CALENDAR
S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
ARCHIVES
CATEGORIES
単著刊行のお知らせ
2月に初めての単著を出版しました。2012年に提出した博士論文をベースに、可能な限りのデータを更新し、全体の構成や内容に修正・加筆をしたものです。日本と韓国の大学で調査をした時期(2010年&2012年)から少し時間が経ってしまいましたが、日本学術振興会から研究成果公開促進費を頂き、やっと2015年度内に出版することができました。

研究対象にしたのは、高等教育の国際化政策・戦略のなかで英語を教授媒介言語とした学位プログラム(英語プログラム)。比較・国際教育学という学問の領域横断的な性格から、論じる際には社会言語学、国際関係学などの理論的枠組みを使い、前半では留学移動を地域共同体形成の文脈でどう位置づけるかを欧州地域と東アジア地域の比較で、高等教育国際化政策と言語(特に英語)との関連を日本と韓国を比較しながら論じました。後半では日韓の全英語プログラム調査から専攻や留学生比率などを指標にしてタイプ別の整理を行い(グローバル人材育成モデル、クロスロードモデル、出島モデル)、さらに日本と韓国のリーディング大学(旗艦大学)5校で行った質的調査を元に、英語による教育が留学移動や教育の現場にどのような効果をもたらすのかを分析しています。





以下、帯文です。


「英語プログラム」の意図せぬ展開ー自立性と共同体意識をもたらす
非英語圏の高等教育国際化によって増加する「英語プログラム」は、多様な国からの留学生移動に変容をもたらした・本書は歴史的に国家の言語での「同化型」留学を基本としていた日本と韓国の「英語プログラム」の全容調査とインタビューを通し、留学概念に転換を迫る。個人や大学や国家の思惑を越え、西洋英語圏高等教育の新しい従属性という課題と同時に、多文化理解や欧米から自立した共同体意識の醸成など、留学移動がもたらす従来とは異なる成果に注目、検証した労作。


Amazon
東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換―大学国際化と「英語プログラム」の日韓比較



楽天ブックス





そしてブログを更新していない間に、いつの間にか二児の母になりました。
13ヶ月差の年子を産み、この2年弱は「悪阻で気持ち悪い」「おなかが重い」「入院・出産」「産褥期」「0歳児育児中」の時期の複合版か、その繰り返しでした。

2014年の夏にはハワイ大学マノア校内にあるEast West Ceterで在外研究も行いました(とはいってもちょうど予定していた時期が悪阻時期のど真ん中だったこともあって、当初の予定よりだいぶ早く帰ってこざるを得なかったのですが)。





5月末まではPDとしての研究活動も中断。研究活動再開にむけて、感覚が鈍らないためのトレーニングを死体と思いつつ、新生児と一緒だと、細切れ睡眠なせいか一日が完結するという感覚が希薄になるのに加えて、すべての事が「ながら作業」になってしまっている気がしています。これはストレス。都会で核家族で、育児という世界にどっぷりつかるのは、世の中から隔離されてしまっているような感覚をもたらします。それとはまったく違う話しで、子どもと接していると、「生きる」ということが生きることの目的そのものであることが、とてつもなく正しく、かつ尊いなあとも思います。こういうことを、noteにちょこちょこと書きためています。

年子を産むということ

出来るようになった事よりも、しなくなったことを愛おしむ気持ち


子育て中の「詰み」方と育児世界に存在する不思議な人びとについて


私の保活・結果編(待機から繰り上げ内定するまでと保育の意味、謎の「支給認定書」などについて)

ポスドクの保活事情(研究者と保育園)

子育て世代の家事問題 (家事代行は二万円で可能なのか?)

帝王切開手術出産体験記

妊婦時代に買っておいて本当によかったものベスト8

本当に必要な出産準備品リスト
| | 22:14 | comments(0) | - |
『東日本大震災警察官救援記録 あなたへ。』を読んで




震災の話を聞くと、そこにたくさん詰まったひとりひとりの人生の重みに、その思いにいつも心を動かされ、多くの場合たくさん泣き、そのあと自分が生きていることや自分の周りの状態に、今までよりもまっさらな感覚で向き合っていけるような心持ちになる。

誤解を恐れずにいうのなら、バックパッカーで2、3ヶ月1人旅に行って帰ってきたとき、人間として、生きていくなかで大切な日々のひとつひとつを大切だとおもう感情がわき上がってくるのに似ている。


日本にいると忙しい。色んな仕事や付き合いや、手続き、支払い、イベント。この資本主義社会でそつなく、損せず、より合理的に生きるための様々な工夫とシステムに否応なく巻き込まれて生きている。


そういうのが全部0になる。
もちろん、人も街もいなくなって、持ち物も全部なくなる、という計り知れない喪失感や絶望感は私には想像できない。想像できるとか理解できるといったら、あまりにもおこがましい。でも、「あなたへ。」のような本を読んで、過ぎ去ったたくさんの人の思いや人生にひとつひとつ心を寄せるなかで、人の痛みや喜びや、這い上がる力や這い上がれなかった気持ちや、無理矢理鼓舞した心や抑圧した悲しみや、色んなものへの想像力をのばしていくなかで、ちょっとでも誰かに寄り添える人間に、ちょっとでも誰かの役に立つ人間になりたいと心から思う。





テレビには写らなかった、そして私が震災後半年以上たって現地入りしたときにはもう見ることのなかった震災直後、救助活動や遺体と言う命のやり取りに関わった警察官の方達の手記。行動やことばのひとつひとつがあまりにもリアリティに溢れていた。


