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【私家版】もっと彼女に愛されたい男子がするべき6つのこと
完全に個人的嗜好です。


Still the moon


1、朝まで添い寝あたまなでなで
100回エッチするよりも、1回朝までずっと隣にいてくれて、目を覚ますといつも相手も目を覚ましてくれて、髪なでたり手握ってくれたりする、この安心感は愛情の一番の温床。添い寝となでなでによる愛され感は半端ない。


2、パズー(「天空の城ラピュタ」)になる。
何故か女の子が落ちてくるタイミングでしっかりキャッチできる位置にいる。それから受け止めきれるだけの腕力がある。なんかしんどいときや落ちこんでいるとき、絶妙のタイミングでクッションになってくれたら何度でも恋に落ちる。

3、「俺の女に手を出すな」的演出。
韓国のミュージックビデオに良く出てくる、あれ。心泥棒が現れたとき、さらわれた女を取り返しにきて、きっぱり引き戻してくれる人。ピンチを救ってくれるスーパーマンが嫌いな訳がない。

4、腕枕してもらう。
腕の中で寝るのって女の特権だけじゃなくて、男の子もできる。腕枕はほんとにyou don't have to worry worry 守ってあげたい効果あり。彼氏の頭を抱えると、すごく大事な部分を保護している気分になって母性本能刺激されるし、胸に顔を押し付けられるのも好き。手込めにしてる気分になる。可愛い。


5、母親や女きょうだいの自慢をしない。
リアル先天性家族を乗り越えられないのなんて分かってる。リスペクトしていることは素敵だけど、自慢話をしても彼女は疎外感を感じるだけ。"I see. So what?” 系の話題の典型。家族は模倣するものじゃなくて新しく作るものだから。


6、藤井フミヤの「Another Orion」かテゴマスの「夜は星をながめておくれ」をテゴマス以上フミヤ並の歌唱力で熱唱。
間違ってもミスチルの「抱きしめたい」やスピッツの「君と暮らせたら」などを歌ってはいけない。桜井さんとマサムネさんはほぼ越えられないけど、フミヤとテゴマスなら越えられる。星系のラブソング最強。

| | 01:48 | comments(2) | - |
忘れて、忘れないで

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いつかこの夏を思い出すとき、「がんばろう!日本」という言葉を、まるでこの時代を象徴するように懐かしく思い出すのだろうか。いつか後世の人間が2011年の夏について語る時、この夏はどうやって表現されるのだろう。震災のあと、クーラーの効かなかった、みんなが政治家に怒ったり絶望したりしてた、この夏。





非日常の演出とそれによるコミュニケーション濃度の上昇を「文化祭効果」と呼んでいるんだけど、それって人を理解したり、いきなり確信に近づくことで相手を好きになるのにすごく効果を発揮する。
終わりなき日常の中でも、それを乗り越えて非日常を作り出せる人間になりたいし、それを提示されたときに、「普通」な状態を軽々と乗り越えて躊躇うことなく便乗できる人間でありたい。


七夕の夜、家で書類仕事をしていて、それが突然いやになって、文字通り少しの現金とiphoneと定期だけ持って飛び出した。也寸志に電話したら、今日は今月唯一の休日で家にいるという。SUPER8を見た話しなんかをして、じゃあ飲まない?と言ったら渋谷に来てくれた。後から聞くと、ツイッターで私の暗いツイートを見ていたようで、なんかへこんでそうだから行ってやらなきゃ、と思ったらしい。映画の仕事をしてる也寸志も学振もらっているとは言え所詮院生の私は、激安飲み屋にいこうかとしていたけど、結局いつも私がよくいくちょっと気の利いた個室のあるお店に行った。仕事の事とかを初めとして2時間ちょっとくらい話して、気持ち晴れて、渋谷をふらふら歩いていたら、きよたくんからメールが来て、これからきよたくんとこのシェアハウスで飲まない?っていうお誘い。終電の井の頭乗ったら、虫除けの機械を点灯してる人がいた。もう夏待ちは終わりなんだなと思った。目的地が家以外の終電はとても好きだ。4時にきよたくんがダウンし、朝の7時までしももとくんと飲んでた。うににも会ったし、たくさん色んなことを話して、そしてそれを吸収して返してくれる人がいるって、すごく大事なんだなと思った。



毎日文化祭は起きないけど、自分の中に文化祭的なものがたくさんあればいいのかなと思う。
旅でも研究でも、映画でも音楽でも、私の中に部屋をいっぱい用意してあって、どこにだれが入ってきてもエンターテインしてあげる。


みんな、誰かと何となく一緒にいるんじゃなくて、価値観とか相手と自分とのバランスとか、それぞれ大事にしていることとかをちゃんと考えて、変わろうとしたり変われなかったり、でも変に自分を見切っちゃったり相手に対して妥協って言う形で許しちゃったりしていない人もちゃんといるんだって思って、嬉しかった。



