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「おめでとう」への違和感、後日談。
先日のポストの最後に書いた、妊娠→「おめでとう!」と言われることへの違和感について、私の伝え方に問題があって、意図がうまく伝わらなかったような気がするので、現在考えている範囲でその違和感の正体について、書いてみたいと思います。

前回私は妊娠して分かったこと、感じたことなどの最後に、こんなふうに書きました(そのまま抜粋)。

今回のことに関して、万が一お祝いの気持ちを持って頂ける際には、謹んでお気持ちだけ頂き、おめでとう系の言葉は固辞させて頂く(なんだか自分以外の人間への配慮がないし粋ではない気がしてどうも腑に落ちないので)。でも先人の方々からは、是非お腹の筋肉を如何に保つか、体重コントロールの仕方、だるいときの気合いの入れ方、子ども関連の保険、頭に来るアドバイス狂たちとのつき合い方など、ざまざまなテーマで体験談を聞きたいなと思う。

これに関しては、まず相手がどういう風に反応するか、そして私のブログをどこまで読むか自体も相手次第なので、「こういう風に言わないで欲しい」ということ自体が傲慢だったように思います。実際、私にコメントをくれる人は、皆ものすごい優しい気持ちや愛を持って気持ちを伝えてきてくれたので、友情や信頼に感謝するとともに、私は自分の傲慢を恥じ、その上でなぜ「ありがとう」に違和感を持つのか、今考えていることを共有できればと思っています。


「おめでとう」の使い方について。
私の博士号取得は「おめでとう」でいいと思う。努力して手に入れたものだから。出産も、10ヶ月乗り越えて、分娩っていう努力をした結果。そして誕生日もおめでとう。誕生日はなんだかもうテンプレになっている。しかし私は妊娠=おめでとうをテンプレ化することにも抵抗がある。何故かというと、妊娠という現象は努力じゃなくて、ほぼ運で、先天的な要素も多く、そしてとてつもなく不平等だから。欲しい人には授からないで、望まないのに授かることもある(私は今回望んだ妊娠だったが、一般論として)。

世の中には流産したり、体調や年齢やタイミングの問題などで産みたくても産めない人がいっぱいいるわけだ。それでも、妊娠できないということで、女だといわれのない批判をされたり、周りからプレッシャーを受けたり、精神的に大変な思いをしている人を、直接的にも間接的にもたくさん知っている。妊娠できるか、子どもを産めるか産めないかで女としての価値や幸せを判断されてしまう風潮は明らかにあって、私はそれにまったく賛同できない。

「おめでとう」と言うと、その運で不平等で、その人の努力でもなんでもないことを祝い、まるでその人自身がでかした!また、それが幸せの姿だ!という一方的な価値観に自分が加担しているようで、まず違和感を感じたのだと思う。


もう一つは、人間関係における「いいとこどり」みたいな風潮への抵抗感もあると思う。
妊娠を公開するとまずそれほど付き合いのない人からも尋常じゃない数の「おめでとう」がやってくる。誰かの悩みなどをきくよりも、良いと思われる報告に「いいね!」をして、「おめでとう!」という方が楽だからだ。しかも、人を祝うことで自分もいい人になれるし、もしかしたら少し幸せな気分になるのかもしれないし、リスクもない。普段、人が丹誠込めて書いた政治的主張や意見などの投稿には見向きもしない人も、人の幸せと思われる報告にはそれこそ簡単に便乗する。それは人間としてものすごく自然なことだと思う一方で、いいとこ取りのような気がして、私自身は他人に対してこういう態度を取ることができない。そしてひねくれものの私は、そうされると「こんなときばっかりなんなんだろう」、と思ってしまう。

この「規範的幸せ」や「いいとこ取り」への違和感は、他のことにもつながっている。
普通とは違うものに対するタブー視や、いわゆる可哀想目線なども、特に日本の人達によるFacebook投稿を見ていると感じる部分だったりする。幸せな結婚、望んだ妊娠、健康な子ども。こういうもの以外にはなるべく触れないことで、色んな幸せの形、もしくは「他の人と違うから幸せじゃないのかも?」と感じている人を排除しているように感じる。正直、自分の子どもが障がいをもっていたら、この社会で育てるのは可哀想だと感じる。多様性への免疫がなく、一方的な価値観で相手を判断し、見なかったことにして回避されるから。

長年様々なSNSとつき合っているものとして、Facebookによる幸せの一方的報告勝ち、みたいな雰囲気があまり好きではない。私の書き込みのほとんどはいわゆる「幸せ報告」ではないので、私の書き込みを好きではない人も多いとは思うがそれで全く構わないと思っている。読みたい人だけ読めば良いし、目に入るのもいやなのであればミュートしたりunfriendしてもらって一向に構わない。私の個人的考えだけど、facebookみたいに(Twitterなどと比べれば)閉じたSNSだからこそ、もう少し多様性のあるコミュニケーションが取れる場だと面白いと思う。




前回のブログにも書いているが、おめでとうと言ってくれる気持ち自体は嬉しい。その気持ちが伝わるものならなおさらだ。今回私は、妊娠自体のおめでたさではなく、妊婦という立場にたって感じたことで伝えたいことがいっぱいあった。主に日本社会における妊婦の扱われ方についてだったのだが、今回はそれがうまく書けなかった(なぜならまだまだもやもやしているから)。結果として妊娠の報告でしかなく、もちろん写真だけみて条件反射してくれた人もいる訳で、私こそが「おめでとうほいほい」のような投稿をしてしまったことも、書き手として失敗だったと思う。これは表現するものとして反省すべき点である。




東京が恋しい夜。
9月1日@ハワイ大学
| | 22:47 | comments(0) | - |
36.5ミリ



妊娠しました。
名前はまだないので、ここでは便宜上、子豆(こまめ)と呼ぶ。


仕事との兼ね合い
私は思いがけず妊娠したのだけど(つまり、特に排卵日を調べたりしていなかったという点で)、今思えば大変よいタイミングであったように思う。つわりの一番ひどくなるといわれる第8週くらいには、非常勤で教えている大学がちょうど補講が終わって夏休み。出産予定日は2月の最終日で、これも横浜市立大学は授業が1月に終わるし、防衛大学校も2月の中旬には終わるので、授業を補講にせずに出産を迎えることができる。2月28日が予定日で、3月いっぱいと4月の新学期が始まるまで、一ヶ月半くらいは休養できるわけだ。学振PDでありつつ非常勤講師である私は、補講をいつでもできるわけではないし、教育者として責任ある立場にいるので、何週も続けて産休を取るのは避けたかったから、これは大変有り難かった。生まれる前からできる子どもだ。ありがとう子豆。


分娩予約は競争
帰ってきて産婦人科にいって妊娠が判明したときは、6週半。そのあと旦那や親などに報告し、7週ちょっとの時点で現在の家からも実家からも近いみなとみらい地区の総合病院に電話したら、「もう来年3月半ばまで分娩予約はいっぱい」とのこと。つまり妊娠5週かおそくとも6週になった時点で電話しないと、分娩予約はできない、と。どうやら、首都圏の有名な総合病院では、これは当たり前のようだ。少子化対策とか言っているが、まずは安心して、自分の好きな病院で子どもを産める環境をもっとちゃんと整えることも重要なのではと思う。


その後、とにかく分娩できる病院探し。考慮したのはまず交通の便。私の現住所は東横線沿いの大田区なのだが、勤務先が横浜と横須賀なので、できればその沿線上で、乗り換えのないところ。また我が家も私の実家も車文化がまったくないので、何かあったときもしくは妊娠後期が真冬であることを考えると、タクシーでなるべく安く行ける距離にあるのがベスト。結局、家から2キロくらいのところにある大学病院で予約をした。私は一昨年腹腔鏡の手術を受けていて、また小さい頃の持病もあるので、産む時は帝王切開で、また内科や脳神経外科のある総合病院でという条件もクリアしていた。


さらに、私は価値観を押し付けられるのが最も嫌いである。母乳絶対主義とか、何がなんでも生まれた直後から退院まで母子同室主義とか、一つのやり方をモットーとして取り入れて、それを徹底する病院はごめんだった(母親が痛がっても看護師さんがおっぱいを絞りとるとか)。また看護師さんが「お母さんなんだからしっかりしなさい」みたいなことを言う病院もごめんだ。私にとって「自覚」というのは自分で手に入れるから自覚なのであって、人に押し付けられたり、ましてや会って何日かくらいの赤の他人に言われるのは自覚ではない。口コミを見ていると、かなり信念のようなものを持った病院というのも多くあったが、自分の性格的にそういうのがとても嫌いなので、なるべく柔軟に対応してくれそうなところを選んだつもりだ。



