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奄美に戻りたい
びくびく


こにちは


10月の第2週。陽と奄美大島に行きました。
今でも思い出すくらい、
奄美の時間はゆっくりとしているというか、横浜で生まれ、渋谷で育ち、新宿で生活をする私には違う世界にいったようだった。同じ日本だけれど、同じ日本のような気がしなかった。私にはまだもっと他の生き方があるなあと思ったし、西早稲田の自分の家に帰ってきたときは、安心したと同時に、なんだかおかしい世界に住んでいるような気がした。

奄美では、一番騒がしいはずの市中の方がむしろなんだか寂しい感じがした。
私たちがまず目指したのは、内地から来たという東京では見たことのないコンビニが1件だけある南の街。
そこからさらに車で15分くらいかけたところにある「集落」の民宿に4泊5日ゆっくり滞在した。

とにかくその民宿がすてきだった。
びっくりするほどおいしいご飯とあったかいホスピタリティ。
たくさん聞いた奄美のお話。奄美への抑制された、でも確固とした愛がにじみ出ているようなご主人がいる民宿。

リゾートホテルのいくつか並ぶ北部と違って、南部は大きな観光地もないけれど、
ただ美しい海とおいしいご飯が食べたかった私にとっては最高の居場所だった。
奄美はずっと曇りだった。時々雨も降った。
いつもはエメラルドグリーンに輝いているはずの海は、薄く灰色がかっていて、
会う人会う人が「いつもはもっと綺麗なのに」と遠くからきた私たちのかわりに残念そうな顔をした。



Trip to Amami 奄美群島への旅 2012/10/15-19

奄美大島・瀬戸内町嘉鉄集落

ダイブリゾート ネプス

戴いたのは、こんなもの。
1日目
鶏飯、カンパチの刺身、豚足の煮込み、もずく、豚と大根人参の煮物、ピーナッツ豆腐

2日目
豚の煮込み、地鶏のたたき、アオサの汁物、キュウリと鰹節の和え物、たこの酢の物、大根とひき肉のとろみ煮込み、貝、ピーナツ豆腐

3日目 
赤うるめの唐揚げ、煮込みそうめん、椎茸と人参大根の煮物、鰹のたたき、崩し豆腐、海藻の酢の物

4日目
豚肉の塩漬け、かぼちゃと大根人参の煮物、カンパチの刺身、卵とわかめの汁もの




そして最後の日。
台風が行って、バスで2時間ちょっとかかる空港に行く前、出発の1時間前。
晴れた。
そしたら、ものすごい緑と青の透明な海になって、私は思わず普通の洋服のまま、海に入って泳いだ。
波がほどんとない入り江、加計呂麻島との間の海で、奄美滞在の本当に最後の10分くらいだけ海に入ることができた。
それでもう一度、絶対に戻ってこようって思った。

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奄美で聞いたこと、覚え書き。

奄美群島の奄美大島のすぐしたには加計呂麻島という人口1000人ちょっとの島がある。加計呂麻島には船で20分ほど。「かけろま」という客船(フェリー)と、漁船のような水上タクシーがある。台風がくるとすぐにフェリーはとまってしまうが、水上タクシーはよっぽどのことがなければとまらないという。

夜、黒ウサギが道路に飛び出してきて轢かれたりする。

奄美群島でもハブがいる島といない島がいる。サンゴ礁でできたアルカリ性?の土壌だとハブは生息しない。
ハブ退治のためにマングースを入れたのは大失敗であったと島の人はみんないう。
失敗の主な原因は、活動の時間帯が異なるので、マングースとハブが「出逢わない」こと。
また、もし鉢合わせても、マングースとハブが決闘をすると1:9くらいの割合でマングースが勝つという。
しかしマングースは、1割負ける可能性のあるハブに戦いを挑むよりも、10割勝てるネズミなどを襲ったりする。
だからマングースはハブと闘わない。マングースだけが繁殖して、畑を荒らすようになったらしい。

ハブは恐れられている一方で、森や自然の守り神だった。
ハブがいるから、むやみに山に入ったり、木を切ったりすることもなかったのに。
マングースのことを話すと、村の人はみんな断定的に、あれはだめだよ、失敗だよ、と言った。





奄美大島のガイドブックはこれと言ったものがない。
たいてい、屋久島や鹿児島のガイドブックの中で一緒に扱われており、奄美という独立したガイドブックがないのはとても残念だ。これは、長い間奄美に住んでいた新聞記者の人が書いた本だが、かなり距離を置いて概観したような雑記的な記述が多く本として夢中になれるものではなかった。それでも、奄美のことを学ぶのには手軽な一冊。
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バンコクがもたらしたこと

