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31
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香港と花火と誕生日。

8月27日、31歳になりました。モンゴルで始まった私の30代。
私の一年はいつも、誕生日を基準にして始まります。
去年30になったときから、その数字の重さと、自分がその数字の重さに追いついていないような感覚をいつも持っていました。童顔のおかげで、30だというといつもどん引きされ、30扱いされることはほぼなかった。31になっても、そういう状況は殆ど変わらないんだろうなと思います。

今年の目標は、言い訳しないこと。いつも前向きになれるようにすること。ネガティブな妄想の暴走を止める術を手に入れること。人に優しくすること。守るべきものをちゃんと大切にすること。世界のことも自分のこともいろいろ諦めないこと。これからも半径2メートル以内の幸せを実現しながら、もっと大きな範囲の幸せを希求する人間でいたいと思います。これからも私の好きな人たちが、私の手の届くところにいてくれると嬉しいです(❛◡❛✿)

30 SAEとはどういう意味なのでしょう?

あの時モンゴルで北東アジア経済フォーラムヤングリーダープログラムのみんなから貰った手紙は、いまでも研究室の机の一番上に飾ってあります。



深夜のお散歩効果と映画。でも書いたけれど、私は6月から7月、ちょっと悲しい恋の終わりがあって、七夕の日に也寸志と渋谷で飲んだ後、急に呼びだれた友達のシェアハウスで、マジカルな10時間トークをして、それから毎週末、12時間くらい夜から朝まで話し続けるという耐久デートをしてた。だから7月の記憶は、ほとんどが明け方の空だ。いつも4時とか5時とかの明けていく東京や横浜や湘南の空を特別な気持ちで眺めていた。久しぶりに振り幅の大きい私をちゃんとつなぎ止めてくれるでっかい人にあって、7月から8月の私はとても幸せだった。

そしてそのあと香港にいって、1日から25日まで香港の香港中文大学で中国語研修。
滞在中は日本人という人たちの集団や、ことばを学ぶということ、香港の変化について考える事がいっぱいあったけど、それはそのうちまとめるとして、成田には久しぶりに出迎えの人がいて嬉しくて、帰って来た次の日はわせだのわでたくさんの人に会った。わせだのわ発起人の川島さんがアメリカいっちゃうので最後にハグもできたし(そしてその前に差しで恋愛相談も乗ってもらったので、その後に関するハッピーな報告もできたし)、東日本大震災への国際救援に対する感謝のコンサート伊藤さんに、ネットでのイメージと全然違う、実際のほうが明るくていいって言われた。確かに社交的になっているときの私は世間一般的にいう良い子だと思う。津田さんにはふぁぼりの中でさえちゃんのツイートに対するふぁぼりが一番多いっていわれたし、津田さんと僕秩のヨシナガさんにGoogleプラスでアイドル(?)になる方法も教わったし、BLOCKBUSTERのなかのひとと付き合ってる報告もしたし、山田くんや烈くんやリンクスのみなさんとも会えたし、帰ってから降り続いていた雨は放射性なんとかのことも思い起こさせてやっぱり嫌いだと思ったけれど、それでも楽しかった。

わせだのみんなと会うと、自分がもっと大人になって、どういう風になりたいかっていう明確なモチベーションを多方向から貰える気がする。津田さんまであと7つ、乙さんまであと4つ、川島さんまであと3つ。決して追いつけない年月だけど、言われてみれば、私がいつも先にいる先輩として見ているのは、いつも男の人だった。

そして帰って来てから久しぶりに日本の新聞を2つ買って、一気に読んだ。自分では決めることのできない次の総理に誰がいいのか、真剣に悩んでみたりもした。あっという間に次のリーダーが決まった。

いいリーダーとは決断力がある人のことじゃなくて、ベリーベストの決断ができる人のことだと思う。今、日本ではリーダーに対する期待感が相当下がっているから、それだけ少しでもリーダーシップ的なものを発揮するだけで簡単に世論が傾いてしまう可能性がありそうで怖い。まるで純一郎さんのときみたいに。例えば「原発再稼働します!(キリッ)」とか言われると、そのきっぱりさに思考停止しちゃう人がでそうで怖い。よく考えるんだ、私も、みんなも。

原発は「想定外のリスクは考えないことにしています」という思考停止。66年前のあの戦争は「負けることは考えないことにしています」という思考停止。上野千鶴子も書いているように、私たちは「薄々気付いていた」はずなのに、なぜ全力で動きださなかったのだろう?

『生き延びるための思想』上野千鶴子最終講義 @東京大学 文學界9月号




上野せんせの描く世界で、好きな人とずっと一緒にいたくて、相手をプチ拘束することで独り占めして安心したいから結婚する、というストーリーはどんな風に位置づけられるんだろう、と思っていたら、ゆんさんに「そういう趣味」っていう位置づけだろうって言われた。それで目が覚めた。そっか、趣味なんだ。自分が好きだからする、趣味的なこと。マゾなのも、拘束されたいのも、従属プレイを楽しむのも趣味。

快楽と権力は相容れないものではないし、排斥しあうものでもなくて、互いに求めあい重なり合い強化しあうって、フーコーさんもそう言った。それなのに、セックスに応じないことが正当な離婚理由になるなんて。家庭内ヘゲモニーに国家権力は無力どころか、加担してるのね。

最近結婚前にこどもができたとき、こどもができたことを素直に幸せだねって思ってあげられないその周りの人に対して、すごく腹が立ってる。こどもができるというリスク(お金とか時間とか心構えとか)を受け入れる準備があるなら、順番はほんとにどうでもいい。それに対して世間(主にその二人の両親や友達などを中心とした)が、こどもができたから結婚するのか、って苦々しい目でみたり、子どもを素直に喜べないのはつまらない固定観念だな、って思う。そのつまんない固定観念で生命の奇跡にケチつけるやつは淘汰されればいいと思ってる。


それに、相手に対する誠実さを、「きちんと避妊すること」ではかる方法にはすごく抵抗を感じる。
避妊しないことは相手を大事にしていないことで、避妊することが相手を大事にしていること、というのは非常にまっとうな方程式にみえて、私にはちっとも通用しない。ただセックスしたいだけ、こどもはほしくない、っていう意図をどこまで二人の間で同じ温度で共有できるかって人それぞれだと思うから。避妊をしないことを嬉しく感じている女子に対する周りの心配=もっと自分を大事にしようよ、避妊は大事だよ、っていう人は、なんで考えなしに避妊しないでセックスする男を責めないで、女の防衛ばっかり義務のように喚起するんだろう。




好きな人とすごす日常はいつも非日常並に楽しいけれど、
いつもの場所がいつもと違う目的で使われるだけでこんなに特別な気分になるなんて思わなかった。
街は、時々そういう非日常を取り入れる事で息を吹き返すんだと思う。


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愛とはけして途絶えることがないのです。一度誰かから受けた愛はあなたの胸にとどまり、やがて必要なだれかのもとに渡るでしょう。その循環のことを、私たちは共存と呼ぶのです。(2011年8月27日 嶋内佐絵)
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