最初の半分を読んだ時は、10代のときにこれを読んでいたら、私もきっと警察官になりたいと思っただろう、と思った。直接的に人を助け、誰かに手を差し伸べることができるという仕事は、本当に尊い。その尊い仕事の末席に、自分も加わりたいと思ったし、こうやって直接的に人の役に立つような仕事こそ自分がすべきことなんじゃないのか?なんて、震災直後からずっと感じていた今の自分への疑問を何度も反芻した。でも後半を読み進めていくと、こんな極限状態のなかで誰かのためになることを一生懸命する、ということが、すごく尊いことであると同時に、ものすごくしんどく、そして迷いやためらいや無力感を持って活動していることをひしひしと感じる。警察官への賛美や安易な憧れじゃなく、その迷いや葛藤こそを理解することが大事なんだと思った。
| | 02:52 | comments(0) | - |
読書『ネットと愛国』






在特会を語ることで、在特会を生み出したこの社会や普通の人々に潜む「在特会的なるもの」を描き出した圧巻のノンフィクション。最終章で、安田さんは「理解でも同情でもなく、ただ在特会に吸い寄せられる人の姿を知りたかった」と書いているが、最後まで読んで思ったことは、この本は在特会を批判するものでもあげつらうものでもなく、在特会という特異な存在の下に潜む、この社会の狂気だ。家や家族としての組織がもたらす「連帯」や「団結」は、うまくいかないという焦燥や孤独をかき消してくれる。ネットの世界は現実社会と違って人々をセレクトしない。その懐の深さが多くの人を受け入れ、認めてくれるという感覚と居心地のよさを生み出している。そしてそっち側に行くのは、決して難しいことではないということ。


この本には様々な批判が寄せられているのを見る。自分が持つ思想や信条から在特会の主張自体に疑問を呈する内容に反対する在特会側の人もいれば、あまりに在特会に寄り添いすぎているという取材態度の批判をする人もいるという。ものすごい量インタビューと、綿密な取材によって描かれたものであっても、当然安田さんの会える人、安田さんから見える世界を描いたものであるから、様々な批判があるのは仕方がないようにも見える。しかし、在特会なるものへの問題提起はものすごく重要であり、それ以外の批判はどうでもいいものに思える。

在特会の人びとが「反エリート主義」や「これは階級闘争だ」と話すのを聞くと、聞き慣れた構造に安心した一方で、最後の方に書かれていた市井の「いい人たち」の中に潜む無自覚な差別の感情や、目に見えない在特会への支持を、より恐ろしく感じる。「日常生活のなかで感じる不安や不満が、行き場所を探してたどり着いた地平」が「愛国よという名の戦場」という症状は、けっして「うまくいかない」人や生きづらい人達だけに生まれているものではない、と思う。


私の担当する「多文化交流ゼミ」という授業の中で、移民に関するテーマでディスカッションをしたときも、「日本に同化できないなら帰ればいいのに」「税金もきちんと払っていないのに、権利を主張するのはおかしい」という発言をさらっと言う学生がいる。英語で話しているから、言えることに限界がある、主張が単純化されるということを差し引いても、まじめで勉強熱心で、多文化交流や国際的なことに興味がある若い学生が持つ、そのシンプルで迷いのない感覚を恐ろしいと思うことがある。優秀で難関の公立大学に入学し、何不自由なく暮らし、将来の夢に満ちあふれ、友達が多くてリア充の代表みたいな彼女たちが持つ感覚にも在特会を支えるロジックは潜んでいる。

安田さんの言うように、在特会のいる「あっち」側と、普通の人々が住む「こっち」側には明確な境界線などないのだ。だからこそ在特会の叫ぶことばは対岸の火事などではなく、それを導きだすロジックや感情は自分のなかにもきっとどこかにあって、その引き金もあっちこっちに散らばっているのではないかと思う。



私も一章書かせていただいている本が出版されたので、こちらもどうぞ。


| | 17:35 | comments(0) | - |
『LEAN IN』を読んで(女性と仕事について考えたこと)

『LEAN IN 女性、仕事、リーダーへの意欲』を読んだ。



この本から受け取るメッセージは人によってそれぞれだろう。その人はいまどんな立場にいるか、どんな環境で育ってどんな人と一緒にいるのか、男なのか女なのか、結婚しているのか未婚なのか、子どもがいるのかいないのか・・・人によって受け取るメッセージも、心に響く部分も異なるように思う。


私は、読んでいてこんなことを思った(もちろん彼女の意見ではなく,本からインスピレーションを得て私が思ったこと)。


恋愛にも家庭生活にも子育てにも正解なんてない。唯一正解があるとしたら、「人それぞれ」ってことだ。しかし、このシンプルな意見は、この世の中でな中々支持されていない。それこそ血液型占いくらい科学的証拠のない感覚論を多くの人が信じている。


女に「どうやって家庭と仕事を両立するのか」と聞くことはもうやめようと思う。「すべてを手に入れたい」女の1人である私は、両立する女を尊敬し、尊敬の念を持ってその質問をして来たことがあったけれど、私はその質問を同性にだけしてきた。結果として、私は自分にも相手にも一つの尺度を当てはめてみて来たのだ。私が思う、大事なもののすべてを手に入れたい。地位も名誉も、社会的責任も、愛情も家庭も頼られることも、優しくされることも全部全部。そしてそれをたくさん手に入れる人をリスペクトするという尺度。