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バンコク出張。
指導教授の先生が率いる文科省のGPプログラム(修士の学生が参加)に便乗する形で、ユネスコバンコク、ユニセフリージョナルオフィス、SEAMEO(東南アジア教育大臣機構)、SEAMEO RIHED(東南アジア教育大臣機構高等教育開発センター)、AUN(ASEAN大学ネットワーク)などを訪問しブリーフィングやQ&Aの機会をもらったり、SEAMEO-JICA共同開催で行われた二日間のワークショップに参加した。

タイでは何人ものタイ人の友達に会った。チュラの地域研究機関で韓国語を教えているKamon(ソウル大学の語学堂6級で一緒のクラス。あのクラスは楽しかった。)、来週からニュースキャスターのPong(JENESYS J-ASEAN Student Conferenceのときの私がファシリテーターをやったグループのメンバー)、
マヒドンのインターナショナルカレッジに通うBean(同じくJ-ASEAN会議の時のリージョナルアイデンティティチームの他グループ参加者)とその彼氏。最後の二日間は、ゼミ友達でいまユネスコでインターンしているパイプの家に泊めてもらった。

途中でバンコク病になる。
バンコク病とは、帰りたくない、センチメンタル、胸騒ぎ、のこと。
あの都市にいくといつも浮き足立つのは、きっといつも旅の始まりや終りがバンコクだった記憶とつながっているからかもしれないと思う。そしてたくさんの国から来た人たちが気を抜いているのを周囲に見ながら、この都市は本質的なところでいつも変わらない、とおもうし、来るたびに変わっている自分のことを考えたりもする。

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23、24日はJICA- SEAMEOのワークショップ。このワークショップでは休憩時間や終わったあとに各国からの多くの先生たちや省庁の人たちと話すことができて、今後につながりそうな大事な会話もすることができた。会議自体も非常に活発な議論が行われていて、こうして自分の研究と直接関係のあるテーマが、まるで大きなサラダボールの中であれもこれもいっぱい素材を入れられて、みんなにいろんなドレッシングをかけられてぐちゃくぎゃにかきまわされているような状態の議論を聞くのは、疲れたけれどとても面白かった。

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私が今一番興味を持っている団体。ユネスコバンコクの階段。小さくて古いけど、地域の大事なことをたくさんマネジメントしているオフィス。壁にかかるたくさんの言葉を、ひとつひとつ爆笑しながら読んだ。

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ユネスコを訪ねた日はちょうど、International Mother Language Day 2011/2/21 だった。

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Hem にはThammasat UniversityのInternational Collegesを案内してもらった。今回は自分の研究も兼ねての出張だったので、ワークショップやGPスケジュールの合間をぬってチュラ、タマサート、マヒドンというタイの有名な大学を一人で回る中で、数字や書面で見ていたことを現実にみるととで、この3つの大学がどんな大学なのか、どこを選ぶのが自分の研究にふさわしいのか、掴めた気がする。

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さぼん&れかっくの部屋、#2621にはいつも遊びにいかせてもらっていた。あの部屋で、私たちは何本のビールをあけたことか。夜中過ぎまで毎日馬鹿騒ぎしてひたすら笑って、私たちはいつも寝不足だった。モンゴルのヤングリーダーズプログラムのときもそうだけど、多国籍の私たちが集まると、時間はいつも足りない。そして寝不足になって、プログラムの最後の方にはみんな疲れ果ててしまうのだ。

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最後の2日間は、パイプの家にとまらせてもらった。バンコクの中心より、ちょっと離れた、大きな家。パイプの車に何度ものって、そこでたくさんの話をした。仏教の話も、ゲイの話も、タイの教育の話も、それらについて自分が考えていることも。日本でもゼミでいつも会うのにできなかった話。バンコクマジック。

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GP日程最後の日は、メンバー全員でチャオプラヤ川クルーズ。タイには何度も行っているけど、いつも貧乏旅行ばっかりだったから、こんな豪華なクルーズに乗ることはなかった。そして今後も、多分一人だったらきっと乗らないだろう。一生に一度の高級クルーズ。皆と行けて、良かった。写真はここぞとばかりにご飯を食べるキャシー。元バックパッカーの二人で、スイーツを完全制覇した。

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プログラムをリードしてくれた、リタと林くん。リタとはGP最後の二日間部屋をシェアして、毎晩遅くまで「愛と犠牲」などのテーマについて話し合った。同じ年だけど妻であり母親である、人生の先輩。
うちのゼミは、オンナノコが多い。オンナノコは、みんなたくさんの情報を、たくさんの感情を持ってる。私はどちらかというとそういうのをためこむタイプだけど、女の子はそういう感情やゴシップを共有する。仲がいい、と思われている中にも、たくさんの感情がうごめいている。私は一人だけ博士の女子で、みんなよりちょっと離れたところにいて、そのせいかたくさんの人の話を聞いた。自分がブラックボックスになった気分だった。私のところに落ちた情報は、すとーんとおちて、もう浄化された。

