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KYOTO
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京都でわたしがしたこと。シンポジウム参加(『大学のグローバル化と複言語主義』)、京都大学探索、一日京都紅葉観光、久しぶりの一人格安旅(3泊4日、交通費+宿泊費はしめて11500円)を満喫、のほかに、実は少しおセンチなこともしていた。

京都は、町中に埋め込まれているように、お寺や神社が出てくる。世界遺産に登録されているような大きなお寺や神社もかっこ良かったけれど、町中に存在するたくさんの小さなお寺と神社に私はもっと心惹かれて、そこに置いてある千羽鶴や生けられたお花、手書きで書かれた「ろうそく10円、お線香10円」などの案内をいいなあという思いで見つめていた。

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自分が住む横浜を好きになれないのは、幼稚園からずっとバスや電車に乗った私立に行っていて、地元に友達がまったくいない(ので外で遊んだ経験が殆どない。友達の家に行くときは、親同士が電話しあって菓子折を持ち、母親同伴でお邪魔するということが当たり前だった@小学生時代)というのもあるけれど、都市の性質の違いが最も大きくて、そういう意味で、横浜、特に私の住む住宅街である港南地区には「根付きたい」と思えるような文化があまりないという気がする。上大岡は、横浜市の副都心開発で駅前の商店街をつぶし、趣味の悪いビルをたくさん立てた。(その名も、上大岡(かみおおおか)にちなんでcamioとmioka。駅に隣接するのは「ゆめおおおか」。)生まれてから高校までと、2007年に韓国から帰って来てからずっと住んでいるので、愛着がないと言ったら嘘になるけど、例えば海外にいったときには、嶋内家の持ち家がある上大岡よりも、祖父母の住む横須賀や三浦により深い郷愁を覚える。


京都大学は非常に開けた大学だった。狭い敷地に背の高いビルがならんで人がうごめく早稲田、とは全く雰囲気の異なった大学。自転車で通って来ている人も多いらしい。京都大学の周りには古い家や、昔ながらの商店などもたくさんあって、散歩していてとても気持ちがよかった。たくさんの「闘争系」の看板たちも。

菅ブルジョア救済内閣打倒(さすが京大!)

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三条通りを歩いていたときは、京都洛風中学校による『今月の四字熟語』。このセレクションを、夢中で読んだ。

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最初のお寺では、死んじゃったあの人のために祈ってちょっとだけセンチになり、祇園四条を歩いていたら、以前、来たことのあるクラブを偶然発見してしまった。それはすごく前の元彼と一緒にきたことクラブで、当時はどこにあるかなんて全く意識していなかったけど、地下に降りていく階段の感じが私の記憶と完璧に一致した。それで、ああ、あそこは祇園だったんだ、と今になって知ることになる。

私は2000年から2001年にかけて京都の人と付き合っていて、何度か東京と京都を行ったり来たりしていた。ガーディアンの春合宿をそれで行かなかったこともある。その人とは2000年にカンボジアのプノンペンであって、帰って来て東京に遊びに来たときに再会して付き合い始めた。もう随分前にコンタクトをなくしているし、もう今では何をしているか、どこにいるのかも知らない。でもたぶん、今までの中で、一番始めに本気で好きになったのは、すべての面で自分が知らないことを知っていた、からだと思う。それまでの私の人生の、アンチテーゼだった。

5人兄弟の2番目で、お父さんは大工さんだった。訪れた京都の家は、専業主婦の百合ちゃんが隅々まで手をかけているうちのマンションの1室とは大違いで、彼の部屋は離れ、というかメインの一戸建てから離れた、どう見ても手作りの物置小屋にしか見えない作りの4畳くらいの場所にあった。物が漫然と積んであって、床も天井も置物も、すべて連動している感じがした。明らかに女を連れ込んでいるのに(そして私は連れ込まれた女なのに)、私がどきどきして挨拶してもお父さんは目もくれなかった。

工業高校を卒業して、地元の会社で働いていて、毎日どこかのデパートのディスプレイを作っていた。私が一番好きだったのは、たぶん、卑屈なところがないことだったと思う。空ポジティブとはちょっと違う、ちゃんと自分の置かれている社会的環境を理解した上で、自分の判断基準をしっかり持っていて、自分にも自分の周りにもちゃんと誇りを持ってる。私はそのときも、いつも何かに不満があって、そういう意味で自分を中心とした自分の環境に自信がなかったので、彼が地道に積み上げて来たそういう自信のことが、とてもまぶしく見えたんだった。