色々直面する問題。
まずは、出張中に飲んだワインは大丈夫なのか問題。ヨーロッパ出張の途中で生理が来なかったのだが、参加していた国際会議の最後(第5週くらい)まで、出されたワインなどを大量ではないにしろ、毎日1杯ずつくらい飲んでいた。私のせいで子どもに悪いことが起きたらとても申し訳ないので、これだけは気になる。次にマタニティーマークについて。自分がまさに妊婦になって、特に前期の授業が終わるまでは、通勤の電車でかなりしんどい思いをした。譲ってくれた優しい方々に心から感謝するとともに、非常に複雑な思いを抱いていている。これは次の機会に落ち着いて書きたいと思う。


私自身の身体の変化について書くと、いわゆるつわりと考えられるものが6週終わりからずっと続いている。友達の話を聞くと、起き上がれないとか毎日吐いたなどの経験も聞くので、それに比べたら私はだいぶ軽い方なのだと思う。仕事のなかでも、特に授業など対面関係で成り立っていることをしているときは、気持ちも張っているし、気分がまぎれる。しんどかったのはその仕事に向かったり帰ったりするときの電車の中だった。酔いやすく、臭いにも敏感で、そして常に気持ちが悪かった。もう一点感じたのは、反射神経が落ちた。突然閉まるドアや落ちてきた何かにすぐに反応できない。さらにはものを良く落としたりこぼしたりもする。眠気を感じることや頭がぼーっとすることが多いせいかもしれない。



妊娠して勿論旦那も、双方の両親も喜んだ。私の両親に至っては、自分も育児に参加する気で仕事を辞めようかしらなどと、なんだかやたらと張り切りだした。それは私も見ていて、とても嬉しく思う。一方で、妊娠・出産には、今感じているだけでも面倒くさいイデオロギーとか価値観の押しつけがいっぱいである。しかもみんな、それが良いと思って良い意図(GOOD INTENTION)でアドバイスしてくるから、無碍にするわけにもいかず、大変面倒くさい。これからはそういうものともうまく折り合いをつけてやっていかなければいけない。それと私は自分の気持ちはかなりあけすけに出すタイプだけど、自分の子どものように超絶対的なものに対して、「可愛い」とか「大事だ」というこれもまた当たり前のことをネット上でだだ漏れさせるのは性に合わないので、多分言わないと思う。でもだからといって、愛情とか考え方を他人からジャッジされるのはごめんだ。


今回のことに関して、万が一お祝いの気持ちを持って頂ける際には、謹んでお気持ちだけ頂き、おめでとう系の言葉は固辞させて頂く(なんだか自分以外の人間への配慮がないし粋ではない気がしてどうも腑に落ちないので)。でも先人の方々からは、是非お腹の筋肉を如何に保つか、体重コントロールの仕方、だるいときの気合いの入れ方、子ども関連の保険、頭に来るアドバイス狂たちとのつき合い方など、ざまざまなテーマで体験談を聞きたいなと思う。



これから一ヶ月(12週から15週にかけけて)
8月の上旬から約一ヶ月、訪問研究員としてハワイ大学内にあるイーストウェストセンターに行く。レジデンスも用意して貰い、1ヶ月、論文の執筆に集中するつもりだ。ネタはある。あとは集中が必要なだけ。目標は日本。少なくとも少しこの異常に暑い東京(と原発への不安)から少し離れられるだけでも嬉しい。旦那と離れるのは寂しい。HARIBOばっかり食べるから心配だし。

| | 22:23 | comments(0) | - |
花秀



26日の夕方、小さい頃私を育ててくれたおばあちゃんが他界しました。25日の夜、家で頭を打って意識を失って病院に運ばれ、次の日に予定していた手術もできずに、最後は私の見ているなかで、ちょっとずつ呼吸と心臓を止めました。慢性硬膜化血腫で、死の直接的な原因は後頭部の打撲だったのだけど、その前から脳の中に血がたまる病気だったようです。

倒れた25日の夜は、暖かい春のような風が強く吹いていました。その夜、「倒れた」という電話で呼び出されて実家まで行ったけれど、ICUにいるおばあちゃんには会いにいけず、終電で多摩川まで戻り、暖かいねと言いながら陽と歩いてから5日間、嵐のようにばたばたして、物理的に眠れない非日常が続きました。30日の今日、やっと告別式が終わり、皆が自分の家に帰ってゆっくり眠れるのに、おばあちゃんのいないバージョンの日常は、いつもと違う気がします。

死んだ日は、病院に運ばれてから24時間以内に死んだから、という理由で警察がきて事情聴取を受け、次の日の朝検死がおわってやっと自宅に帰ってきて、それから2日間、おばあちゃんとおじいちゃんの家で親戚一同交代で寝ずの番をしました。


私たちが人間の考えついたこととして賞賛すべきこの世のすべての事象は、1人で向き合ったら大変なことを、皆で一緒になんとかやろうとしているその工夫のことだと思います。「死ぬこと」という他人の圧倒的な現実を目の前にして、そこからその喪失を乗り越えるためには、たくさんの段階が必要でした。お焼香をすること、冷たい体に触ること、皆の弔問を受けて死んだいきさつを話すこと。顔に白い布をかぶせること、お線香、ごはんに縦に突き刺すお箸や、好きだったのに前に置いても減らないカステラ、持ってきてくれるお花が白ばかりなこと。布団に寝ていた遺体を普段は絶対にそんなところには入りたくないと思うような四角い木の箱の中に入ること。60年くらいずっと住んでいた場所をでて、お寺に向かうこと。そして最後には体を焼かれること。小さい階段を上ることで少しずつ心の準備をして、最後に待ち構えた大きな階段のときに息切れしないように、一気に登りきれるように、皆で一緒に行動してきた気がします。

故人に対する心持ちは人それぞれだし、個人間の温度差を感じるのは時に辛いこともあります。告別式の手配から席順、挨拶の段取り、当日の役割分担とその妥当性。本家とその伝統を大事にし、男子中心社会で親戚付き合いの強い母の実家では、私には受け入れ難い考え方もあるし、出過ぎたことを言ってきた葬儀屋や手伝ってくれる親戚に腹の立つこともあったし、決してみんなでいることそれだけを幸せとは思いません。でも、「おばあちゃんのいる現実」と「おばあちゃんがいない現実」の間に、こういう非日常があって、それを1人ではなく多くの人で一緒にやってきたことが、少なくとも私自身を大きく救ってくれた気がしました。


おばあちゃんは最後、誰にも迷惑もかけず、苦しむ姿も見せず、残されたものには孝行な人だなと思いました。

世話好きで明るい人で、私が遊びにいくと嬉しそうな顔をして、いつも大量のごはんを作ってくれました。そのうち、私が行くと「お前を背負っていつもコーポ内田の前の坂を上ったんだよ」という30年くらい前の話を涙目になりながら繰り返し言うようになりました。そしてそのうち、その話もしなくなって、最後に会ったときは私を見ても笑わなかった。今思えば、全部脳の病気のせいだったんだ。でも私たちは分からず、ただ昔と変わったおばあちゃんを見て、悲しくなっていたように思います。

横須賀の久里浜に住むおばあちゃんたちと過ごして東京や横浜に帰る時、何度ものタイミングでおばあちゃんたちと私が一緒に過ごせる時間が限られていることを実感してきたのに、その焦燥や切ない気持ちは離れると薄れ、会っては思い出し、ということを繰り返していました。時間は、この世でもっとも圧倒的なものだと思います。自分ではどうにもならない時の流れに対して、なんども抗おうと、せめて時間がもたらすものに置いて行かれないようにしようとしたのに、やっぱり私は追いつけなかった。いつのまにか、取りこぼしてはいけない時間をどこかに置いてきてしまったような気がして、自分のふがいなさに絶望的な気分になります。


私は心がひねているので、皆がおいおい泣いている場面ではあまり泣けません。でもおじいちゃんのことばには、いつも涙がでました。もうだめだよ、もういいよ、俺は告別式行かない訳にはいかんべなあという弱音や、軍事部で一番の美人だったという惚気。弱音や諦めのことばを繰り返しながら、最後は、いままでありがとうなあ、世話になったなあ、幸せだったと言うところまで聞きました。おじいちゃんとおばあちゃんはこの時代には珍しい家柄の違いも乗り越えた恋愛結婚で、おばあちゃんは脳の病気が進行するまではいつも、おじいちゃんが一番と言っていました。一番ってなんて幸せな言葉だよね。