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JENESYS日ASEAN学生会議(2009)の時の、Regional Identityグループ・タイメンバーのPong & Beanともあって、タイのこと、日本のこと、文化の違いや男の子についてたくさん話した。国境を越えるガールズトーク。Pong(左)はグループJで私がファシリテーターしていた教育班のタイ代表。Beanは次の日マヒドンを訪ねたとき、本当に色々案内してくれて助けてくれた。


以前、又吉さんが、自分が何か悪い精神のスパイラルにはまりそうな時は、後輩にご飯をおごる、といっていて、私はその気持ちを、今回タイで後輩たちに会う中で、分った気がした。人にご飯をおごることで、なにか自分がこうあってよかった、と思えるような効果があると思う。
まるで寄付の時の理論みたいだけど、おごるほうがうれしいのだ。


明日はモルディブへいってしまう指導教授の先生の代わりに比較教育学会の大会準備委員会にでて、六本木でグーグルの川島さん、夜はユネスコの服部先生と東京ワンダーサイトのレセプションにいく。やりたいこと、やっておきたいことがたくさんある。読んでかけていないレビューも、行く前に完成させたいPPTも、共同研究の論文も。疲れないからだを作りたい。もっと仕事ができる女になりたい。


そして明後日からソウルへ行きます。

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カメラ!カメラ!カメラ!
私の所蔵カメラを紹介します。

NIKON FE2+NIKKOR 50/1.4 & NIKKOR 24/2.8

このセットは2000年から2004年までの旅のほとんどを一緒に行っているので、傷やへこみが半端ない。
一台目はFEは、父から譲り受けたもの。まだ私が産まれる前に、嶋内さんが神奈川新聞を辞めて今の会社に移ったときに百合ちゃんが買ってあげたものだそうだ。だから貰った10年前でさえ、20年くらいの年代ものだった。
買い替えたときも、私はいつもブラックを買った。FEの硬派そうに見えて柔軟な使いごこちが好きだったので、当時カメラを好きだった人たちが憧れていたちょっと高めのF3や、マニュアル好きの人が使っていたFMシリーズにはあまり惹かれなかった。
一台目FEが、下に落として裏蓋がしまらなくなった。二代目も裏蓋の締まりが悪くなったので買い替えた。
三代目FEはちょっとグレードアップしてFE2に。当時で3万円ほどだったと思う。今では1−2万円で売っている。
ついているのは24/2.8。この3台は、ずっと「野菊」っていう名前がついていた。

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父から貰ったときについていた50/1.4。これもかなり年期の入っているのもの。
24ミリ(大学生の私にとってはかなり高いレンズだった)を手に入れるまで、ずーっと長い間使っていたレンズ。
旅の途中で車から落として、レンズのふちがへこみ、フィルターがつかなくなってしまった。
後レンズにはカビがでてるせいで、とてもまろやかな映りになる。あまりに一緒にいすぎて、捨てられない。

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CONTAX RX + Planar 1.4/50 + Distagon 2.8/25

ニコンのFEの後に、メインで持っていたカメラ。ツァイスレンズが使ってみたくて、コンタックスに乗り換えた。
RXは、正直私には重すぎる。
肩は凝るし、片手で持っていると手が硬直してくるくらい重いのだけど、その分頑丈で落としても傷もつきにくい。
2005年のカラコルムハイウェイから北京までの何千キロを一緒に旅したカメラ。
本当はAriaがほしかったけど、当時はAriaはRXの二倍はして、高くて買えなかった。
今Ariaは3万円くらいで売っている。RXに至っては1万円台だ。
プラナー50は非常に評判のいいレンズらしいけど、私はもう殆ど広角しか使わなかった。
このディスタゴン25ミリというのは微妙なレンズで、ニコンの24とは全然違う。
周辺の光量落ちもないし、とても優しい映り方をする。

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CONTAX G1 + Gマウントシリーズ (Planar 2/45, Biogon 2.8/28, Sonnar 2.8/90)

コンタックスGのピントがあったときは、ほんとにはっとするような印象的な写真が撮れる。ぼけも綺麗。
至近距離で撮ると、押し込んでもシャッターがきれなかったり、対象の色によって若干ピントが迷うことがあるのが難。
オートフォーカスより自分の手の方がピントを合わせるのは早い。動体予測もできるしね。
今は次に出たG2の状態のいいものが出たら買いたいと思っている。こんなかっこいいカメラはもうでないんじゃないかってくらい、外見が他のものとは一線を画したかっこよさ。28という大きさは私には中途半端で使いにくくて、旅のときは出動しなかった。昔は高くて買えなかったビオゴン21ミリも、今では買える値段になった。
現在、Biogon 2.8/21を三宝カメラでおとり置き中(49350円)

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Planar 2/45
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Biogon 2.8/28
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Sonnar 2.8/90
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GR1s
私の持っている中で一番男らしいカメラ。以前があみんに貰ったもの。
28ミリのGRレンズはなかなか優秀で、ピントもはずさない。これでは主にモノクロばかり撮っていた。