彼とカンボジアであったとき、彼のコミュニケーション能力をすごいなあと思った。タイからカンボジア、ラオスを旅行していたので、大学生なんてごろごろいたけれど、彼ほど英語をはなせる人はいなかった。明らかに学校でちゃんと習ったものではない、文法とかはめちゃくちゃな英語。音楽や映画や、人との会話から取り込んでいって、自分の中で構築した英語。それでどんどん現地の人と仲良くなって、一緒に鍋会をしたり、クラブにいったり、バイクに乗って遊びにいったりしていて、彼のする旅のスタイルみたいなものにはすごく影響を受けたと思う。仲良くなったのは、同じニコンの一眼(FE)を持っていたからで、それぞれ近くの安宿に泊まっていて、ごはん時なんかに会うとよくカメラの話をしていた。私はシアヌークビルからタイにフェリーで戻ったのだけど、その後、バンコクに戻って来てから会った人に、彼がシアヌークで「金髪のショートカットの女の子(私)」を探していたとの話を後で聞いた。

京都では、彼の運転するミニクーパーで色んなところに行った。寺町商店街や河原町で偶然あう彼の友達は、どうみてもやくざかヤンキーにしか見えない風貌の人が多くて、その中でも彼は異色の個性を放っていた。古着が好きで、そのあと高円寺の近くに住み始めたのも彼の感性にだいぶ影響を受けたからだろうし、写真をちゃんとやろうと思ったのも彼がきっかけだ。東京・京都という文化の違う街で育ったこと以上に、違う階層にいる人と初めて近くなって、自分が今まで積み上げて来たと思って来たものなんて、なんて甘っちょろくてなんて地に足がついていないんだ!と思った。学歴ばっかりつけても、私が彼より知っていることやできることなんて殆どなかったし、議論をしても彼の方がよっぽど理論整然としていて、でもどこかの地点であきらめて妥協する、とか、相手を許す、ってことをしっていた。

そして私は、傲慢にも、この人は賢い人なのに、なんで遊んでばっかりいる友達と付き合って、時間を無駄にしているんだろうと歯がゆく思っていたけど、それは完璧な私の思い上がりだった。友達に紹介されたとき、私はやっぱり自分が大学生っていうアイデンティティみたいなのをもっていて、「東京で大学行ってる」って紹介されるとちょっと相手が距離を置いて、その距離に自分も便乗して壁を作るようなまねをしていたと思う。青かった。結局自分は、自分の存在する社会環境の中でしか人とフェアにコミュニケーションがとれないように、自らをかこっていたのだ。

で、こういう人に出会っているから、っていうのもたぶんあって、昨日読み終わった『下流志向』で、内田樹先生のいっているような「若者が自ら階層を下げている」という言説は面白いと思う部分もあったけれど、内田先生は多分、彼らなりの生き方を理解しても同感はしないだろう、と思った。私はもっと、同感と、そうならざるを得ない彼らの状況を作り出している社会に対して、奮然とする思いに近いものがある。おそらく同じ世代だから、っていうのもあるだろうし、階層を下げるのはやはり自らがしていることではなくて、今まで支配的だったイデオロギーのアンチテーゼなんだよ、と思う。そしてそのアンチテーゼっぷりに私は同感するのだ。

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

私が今覚えているのは、寺町商店会、新京極商店街、三条通り、この3つが彼の家から近くて、このへんのカフェに自転車でよく行っていたこと。
今回、途中でふいに住所を思い出した。当時手紙をやり取りしていて(Eメールがあったけど、プリントした写真を送ったり、書きためた手紙を送ったりしていた)、彼の家の住所を何十回と書いて、そして京都は住所のあり方がとても規則的で分かりやすいんだよ、といって説明してくれたことを覚えていた。たまたま歩いていた通りで「六角」という文字を見たときに、そうだ、六角下るか六角上る、か忘れたけど、とにかく六角通から北か南にいくんだということを思い出して、三条、寺町、六角のあたりの道をぐるぐるぐるぐる回った。

結論から言うと、結局どこか思い出せず、家も見つからなかったけど、見覚えのある場所が意外と多いことに驚き、そして変わった所も多いことに気づいた。全国チェーンの靴屋さんや居酒屋さん、新しいファッションビルみたいなのがたったりしていた。あれだけ回ってなかったんだから、もしかしたら家自体がもうないのかもしれない。お寺とお寺の間に、埋もれるようにあったから。

2003年くらいまでは、この曲を聴くだけで泣けたけど、最近ではもう泣かない。でもすごくいい思い出として、めちゃくちゃ補正されて、残っているだけ。

そして京都大好きだ。

KYOTO Judy and Mary



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| | 13:43 | comments(3) | trackbacks(0) |
コメント

いつぞやの韓国語ではありがとうございました。
あれ以来、つぶやきチェックしつつ、ブログも拝見。

うわー、ステキな旅行記?恋愛記?だわといたく感動です。
勝手に胸がキューっとなりました。
| エリ | 2010/11/12 9:18 PM |
エリさん

コメントありがとうございます。ツイッターから来てくれる人がついにコメントを!つながったみたいで嬉しいです。

基本的に生々しいことばかり書いていますが、末永く宜しくお願いします。
| saereal | 2010/11/13 1:01 AM |
良い日記です♪

相手に何か残し残せたかなと自分を振り返ってしまいました
| ぶーや | 2010/11/13 1:27 AM |
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