花秀は、おばあちゃんいついた戒名の最初の2文字です。
名前から1文字、そしてお花が好きだったので、そうつけたそうです。
戒名って普通は6文字なのに、8文字もあるよ、とおじいちゃんが満足そうにしていました。
写真は、私が撮りました。2013年に久里浜でやった最後のお正月、久しぶりに紅を塗って、私がしていたストールを巻いて、綺麗と言われて嬉しそうにしていたときです。私が最後におばあちゃんに会ったのは今年2014年のお正月でした。





真冬の春風が魂を運んで行って、今日、久しぶりの雨がざあざあ降って空をピンクに染めたら、私の非日常の幕が降りました。

明日から通常営業に戻ります。

申し訳ないけれど、防衛大学校は1週間すべて休講にさせてもらいました。インフルエンザ?と心配した学生が心配してメールをくれて、とても嬉しかったです。市大は学生のプレゼンと期末試験のため休講にはしなかったのですが、4限のクラスも、言葉につまってしまったような気がして、申し訳なく思っています。5限のテストの時間、監督をせずに先に帰らせてもらったおかげで、お通夜に間に合うことができました。みんなが快く送り出してくれて、本当に助かりました。どうもありがとう。



写真は、教務班3班の学生が送ってきてくれたもの。人文社会系なので、女子学生が3人もいる優秀な班です。
| | 01:28 | comments(0) | - |
新年あけまして、今年の目標を


私の一年のピークは7、8月に来る。
終戦記念日あたりが頂点で、自分の誕生日(8/27)で勝手に今までを振り返ってリセットし、あとは残暑に向かって少しずつ降りて行く。
その意味で師走/年末というのは文字通り一年の収束であり、元日は一年の始まりで、新しい自分を生きるという決意をする日だ。
何故ピークが7、8月かというと、私の一番好きな季節が夏であり、何故夏が一番好きかというと、非日常性フェチの私にとって私の人生のなかでもっとも非日常を生み出してきた季節だからである。




私の2014年の目標を書いておこう。

研究者として。
|叡を出す!
∋阿弔琉磴ΩΦ羇愎瓦鬚修譴召豸Φ羸果に出す。
声をかけてもらった仕事は断らない。
ぁ峺くて使える若手」という名声を欲しいままにする。
ゥぅ鵐僖トの高い英語ジャーナルに論文出す。
若手研究&出版助成取る。絶対。

教員として。
〆蚤臑真瑤虜蚤臻足を目指した授業を行うこと。
記憶にのこる劇場型の授業をすること。
K莢鵑亮業準備も授業も全力で。
じ豎悗頬瓩をかける。

人間として。
〆やっている個人的なプロジェクトを前に進めること 。
△ばあちゃんとおじいちゃんにもっと頻繁に会いに行く。
週に3回ジムに行く(重力と闘う)。
ご蕎陲髻対人的にもっとも効果的な表現方法で昇華させること 。
イ匹麝澆某佑鵬颪い帽圓。勝手に失望しない。
Δ修靴銅最圓簇稟修魘欧譴覆ぁ



2013年の大きな出来事は三つある。
一つは、博論をまとめて学位を貰ったこと。私にとっては博論は出した時の方が大きかったので、もちろん審査に通ったのは嬉しかったし、修正も大変であったが(何ヶ月か前に出した論文をもう書き直したくなってしまい、軽い絶望感と闘うので精一杯だった)、博士号はただ単に記念のようなものに感じた。それでも、博士号を持つ前と持った後の人々の反応(そして研究者の人達からの「おめでとう」の言葉たち)を見るにつけ、これは非常に大きな一歩なんだと自覚することが出来た。

2つ目は、大学での非常勤をはじめ、毎週教壇に立って多くの学生を教えたこと。
防衛大学校で56人(途中で3人退校した)、横浜市立大学で59人の学生と出逢った。
どちらも自分にとってはすごく意味のある仕事で、毎回授業をすることで自分が成長するチャンスを貰っていると思う。来年度も続けて行けることになった。毎回毎回パワーアップして行きたい。

最後は、陽と一緒に暮らし始めて結婚式もしたこと(ただしいわゆる事実婚なので、私も下元も名字は変わりません)。喜びは2倍に悲しみは半分に、って言う、あれはまあ、嘘だ。でも1人じゃ分からない喜びも増えるし、1人じゃできない自己変革も出来る。こんな人生もあってもいいと思う。






今年も本をたくさん読みたい。
だいたい毎月10冊くらい読んでいると思うのだけど、かなり雑食なのでもう少し体系立ててまとめ読みをした方がいいような気もしてきた。

実際に手に取って見れる本屋さんでも、クリックひとつで買えるAmazonでも、新しい本を買うときの高揚は別々にある。本屋さんは楽しい。セレクトに主張のある本屋さんも好きだけど、大手のでっかい本屋さんも大好きだ。

12月に買って読んだ本のなかで、小倉千加子さんの「醤油と薔薇の日々」はジャケットが美しかったのでつい店頭で衝動買いしてしまった。内容には少し古いものや無理なこじつけ的なものもあるものの、全体を通して丁寧で色気のある言葉で飾られていて、もう少し歳をとってから読み返したい章がいくつもあった。そして若林さんとあっちゃんの本も、とても良かった。ああ、とても良かった。

あっちゃんの本は、早稲田魂を読んで燃えた受験生のときのような、割と賢いと自覚しながら育った人間特有のお笑いセンスみたいなものを感じた。若林さんの本は、春日について語ったダヴィンチのエッセイを読んでとても感動してしまったから、彼の人間性みたいなものに興味を持って買った。二人とも、決してポジティブでも万能でも順調でも意識高いでもないのだけど、人生をまっすぐに生きている感じがして、読んだあとすごくさわやかな気分になった。

今年も良い本に出逢えるように、どん欲に生きようと思う。

saereal booklog - 2013年12月 (18作品)
何者
朝井リョウ
登録日:12月12日
評価3

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| | 03:18 | comments(0) | - |
音楽 1027


去る10月27日、会いにきてくれた人達、どうもありがとう。


終わった後は科研を出したり、論文を提出したり、昨日、某98%男子大学で補講含めて四コマ続けた怒濤の非常勤を終えてやっとすこし落ち着いたと思ったら、風邪を引きました。


結婚式みたいなどう考えても自分勝手で茶番なのに、やたらと人を巻き来んでお金を使わせるイベントをするにあたって、準備の過程で一つのことに対してどういう気持ちで取り組むか、来てくれる人が何を面白いと思うか、に関しても価値観の違いからたくさん喧嘩をしました。


そのなかでも、意外と最後まで時間がかかったのは音楽。両者の音楽の好みの違いがあるのもあるけれど、割と一般的な洋楽好きの陽に比べて、私は生粋のJ-POP+アジア音楽贔屓。私たちは「大衆的」という概念に関する考えまで異なっている。私はビートルズ嫌い(音楽性がどうのこうのとか彼ら自身に対する嫌悪ではなく、あまりにグローバルスタンダード化されたものに対する食傷感のため)だし、歌い手と作り手が違う音楽とかいまいちピンとこないし、音楽は歌詞を重要視していたりする。そんな二人がそれぞれが参加者の好みを想像しながら激論を交わし、結果として決めたのがこのセットリスト。来る人たちが基本的には私たちと同年代(1980年生まれ前後)だったので、こうなりました。私がゴリ押ししたのは、Coccoとスワロウテイルの2曲です。ありがとうございました。


CHAGE & ASKA
『YAH YAH YAH』



フェイ・ウォン
『夢中人』



X-JAPAN
『Longing 跡切れたメロディー』



Cocco
『しなやかな腕の祈り』



KOBAYASHI TAKESHI
『Theme of Yen Town -Opening & Ending-』



TM Network
『Still Love Her』



YEN TOWN BAND
『Swallowtail Butterfly』



くるり
『奇跡』



BO GUMBOS
『夢の中』



Flying Pickets
『Only You』



| | 10:13 | comments(1) | - |
学ぶこと、教えること。


4月から新しい生活が始まっている。所属の上智は籍だけで研究室はなく、受け入れ研究者の先生のゼミにだけ参加させてもらっている。ゼミはものすごく楽しい。とにかく、一つの場所に集まって、ただ学ぶということを目的に、本を読んで討論して発表してっていう空間がなんて贅沢なことか。ここ1年くらい、ひとりで博論に取り組む生活が長かったので、久しぶりに修士のときのような気分を味わうことができて、わくわくしている。

少しだけど非常勤もはじめた。
どれも横浜の実家からほど近い国立大学と公立大学で、英語の授業と英語で行うゼミの担当をしている。今までの私の教歴は、小中学校(ボランティア)と韓国の塾(留学院)のみ。英語関連の免許もTESOL Certificateと小学校英語教育指導者(J-SHINE)の資格を持っているものの、正直大学で教えるためにはあまり意味のない資格。すべてが初めてで、4月の初めの2週間はとてもプレッシャーだった。