女の連帯は簡単だ。一方で女の連帯は難しい。女の最大の味方は女であり、最大の敵も女だ。そのためには、やっぱり自分とは違った価値尺度を持った人への想像力と、なによりも自分への「自信」が必要。妬むな、嫉むな。自分の生き方に誇りをもて。できないことはできるように努力する。甘えない。人のせいにしない。教育や仕事は、自分が苦境に立たされた時にそれを乗り越えたり、理不尽な状況があったときにそこから逃げ出すための手段になる。教育と仕事は、知恵やお金をくれる。だからなるべく手放さないようにしたほうがいいけれど、もし手放さざるを得なかった人が、周りにいた時、私たちのような今のところをそれらを手放さずに済んでいる女たちが、助けなければいけないと思う。助けるって言うのはただ話を聞いたり背中を押すだけでなく、具体的な上昇するための機会を提示し、分けること。



以前のブログ記事で育休3年案に反対する理由を書いたのだけど、すこし追記するとすればこうだ。


育休が一週間であれ三ヶ月であれ三年であれ、それが当事者の望むことであれば尊重されるべきだ。その意味で、育休を三年とっても良い、というように選択肢が広がったのならば素晴らしい。でもこの問題の一番の膿みはそこじゃない。「女性の活力」を期待することと、育休3年はまったく矛盾している。社会的責任を負う立場に女性を雇用し、経済活性化のために女性の活力を生かし、真の意味で男女雇用機会均等を目指すなら、変わらなきゃいけないのは休む期間の長さじゃない。産休・時短等を含めた個人による働き方の自由の確立と、子育てと家庭の仕事分担に極端なアンバランスをもたらしている多くの男性の意識だ。

著者のシェリル・サンドバーグのTED講演。Women systematically underestimate their abilityっていうのには痺れた。

| | 04:13 | comments(0) | - |
みんな、村上春樹いい!って本当にそう思ってるの?



春樹の新刊が出たときのフィーバーといったら、キャベツの100円ワゴンセール並みの売れ方だった。
私は通りがかった紀伊国屋の新宿南口店で発売日の夜に購入したのだが、飾り棚は上から下まで『多崎つくる』。3階の入り口からレジにすすむまでの棚にも平積みされていて、あげくにはこれは本当に本を陳列するものなのか?と疑いたくなるような白い籠風のワゴンに入れられて売られていた。そこに群がる妙齢の女性たちをかき分けて、私も一冊。

私が通う横浜は関内のジムと同じビルに入った本屋さんでは、未だ(5月の初め)レジ前の陳列棚がすべて『多崎つくる』と村上春樹解説本だった。春樹が新刊を出せば売れる。こんなに読者(とprospected読者)からの信頼が厚い作家も早々いないのではないかと思う。

私が春樹で嵌ったのは『羊をめぐる冒険』と『ダンスダンスダンス』。この二つは中学生くらいのときに繰り返し読んだ。春樹っぽい表現を真似して文章を書いてみたり、春樹の小説の中の主人公っぽい物言いとか行動をしてみたり、春樹の解説本(ファン本)もかなり読んだと思う。でも高校生の後半くらいから、ちょっとずつ心が離れていって、それでも毎回新刊が出るたびに、初日に買うくらいの熱心な読者ではいる。


今回は、春樹の新作を読み進めていて、大ファンだった中学生の頃には気にならなかった偏った女性の描き方と自意識過剰気味の主人公の男に対するいらだちがふつふつと湧いてきた。きっと読み手である私自身が変わってしまったんだろう、と思う。

昔は気にならなかったけれど、今はそれが気になって他の部分を楽しめない。それどころか、彼が小説という形を通してこの物語に反映しているものに対して、拒否感が生まれて来てしまっている。

例えば。

春樹の作品に出てくる女の子は大抵、ー分の美貌を持て余す美女、顔は中の上だが表現力豊かで愛嬌がある女、F団的な造形をもっていて主人公が好きになるタイプの顔/姿の女、の3パターン。

語り手である「僕」や「彼」は(自称)取り立てて特徴のない顔かたちをしているんだけど周りからは割とイケメンと思われていて、「毎日シャワーを浴び、丁寧に髪を洗い、週に二度洗濯を」するような清潔でポテンシャルの高い自立した男で、耳だったり品の良いカットソーの着こなしとかがすてきな女性とつき合ったりする。

そしてその主人公の男は、朝はフレッシュジュースを飲み、お風呂に入ると耳の後ろとか髪とかを念入りに洗い、趣味のいいジャズかなんかをかけながらパスタや分厚く切ったトーストなんかを食べ、アイロンの効いたこざっぱりしたシャツなどを着るんだよね。無頓着なフリしているが非常に自覚的。

その上、作品のうち1回以上は鏡に自分の全身や顔を映しては新しい自分を見いだし、朝起きると固く勃起していて、気づくと裸の女の子二人が横に寝ていたり、女の子が手際よく彼女の中に導いてくれたりする。


春樹の本は面白いけど、こういう毎回ワンパターンな男女像(そのうち男は自分)に食傷気味なのだ。


あとどうでもいいけど、春樹の描写に出てくる女の人のファッションって、想像してみるとどう考えても微妙じゃないか?と思うことが多い。茶色系統のスーツでネイルも茶色とか、春樹の「素敵」って随分ニッチなところをついているんじゃないかと思わざるを得ない(やたらと白いテニスシューズばっかり履くし)。

なんだかんだいって、春樹の本は出たら毎回絶対買うと思う。これからも、それも発売当日に。部分的に受け入れられないものはあるものの、全体のストーリーや細々した描写のうまさや、台詞回しの面白さなど、春樹でしか味わえない特別感を買うのだと思う。

一度ど嵌りした作家の作品って、もう麻薬みたいなもので、たとえ何度か失望したり、昔程夢中にならなくてもきっと毎回買ってしまう。うきうきと前のめりで、そしてその熱中したときと同じ温度できっと面白いはずっていう期待を持って。


