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記憶の「韓国」
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私が2006年から2年近く韓国で働いていたモーニングエデュという留学専門塾は、
東京の飯田橋に東京校があって、すでに日本に来て日本語学校に通っている韓国人留学生を対象に、日本の大学進学のための受験指導を行っていた。韓国から帰って来てアジア太平洋研究科に修士で入った後も、私は非常勤で半年くらいだけ総合科目(社会科)を教えていた。その塾の多くは韓国から来て日本に滞在している留学生だったのだけど、中には新宿の東京韓国学校から通っている、韓国籍の生徒がいた。

彼らはいわゆる「在日」の子で、日本社会の中にいてずっと韓国系の学校で育ってきて、
日常会話の日本語には不自由しないものの、日本語で書いたり読んだりが不得意な学生が多くて、日本の歴史や政治社会といったものに対する知識は殆どなかった。そのため、韓国学校に行く傍ら、大学受験準備として高校1年の時からうちの塾に通ってきていたのだ。

東京校にいる学生のほとんどは、韓国で生まれ、日本に留学したいと思って日本に来て、この塾で日本の大学受験の勉強をしている留学生たちだった。その韓国から来たグループと、東京韓国学校の学生たちとは塾の中で殆ど交わらず、彼らだけのそれぞれのコミュニティを結成していた。

日本文化や社会への関心やいわゆる憧れ的なものをもっている前者の学生たちに比べ、「在日」の彼らの方がより「韓国」的というのはおかしいが、より深く接し、長く住んでいるはずの「日本」的なものに対する評価は、とても厳しかった。

授業の前後も、質問をするときも、とても丁寧な態度で話してくれてはいたけれど、それでもあまり目を合わせてくれなかったり、他の学生のように「先生、先生〜」とうるさいくらいまとわりついてくるようなこともなかった。でも、他の学生たちより年齢が若かったこと、そして、韓国から来た学生たちより、日本語の力が不足していたこともあって、私は特に気にかけて、よく自分から話しかけたりしていた。

韓国人の先生たちは、彼らに対しては「韓国人だろ」というアプローチで接していて、成績の悪さも、若者っぽいどこか気力のない感じにたいしても、高圧的な態度でしゃきっとしろ!とか真剣に勉強しろ!なんて言っていた。私は何か特別扱いするつもりはないけれど、彼らはなんとなく違うのだろうな、と思っていた。在日韓国人=韓国人ではないし、「韓国」のコンテクスト丸出しで付き合いを求められたり、「韓国人」らしい振る舞いを期待される事を、なんとなく彼らは居心地よくないんじゃないかと感じていたのだ。

いつだったか、受験も近づいて、帰りの道がたまたま一緒になった日。
その学生たちのうち3人と一緒にあるいていたら、一人の生徒が、
「僕はこうやって、今まで生きて来て、道やいろんなところで日本人の女の人をみても、一人も可愛いと思ったことはないけど、先生のことは可愛いと思う」と言った。
それを聞いてすごい嬉しかったのは、自分が可愛いって言われたことじゃなくて、今まで日本人を可愛いと思ったことがなかった、という状況から、一人でも可愛いという感情を持てるようになったということ。それはきっと、心の窓のどこかが開いたことなんだろうと思っていた。私より可愛い女の子は、実際にはこの世の中にいっぱいいて、でも、その可愛い女の子たちは彼らの心にリーチしなかったのだ。



最近「連帯」について考える事が時々ある。
自分の属性とかカテゴリーで、どれだけ連帯感をもてるかっていうこと。
でも私は、同じ女だからとか、同じ帰国子女だからとか、同じ在日だから、っていうクラスタじゃ連帯なんてできないな、と思う。実際そういう連帯ができる、そういう連帯が求められる時代はあったんだろう。どんな人間であっても、「日本人」とか「在日」とか「韓国人」とか、色んな属性を基準にして、連帯感をもって近づづいて来る人は一定数いる。その連帯感がお互いに持てているならいいけど、一方通行の連帯感になったときに、その片思いに気づいてほしい、と思う。拒絶はしたくないから。

別に嫌いなわけじゃない。でも同じ属性なんてものが実際存在するのかも怪しいし、たとえ同じクラスタに属していたとしても、それだけで連帯感なんてもてないし、それを求めるような同調圧力は、捨てたい。
それが、国や民族に関わる事だったら、特に。

| | 02:26 | comments(0) | - |
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