実際に教えてみて、やっぱり学生は可愛いし、私は教えることがすごく好きなんだなあと再認識した。韓国の塾(留学院)で教えていたときも思ったけれど、授業が嵌った時の学生のキラキラした目や何か学んだっていう実感があった時の満足そうな顔や、今までにはなかったやる気を出して新しいことに取り組んでみようとしているときの前のめりな態度なんかを自分が引き出せたときに、ものすごく幸せを感じる。

私は断れない性格で、学生に弱みを見せられたり、お願いされたり頼まれたりすると決してノーは言わない。教育は、私が踏み台になることだと思っている。もしかしたら今の時点では学生よりも多くの知識や経験やより深い思考力を持ち合わせているのかもしれない。でも教育者は、それらを惜しみなく蒔く。それを吸収して、学生がそれぞれ大きくなっていくときにも、惜しみなく労力を注ぐ。褒めたり、すかしたり、ときに怒ったり、もしかしたら役に立たないかもしれなくても、もしかしたらにかけていくつもの教えるネタを用意して。それでも、受験のときもテストの時も、将来を決める時も、学生の気持ち/行動一つでいくらでも今までのものが直接意味をなさなくなってしまうようなことも、教育者は甘受する。

韓国のときは、そうやって学生の踏み台になることに嵌りすぎてしまって、今度は自分がもっと踏み台の上に乗りたくなってしまったのだ。

そして踏み台にのって、今現在存在する一番高い学位まで取ってしまった。でもこれからが長い。私は教育に携わっていることが幸せだけど、同時に自分自身も、まだまだずーっと学んでいたいと思う。


今の非常勤は、純粋な公募で見つけた。どうやら、旧帝大や力のある先生についていると、非常勤は先輩や研究室を通して「ツテ」で回ってくるらしいのだが、私の行っていた院は、研究者よりも圧倒的に実務家を輩出する院だったので、非常勤のコネなどあるはずもなく、博士論文を出す半年くらい前(学振DC1が切れる1年前)からJRECを見ては、都心の大学で、“羈啅軌蕁↓韓国語教育、1儻豢軌蕕3つを中心に履歴書を送りまくった。


今までの私のJREC応募状況を見てみると以下の通り。
1. 私立 東京都 非常勤 韓国語
2. 私立 東京都 専任(任期なし)比較教育/国際教育
3. 私立 東京都 専任(任期なし)国際教育
4. 公立 群馬県 非常勤 英語

学振(PD)/博士号取得確定
5. 国立 神奈川県 非常勤 英語(教養)*書類通過、面接
6. 私立 神奈川県 非常勤 英語
7. 私立 埼玉県 非常勤 英語
8. 私立 神奈川県 非常勤 韓国語
9. 公立 神奈川県 非常勤 韓国語 *書類通過、面接 


最後に残ったのは5と9。やはり博士号もなく大学での教育歴もなく、専任に応募したのは無謀だったと思う。

韓国語で公募に応募して面接まで進んだ9の大学では、結局面接で落ちてしまったのだが、その面接試験の時に面接会場にいた6人の先生方の中に、国際学部系の学部長先生がいらっしゃり、面接の間中、韓国語の教育歴や韓国に関する研究よりも、むしろ英語に関することやJENESYSや日ASEAN学生会議の時の経験について質問してきてくれた。その先生から、突然メールを頂き、英語で行うゼミを担当してみないかということで、二つ返事で引き受けた。自分の専門である比較教育をテーマに教えることができるので、私にとってはとてもいい経験になっている。



今更ながら。
ついに、早稲田から離れた。働いたり韓国に行っていた3年間をのぞいて、18の時から計11年間半在籍した早稲田。1993年に箱根駅伝を見た時から、私の頭の中には大学と言えば早稲田しかなくて、実際自分の人生の中でも大学は早稲田にしか行かなかった。寂しいけれど、心に誓った。いつか戻ってくる。今度は教員として。

学位授与式の日は私の人生の中でも幸せな日のベスト5に入るような日だった。
青く晴れて、私の両親がとても嬉しそうだったのを覚えている。これからもずっと覚えていると思う。
陽が私の好きな黄色のチューリップをたくさん買ってきてくれた。
指導教員の先生が私の両親をすごく安心させるような私の将来に対する嬉しいことを言ってくれた。
博士号はただの通過点だけど、周りの人にとっては安心材料や誇りになるんだと思った。
それが一番嬉しかった。



私はやっぱ学校っていう場所が、今まで自分がいわゆるリア充だったかというとそんなことはないんだけど、概念としての学校に強い期待を持っていて、理想としての学校に今でも夢を抱いている。学ぶことも、教えることも、大好きなのだ。

できればずっと続けていきたいと思う。両方やっていかないと、いい教育者になるためには、教育がうまくなったりローテーションで回せるようになってしまうとダメで、まずは自分が学ぶことが一番大事だから。


英語圏の大学で今までとは全く違うことを学びたい。修士くらいからもう一度なにか始めたいな。子どもでもできたり、親がいなくなったり、原発がどうにもならなかったら、そうしよう。ポータブルな自分で生きよう。


| | 01:51 | comments(0) | - |
ブラック労働はすべて自分自身のため


労働はあくまでも自分のためのものだと思う。

仕事は、二つのものをもたらす。精神的なものと物理的なもの。

私は自分が研究職なので、仕事とは、より精神的なリターンが大きいものだと感じる。仕事は自分のためにするものだ。少なくとも今の私はそうだ。自分の好きなことをやって、少ないながらもある程度のお金をもらっている。ポスドクでも食えない人が多いなかで、運良く恵まれていると思っている。他の仕事についている人も、それぞれバランスの差異はあれ、精神的なものや物理的なもの、様々なリターンがあるから仕事をやっているのではないかと想像する。

では、仕事はその周りの人間にとってどういう意味を持つのか。仕事から受ける精神的なリターンは主に本人へのもの。仕事による自己研鑽や承認は基本的には仕事をやっているその本人にのみ返ってくるものだ。周りの他人、特に家族にとってのリターンは、愛する家族の精神的な安定(本人への精神的リターン)を除けば、基本的に「お金」が中心だと思う。


働き方への不安

私は最近憂鬱になっている。
非常に不安で、はっきりいって将来に自信がない。

仕事をやることで時間も精神も持っていかれている人達がいることに対してだ。今の私の恋人がそうだ。例を挙げれば、一緒にいても携帯で仕事のメールばかりしている。相手の仕事の合間に時間をあわせてご飯を用意しても、ゆっくりごはんも食べれない。1週間近く家に帰ってこず、不規則な生活をしている。人の話も自ら聞こうとはしない(興味がない)。そもそも頭の中が仕事で一杯で、余裕がない。ブラック企業ならぬ、ブラック労働だ。

私は同情はするし、相手が大変なときは支えたいと思う。しかし、それにも限界がある。自分に余裕がある時はできるが、余裕がないときはできない。「俺は頑張っている。今はこれをやるしかしかたない。だからお前は黙ってろ」みたいな扱いを受けるのも冗談じゃないと思う。この半月あまり、帰れない彼のためにご飯を作って会社まで届けたり、色々進めなければ行けない二人のことに関してもすべて私が計画し実行に移してきた。ちなみにこれは今回はじめてのことじゃない。去年のこの時期、バリに旅行に行った時もそう。旅行の準備もほぼすべて私が担当。当然英語ができるのは私のほうなのでついてからも基本的にすべて私が主導。三日目まで部屋では仕事ばかり。旅行中に締め切りを抱えて、会社から年中「なるはやで」みたいなメールが来る(この時ばかりは、元々の友人であるその会社のメンバーを心から恨んだ)。


家族における役割分担

世の中には色々な家族の形はあると思うから、1人が目一杯仕事をして稼いで、家族全員を扶養し、夫婦の片方が家の仕事をして働く仕事をする人を支えるというあり方もありだと思う。私の友人でも、そういう家族形態をとっている人達はたくさんいる。カネを稼ぐ人間、家のことをやる人間という完全分業制で、それぞれが立派な仕事だと思っている。
(*この場合、家事をやる人間は無償労働と見なし、賃金を貰う労働より低く捉える考え方には賛同しない。いわゆる専業主婦問題は存在すると思うが、ここでは主旨とずれるのでまた別の機会に語ることにする。)

ただ、ここでの問題は、上記のように家族全員を余裕で扶養できるような人は、もうほんの一部にしか存在しない、ということだ。もし私と同世代で配偶者がそうう稼ぐ人がいれば、社会階層の上位10%かそれより上に入っている人達だろう。一般的に、家族全員を余裕で養えるほど稼げる人間なんて、どんどん減っているのだ。