それにしてもこの本、この厚さでこの装丁ならば、1500円でも良かったのではありませんか?1700円というのは、一般の人が新刊の単行本(小説)に出せる結構ぎりぎりのラインだと思うけれど、まあ春樹だったらたとえ1500円や1600円じゃなくて1700円でも売れるだろうからなあ。

ちなみにもう1人、私がまず間違いなく新刊買いますよの作家、伊坂幸太郎の『ガソリン生活』は1600円でした。ユーモラスで人間愛に満ちていて、読んでいて幸せでした。一生買い続けます、伊坂先生。(『砂漠』と『重力ピエロ』が好きすぎて嵌った。3回くらい続けて読んでしまったもの。伊坂小説に出てくる登場人物は、何故かみな愛らしい。)


| | 20:25 | comments(0) | - |
読書記録 + Kindle Paperwhite に夢中
Kindle Paperwhite買いました。


Kindle Paperwhiteを使ってみての感想。

(源が読みやすく、部屋を暗くして寝ながら読んでも目が疲れない。
∋廚辰討い燭茲蠅盻鼎感じる。iPhone5と薄めの文庫本を足したくらいの重さ(約200g)。
ページを移動するときの文字のぶれを見ていると疲れる。
iPad等に慣れているとタッチパネルの感度の低さが気になる。Wi-Fiにつないで本を検索して買うという作業に負担が大きいので、私はパソコンを使ってアマゾンで本を購入し、Kindleではクラウド同期するだけにしています。

肩凝り性の私にとって「重さ」は結構なネックで、昨年購入したiPadは、メルマガやKindleアプリを使って文章を読むことを目的に買ったのだけど、あまりに重すぎて殆ど持ち歩くことなく家に置いてある。
kindleは、予想していたよりは重いけれど、片手で持てるし、コートのポケットにも入るので持ち運びが楽。
またすべりにくいので、お風呂にも一緒に入れる。

線を引いたり書き込みをしたい本や学術書は、やはり紙に限る。最初からさいごまで読んで初めて完結する本もやはり紙がよい。kindleでは、章ごとに完結してる本やエッセイ、かさばるマンガなどに向いていると思った。

Kindle Paperwhiteを買ってから、私の本を買うスピードは半端なく加速した。
毎月Amazonには3−5万円くらいの支払いをしているのだが、お正月休みで実家に帰っていたこともあり、毎日2、3冊ずつ本を買って読んでしまった(含漫画)。今月のクレジット請求が恐ろしい。



あのときの戦争を「異常だった」と思う感性を持つことと、「異常だった」と言い放って切り捨ててしまうことは全く別物で。

異常だったと思う。異常だと思える感性を大事にしていきたいと思う。

彼らが「特攻は犬死にだった」ということと、後世を生きる私たちが「犬死にだった」ということは全く違う気がした。
こんなことを二度と起こしてはいけないということと、あのときのことを批判的に捉えること、でも一方で、あのときに死んだ人たちにリスペクトを持つことは矛盾しないと思う。

私も同感できなかった部分が、高山さんというジャーナリストが特攻隊員を現在のテロリストと同じだ、彼らは宗教の犠牲者だと断言している部分だ。
神風と同一視されるテロリストの人たちにもきっと多くの言い分があると思うが、私はこの「〜と〜は同じ構造だ」という言論に同意できない。
これはよく韓国の人から聞く「戦後ドイツはこれほどの謝罪と保障をしたのに、日本は・・・」という言論にも非常に違和感を感じる。

日本は謝罪すべきではないとか、保障すべきではないと言っているのではない(むしろ反対だ)。全く異なったコンテクストのもとに起こった異なった事象であり、共通点を見いだせる部分があったとしても、だから全体自体を同一視することでは何も解決に結びつかないと思うからだ。それぞれの事象は固有のものであって、比較をして語ることはその事象の本質と大切な細部を見逃すことにつながる。「〜と〜は同じだ」論法は、大変単純なので人々の心に届きやすいが、それが生み出すものは誤解でしかないと思う。

戦争のときの本を読んでいると、〜せざるを得なかった、という状況がたくさんでてくる。
人は逃げればいいじゃないかと思うだろうけれど、それはその時代を経験していないもののいう台詞なんだろう。
例えば、中学の時の自分が行ける場所なんてすごく限られていて、それはそれはどんづまりだった。
今だったら自分でバイトして、航空券買って、どこでも生きていける気がしている。
でももっと横や縦のつながりが強くて、あの時代の「空気」の中にいたらどうだろうか。
どこにもいけなくて、戦わざるを得なかった、死にいかざるを得なかった、戦争に賛同せざるを得なかった人がたくさんいる。
それを後世の私達は無責任にも判断し批判し評価する。
しかし自分たちが今立っている場所や自分がどういう考えを持っているかについては、分かっていないことが多い。


角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日:2011-11-10


この本は『永遠の0』を読んで、だいぶ海戦や大日本帝国海軍に詳しくなった気がしたが、もっと知りたいと思って購入。

「真珠湾攻撃から”全軍特攻”の終局へ。「失敗」の本質を探る」との帯がついている。
軍令部と連合艦隊の意図の違い、司令官から兵士まで幾層にも重なる階級社会の中で、戦争に対する意識や現状把握が異なっていることなどを感じた。


他にもこんな本を読んで来ました。
考えさせられたもの、もう一度読みたいものだけを載せておきます。










































ずっと読みたかった漫画も、博論のディフェンス終わってから一気に読んだ。

聖☆おにいさんでは、私は断然イエスに笑えるのだが、お寺の住職をやっている友人はブッタが圧倒的に笑えるといっていた。前知識があればあるほど笑えるようだ。






佐藤優が『読書の技法』の中で、漫画の大きな役割は「動機付け」だと言っていて、私にとって『ちはやふる』はまさに動機付けのためのマンガでした。真剣に向き合うこと、集中すること、まっすぐに生きること。一日に何度もちはやふるのことを思い出しながら、私も!と思った。



