしているのならば、そのかけらも知らない自分には何ができるのか。

私の所属するとある学会(教育分野)で、震災後のプロジェクトが始まり、私もその初期メンバーとして参加することになりました。
まずはやっと第一歩。遅すぎて、ごめんなさい。でもこの東京で、とっくの昔に取り戻したかのような日常の中で、東北のことが風化していかないように、持続的にできることを考えています。

R0016031
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