それでは、シェア制にしましょう、とする。今の私と恋人の状態はそうだ。私と恋人が稼ぐ金額はほぼ同じくらい。自分1人ではまあ十分だが、人を養うには足りない、でも二人で働けば、子どもができても暮らせるであろう額だ。彼は会社につとめているので、とにかく時間を拘束される。一方で、私は研究職なので、非常勤などを除いては望めば家にいることも可能だ。ただしここでの問題は、家で家事をしながら研究ができるかというとそうではないということ。これを読んでいる人の中でも、図書館にできないと勉強ができないとか、家だと集中できないという人がいるでしょう?まさに同じことで、家にいればやるべきことはごまんと見つかるし、「家事はやれる方がやればいい」というスタンスを取られると、ほぼ私がやることになるのは明白だ。

ただ帰ってきて寝るだけでは、生活は回らない。20代独身のように、働いて泥のように眠って健康でいられるほど、30代以降の体は頑丈にできていない。外食ばかりでなく、家でバランスのとれた食事をしたり、お風呂に浸かったり、まともなお布団で寝たり、人間らしく健康的な生活を送るには、それなりの家事労働が必要だ。料理、洗濯、掃除。こういうものをとにかく気づいたときにやればいい、土日にまとめてやればいい、というのははっきりいって甘い、ということは多くの家事労働をしている人が分かっていることだと思う(この家事の大変さを分からない人が結構多い。まあ、特に男性に。)

私は晩婚化も生涯独身の増加も少子化も、すべてはこの働き方の問題に関連していると思っている。男女平等に働こうと言う(一見リベラルな)人は「家のことはできるやつがやろう」というだろう。しかし実際には、お互い働いていても、実質的にいくつかのことを並行して処理できたり(これは家事労働に必須のスキル)、計画的に生活を設計できるのは基本的には女の方が長けているケースが多い(勿論例外はある)。女がよっぽど鬼嫁かずぼらでないかぎり、一般的には負担は女に来る。ここに、世間一般の「女らしさ」抑圧や家問題や妊娠出産関連の生物的な負担が来る。

家のことをやらない、家族と一緒に過ごして話を聞かない分、多く稼いでいるかというとそうでもない。そういう人のパートナーは、仕事もきちんとして家事もして子どもができれば子育てもして年老いた親の面倒もみて。正直、私自身はスーパーウーマンじゃないから、そこまでできる自信がない。

仕事に頭のなか全部奪われるような状態になるのは、もう身勝手でしかない。完全扶養がもう幻想になった今、お互いに仕事をして支え合うべき状態がすでに来ているのに、働き方はかわらない。そりゃあ晩婚化も進むし、独身者は増えるし、当然少子化も進むでしょう。


じゃあどうやって働くのが理想なのか(・・・と私が考えるか)

働いてお互い自分自身プラスα(1.5人分)は十分に養えるだけの経済力を持ち、家のこともしっかりやって、家族との時間も持てる、そういう仕事方法に変えていかなければ、相手に負担をかけるだけだと思う。問題は、その負担をかけている本人や会社が意識を変える必要があるのに、「一生懸命働いている、やるべきことをやり責任を全うしている」という恍惚状態に陥って、自分が仕事ばかりしていることが周りにどれだけ負担をかけているかについて、無自覚であることだと思う。

相手を完全に扶養するのは無理でも、1人1.5人分くらいずつ稼いで、二人で暮らす。子どもがいないときは、その二人合わせて1人分を貯金に回す。女が妊娠したら、当然働けない時期も出てくる。どっちかが病院したり転職したら当然片方にお金が入らない時期もある。そのときも片方が稼ぎつづけ、貯金もあればどうにかなる。そうやって将来のためのリスク分散を二人でしているのに、どちらかの働き方が旧態依然とした専業主婦の夫パターンであれば、片方に負担がきて壊れる。そもそも壊れる前に、そのリスクを引き受けられずに結婚をためらうだろう。何度もいうように、私は晩婚化も少子化も、こういった労働のあり方とそれにまつわる意識が問題だと思っている。

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「選択的夫婦別姓制度」導入への賛成意見書。

最近、朝日新聞の記事がきっかけになり、夫婦別姓問題に関する議論が盛んに行われている。
夫婦別姓制の法改正、賛否は二分 世代間の差くっきり(朝日新聞 2013年2月16日)

ゼゼヒヒ(インターネット国民投票)での結果は、「夫婦別姓にあなたは賛成?反対?」の問いに、賛成が78%、反対が22%という結果になっている。ちなみに一番上にでているのが私(@saereal)が寄せた回答である。
ゼゼヒヒ 「夫婦別姓にあなたは賛成?反対?」

上記のゼゼヒヒでも書いているように、私は選択的夫婦別姓支持者だ。
全員が別姓にする必要はないし、変えたい人は変えればいいと思う。
同時に、変えたくない人は変えなくてもいい、という立場。

2006年に行われた内閣府の世論調査では、選択的夫婦別姓について、全体では賛成36.0%、反対35.5%と拮抗しているが、20代から50代に限ると賛成42.5%、反対25.1%と賛成者が多数派になっている。先ほど紹介したゼゼヒヒの結果をみても、「選択的夫婦別姓」導入という理念に対し、これから結婚し子どもを産む若い世代において、賛成者の数は決して少数派ではないと予想される。

しかし一方で、選択的夫婦別姓制度を導入したとしても、夫婦別姓を選択する人の数は全体の5分の1に満たず、その理由としては「別姓だと子どもに好ましくない影響がある」という回答が6割以上寄せられている(後述する『フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか』の二宮周平論文より)。このように理念(アイデア)への賛成と現実行動の乖離には、「夫婦や親子は同じ姓であるべき」という人々の心の中にある法や、それらの集合体が作り上げる社会の眼が垣間見える。


子どもと姓
「二人の時は別々でもいいけれど、子どものことを考えると名前が一緒の方がいいかな」という発想をする人が非常に多いのは何故なのか。

その理由は、婚外子(非嫡出子)と婚内子(嫡出子)の間にある差別である。

差別のひとつめは、相続分差別だ。
相続における差別とは、財産の被相続人に「嫡出子」と「非嫡出子」がいた場合、「非嫡出子」の子どもは「嫡出子」の1/2しか相続できない、というもの。嫡出子というのは、婚姻関係にある男女の間に生まれた子(つまり氏を揃えて役所に書類を提出したカップル、婚内子)、非嫡出子とはそうではないカップルの子ども(婚外子)のこと。

この差別は、カップルが産んだ子が全員婚外子もしくは婚内子であれば起こらない。
つまり、この相続分差別が起こりえるのは、その男女が婚姻をして産んだ子と婚姻をしないで産んだ子の両方を持っているケース。非嫡出子が何故産まれるかというと、一部の特殊な事例をのぞけば、男女のどちらかが(特に男が)、片方とは法的に婚姻して、片方とは法的に婚姻しないという不誠実で一貫性がなく身勝手なことをするから。

こういうのを見ていると、夫婦同姓の原則と婚外子への差別というのは、「婚姻した正妻とその子どもを守る」という名の下に、愛人とその子どもとの差別化を図ることによって、婚姻相手+その他の相手(愛人など)を両立させるために存在しているのではないかとすら思えてくる。

ちなみに、この相続分差別については、国連人権規約委員会から、人権侵害であるから撤廃するようにと是正勧告が出ていることをも忘れないでおきたい。


他にも民法上のこんな差別がある。婚外子が産まれた場合、事実上の父母が共同で子育てしていても、婚外子は父または母の単独親権となり、共同親権が持てない、ということだ。

親権と名前の一致は別に関係ないでしょう!と思うが、婚姻して同じ姓にしないと、子どもの姓は自動的に母親の姓になり(これは父親の認知で父親の姓にかえることが可能)、親権も共同では持つことができないというのだ。二人が一緒に育てると決めたのなら、両方に親権があってしかるべきでしょう。かつ、結婚の意志があり、二人で育てると決めて産むのであれば、姓も母親のものにするか父親のものにするか、自由に選ぶようにすればいい。父親の認知→家庭裁判所で子の姓の変更許可などという手続きを踏まなければ行けないのは、法律上婚姻しない(つまり姓を一緒にしない)事実婚がこの社会で認められていないからで、なんとも面倒くさい。

こういう障害が他にも多々あるので、子どもを産んだ両親は自然な流れで「子どもも出来たし、籍いれなきゃな(姓一緒にしなきゃな)」となるのである。


生活と姓
「婚姻」の特権は、扶養控除や配偶者の健康保険の利用、遺族年金の受給など様々な分野にわたる。
この婚姻の特権は、高度成長期を支えた性別役割分担と女性による無償の家事労働であり、男女が共同生活する上で、このような専業主婦型の女性とひたすら働いて稼ぐ男性を守るために機能していた。