三月のライオンは神漫画。

私は本に財布のヒモがゆるゆるなので、マンガにまでそれをやってしまうと破産する。だから漫画はまず借りて来て、どうしても何度も読み返したいものだけ買っています。私が新刊がでたら絶対に買う漫画家は松本大洋と矢沢あい(今はお休みされていますが)。最近羽海野チカが入りました。もう何度読み返したか分かりません。何度でも読み返したい台詞たちがたくさん。








Kindleで1巻が99円になっていったため、つい購入したらとまらなくなり10巻までTSUTAYAで借りました。
くらげ、女装の美男子、童貞の政治家ジュニア、個性豊かなオタク女子たち、思い出の中のお母さん。
どこをとってもヒットしないわけがない設定。



それで今のお風呂読書はkindleで買ったコレです。
| | 01:20 | comments(0) | - |
中国嫁日記+われ日本海の橋とならん+大学とは何か
井上 純一
エンターブレイン
発売日:2011-08-12


女が可愛い思われる、男に大事にされる素質のひとつに、前向きであることや、小さなことで素直に嬉しさを表現したり、(そして全力で)ドジなことをするっていうことがあると思う。男の人は、その様子を愛おしいと思うのだろう。

女のなかには、その「ちょっとの足りなさ」や「些細なことで幸せになる」を意識的に演出する人も決して少なくないとおもうのだけど、国際恋愛をしてると、否応無しにその「ちょっと足りない」部分が出てくる。言葉の不十分さ、文化的コンテクストへの相互理解の不足があって、そこで生じた齟齬が、好き同士だと「ちょっと足りない魅力・可愛さ」として変換されたりするのだ。

些細なことで幸せになれるのは、それを些細だと思うか、大きなことだと思うか、っていう差異があるから。
では何故「こいつ、些細なことで幸せになってるなー(ういやつめ)」って思うかというと、その人にとってはそれは既に存在して当たり前だったり、手に入れてしまったものだから。国際恋愛の場合、その違いは自分が生まれた社会的バックグラウンドから生まれて来たりする。そこには経済力の差異があり、文化的差異があり、政治的自由の差異があり、市民意識の差異がある。その差異を差異ではなく、優越や格差で捉えてしまう時、差別の問題が上昇してくるのだろう。

このマンガに出てくる月(ゆえ)さんは、なんて女として魅力的に描かれているか。
あくまでも男目線、というか井上さん目線で「魅力的」なので、人によっては日本人からみた「ちょっと足りなさ」などの点で「中国人嫁をバカにしている」と感じる人もいるのだろう。
(例えば、「中国嫁日記」の差別性が自覚できない奴は差別主義者!

誰がなんといおうと、井上さんが月さんをとても大事にしていて、愛している感じが紙面を通じて伝わってくるので、読後感は非常に良いし、月さんの言動を見ていても、きっと素敵な人なんだろうなと思う。
ただ私もすごく権力構造には敏感で、とにかく本人たちが幸せであればいいじゃない!という考え方にはどうしてもなじめない。何故この二人が惹かれ合ったのか、魅力的だと感じるのは何故なのかを深読みしようとしてしまう。そこに私は自分のきたなさを感じたりもする。一方で、このマンガを夫婦愛の物語の中に閉じ込めてしまうのは、やはりもったいないという気がする。

上記にあるような批判をしたり、「中国嫁」に対して中国の女の人に対するリスペクトが足りないと感じてしまう人がいるのならば、この漫画を槍玉にあげるより、そう思う自分の内面に向きあったほうがいいと思う。このマンガを読んでちょっとひっかかって感じることは、国際恋愛や国際交流をしている人に限らず、きっと多くの人が恋愛する上でぶつかる本質的な問題であると思うから。

女として、また中国人・韓国人・台湾人など、海外の男性との恋愛が多かった国際恋愛経験者として、いろいろと感じるところがあった。また時をおいてもう一度読み直してみたいマンガのひとつだった。


加藤 嘉一
ダイヤモンド社
発売日:2011-07-23


「インターネットがあり、英語さえできればもはや国家など関係がない。」
中国におけるインターネット利用者の数(5億人!)とそのメディアとしての重要性についての部分。
また加藤定義の「暇人」と彼らの分析をしている部分がとても面白かった。

何人かがアマゾンのレビューで書いているように、若干筆者の俺俺、という自我が箇所箇所で見えて来て、すこしざらざらする部分はある。ただ、それも若いからまっすぐすぎて、そのひたむきさとがつがつした感じの一方で、一人前の大人の男として発信していくというが全面に出てしまっていて、分かりやすい“貧困からの成功”などのサクセスストーリーを求めている人たちにとっては、彼の経験談はあまりに隙がなさすぎて気に入らないのだろう。私は割と素直に、中国の懐の中に入り込んだ人の意見として非常に面白く読んだ。フリーライターの「構成」の人が入ってくれているようで(つまり加藤本人がカタカタ文章をタイピングしたわけではないのだろう)、文章も非常に分かりやすくてすらすらと2時間くらいで読めた。



研究とも関連して興味あるテーマなので面白く読んだ。
ヨーロッパにおける大学の成り立ち(1章)から国民国家と大学の再生(2章)、舞台を日本にうつして帝国における大学(3章)、戦後日本の大学改革(4章)という今までの、最後の章では「それでも、大学が必要だ」とのタイトルで今後の大学のあり方に関する提言が書かれている。