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FUJIFILM NATURA (Piano Black)24mm
コンパクトだけど24ミリの広角がとても便利。ちゃんとぼけもでるのがすごい。
ピアノブラックは当時の限定版で手に入れた。傷はついちゃったけど、とってもかっこいい外見。
ナチュラのフィルムじゃなくても、800くらいのフィルムを入れればかなり暗いとろこまで撮れる。
ただシャッターの音が気になって、私はあんまり使わなかった。フォーカスも早く、押し込んでからシャッターを切るのも早いので、人物を撮るのに向いている。おかあさんカメラだと思った。

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GR3 Degital
コンデジはこれ一つで十分。GR3デジタル。
いつも正方形の形にして撮ってる。外見も好き。ちなみに自分でつけた真っ赤なストラップも気に入っている。
これを撮ったのはiphone。

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他にオリンパスのコンデジと一眼E-410もあるのだけれど、もう使う見込みがないので、早いところ売り払おうと思う。あと写真はないけど、一世代前のチェキも持ってる。チェキは人にとても喜ばれるので、大好き。
いつもキティのフレームを買う。リサ&ガスパールとかミッフィーのフレームもあればいいのに。







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KYOTO
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京都でわたしがしたこと。シンポジウム参加(『大学のグローバル化と複言語主義』)、京都大学探索、一日京都紅葉観光、久しぶりの一人格安旅(3泊4日、交通費+宿泊費はしめて11500円)を満喫、のほかに、実は少しおセンチなこともしていた。

京都は、町中に埋め込まれているように、お寺や神社が出てくる。世界遺産に登録されているような大きなお寺や神社もかっこ良かったけれど、町中に存在するたくさんの小さなお寺と神社に私はもっと心惹かれて、そこに置いてある千羽鶴や生けられたお花、手書きで書かれた「ろうそく10円、お線香10円」などの案内をいいなあという思いで見つめていた。

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自分が住む横浜を好きになれないのは、幼稚園からずっとバスや電車に乗った私立に行っていて、地元に友達がまったくいない(ので外で遊んだ経験が殆どない。友達の家に行くときは、親同士が電話しあって菓子折を持ち、母親同伴でお邪魔するということが当たり前だった@小学生時代)というのもあるけれど、都市の性質の違いが最も大きくて、そういう意味で、横浜、特に私の住む住宅街である港南地区には「根付きたい」と思えるような文化があまりないという気がする。上大岡は、横浜市の副都心開発で駅前の商店街をつぶし、趣味の悪いビルをたくさん立てた。(その名も、上大岡(かみおおおか)にちなんでcamioとmioka。駅に隣接するのは「ゆめおおおか」。)生まれてから高校までと、2007年に韓国から帰って来てからずっと住んでいるので、愛着がないと言ったら嘘になるけど、例えば海外にいったときには、嶋内家の持ち家がある上大岡よりも、祖父母の住む横須賀や三浦により深い郷愁を覚える。


京都大学は非常に開けた大学だった。狭い敷地に背の高いビルがならんで人がうごめく早稲田、とは全く雰囲気の異なった大学。自転車で通って来ている人も多いらしい。京都大学の周りには古い家や、昔ながらの商店などもたくさんあって、散歩していてとても気持ちがよかった。たくさんの「闘争系」の看板たちも。

菅ブルジョア救済内閣打倒(さすが京大!)

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三条通りを歩いていたときは、京都洛風中学校による『今月の四字熟語』。このセレクションを、夢中で読んだ。

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最初のお寺では、死んじゃったあの人のために祈ってちょっとだけセンチになり、祇園四条を歩いていたら、以前、来たことのあるクラブを偶然発見してしまった。それはすごく前の元彼と一緒にきたことクラブで、当時はどこにあるかなんて全く意識していなかったけど、地下に降りていく階段の感じが私の記憶と完璧に一致した。それで、ああ、あそこは祇園だったんだ、と今になって知ることになる。

私は2000年から2001年にかけて京都の人と付き合っていて、何度か東京と京都を行ったり来たりしていた。ガーディアンの春合宿をそれで行かなかったこともある。その人とは2000年にカンボジアのプノンペンであって、帰って来て東京に遊びに来たときに再会して付き合い始めた。もう随分前にコンタクトをなくしているし、もう今では何をしているか、どこにいるのかも知らない。でもたぶん、今までの中で、一番始めに本気で好きになったのは、すべての面で自分が知らないことを知っていた、からだと思う。それまでの私の人生の、アンチテーゼだった。