しかし、今はどうか。女性が専業主婦になり、女性と子どもを完全に扶養できるくらい男性一人で稼げる社会ではなくなっている。同時に、女性の社会進出も進み、能力やキャリアを生かして働き続けたいと考える女性も増えてきている。

こうして女性は「仕事も家庭も」両方頑張ることを求め、求められてきているのだが、一方で男性の方の「仕事も家庭も」は、なかなか進んでいない(家庭の仕事に貢献するとイクメンだのなんだのともてはやされる始末で、実際に二兎追えている男性は女性に比べて少ないのではないかと予想される)。生活のスタイルは変化しているのに、婚姻制度だけは未だ高度経済成長期の時代にあったままになっているのが現状なのだ。

内閣府の調査では、「同じ名字を名乗るべきだが、婚姻前の名字を通称として使えるように法律を改めることはかまわない」が24.0%あるというが、私はむしろこの提案は、「一緒にいるときの通称」は同じ名字で揃える、でいいと思う。なぜなら、たとえば夫婦別姓の家族で何かに参加したりするとき、「〇〇さんと〇〇さん家〜」と言うのは面倒くさいじゃん。

個人で活動するときは当然、お互い名字。法律では別姓で婚姻ができるようにして、産まれたときからの姓をそのまま使えるようにする。ただし、結婚して一緒に行動するときは、どっちかの姓を二人の通称として使って構わないとする。

たとえば、子どもができたら子どもの名字として選んだ姓の方で、ひとつの家族のまとまりとして呼ぶ、それが通称。でも、実際は夫婦で異なる名字を持っている。周りの人間も「今は便宜的に〇〇さんと呼んでいるけど、実の名字は違う」ってことを当然のように分かっていて、それを認めている。

また、私が「選択的」にこだわるのは、姓は変えてもいいし変えなくてもいい、という自由があるところにこの別姓制度導入の意味があると思うからだ。たとえば将来的に同性結婚ができるようになったときも、子どもを作らないカップルにとっても、人によってはもしかしたら名前を一緒にするということを、一つの結婚の証にしたい人も出てくるかもしれないと思うからだ。


選択的夫婦別姓に異議を唱える方々に申し上げたい。

夫婦別姓の議論の際に、よく反対勢力(いわゆる保守層)から出される夫婦別姓反対意見の代表例が下の2つである。

・「家族の崩壊を招く」「夫婦や親子の絆が薄れる」「家族の一体感が失われる」
これに関しては、個人的な感情からいうと、笑止。
「日本の良き伝統を守りたい」と言う保守層の人たちは、自分に一体感をもたらしてくれるシールが大好きね。

ただ、形を求めるたいという気持ちは分からないでもない。一緒の名前にすることで相手を縛りたいという潜在意識も満たされるのだと思う。これは男女ともにそうなんだと思うが、特に男性の方にはその傾向が激しいのではないだろうか。女は、例えば自分の腹からこどもを産めば、姓がなんであろうが、自分の子どもには変わりないので、名目よりも実を取るのだと思う。

姓が一緒じゃないと、家族の崩壊を招くのか?そうだとしたら、そのプロセスをいちいち教えてほしいよ。家族が崩壊するのは、たぶんそこじゃないですよ。法改正で選択的別姓を導入したからって家族が崩壊すると考えるのは、私は他にごまんとある崩壊の理由に眼を向けずにいるだけだと思う。


・名前が違って子どもがいじめられたり、嫌な思いをする。
子どもが名前(姓)のせいで嫌な想いをするとしたら、その社会の風潮を作り出しているのは紛れもなく大人です。
自分が作り出したゲームのルールの中に存在する「罰ゲーム」に対して、子どもをその罰ゲームにあてないように努力することが、あたかも子どもたちを守る正義的な行動だと考えているのかもしれないけど、そもそもその罰ゲームをなくすほうがいいんじゃないか?ということ。

まるで子どものことを一番に考えています!というスタンスで「両親は同じ姓がいい」と言う人にはものすごい偽善的なものを感じる。その人たちは、離婚した子どものことや、離婚したいけどできない両親のことまでちゃんと考えているのか?

離婚して、その子どもをたとえば母親が引き取った場合、名前が変わるケースが多い。それを可哀想という発想になるのは、家族は名前が一緒になるべきという概念が染み付いていて、姓が変わったってことが、そのまま家族離散を象徴しているように見えるから。婚姻が一緒の姓になることとイコールであるということは、一緒の姓でないことが、両親の離婚を代表とする家族形態の変化をそのまま反映していることになる。その方がよっぽど子どもにとっては負担だと思う。

あと離婚の場合多くのケースでは女性が子どもを引き取るので、このままの婚姻制度だと離婚したら女性も子どもも姓を変える。別れたいし別れた方がいいのに、別れると子どもの姓が変わるのが可哀想だからとかいじめられるからという理由で離婚を思いとどまる女性も決して少なくないと思う。両親は同じ姓であるべきだ、という人は、その思想が決して「子どものため」とか「家族のため」という正義面したポジティブなものとだけ結びついている訳ではないことを理解すべきだと思う。


選択的夫婦別姓にこだわるのは、それを導入することで、一つの名前=一つの家族という原理原則にしばられて、それが途中で変わったり親と違ったりすることでネガティブな感情を持たなくなるため。
法改正そのものよりも、人々の心の法をどうかえていくかが一番重要だと思っている。

でも法を改正することは、新しい婚姻や家族の形に「お墨付き」を与え、社会的な承認を得ることにつながる。トップダウン式で人々の心に沁み付いた前時代的な価値観や偏見をかえることができるのなら、まずは選択的夫婦別姓制度という法改正のために、アクションを起こしていくことが大事なんじゃないかと思う。


個人的な思いを言えば

はっきりいって、名前なんてどうでもいいと言えばどうでもいい。
まあ1人娘なので、父親の目の黒いうちは今の姓でいたら父親が喜ぶ(実際にそうして欲しいと言われたので)くらいのもので、これがもし私が憧れている一文字名字とかだとしたら、意外と簡単に変えたかもしれないな、とも思うこともある。少女漫画に出てくるみたいに、自分の名前を好きな人の名字に変えて、うふふ♡なんてことをやったことだってない訳ではない。

それでも腑に落ちないし、気持ち悪いんです。当たり前のように男の名前に変えるという風潮が。
そして、私は今のフルネームを気に入ってるし、さえという名前は名字に合わせてつけているんです。漢字のバランスも何もかも。反対に、自分の名字が気に入らなかった人に取っては(私の友人でもいた)、結婚は名字を変えるいい機会だから、そういう人はどんどん変えればいいと思う。結婚して名前が変わることを憧れていた人も同様に。
子どもの名前は、正直どっちでもいいけど、私は個人的に自分の名字を割とかっこいいと思っているので、その名字の方がいいかな。でももし、相手の名字が私の名字より明らかにかっこいい!と思ったら、多分子どもはそっちの名字の方がいいと言うと思う。

以前、名字の話をしたときに、恋人ははじめは一緒にしたいと言った。でも私は名字を変えたくないといい、彼自身も名前を変えたくないと言った。私は自分が変えたくないというのだから、彼が変えたくないという気持ちも分かる。ただし私は一緒にする必要はないんじゃないと思っているが、彼自身はやっぱり一緒にしたかったようだ。勿論、女である私が彼の名字に変えるという形で(ここでは私が長女で1人娘、恋人は男3人兄弟の次男という事は考慮されない)。やはり男の姓に女が合わせるのが当たり前という風潮の中で育ったので、そうするのが「当たり前」だと思っていたようだ。彼の夢を壊してしまって申し訳ないと思うが、私の主張も理解してくれたので、彼には感謝している。

自分の子どもの世代には、姓に関してもっと主体的な選択をするのは「当たり前」だと思う時代になってほしい。


夫婦別姓・事実婚・・・日本の婚姻を考えるための参考図書

こんな本もあって、実際に事実婚を選んだ福島瑞穂さんのインタビューも載っている。
事実婚thinkingの導入としてオススメです。

事実婚 新しい愛の形 (集英社新書)事実婚 新しい愛の形 (集英社新書)

こちらはよりアカデミックな要素のつよい本。フランスの婚姻制度や女性についてが中心だが、日本法における婚姻規範や日仏の比較が論じられておりとても興味深い。

フランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのかフランス女性はなぜ結婚しないで子どもを産むのか