今後の日本に置ける大学の形を考える時、既存の大学概念の中で中世の都市ネットワークを基盤にしたポスト中世的大学モデルが参考になるのではないかと提言している。その理由として、1、世界で多数の大学が国境を越えて都市間で密接に結びついていること、2、高等教育のアメリカ化の中で
学術言語としての英語の世界化がおきており、北東アジアなどの近隣諸国の学生と知的交流をすすめるのにも英語でのコミュニケーション能力が必須であり、それを単純な英語支配と捉えず共通言語以上の可能性を持ったものとして認識することが重要であること、3、今後人類が取り組むべき課題はすでに国民国家の枠組みを越えており、ナショナルな認識の地平を超えて地球史的視座から人類的課題に取り組む専門人材を社会に提供することが大学に求められていること、などを挙げている。(pp.240-243)

面白いのだが、取り立てて目新しいものではない。
それよりも、未来の完全なインターネット社会で大学が生き残ることができるのか、との懸念をぶっこんでたことには、その懸念は理解できるもの、もう少し大学がキャンパスをもち、人と人との直接的な交流が生まれることの意義を聞きたかったなあと思う。最近のキャンパスの国際化や、地域連携などの点についても触れてほしかった。そして、すべての大学教員がマイケル・サンデルのような「白熱」議論ができるわけじゃない、という部分には素直に笑ってしまった。確かに、日本であんな授業をする人は見たことがない。年配の大学教授には、彼とは正反対の、ただぼそぼそと自分の趣味趣向のような研究内容を話し続ける人が多かったし、授業をエンターテイメントとして捉えて、学生たちを巻き込んで考えさせよう、としている先生は早稲田でもあまりあわなかった。(もちろんいることはいたけれど、必ず単位を取らなければ行けない必修科目などにはとくにそういう自慰行為的授業をする先生が多かった。)

大学に関連することは自分の研究関心でもあるので、色々手広く読んでいけたらと思っている。




最近インタビューズはじめました。

例えばこんな質問がきました。
影響を受けた本があれば、3冊ほど教えてください。

・芥川龍之介「或る阿呆の一生・珠儒の言葉」
嶋内佐絵の約半分は龍さんでできています。

・鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二「戦争が遺したもの」
日本語読める人だったら絶対享受すべき、リベラルで善良な知性。何十回も読みました。

・モフセン・マフマルバフ「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」
できる限り当事者でいたいと思うから。

漫画だったら、
・松本大洋「鉄コン筋クリート」
ないところのネジをもちあう共存フェチだから。

ザ・インタビューズ saereal



マシュマロの木とウッドストック

今週末から早稲田に引っ越します。大学から徒歩3分。夜中の徘徊もたくさんするつもりです。
きっと主食はうどん。
| | 02:27 | comments(0) | - |
ブルーバレンタイン+まどまぎ+英語を学ぶとバカになるの?




私は珍しく女性主人公にも男性主人公にも共感し、行動ひとつひとつに納得できる部分が多かったので、とても泣ける映画でした。終わったあと、呑みながら思い出し泣きしたくらい。現在と過去を往復しながら描くのも、映画としてよくできているし、カメラワークもかっこいいし、主人公二人の演技もリアルだった。やられるかどうかは主人公に共感できるかどうかで変わると思うけれど、恋人との関係の永遠について、一度でも泣いたことのある人なら、きっとそこかしこに共感できる部分があると思う。

魔法少女まどか☆マギカ 6 【完全生産限定版】 [Blu-ray]魔法少女まどか☆マギカ 6 【完全生産限定版】 [Blu-ray]

白いニーハイとか、やたらと内股(かつX脚)の主人公たちには最初感情移入できなかったが、ストーリーラインはとても面白かった。
このアニメが終わってツイッターで多くの感想が流れていたころ、とある論客は「アニメはこどもの観るものだ」と言って、大人がアニメを見て騒ぐ姿を嘆いて、というか完全にバカにし倒していたが、残念ながら、日本のアニメはもう子ども向けという範疇はとうに越えていると思う。それを理解できない方が残念だ。私はアニメには全然詳しくないし、それほどカバーが広い訳ではないけど、こうして革新的なことを続ける世界のことはちゃんと見ていたいし、これはこういうものだ、バカみたい!みたいなステレオタイプでものをみたくないと思う。

以下、心を打った台詞。

ー彼の夢を叶えたいの?それとも彼の夢をかなえた恩人になりたいの?
ーどんな献身にも見返りなんてない。
ー仕事が好きなんじゃなくて、頑張るのがすきなのさ。そんな風にしてかなえる夢もあるんだよ。
生き方そのものを夢にする。
ーむしろみんながみんな、正しいって信じ込んでいくほどに、幸せって遠ざかっていくもんだよ。
ーだれかを救った分だけだれかをたたりながら生きていく。
ー君たち人類の価値基準こそ僕らは理解にくるしむなあ。

・・・これを見ただけでも、みんなぐっと考える事があるでしょ。





英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)英語を学べばバカになる グローバル思考という妄想 (光文社新書)

東大駒場の本屋さんで英語系の本を見ていたら、寺沢さんが試すような目で「この本面白いですよ」と言ったので、これはきっと色々突っ込みどころのある本なんだろうと思って読み始めた。

英語に関する言説は、どれもこれも偏っていて面白い。
英語について語る事は、あたかも自分のアイデンティティや生き方に抵触するようで、みんな自分の考え方や向き合い方を正当化しようと必死だ。

もう一つ、特に日本語で書かれた多言語政策や英語関連の文献を読んでいて時々感じるのが、英語の支配に異議を唱える人の多くが、なぜかフランス語を中心としたもう一つの大言語を専攻していたり、ヨーロッパの専門家である事が多いという事である。