5人兄弟の2番目で、お父さんは大工さんだった。訪れた京都の家は、専業主婦の百合ちゃんが隅々まで手をかけているうちのマンションの1室とは大違いで、彼の部屋は離れ、というかメインの一戸建てから離れた、どう見ても手作りの物置小屋にしか見えない作りの4畳くらいの場所にあった。物が漫然と積んであって、床も天井も置物も、すべて連動している感じがした。明らかに女を連れ込んでいるのに(そして私は連れ込まれた女なのに)、私がどきどきして挨拶してもお父さんは目もくれなかった。

工業高校を卒業して、地元の会社で働いていて、毎日どこかのデパートのディスプレイを作っていた。私が一番好きだったのは、たぶん、卑屈なところがないことだったと思う。空ポジティブとはちょっと違う、ちゃんと自分の置かれている社会的環境を理解した上で、自分の判断基準をしっかり持っていて、自分にも自分の周りにもちゃんと誇りを持ってる。私はそのときも、いつも何かに不満があって、そういう意味で自分を中心とした自分の環境に自信がなかったので、彼が地道に積み上げて来たそういう自信のことが、とてもまぶしく見えたんだった。

彼とカンボジアであったとき、彼のコミュニケーション能力をすごいなあと思った。タイからカンボジア、ラオスを旅行していたので、大学生なんてごろごろいたけれど、彼ほど英語をはなせる人はいなかった。明らかに学校でちゃんと習ったものではない、文法とかはめちゃくちゃな英語。音楽や映画や、人との会話から取り込んでいって、自分の中で構築した英語。それでどんどん現地の人と仲良くなって、一緒に鍋会をしたり、クラブにいったり、バイクに乗って遊びにいったりしていて、彼のする旅のスタイルみたいなものにはすごく影響を受けたと思う。仲良くなったのは、同じニコンの一眼(FE)を持っていたからで、それぞれ近くの安宿に泊まっていて、ごはん時なんかに会うとよくカメラの話をしていた。私はシアヌークビルからタイにフェリーで戻ったのだけど、その後、バンコクに戻って来てから会った人に、彼がシアヌークで「金髪のショートカットの女の子(私)」を探していたとの話を後で聞いた。

京都では、彼の運転するミニクーパーで色んなところに行った。寺町商店街や河原町で偶然あう彼の友達は、どうみてもやくざかヤンキーにしか見えない風貌の人が多くて、その中でも彼は異色の個性を放っていた。古着が好きで、そのあと高円寺の近くに住み始めたのも彼の感性にだいぶ影響を受けたからだろうし、写真をちゃんとやろうと思ったのも彼がきっかけだ。東京・京都という文化の違う街で育ったこと以上に、違う階層にいる人と初めて近くなって、自分が今まで積み上げて来たと思って来たものなんて、なんて甘っちょろくてなんて地に足がついていないんだ!と思った。学歴ばっかりつけても、私が彼より知っていることやできることなんて殆どなかったし、議論をしても彼の方がよっぽど理論整然としていて、でもどこかの地点であきらめて妥協する、とか、相手を許す、ってことをしっていた。

そして私は、傲慢にも、この人は賢い人なのに、なんで遊んでばっかりいる友達と付き合って、時間を無駄にしているんだろうと歯がゆく思っていたけど、それは完璧な私の思い上がりだった。友達に紹介されたとき、私はやっぱり自分が大学生っていうアイデンティティみたいなのをもっていて、「東京で大学行ってる」って紹介されるとちょっと相手が距離を置いて、その距離に自分も便乗して壁を作るようなまねをしていたと思う。青かった。結局自分は、自分の存在する社会環境の中でしか人とフェアにコミュニケーションがとれないように、自らをかこっていたのだ。

で、こういう人に出会っているから、っていうのもたぶんあって、昨日読み終わった『下流志向』で、内田樹先生のいっているような「若者が自ら階層を下げている」という言説は面白いと思う部分もあったけれど、内田先生は多分、彼らなりの生き方を理解しても同感はしないだろう、と思った。私はもっと、同感と、そうならざるを得ない彼らの状況を作り出している社会に対して、奮然とする思いに近いものがある。おそらく同じ世代だから、っていうのもあるだろうし、階層を下げるのはやはり自らがしていることではなくて、今まで支配的だったイデオロギーのアンチテーゼなんだよ、と思う。そしてそのアンチテーゼっぷりに私は同感するのだ。

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

私が今覚えているのは、寺町商店会、新京極商店街、三条通り、この3つが彼の家から近くて、このへんのカフェに自転車でよく行っていたこと。
今回、途中でふいに住所を思い出した。当時手紙をやり取りしていて(Eメールがあったけど、プリントした写真を送ったり、書きためた手紙を送ったりしていた)、彼の家の住所を何十回と書いて、そして京都は住所のあり方がとても規則的で分かりやすいんだよ、といって説明してくれたことを覚えていた。たまたま歩いていた通りで「六角」という文字を見たときに、そうだ、六角下るか六角上る、か忘れたけど、とにかく六角通から北か南にいくんだということを思い出して、三条、寺町、六角のあたりの道をぐるぐるぐるぐる回った。

