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英語力について 2
*こちらは昨日(17日)書いた「英語力について」のフォローアップポストです。

自慢というのは、「自分が誇りに思っていることをひけらかすこと」であり、例えばそれが「俺はハエの種類の名前、全部言えるんだぜ!」みたいな、多くの人は大して羨ましがらないことでも自慢になりうるわけだ。「自慢」が相手の勘にさわるのは、その自慢が一般的に人が求めているもので、なかなか手に入らないものであるとき。

それが自分で得たものじゃないものの「自慢」であることが多いのは子ども時代。(例えば「うち、超金持ち!」とか「僕のおかあさんめちゃくちゃ美人なんだ」とか)私くらいの年になると「自慢」は、いい大学に入でてるとか、給料どれくらい貰ってるとかそういうことになるんだろう。

昨日の日記に関して、私の書いているものが自慢に思える、と思った人はどれくらいいるだろう。
書いたときに、そう思われるかもなあというのは一応危惧していて、嫌みな感じにならないように「努力は」していた。(だから免罪してほしいとは思っていないし、このようなコメントがくるかなあとは予想をしていた。)

なので、自慢と思われたことは甘受するのだが、ここで主張しておきたい点は、少なくとも私自身は自分が書いた内容に関して、誇りに思っている訳じゃない、ということ。どっちかというと、私くらいの環境にいたら、私くらいの英語運用能力があるのは当たり前だし、むしろ実際この程度でいいのかと危機感を覚えている。実際私は英語のおかげで、議論のときも論文を書くときも、日本語を使えるときとはケタ違いの鬱屈した思いを抱えている。第一言語(私の場合は日本語)が明らかに私の脳の中枢を占めていて、それこそ20すぎてから外国語を勉強するものにとっては、どう頑張っても英語で話すときに得る心地よさは、日本語のそれを超えることはないと思う。

うちの大学院みたいに、在校生の70%くらいが留学生で、修士課程のときから海外で発表するチャンスや、色んな会議に参加してほぼ強制的に英語社会にいれば、私くらいの英語力がつくのは当然でありしいて言えば義務であり、私はその機会を得るのがうまかった、もしくは機会という恩恵を得ているにすぎない。

昨日のAERA Englishのレビュー+英語力に関するポストをしたら、ツイッターでフォローをしてくれてる人が夜中に、「嘆いているように見えて、実は自慢」なんじゃないかというコメントをくれたのだった。その人はよく私のツイートにコメントをくれたり、RTをしてくれる人だったので、「これは中傷じゃなく、愛のある批判的コメントだ」と勝手に受け止め、ここでフォローアップポストをすることにしました。



同じく、facebookとbooklogが連携しているので、ブクログにアップしたレビューを友人が見て、facebook上でもコメントをいろいろくれた。その中で韓国の二人が指摘した、私のレビューに対する“disagreement”は、韓国社会(主に企業の経済的発展など)の成功が全体の英語力の向上によっている、という点と、英語を話せる個人がどれだけその英語力に恩恵を受けているか、という点。つまり、私のレビューを、韓国の英語熱に対する一方的な批判と読み取り、英語が社会や個人にもたらしたプラス要因がある、という点が不同意の内容だった。

私は、もちろん英語がもたらした韓国企業の成功や、英語力のある個人が受ける恩恵も理解しているし、英語教育が過熱せざるを得なかった韓国の社会的背景や地政学的状況などを指摘した彼女たちの意見には、完全に賛同する。(そしてそれを韓国人の友達から聞くのは、とても興味深かった。)

ただ、英語の覇権やそれがもたらす英語圏・英語社会への従属性や、英語がもたらす一社会の中での格差を憂慮している。英語ができるものが増えると、みんな自分の既得権益を守るために、英語が重視される社会を正当化しようとするし、英語が導いた成功を盲目に信じ込ませようとするからだ。

私みたいに職業学生的な身分だったら、TOEICの点数を上げたり、英語でのディスカッション力を伸ばしたり、がんばれるかもしれないけど、そうじゃない人にとっては時間的にも機会的にも、そして経済的にも簡単なことではないと思う。限りある時間と能力とお金を使ってすることが、多くの人にとって英語学習であることが、私はそれほど理想的な社会とは思えない。



英語は。
世界を広げる、とか社会的上昇につながるとか、個人に資する部分がある。
同時に、そういう人びとを集めることによって、海外にいっても現地の企業人と英語で交渉できる人材の多い企業や、グローバル社会における競争力を持った国民が集まる国を作ることができるし、そういう集合体に資する部分もある。

そこで発生する、みんなよりもうまくならなければ、という競争は、ただたんに知能の競争ではない。もともとどれくらい教育資本を持っているか、家庭が英語学習やその機会を支えるだけの経済的余裕があるかなどに大いに影響されている。

この間のAERA English特集を、ほおっておけなかったのは、そういうことです。


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