この本の筆者も、相当なフランス文化・フランス語(を代表とする「伝統ある」ヨーロッパ)贔屓の方らしく、
この本のタイトルである「英語を学べばバカになる」、というのは、「英語を学んでアメリカ風の考え方に染まっていくやつはバカだ」ということを言いたいのではないかと思えてくる。

英語はアメリカ帝国の繁栄によって支えられているもので、そのアメリカはここ数十年の間には没落することは必死だから、今英語に盲従しても意味がない、ということだけでなく、アメリカの民主主義のあり方は平等と同質の混同であるとし、そういう「規格同調主義」はヨーロッパ的視点からみると耐え難い、とか、奇妙である、と断言している。


英語を批判的に論じる中で、アメリカ型の民主主義をこてんぱんにやりこめ、一方でヨーロッパ型の民主主義のあり方を賛美していることが、英語の学びとどのような関係性があるのか?

筆者の前提では、英語を学ぶことは「アメリカ社会に魅力を感じ」ているからで、英語公用語論は「アメリカという特殊世界のコミュニティー主義が国境をまたいで全域化すること」(p.136)としているが、果たしてこれは本当だろうか?アメリカ式のコミュニティー主義が世界標準であると考える事を批判したとしても、そのようなアメリカ的なものへの信仰をもとに英語を学んでいる人間が殆どだとは考えるのはあまりに安易だと思うのである。

同時に、英語を「国際共通語や世界語」といった「特別な存在」だと考えてしまうことは、「英語が世界標準だ」と考えることに結びつき、「非常に危険である」、としているが(p.137)、彼はその世界基準がアメリカであるということをそもそもの根底で前提にしていて、そのアンチテーゼとしてヨーロッパ(特にフランス)でのあり方を述べるのだ。

「国際共通語」や「世界語」、「世界標準」という概念の裏に常にアメリカを嗅ぎ取ってしまうのは、残念な言語の捉え方だ。「World Englishes」ではないが、世界にはアメリカやイギリスといった英語を第一言語や公用語として使っている国もあれば、そのような特定の国に属さない、国境を越えた国際語としての英語を創出しようとする動きもでてきており、実際にアメリカやイギリスという英語ネイティブ国家から離れたところで運用されている英語も世界中に出て来ている。インドやシンガポールといったアジアで英語を公用語のひとつにしている国のみならず、例えば高等教育機関における英語による国際化プログラムや、多国籍企業の社内など、国内の限られた場所に存在するが、多種多様な人々の集まる場所も数多く出現している。

もちろんそのような場においても、アメリカ的志向やアメリカ社会への従属性を批判的に検証する姿勢は必要だが、英語=アメリカ社会の創出した世界水準と決定し前提に置いてしまう事は、あまりに時代遅れだと思うのである。

近年になり、人々の国境を越えた移動が増加し、一つの国家に属さない様々なアイデンティティや言語状況を持った人々が多く生まれてくる中で、言語と国家の関係をどのように捉えるか、という問題は非常に大事な論点になっている。その中で、「英語を学ぶことは、真面目に取り組めば取り組むほど、アメリカの文化や社会の影響を受けることなのである」(p.141)ということは、あまりに暴論にすぎないかと思うし、かつ時代遅れである。

個人的に、言語を学ぶ事で、新しい社会や文化へ世界が開ける、という事に関してはなんの異存もない。
それが行き過ぎた「英語万能論」になって、英語を知る事がまるで世界を知る事のように語る言説にはうんざりするが、そういった英語万能論を語る人は、正直西洋コンプレックスを抱えた一定の年配層や、教育機会に恵まれない日本では特別なグループに属しているのみではないかと考えている。

英語に一国集中すると「アメリカ発の情報ばかりを仕入れ」、「日本を救いがたくアメリカナイズし」(p.176)、そのアンチテーゼとして毎章必ずヨーロッパ社会や文化の対比を述べる姿勢には、これもまた西洋コンプレックスの一つの形のようで、英語万能論者と結局は同じようなスタンスに見えてしまうのは私だけだろうか。



IMG_1560


| | 03:31 | comments(0) | - |
夏の色を探しに


金曜日、共同研究で東大へ。
計量ソフトを使ってかたかたとhtmlコードみたいなのを打ち込んで、ぽん、って叩くと、
ほしいデータが出てくる。計量を全く知らない私には手品のように見えた。
感心するたびに、きゅんとした?と確認されながら、アジアのリーディング大学大学生の意識調査の分析。

とりあえずこのライブのときの車谷さんは何度聞いても見てもうっとりしてきゅん死にしそう。
夏が恋しい。

その日の夜は高等部の時の友達と早稲田の友達の初対面で、そのあとりょうくんも加えて皆でカラオケ。
私は好きな音楽、って聞かれたときに、私はミスチルって言えない。
中学時代からの思い入れがあまりに強すぎて、勝手に人ごとに思えなくなっていると同時に、
単なる好きに収斂できないのだ。その上あまりに神聖すぎて、人にカラオケで歌ってほしくない。
(歌っても100%がっかりする。)



そして5時間を過ぎた頃から、to U。
前にも載せたけど、to Uのap bank fes versionはこの回が一番好き。


ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71)ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記 (アスキー新書 71)

当然だけれど、現地に足をつけて取材をしていればこそ分かる事実もたくさんある一方で、
知れば知るほど簡単に何が真実で何が真実ではないか分からないことがたくさんでてくる。
当初は聖戦だったというチェチェン独立派の戦いは、時間が経ち、多くの人が関わるにつれ
異なった聖戦の解釈や戦いのアプローチを持つ人々が関わる紛争に変容している。