結論から言うと、結局どこか思い出せず、家も見つからなかったけど、見覚えのある場所が意外と多いことに驚き、そして変わった所も多いことに気づいた。全国チェーンの靴屋さんや居酒屋さん、新しいファッションビルみたいなのがたったりしていた。あれだけ回ってなかったんだから、もしかしたら家自体がもうないのかもしれない。お寺とお寺の間に、埋もれるようにあったから。

2003年くらいまでは、この曲を聴くだけで泣けたけど、最近ではもう泣かない。でもすごくいい思い出として、めちゃくちゃ補正されて、残っているだけ。

そして京都大好きだ。

KYOTO Judy and Mary



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A Day in one Life
おはよう のびー
Ohayo no nobi-

クラムチャウダー&ハムたまごサンド
Asa gohan at home

五本指靴下+ビルケンシュトック@京浜急行快速特急上り
5 finger socks + BIRKENSTOCK

19号館
19th building

誰ですかこういう粋なことするのは
Who did this "iki" thing?

マイコックピットかべ
Here my cockpit's wall


Night jalan jalan


Waseda sweet Waseda

My favorite restaurant donbei
Udon-holicer

Home sweet home
Home sweet home
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WAX AND WANE


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インタビューの後、ユダ邸で、手早く作れる日本の家庭料理みたいなもの(鶏肉をニンニクと玉ねぎで炒めた物と水菜のサラダ)をたらふく食べ、そのあとユダオリジナルのバナナ金柑らっしーなるものを飲んだ。

彼によれば、男はキッチンに三つのものを持っていなければならない。
それは包丁、フライパン、ミキサー、だそうだ。


これからインタビューの文字起こしと、コーディングの続きをやる。
トルコが終わって、やっと一息つけると思ったら、とんでもない。
質的研究の課題、週末のトフル、研究会、来週明けのプレゼンと課題が目白押しなのだった。



人と話すときに、考え方が違ったり、価値観が違ったり、そんなのは全然構わないけれど、
それは違うんじゃないっていうことをどういう風に伝えるかってすごく大事だなと思った。
結果的に一つの何かにたどりついたり、
相手の言っていることに納得できたとしても、
その中で残ったきつい言葉たちは、なんらかの影を相手の心に残していく。
ちょっとずつ積っていく砂みたいに。
そしていつかざらざらな膜ができてしまう。

明日はついに日本戦か。今日はセルビアに頑張ってほしい。

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私のガジェット・ライフ + 散りゆくものたち
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新学期が始まって、曲がりなりにも本格的に研究者としての道に進むことになり、自分を取り巻く研究および生活環境の整備をしている。今日は、そんな私の持ち歩く便利なガジェットたちの話。

私の生活を彩る付属品たちは、以下の5つ。

 〃變魅痢璽肇僖愁灰
(以前はLet's note、今週末にバイオのXシリーズ(ゴールド)が届くはず)
◆i touch (16GB)
 Pocket wifi
ぁ〃搬咫AU)
ァPASMO(オートチャージ)


これらはどれかが欠けても不便で、毎日持ちあるいている。
これにプラス、本やその他資料をもって大学まで行くと、ここ最近のように毎日腕や肩に内出血ができる。
荷物は少なく、自由に、のスナフキンにあこがれていたのに、こんなんではいけない!と思い、どうにかGadgetを少なく軽量化したい、ということをずっと考えてきた。

まず一番考えられるのが、いくつかのアイテムの統合。
たとえば、携帯+i touchをまとめてiphoneに変える、という方法。
なかなか踏み切れなかったのは、私はもう10年以上AUと付き合っているし、大学時代からずっと使っているという思い入れのようなものがあって、AUのサービスや携帯本体のデザインに別に満足しているわけでもないのに、なかなか踏み切れない訳があったのです。

それにも関らず、私が今iphone購入に9割がた傾いている訳は、以下の3点。

 通話+スカイプ機能
i touch + pocket wifiでiphoneの機能はほとんどカバーできるものの、やはり別に携帯を持たなければいけない、というのが面倒くさいこと、そしてiphone 3GS であれば、スカイプが使える、という点もとても大きい。
実際、携帯でかけるより、スカイプ経由でかけたほうが安いのです。
(相手がオンラインであれば無料だし。)


月額料
私はAUにだいたい毎月4000円から5000円払っています。それをソフトバンクにすれば、学割なども入れて月2400円から始められる。
なぜなら、私はpocket wifiをもっているため、ソフトバンクの定額パケットを利用しないからです。

そもそも、マクドナルドとか一定の場所でしか使えないソフトバンクのwifiにあまり魅力を感じない。
私がよくメールをチェックしたり、i touchをいじっているのは、おもに通学中。座ったら本が読めますが、街中を超特急で走る京急では、込んでいる電車の中単行本を読むのは結構疲れます。1時間の電車も有効に過ごせるのは、どこでもつながるwifiとi touchがあるから。

