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シンポ・ウィークエンド
消えた私の週末は、どこに行ったのですか。

どんべえのネコ

金曜日から日曜日まで、シンポジウムと学会のお手伝いで毎日5時台に起き、学校に夜遅くまでいた。
金曜日は私の所属するGIARIのシンポジウム。
早稲田大学グローバルCOE「アジア地域統合のための世界的人材育成拠点」
第4回 国際シンポジウム『アジア地域統合と安全保障協力』12月3日(金)9:30-16:30 早稲田大学井深大記念ホール 日英同時通訳 

私たちGIARIのフェローたちは前日から全員お手伝い、事務所の人たち、先生たち、助教の先生たちも総出でやったシンポジウムだった。
結果は大盛況。トラブルもなく、準備・撤収も非常に速やかに終わった。
これはひとえに、グローバルCOE事務所の人たちのロジが優秀であること、それから自分で言うのもなんだけど、私たちフェローがそれぞれの役割をきちんと果たしたことによると思う。

土日は、国際開発学会の21回全国大会、および20周年記念シンポジウム。
日曜日のシンポジウムには、私の大好き(なんてったってアイドル)なスピヴァクがくるということで、ウェブ配信を担当してた。
12/5 午前9:30-11:45 国際開発学会20周年記念大会公開シンポジウム
「開発を再考する―ポスト・グローバリゼーション時代の展望」
パネリスト:ガヤトリ・スピヴァク、クライブ・ハミルトン、西川潤 

国際開発学会はとても大きな学会で、研究者、実務者、政府関係者など会員の幅も広い。そのため、それぞれ一家言を持っている人が非常に多く、ロジにも非常に苦労している様子が伝わって来た。
ちなみに私は学会員ではなく、土日は本当に「お手伝い」に徹したのだけれど、色んなところから文字通りかき集められた人材でのお手伝いは割り振りがうまくいっておらず、よくわからないまま最後までなんとなく言われたことをやっていた、という人が多かった。小さなことだけれど、イヤホンの回収一つとっても、まさに「使えない」という形容がぴったりの仕事をする人もいて、いらっとすることが多かった。

考えてみると不思議な話で、国際開発学会の事務局やお手伝い要因はほとんどが日本人で、共通言語も日本語だった。GIARIの方は日本人はかなりのマイノリティーで、共通言語は英語。事務所の人は日本語で指示を出していて、それを何となく理解したフェローも入れば、分からない人もいたけれど、それでもうまく動いていたのが不思議。分からないけれど、お金のためにやっているわけじゃない、自分たちのイベントだ、っていう一体感があったからじゃないかと思う。(実際金曜日は当然バイト代的なものは発生していない。)

使えない、っていうのは、2種類あると思う。
一つは、何か指示を出したときに、その指示の言葉通りのことしかできないこと。同時に何かをやれば、かなり効率があがるのに、その工夫がない。そしてまた次のことを指示しなきゃいけなくなる。すると自分でやった方が早いから、貴方いらないよ、という話になる。
二つ目は、根本的な目的を無視して、原則やルールに縛られていること。
(例えばの、例。名札入れを回収しました。ひとつひとつ絡まらないように、それぞれのケースにひもを軽く巻いて集めていました。ある人がやってきて、そのやり方じゃない、とそれを全部バラして一つにまとめた。その理由は「ひとつひとつが絡まらないように」。しかし正直一つにまとめた方が、ひもは絡まる。(当然)しかし、もとからそういう風にやって来たからそういう風にしまわなければならない、という頭があるのか、二度手間になるのにもう一度全部整理し直す。「ひとつひとつ絡まらないようにする」という集める上での根本的な目的を達成しているのに、それに基づいて以前作られたルールを改善できず、また時間をかけてやり直す。)

学会運営も、そこにいるスタッフの意識とクオリティーによって、全く違うものになるんだなと思った。
労働時間や労働量は金曜日の方が断然多かったのに、当然土日の方が疲れた。



シンポ・ウィークエンドの前に、上原隆さんの文庫本を2冊買った。

雨にぬれても (幻冬舎アウトロー文庫)雨にぬれても (幻冬舎アウトロー文庫)

友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)友がみな我よりえらく見える日は (幻冬舎アウトロー文庫)

上原隆さん作品を読むのはこれが三作目。人々が直面する不幸を、戦後民主主義が悪いとか、経済不況や精神的支柱の不在を持ち出して分析するのが政治学や経済学や社会学といった学問だとしたら、上原さんの本は文化人類学的なアプローチに近いのかと思った。