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プチ入院日記(退院しました)
12月12日に入院し、13日に無事手術を終え、16日に退院しました。

病院で私が感じていたのは、私にとっての非日常と病院にとっての日常、私にとって唯一無二の身体と病院が抱える何千何万という患者さんの身体、というこのアンバランス。私が一番苦手とする、「熱移動」の起こりにくい場所。

子宮筋腫は、おそらくあらゆる病気の中でも、良性の腫瘍であり、取ってしまえば身体に問題を及ぼすことがないものだから、病気の中ではおそらく「軽い」ものに入るのだろう。筋腫はあまりにもありふれていて、女性の3分の1は持っていると言われる。病気としての子宮筋腫の病状が比較的「軽い」部類に入るのにたいし、これが婦人科の病気であるということが、この病気自体の深刻さと患者の精神的な負担の間に、妙なアンバランスをもたらしている。

婦人科というのは、なんだかやたらと心にくる。子どもが産めなくなったらどうしよう。
「もしかすると、もしかすると」の無限ループが襲ってくる。
私は自分自身に関してはそれほど心配性ではないし、特に女性としての(もしくは子宮としての)役割に対する思い入れが強い方ではないと思う。それでも、大学病院で会った患者さんの様子や、ネットに書かれている様々な情報を見ていて、婦人科にかかる病気が、その病状以上に如何にメンタルを揺さぶっているかが分かった。


私は今まで、病気になったら自分にとってベストの病院のベストのお医者さんに見てもらえるよう、情報収集を怠らず、なるべくいい場所を探すのがいいことだと思っていた。そして順天堂は、おそらく子宮筋腫の腹腔鏡手術に関しては、日本で最も執刀数が多く、病院自体も信頼のおける病院なのだと思う。大学病院なので再診で行ってもとにかく待つことには辟易したが、あれほど忙しくても礼儀を失わないスタッフの方々はすごいと思ったし、会計や受付などのシステムもきちんと整備されているなと思った。病院のスタッフの方々の中でも、特に看護師さんたちの働き方を見ていると、例え私のような患者に手が回らなかったり、多少患者への対応が遅れても仕方が無いなと思えるくらい、毎日とても忙しくて大変そうだった。その重労働には心からリスペクトしている。

それでも私は、もしもう一度ここで診察を受けたいかと言われたら、もういい、と言うと思う。
手術の日、手術開始の前に担当するお医者さんに会うこともなく、開始の合図や、もちろん合図もない。挨拶(と自己紹介)をしてくれたのは麻酔科の先生だけで、寝台に寝てから私の身体に色々触ってくる「先生」と呼ばれる人は、担当のお医者さんでもなく、誰でもなく、とにかくばたばたと色んなコードを付けられながら準備されていて、そのうちに意識を失った。目覚めた後も、また新しい担当のスタッフの人が側にいてコードを外したりのお手伝いをしてくれた。終わった後も手術室に放置され(私は意識が朦朧としているので、周りの音だけを理解している感じ)、周りでは次の手術の準備でばたばたしていて、水が欲しかったりして誰かを求めようとしても誰も呼び止められない。私はその日の手術の2番目だったが、手術はそのあともいくつも続くようだった。何事もシステム化されていて、求めれば勿論応えてもらえるのだろうけれど、余計な質問をして迷惑をかけたりしてはいけないと思ったし、何か言えば言った自分がわがままや意味の分からないことを言っているような感じがした。手術の日も、入院する部屋についても、お医者さんや病院の都合が最優先。手術の2週間前まで入院の日や手術日も確定せず、最後の手術内容の説明の日まで病院に聞いても「先生から直接」としか言わず、担当予定の先生から私と家族に説明があった日にやっと確定した。常勤で働いている女の人であればどうするんだろうと思った。せめて1ヶ月くらい前までに確定しなければ、1週間休みを取るのも難しい人がほとんどだろうに。そして入院する部屋についても、場合によっては個室になりますという。個室は一泊4万円近く、5日間の入院でそれは無理なのでなるべく4人部屋にお願いできますか、というと、それでも空いていないケースがあり、個室のお金が払えない場合は、手術ができなくなる可能性もありますがご了承頂けますね?と言われた。勿論了承するしかないのだけど。


術後の様子はといえば、私は全身麻酔から目覚めるのが非常に遅かった。
当日の13時頃には手術は終わっていたが、覚醒したのは15時前、それから20時まではほぼ意識がとぎれとぎれで目を開けるのもつらい状態が続き、朝まで薄い眠りが続いた。夜寝れないのは痛いので仕方がないのだが、覚醒が遅いのはつらかった。自分が以前全身麻酔を打ったときも術後2時間くらいでほぼ普通に会話できるくらいになったし、私の術後に手術を受けた同室の人たちも、手術の日の夜にはもう普通に会話をしていたのに、なんでこんなに覚醒が遅いのだろうと思った。もしかしたら麻酔の量が少し多かったのかもしれないと思うくらいだった。

手術をしてみて一番つらかったのは、痛みよりも、意識はどこかにあるのに体が思うように動かないから意思が伝えられないこと。自分の口からものを飲んだり食べたりができなかたこと、そして酸素マスクをしているので常にのどが乾いて硬直し、息がしにくいことだった。意思疎通、飲み食い、自由に息をすること、この3つができないだけで、結局生きるっていうのはかなり1人なんだなって思うくらい、孤独を感じた。幸いにもその孤独は1日で終了したが、闘病をするとしたら一番の敵は孤独と絶望だろうなと思った。

点滴や背中にいれていた痛み止めの管、おなかからつながっていた管、尿管などすべて外れてからは、だいぶ気持ち的に楽になり、恐る恐る歩いてお手洗いにいったり、地下の売店に行ったりした。術後の癒着を防ぐためにも、歩くことはとても重要だそうだ。ずっと寝ていて背中やお尻が痛かったので、何時間かごとに売店に行くようにした。

私が泊まったのは4人部屋で、毎日誰かが手術をしていてた。私の隣の女性は、手術前に旦那さんがくると、ずっとこどもたちのこと、家のことを気にかけるような質問をして、手術が終わってずいぶん早く麻酔が覚めたあともまず旦那さんに聞いていたのは「上の子はちゃんと歯医者に行ったのか」だった。自分は痛くてぼーっとしているのに、本当に強いなあと尊敬した。かなり長い手術だったので、おそらく私とは異なる病気で大きな手術をしたと思うのだけど、終ったあと、痛くて痛み止めを何度も頼んでいるのに、痛み止めを打てるかどうか確認してくる、と言った看護師さんが毎回なかなか帰ってこなくて、うめき声がずっと聞こえてきた辛かった。痛みに耐えて待っている人と、その痛みをコントロールする「権限」を持っている人の、その1秒1秒の違い。もちろんわざと遅れているわけではない。でも痛みはどこまでも個人的なもので、患者は待つしかないのだ。ひたすら耐えて。

私はお医者さんを心から尊敬している。それは畏怖も含んだ尊敬だ。でも私が今まで一度もお医者さんや弁護士や、そういう仕事にあこがれなかったのは、自分の能力や学習の絶対量が足りなくてまず物理的にも絶対になれないというのは勿論のこと、他者が持つ絶対的な痛みや不幸に日々対面して過ごすことが私にはできないと思ったからだった。そして自分が患者になっても、病院はやっぱり苦手な場所だった。


手術後は、起き上がったり立ったりするときにお腹に力を入れると痛みがでて、歩く時もまっすぐ背筋を伸ばすとお腹が引きつる感じがしたので、少し前かがみで歩いていた。退院した日には、もういつもよりはゆっくり目に、でもずいぶん長い間歩いてもまったく問題なくなりました。ただ階段の上り下りで振動がきたり力を入れるとちょっときつかったくらい。

手術後一週間の状況は、走るのはちょっと厳しいけれど、その他の日常生活にはまったく問題なし。術後二週間の今は、以前と変わらず動いている。さすがに全速力で走ったりはしてない。検診でテープを剥がしたら、傷もきちんとふさがっていた。足の付け根に近い方の傷は、横に1.2cm くらいの切り傷、おへそとその中も切っているので、内部がかさぶたになっていて、その横に2cmくらいの切り傷。全部で4個のうち、下の二つはビキニをきても隠れる場所だけど、上の切り傷は一番目立つので、早く綺麗に治って欲しいなあと思う。
| | 21:21 | comments(4) | - |
入院なう (子宮筋腫が発覚してから、手術前日まで)


私のおなかのなかで年月をかけて育てていたらしい子宮筋腫。
いくつかのいい加減な検査もあって、順天堂にたどり着くまでにかなり遠回りをしました。
本当かどうかは分かりませんが、最初の判断では経過観察、その3ヶ月後には腹痛が来た感じです。
後学のために、その記録を残しておきます。