ちなみに私は、家の無線LANも契約解除した。
大学でも家でもずっとpocket wifi。
今までBIGLOBEに払っていた4000円が消え、pocket wifiの月額約5000円ほどだけになった。


 iphone + パスモ
オートチャージにしてから、大抵の買い物はパスモ。毎月かなりの額がそこから落ちる。でも今、とても面倒くさいのは、私の家から大学にいくまで、バスも入れて私は4回定期入れの出し入れをしている、ということ。
雨の日や、片手にi touchを持っている時なんかはとても不便だし、大抵の場合電車の中では本+itouchを出しているので、荷物を持った手で定期入れの出し入れが負担になることもしばしば。

そんなときに、iphoneにして、iphone専用のケースでパスモなどを収納できるものを買えば、iphoneをかざすだけで改札を楽に抜けられるのではないか、ということ。
たとえばこんな商品。
iphoneをお財布ケータイにする!


以上のことから、私がi phoneを買うと、
今後「出発前に鞄に入れるものリスト」は、

軽量ノートパソコン(VAIO X、約780g)
   +
iphone with PASMO
   +
pocket wifi


と、このように3つに統合できるのではないか、ということ。
この統合における唯一の懸念は、電源である。
pocket wifiはすぐに電池がなくなる。
i touchも、映像などを観ていると、帰宅中には電池残量10%なんてこともしばしば。
その懸念を解消するために購入したのがこれ(↓、気が早い)

SANYO USB出力付きリチウムイオンバッテリー (専用リチウムイオン電池使用) KBC-L3AS

これがあれば、i phoneもpocket wifiも充電できる、という便利な逸品。
せっかくの無線wifiなのに、USBでつなぐ、というのがどうしても許せなく、かつコードをいっぱい持ち歩くのも嫌なので、これは2つ購入して一つは大学においておこうかとも思っている。


そしてもう一つ。
今導入しようと考えているのが、Evernote + Eye-fi
上記の3つのほかに持ち歩くリコーのGR3。
それを無線でEvernoteに送信できる、というもの。
たとえば名刺の管理なども、わざわざスキャナにかけなくてもいいし、撮った写真をUSBでつないで・・・というステップを省けるので、のちにフリッカーなどにアップロードする際にも簡単。
それに私が今週末バイオが来たら導入しようと思っているEvernoteのプレミアム会員付きというもの。
これは近々購入予定です。

Evernote + Eye-fi



散りゆくもの。今日の雨で散ってしまった、今週末のさくらたち。

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大岡川の桜も満開。
昼下がりの横浜南。しゃがんだ私と同じ目線の男の子がやってきて、下に落ちた花弁ばっかり1時間くらい撮っている私を、不思議そうにみてた。こんなにきれいなのに落ちちゃうなんて、だからこそ桜がいとおしいんだとおもう。

帰り道、急に雨が降って、仕事帰りの百合ちゃんとサーモンピンクの傘を買った。今年の憂鬱な梅雨を少しは明るくしてくれると思う。





プルデューの再生産を読んでいたけれど、なかなか理解できない。

ご飯のときにソレイユをみて、ユトレヒトの安宿で観た、『アレグリアを思い出した。あの時から私は何が変わったのだろうか、と考えている。

ジェリー・コックス
エスピーオー
発売日:2000-11-03

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野球狂の詩



春なのにまだ冬のように底冷えしていた昨日、20年ぶりくらいにプロ野球を見に行った。ロッテのホーム、マリンスタジアム。海浜幕張。

とってくれたのは内野の前のほう、球の位置がよく見えるとてもいい席で、ときどき歓声をあげる学生や一人で来てご飯を食べながらたんたんと眺めるおじさんに囲まれながら、楽天VSロッテの試合を観た。
早慶戦の神宮しか経験したことのない私にとって、プロ野球の緊張感と落ち着きはまた違った印象。丸い球場の外枠をぐるっとあるいて、緑と青のプレー空間にでるときの景色。

私が野球に嵌っていたのは、中学1,2年生の時だった。
私が何かグループやチームと呼ばれるものに嵌る時は、そこにいる人間の化学反応を面白いと思っている時だと思う。
私は当時ある意味全盛期だったヤクルトに相当お熱で、毎日野球中継を見ていた。当時の野村監督の戦略もあったと思うけれど、珍プレー好プレーのようなスポーツ番組だけじゃなくて、いろんなバラエティで彼らのチーム力や面白い掛け合いをみて、オフの時と全く違う顔をしてプレーをする野球選手たちにすっかりはまってしまったのだ。

私の周りには、いわゆる熱狂的な〜ファンというのが少なからずいて、今回もたくさんの熱心なファンの人たちを観た。
そして、それを少しうらやましいと思う。
どこか好きな球団やチームがあって、それを応援できて、試合を通して喜怒哀楽を一緒にできるって、人生の彩の一つとして凄く素敵だと思った。