市中の人に対面したときに、彼は自分の持つ価値観や考え方のディシプリンを彼らに当てはめて分析したり、判断することをしない。彼らの外見から言動まで、どこまでもディスクリプティブだ。

そして私が彼から学ぶのは、物語の終わらせ方。結論がない。でもその文章は終わる。ただその人の物語は、ずっと続いていることをちゃんと示唆してくれる終わり方。

以前読んで、上原さんを好きになった本はこちら。
喜びは悲しみのあとに (幻冬舎アウトロー文庫)喜びは悲しみのあとに (幻冬舎アウトロー文庫)

筆者の上原さんにインタビューしたこともある、BBのきよたくんに貰った本。
インタビューはここ。WEB MAGAZINE この惑星

一冊を読みおわってあとがきを読むまで、取材をする上原さんの自我を全く感じなかった。最後までずっと透明だった。

人は、みんな自分の視点からしか、世界をみることができない。
文庫版のためのあとがきに、恋人や友達に「おまえは人の気持ちが全然わかってない」と批判されたことについて書かれている。
どんなに細部まで観察して、一緒にいて、どれほど心を寄せているつもりでも、相手が「私のことなんてちっとも分かってない」と感じるのは、それがやっぱり自分中心の視座からしか人を観れていないからだと思う。

上原さんが書くときに思い出すのは、取材をした人々の、小さな仕草や表情なのだという。話すのが苦しいような話をするときに、手元のグラスの刺さったストローを回す手のこと。解説を書いてくれた鶴見俊輔さんを師とあおぐ人が、鶴見さんの前であおげば尊しを歌ったときの顔の皺。

私の鶴見さん贔屓を含めても、鶴見さんの解説がすてきなのは、上原さんをこう評価しているところ。
「売り物になる文章を書くところまで達した人は、そこでなんとなく、あとは、侫人になる。へつらう人という意味だ。だが、この人は、そういう人にならずに書き続けた。」


そう、人は、みんな自分の視点からしか、世界をみることができない。
鶴見さんは、「そのことは、しかし、共同の世界があることを否定しない」という。上原さんの提示するエピソードが、ひとを語る。それは確かに彼の目が観た、彼の書いた世界なのだけど、たくさんの小さな仕草や、表情や、周りの匂いや、色やそういうものがたくさんの人々の言葉と一緒に優しく包まれて、提示される。



電車の中で本を読むのは好きだ。
立って、片手ではつり革を捕まっているから、できれば片手で持てて手が痛くならない文庫本がいい。
ツイッターで、おすすめの文庫本を募集したら、友達やフォロアーの人たちがたくさんの本を教えてくれた。私が一人だったら、きっと手に取らなかった、知らなかったであろう本。今現在好きな本や作家でも、友達に教えてもらったものはたくさんある。私は一度嵌ったら、同じ作家の本をずーっと読み続ける。その嵌る作家リストが増えていくのはとても嬉しい。電車通学は毎日2時間。そのうち、混んでいて空気悪いと本を読むと気持ち悪くなるのでたいていツイッターを見てる。普通の小説だったら、2日の通学時間で一冊読める。おすすめしてもらった本を、ちょこちょこ読んで、またレビューを書こうと思います。きよたくん、波くん、のぶたくん、類さん、そしてフォロアーのみなさんありがとう。



2月はバンコクに2週間、3月はソウルに3週間行くことになりそう。
5月の比較教育学会発表@モントリオール・カナダのときには、そのフィールド結果を反映した発表にしたい。

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| | 15:29 | comments(2) | trackbacks(0) |
コメント
バンコク、ソウル、モントリオール…さえさんの方がよっぽど忙しいね(笑

「つかえない」←場数の問題もあるんじゃないの?あとはたしかに、"凝集度"の高いチームの方が全員が自発的・意欲的に動くようになるよね。
| るい | 2010/12/07 11:29 PM |
寒いので早く南国に行きたくて仕方がないです。モントリオールは5月でも寒いんだとか。ソウルは今回はちょっと新しい気持ちで学び直す感じで行きたいなと思ってます。

るいさんのアフリカ行き、お仕事じゃなきゃ、なかなか行けないところだし、とても楽しそう。帰って来たら、是非お土産話聞かせてください。
| saereal | 2010/12/26 3:04 PM |
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