2012年3月 東城ウイメンズクリニック(上大岡)
子宮がん検診(横浜市からチケットが送られて来たため)
子宮筋腫はあるが、まだ経過観測で大丈夫とのこと。大きさについては聞かなかった。

2012年6月25日(月)
新宿レディースクリニック
子宮筋腫の経過観測。
超音波検査をやったところ、子宮筋腫は4、5センチくらいといわれ、どういう状態か?取ったほうがいいのか?と聞いたが、取るのも子宮を傷つけるためリスクになるので、何とも言えない、というようなことをこちらを見ずにとても面倒くさそうな感じで言われ、早くさばきたい感満々だったので、そのまま退散。

26日(火)くらいから腰痛が酷くなり、座るのがつらくなる。

27日(水)あまりに腰痛が酷いので、大学近くの整骨院に行き、50分の治療。
骨盤のゆがみを直し、背骨をまっすぐにした。腰痛があるのは胃や腸が荒れているからではないかと言われた。
背中の筋肉など、揉んでもらった部分は少しは気持よくなったが、腰痛は変わらなかった。
また、この日からおなか(右下腹部)も痛くなる。
前日も時々痛いとは思っていたが、生理が来てもおかしくないので、そのせいかと思った。

28(木)
おなか(右下腹部)の痛みが、我慢できないくらいになっており、座っていると腰もおなかもずきんずきん痛むので、
早稲田の内科診療へ。触診などを含め、盲腸ではない、もっと下の方なので、婦人科の検診に行くように言われる。

29(金)
紹介された誠ウィメンズクリニック(江戸川橋)に行く。
超音波検査をしたところ、子宮筋腫は少なくとも8センチほどあり、
大学病院、とくに腹腔鏡手術をしてくれるところにいくべきと言われ、紹介状を書いてもらう。


ネット検索では、子宮筋腫について色々とえぐい映像を見て凹む。
特に手術の様子(と取り除いたものまで)を、画像で説明したもの。
(本当に興味のある方だけどうぞ➡画像で観る子宮筋腫手術


これのおかげで自分のおなかの中にどんなものが詰まっているのかを知ることができた。
こんな物体が入っているのならば早くとってしまいたい、という思いも募る。
実は回りに医療関係の仕事をしている人が何人かいることも判明。
腹腔鏡なんて私ははじめて聞いたけれど、知っている人はすぐに何のことかわかるんだね。


痛みは痛み止めを飲めば落ち着いたりしたけれど、
貧血や吐き気、体のだるさ、そしてなによりも腰と下腹部の鈍痛にはもううんざりしていた。
いたくなるとぐーーっと右の拳で下腹部を押したりしていた。



腹腔鏡下手術は繊細な技術を要するなによりも経験数が大事ということで、口コミを散々調べた。
ネットを観ているといろいろな情報がありすぎて、むしろ不安になるので、ある程度まで調べて(紹介状を持っていく先を)順天堂大学病院に決めたあとは、なるべく見ないようにした。


7月の初め、博論も真っ盛りの中、箱根駅伝以外でお世話になるとは思わなかった、文京区本郷にある順天堂大学の病院(順天堂医院)へ。


地下鉄の中で自分の論文読んでいたら4駅も乗り過ごしてしまい、午後1時25分の到着。
初診受付票を記入して、紹介状と保険証を持って受付へ。
紹介状は、宛名が異なっていたのだけれど、事前に電話して問題ないと確認済みだったのでそのまま提出。
番号札を渡され、カルテを作るので近くで待っていてくださいとのこと。
待つこと約25分。


4階の産婦人科で受付。
問診票を書いて、受付票を渡される。担当は熊切先生。三番目でお待ちくださいといわれたので、それほど待たないのかなと思う。待っている間に、担当医師である熊切先生の名前を調べる。


順天堂医院准教授。
専門は不妊、内分泌、そして腹腔鏡とも書いてあったので、ほっとする。
腹腔鏡手術をやってくれる先生であれば、初診のときから手術まで診てもらえる可能性が高いと思ったからだ。


意外と早く、2時10分には待合室の中に呼ばれる。外には付き添いできている旦那さんもいたけれど、中には女の人ばかり。女独特のにおいがして安心するような、なんか胸が痛くなるような。


診察はものの5分で終了。
今までと同じように超音波で診て、約7−8センチの子宮筋腫があるので、妊娠を希望しているのならばきった方がいいとのこと。腹腔鏡手術でできるので、どうします?と言われたので、切ります、と答えた。
12月中旬に手術の予定が決まり、3ヶ月くらい前から生理を止める注射を一ヶ月に一本打つことになった。

するとすさかずA4二枚の紙を渡された。
一枚目は「腹腔鏡手術を受けられる方へ」という説明書きで、
腹腔鏡下手術のメリットでデメリットが書いてある。

メリットとしては、
1、手術の傷が小さく美容的
2、術後の痛みが軽い
3、入院期間が短い(4泊5日が基本)
4、早期の社会復帰
5、術後の癒着が少ない(卵管などの癒着が起こりにくく、術後不妊症になることが少ない)

という5つがあげられている。


一方でデメリットとしては、

1、腹腔鏡下手術が安全に行えないと判断した場合、開腹手術への移行の可能性がある。
2、術中/術後に予期しない出血があった場合、輸血を行うことがある。
3、最終診断は術後の組織検査で確定するので、術前診断と異なる可能性がある。
4、子宮内膜症などで高度な癒着がある場合、隣接臓器への損傷が起こる可能性がある。

とのこと。


二枚目は、手術に備えて生理を止めるため、投与する薬の効果について。
卵巣の働きを抑え、卵巣から分泌される女性ホルモンが低下し、閉経したのと同じ状態になるとのこと。
そのため副作用として、
1、骨量の低下(→カルシウムの接種と運動が有効)
2、鬱状態、脱毛
3、ほてり、いらいら感、不眠など一般の更年期障害で診られる症状はすべて出現する可能性がある。

後から分かったのだが、私はこの中でも火照りがひどかった。いきなりうわーっと熱くなって、11月に入っても研究室の中でタンクトップになったりもして。

費用は約40−60万円、その3割が自己負担とのこと。
手術は全身麻酔。


確かに一回目の診断のときは順天堂は思ったより待たなかったけど、こんな簡単におなかを切る手術を決めてもいいのかと不安になるくらい簡単にあっけなく終わった。2回目以降(再診)は、注射を打つだけなのに問診が必要で、毎回2、3時間は待った。先生も看護師さんも大忙しで、待つ時間はうんざりするけれど、大変そうだなと同情した。

初診の日はMRIを撮るために、近くの眼科に行くことになった。
その予約が、一番早くて2時間後ということで、お茶の水のカフェで時間をつぶす。

お茶の水は、去年、陽とつきあって間もないときに一緒に自転車できた。
秋の夕暮れとJRの光がすごく奇麗で、すてきなデートだった。
月日がたって、いろんなことが変化し、成長し、思い出が蓄積していった。

R0015717


子宮筋腫の手術が決まるまでに様々な医療機関にかかったので今年は医療費がとてもかさんだ。

新宿レディースクリニック
初診料 270点
検査 830点
投薬 68点
処置 50点
合計12180円
負担額3650円


アピア均整院
5000円

早稲田大学保険センター
初診料 270点
投薬 68点
合計 3380円
負担額 1010円
薬代(痛み止め)410円

誠ウイメンズクリニック
初診料 320点
医学管理等 250点
検査 530点
負担額 3300円


順天堂医院
初診料 270点
医学管理料 250点
検査 530点
負担額 3150円


MRI(お茶の水)
初診料 270点
医学管理料 250点
画像診断料 2089点
負担額 7830円
送料 630円
合計 8460円


その他、9月から12月まで打った注射の数3本、毎回1万円弱の出費で計約3万円。
手術代は高額療養費制度を利用して、自己負担が8万円ほどにしてもらう。
差額ベッド代6800円×5日間と食事(毎食300円程度と聞いている)代、諸々入院のために購入したものを含めたら、今回の子宮筋腫騒動でかかったお金はだいたい17万円くらいだった。

この歳になって入院するのは初めてなので、病院と言うのがどういうところなのか、色々学んで帰りたいと思う。
唯一、すごく残念なのは今年、博論にかまけて、夏にプールも海も行かなかったこと。
最後にビキニを着たのは今年の4月、陽とバリに行ったとき。
おなかに傷がつく前に、もっと水着着ておけば良かったな。
来年の夏までには、目立たなくなってるかな。
明日、先生になるべく目立たないように縫ってってお願いしようと思う。その勇気があれば。

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