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ブルーバレンタイン+まどまぎ+英語を学ぶとバカになるの?




私は珍しく女性主人公にも男性主人公にも共感し、行動ひとつひとつに納得できる部分が多かったので、とても泣ける映画でした。終わったあと、呑みながら思い出し泣きしたくらい。現在と過去を往復しながら描くのも、映画としてよくできているし、カメラワークもかっこいいし、主人公二人の演技もリアルだった。やられるかどうかは主人公に共感できるかどうかで変わると思うけれど、恋人との関係の永遠について、一度でも泣いたことのある人なら、きっとそこかしこに共感できる部分があると思う。

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白いニーハイとか、やたらと内股(かつX脚)の主人公たちには最初感情移入できなかったが、ストーリーラインはとても面白かった。
このアニメが終わってツイッターで多くの感想が流れていたころ、とある論客は「アニメはこどもの観るものだ」と言って、大人がアニメを見て騒ぐ姿を嘆いて、というか完全にバカにし倒していたが、残念ながら、日本のアニメはもう子ども向けという範疇はとうに越えていると思う。それを理解できない方が残念だ。私はアニメには全然詳しくないし、それほどカバーが広い訳ではないけど、こうして革新的なことを続ける世界のことはちゃんと見ていたいし、これはこういうものだ、バカみたい!みたいなステレオタイプでものをみたくないと思う。

以下、心を打った台詞。

ー彼の夢を叶えたいの?それとも彼の夢をかなえた恩人になりたいの?
ーどんな献身にも見返りなんてない。
ー仕事が好きなんじゃなくて、頑張るのがすきなのさ。そんな風にしてかなえる夢もあるんだよ。
生き方そのものを夢にする。
ーむしろみんながみんな、正しいって信じ込んでいくほどに、幸せって遠ざかっていくもんだよ。
ーだれかを救った分だけだれかをたたりながら生きていく。
ー君たち人類の価値基準こそ僕らは理解にくるしむなあ。

・・・これを見ただけでも、みんなぐっと考える事があるでしょ。





英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)

東大駒場の本屋さんで英語系の本を見ていたら、寺沢さんが試すような目で「この本面白いですよ」と言ったので、これはきっと色々突っ込みどころのある本なんだろうと思って読み始めた。

英語に関する言説は、どれもこれも偏っていて面白い。
英語について語る事は、あたかも自分のアイデンティティや生き方に抵触するようで、みんな自分の考え方や向き合い方を正当化しようと必死だ。

もう一つ、特に日本語で書かれた多言語政策や英語関連の文献を読んでいて時々感じるのが、英語の支配に異議を唱える人の多くが、なぜかフランス語を中心としたもう一つの大言語を専攻していたり、ヨーロッパの専門家である事が多いという事である。

この本の筆者も、相当なフランス文化・フランス語(を代表とする「伝統ある」ヨーロッパ)贔屓の方らしく、
この本のタイトルである「英語を学べばバカになる」、というのは、「英語を学んでアメリカ風の考え方に染まっていくやつはバカだ」ということを言いたいのではないかと思えてくる。

英語はアメリカ帝国の繁栄によって支えられているもので、そのアメリカはここ数十年の間には没落することは必死だから、今英語に盲従しても意味がない、ということだけでなく、アメリカの民主主義のあり方は平等と同質の混同であるとし、そういう「規格同調主義」はヨーロッパ的視点からみると耐え難い、とか、奇妙である、と断言している。


英語を批判的に論じる中で、アメリカ型の民主主義をこてんぱんにやりこめ、一方でヨーロッパ型の民主主義のあり方を賛美していることが、英語の学びとどのような関係性があるのか?

筆者の前提では、英語を学ぶことは「アメリカ社会に魅力を感じ」ているからで、英語公用語論は「アメリカという特殊世界のコミュニティー主義が国境をまたいで全域化すること」(p.136)としているが、果たしてこれは本当だろうか?アメリカ式のコミュニティー主義が世界標準であると考える事を批判したとしても、そのようなアメリカ的なものへの信仰をもとに英語を学んでいる人間が殆どだとは考えるのはあまりに安易だと思うのである。

同時に、英語を「国際共通語や世界語」といった「特別な存在」だと考えてしまうことは、「英語が世界標準だ」と考えることに結びつき、「非常に危険である」、としているが(p.137)、彼はその世界基準がアメリカであるということをそもそもの根底で前提にしていて、そのアンチテーゼとしてヨーロッパ(特にフランス)でのあり方を述べるのだ。

「国際共通語」や「世界語」、「世界標準」という概念の裏に常にアメリカを嗅ぎ取ってしまうのは、残念な言語の捉え方だ。「World Englishes」ではないが、世界にはアメリカやイギリスといった英語を第一言語や公用語として使っている国もあれば、そのような特定の国に属さない、国境を越えた国際語としての英語を創出しようとする動きもでてきており、実際にアメリカやイギリスという英語ネイティブ国家から離れたところで運用されている英語も世界中に出て来ている。インドやシンガポールといったアジアで英語を公用語のひとつにしている国のみならず、例えば高等教育機関における英語による国際化プログラムや、多国籍企業の社内など、国内の限られた場所に存在するが、多種多様な人々の集まる場所も数多く出現している。

もちろんそのような場においても、アメリカ的志向やアメリカ社会への従属性を批判的に検証する姿勢は必要だが、英語=アメリカ社会の創出した世界水準と決定し前提に置いてしまう事は、あまりに時代遅れだと思うのである。

近年になり、人々の国境を越えた移動が増加し、一つの国家に属さない様々なアイデンティティや言語状況を持った人々が多く生まれてくる中で、言語と国家の関係をどのように捉えるか、という問題は非常に大事な論点になっている。その中で、「英語を学ぶことは、真面目に取り組めば取り組むほど、アメリカの文化や社会の影響を受けることなのである」(p.141)ということは、あまりに暴論にすぎないかと思うし、かつ時代遅れである。

個人的に、言語を学ぶ事で、新しい社会や文化へ世界が開ける、という事に関してはなんの異存もない。
それが行き過ぎた「英語万能論」になって、英語を知る事がまるで世界を知る事のように語る言説にはうんざりするが、そういった英語万能論を語る人は、正直西洋コンプレックスを抱えた一定の年配層や、教育機会に恵まれない日本では特別なグループに属しているのみではないかと考えている。

英語に一国集中すると「アメリカ発の情報ばかりを仕入れ」、「日本を救いがたくアメリカナイズし」(p.176)、そのアンチテーゼとして毎章必ずヨーロッパ社会や文化の対比を述べる姿勢には、これもまた西洋コンプレックスの一つの形のようで、英語万能論者と結局は同じようなスタンスに見えてしまうのは私だけだろうか。



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