この本の中で常岡さんは、命がけでチェチェン独立派の部隊に従軍している。
友人や助けてくれた協力者などもたくさんいるので、そういう意味ではとても個人的な感情のこもった描写はしているものの、チェチェン独立派を美化したり「英雄」視しているような内容はいっさいない。
実際、腐敗したチェチェン内部の人々や様子についても詳細に描写されている。

チェチェンの現実は、おそらくきっとどの現実もそうなのだろうけれど、
一面的にまとめられないからこそ終わらない紛争が続いているのだと思う。
どの人々や組織の思惑も、行動も一枚岩ではない。

アマゾンの批評を見て、ほとんどが好意的なものなのだが、時々この本に載っている情報の正確さに疑念を呈したり、もっとより深い「分析」を求めるものが散見されたのだが、そういう人たちは暖かいところから分かりやすい計算式を求め過ぎだと思った。


争いにはフレームワークなんてないし、答えなんてないのだ。
真実は至る所に転がっていて、その為に正義をかけて戦う人がいる中で、そこに付随してくる政治的思惑や欲望みたいなものが真実を見えにくくし、だからこそ、分かりやすい計算式では切り取れなかった真実を提示するために、こういうルポがあるのだと思いたい。それをどう自分の頭の中で整理するかは、読者がもっと頭を使って考えないといけない。

チェチェン側からの記事を書く人はとても少ない。そしてその数少ない人は命の危険に晒されている。
実際にそうやってたくさんの人が死んでいるのだから、そういう人たちの書いたものや撮ったものに対して、真剣に向き合うべきだと思う。

「ひと、点描」という章は、この場所で個人としてたくさんの人と関わり、そこで活動して来た常岡さんならではの人々の描写が読めて、とても興味深く読んだ。

ちなみに私は個人的に昔から常岡さんを知っているので、当然彼に対する感情は今回の人質事件で知っただけの人よりは親近感もあれば、贔屓に近い感情もある。講演会での彼を見れば、会場からの質問にはどんな質問でも真剣にいちいち頷きながら聞き、私がいらない寝袋があると言えば、バイクで取りにいきます、というくらい、奢らなくて変なかっこつけをしない等身大の人なのだ。そんな常岡さんのやったようなことをできる人間なんて、この日本にはそうそういないと思うから、私は好意的になる。

ジャーナリストのあり方や取材方法にどんな一家言を持っている人でも、人質の事件の際に全く興味を覚えなかった人でも、この本は読むべき本だ。
私はチェチェンのことについては、教科書的な紛争の歴史や、現在争いが泥沼化しているということと、ロシア側の動きが胡散臭い、ということ以外、詳しいことは何も知らなかった。この本を読んで、自分が今まで言葉だけで捉えていたチェチェンの様子が、すこしイメージ化された。
チェチェンのことに関して、無知で無関心あるのは罪だと思った。だって、ロシアはこの国にとって遠そうでとても近い国であり、私たちが向き合っているロシアという国は、チェチェン問題を抱えるロシアなのだから。



| | 15:03 | comments(0) | - |
12月の読書&映画たち

saereal booklog
2010年12月
アイテム数:27
重力ピエロ 特別版 [DVD]
森 淳一
読了日:12月02日
{book['rank']

花美男(イケメン)連続ボム事件(初回限定生産盤) [DVD]
エイベックス・マーケティング
読了日:12月06日
{book['rank']

ブエノスアイレス [DVD]
ウォン・カーウァイ
読了日:12月07日
{book['rank']

ベルベット・レイン [DVD]
ウォン・ジンポー
読了日:12月07日
{book['rank']

花男 (3) (Big spirits comics special)
松本 大洋
読了日:12月09日
{book['rank']

花男 (2) (Big spirits comics special)
松本 大洋
読了日:12月09日
{book['rank']

インファナル・アフェア 3部作スペシャルパック【初回生産限定】 [DVD]
アンドリュー・ラウ,アラン・マック
読了日:12月09日
{book['rank']

讃美歌―讃美歌第二編
日本基督教団讃美歌委員会
読了日:12月12日
{book['rank']

椿三十郎 通常盤 [DVD]
エイベックス・エンタテインメント
読了日:12月26日
{book['rank']

ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女 [DVD]
アンドリュー・アダムソン
読了日:12月26日
{book['rank']

イン・ザ・ペニー・アーケード (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
スティーヴン ミルハウザー
読了日:12月26日
{book['rank']

(500)日のサマー [DVD]
マーク・ウェブ
読了日:12月29日
{book['rank']

息もできない [DVD]
ヤン・イクチュン
読了日:12月29日
{book['rank']

パレード (初回限定生産) [DVD]
行定勲
読了日:12月29日
{book['rank']

オーケストラ! スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]
ラデュ・ミヘイレアニュ
読了日:12月29日
{book['rank']

インセプション [DVD]
クリストファー・ノーラン
読了日:12月29日
{book['rank']

かいじゅうたちのいるところ [DVD]
スパイク・ジョーンズ
読了日:12月29日
{book['rank']

マイレージ、マイライフ [DVD]
ジェイソン・ライトマン
読了日:12月29日
{book['rank']

「BECK」 通常版 [DVD]
堤幸彦
読了日:12月29日
{book['rank']

ぼくのエリ 200歳の少女 [DVD]
トーマス・アルフレッドソン
読了日:12月29日
{book['rank']

雪沼とその周辺 (新潮文庫)
堀江 敏幸
読了日:12月30日
{book['rank']

サラエボの花 [DVD]
ヤスミラ・ジュバニッチ
読了日:12月31日
{book['rank']

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)
柴 宜弘
読了日:12月31日
{book['rank']

powered by ブクログ
| | 09:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
| 1/4PAGES | >>