野球に関しては、甲子園、とか少年野球とかを身近に感じていない分、ドラマや本や漫画でできた野球狂へのあこがれみたいなのはある。
たとえばこんなの。


何度も繰り返し読んでいる松本大洋作品のひとつ。
いわゆるスポ根漫画、っていうのはいっぱいあるのだろうし、
一般的にはこの漫画は親子愛?を描いた物語なのだろうけど、
私の中ではこの『花男』がザ・スポ根漫画だ。



メディアファクトリー
発売日:2005-06-10

私の好きな役者(山田孝之、石原さとみ、田中幸太朗)がそろっていて、また堤監督という、監督&キャストだけで100点満点なドラマ。うざいくらい青春。映像も、みんな川内倫子みたいな淡くて、体操着の白みたいなドラマ。
原作は読んでいないが、堤幸彦のネタ小道具(納豆ふりかけとか巨大焼きそばパンとか)も満載で、漫画っぽいライン満載だけど、それもキャストの演技力でカバーできてる。なぜ視聴率が悪かったのか理解できないドラマのひとつ。




これも何度も何度も観てます。
ジャニーズ番付に載る前の翔きゅんの着物姿(呉服店の息子役)も素晴らしいけれど、何よりくどかんの脚本がいいです。5,6話くらいでちょっとだれてはくるけれど、阿部サダヲ、ぐっさんはじめ、脇を固めるキャストの個性も逸品。私の母親は、1回表・裏、っていうあの構成が全く理解できない、と言っていたし、2002年当時の10時台でやるには前衛的過ぎたのかもしれない。





今日はJICA研究所で最後の勤務日でした。
最後にマネジメント部門のところでみんなの前で挨拶をして、
私を雇ってくれた上席研究員から代表で花束と色紙もいただいた。
JICAで働いてみて、面白かったこと、学んだことはいっぱいあります。
それは具体的な仕事を通して、というよりは、あの場所に身を置いて、
人とかかわりあう中で気付いたことだったり、気付かされたことだったと思う。
修論と博士試験と学振書類とインドネシア出張とインフルエンザで本当に死にそうだった去年の6月から、9ヶ月間研究助手として働いたことになります。
いろいろ心残りがいっぱいあって、助手として貢献できたことは本当にわずかだと思う。
ただ去年、いろんなところにCVを送るなかで、この研究所が私を選んでくれたことで、私の人生のいろんなことが変わっていったと思います。
それをいい方向に持っていくのも、私自身。

だれも観ていないと思うけれど、研究所のみなさま。
どうもありがとうございました。
次に会うときは、もうちょっと躍進していたいな。

JICA�究�����������������... on Twitpic

| | 00:10 | comments(2) | - |
The Gathering Place
JICA研究所勤務も残すところあと3日。
場所が市ヶ谷なので、今夜はJICAピープルとそのまま靖国神社に流れてお花見予定。晴れてよかった。




この間東京タワーに行った。
東京タワーに行くのは3回目。
一回目は小学生の時、嶋内さんに連れられて。
嶋内さんとはおそらくマリンタワーとかも行ったので、どっちの記憶か定かではないけれど、外の見える透明なエレベーターの中で飛び跳ねたら本気で怒られた。彼は高所恐怖症だったのだ。

二回目は韓国から一時帰国していたとき。
三回目は先週末、台湾へ帰る前のアンドリューと。
何度もいついこうか、と話しつつ、ふもとまで行ったことはあるものの、いつも行くタイミングを逃していた東京タワー。
どんなに長く日本に住んでいても、やっぱり「外国人」だ、という意識がある人にとって、東京タワーはちょっと特別なものなのだ。




休日で、暖かくて、お天気もすごく良かったこともあって、
真ん中の展望台には人がいっぱいいた。
強風だったけれど、階段でのぼり(上りきると証明書のようなものもくれる)、沈んでいく太陽を見た。
特別展望台までいくつもりだったのだけど、私たちはそこでとても満足してしまい、一番上までは行かなかった。
最後にみる東京がきれいなものでよかったと思う。

そしてその東京タワーは病気のように私を虜にしてます。





昨日はGSAPSの卒業式&学位授与式。うちのゼミのくららがDean's listにのって、あと一週間でルーマニアに帰ってしまう彼女と、6月にトルコで会う約束をした。
日本人の子達はまたきっと会えるけど、国に帰る友達はみんなそう簡単には会えなくなってしまう。
GSAPSはいろんなところからたくさんの留学生がきて、ここで人生を様々な形に変えて、ある人はとどまりある人は元にいた場所に戻る。まさに、ハワイのオアフのような、The Gathering Placeになっていて、そこに入れることは切ないけどとても素敵だな、と思います。





twitpicはじめました。

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