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| | 01:51 | comments(0) | - |
0724、愛のおとしまえと、好きな人。


最近愛フォンに変えました。
予約してた4が届いて、今までやっていたガジェット3つ持ち(携帯、ポケットwifi、愛タッチ)から解放された。
アドレス変更で3日間くらいかけていろんな人と連絡を取ってた。
こういう機会じゃないと、なかなか連絡が取れない人もいて、
それをきっかけに、今度またあのメンバーで飲もう!なんていうのもいくつかあって、それがすごくうれしい。
昨日はもるり、今日はともきと再会して、来週末は10年来の旅友達、コタオのダイビング仲間、それから神戸に行って、上田、野中あたりに会ってくる。



いっぱいいろんな人に好かれ、相手にされ、その恩恵も十分受けてきた一方で、ちゃんと落とし前も受けてきた。
人に大事にされるっていうのは、そのぶん自分が何かを抱えるってことだ。
そしてここまで分析できているのに、実行に移せないっていうのは
まったくもって私の不徳のなすところであり、今後の目標である。


当たり前かもしれないけど、なかなか体現できなかったこと。
誰かを好きになるときに、いつも受身の体勢から入っていたことに気づく。
誰かに好かれて、その人を好きになれるかどうか、
そこでは、自然に好きになるというより、意思が存在する。
この人が思ってくれているように、私も大事にしなきゃ。そう思ってた。
思いこみで誰かを好きになっている方が、自分が納得している分、
自分の素直な感情に正直でいられるんだと思う。

自分がこうすべきなんだ、と信じ込ませていた分、
その方向転換をするには感情だけじゃなくて、理由が必要だった。
いつか、それが恋愛だったのか、ファンクションだったのか分からなくなって、
胸が痛い理由も、何が痛いのかわからなくなってきてしまったのだ。

それでも恋愛には秘密性が存在する。私だけが知ってるとこ。
たとえどんなに周りが何を言っても、なかなか離れられない何か。
それを信じること。
そして圧倒的な味方になって、認めて、受け入れる。
自分がしてほしかった3つのことを、自分が相手にしたいって思ってたけど、
そうやってまず頭で考え、自分を律し、うまくいかないことに不安になりなったりしてた時点で、
私の中で恋愛じゃなくなっていたのかもしれない。

自分の身近な人のほうがよっぽど、私のことをよく見てる、と思う。
一人でこうやって取りとめもないこと考えて、アップダウンする私を達観する友人が何人か周りにいて、
中途半端な慰めも、私を救うための相手への罵倒もしない。
けれど、何をやっているんだ、という。
馬鹿げたことをするな、最初からわかってたでしょ?っていう。
最初からはわかってなかったよ。だって私は渦中の人で、よくも悪くも嶋内佐絵から逃れられないんだもん。

でもそういう嶋内佐絵枠を、時々は壊したり、
上から眺めたりできるようになるのが私の目指すところであって、
でもその過程で、自分とかかわってきたたくさんの人たちのことを否定したり、踏み台にしたり、排除しないで生きていけるようになろうと思う。

というのが、7月24日時点における、今回の教訓。



量からお釈迦様の話を聞いて納得。
私は滅ぼされるシャカ族の側にはいたくない。
私が谷間谷間で量と会っていることをブログに書くせいで、
彼の信奉者からメールが来るらしい。
量は私の運命の人であり(21歳の誕生日にカトマンズであった。何度も言うけどあの頃は竹野内豊だった。)、節目節目で底上げしてくれる、大事な友達なのだ。

今日はともき相手に自己確認みたいなことをして、
時々名前を呼び間違えるという最低なことをしながら、私は自分の洗脳具合を呪った。



若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)若者よ、マルクスを読もう (20歳代の模索と情熱)

高校生にもわかるように書かれたマルクスの案内書ということで、
5年くらい前に佐藤優にはまったころからずっと気になってはいたけれどきちんと読めていなかったマルクスの思想を、なんとなくだけれども大事なところを理解できた気がする。
史的唯物史観も、毛沢東の人民公社構想の根源も、「類的存在」も、今までいろんな本で触れてはきたけれど、この本を読んでみて初めて腑に落ちた。

何より、全共闘時代の代々木の人(共産主義者)である石川康宏さんと、反代々木の人である内田樹さんの書いているのが面白い。
内田先生のブログに書かれている通り、考え方や立場の全く違った二人が、同じマルクスという人に対してどんな解釈をくわえ、どんな対話をしているか。二人の取り上げるポイントは全く違う。

石川先生は、ものすごくマルクスを一生懸命読み込んで、彼の思想を体系的に教えてくれる。
内田先生は、「イデオロギーやドクサを遡及的に吟味する「装置」を備えていない人間は「批評的」とは言えない」と言っているように、マルクスが与える額縁をそれぞれひっぱりあげて、それをわかりやすい言葉に還元して読者に提示してくれている。

現実世界を見るときの材料としてのマルクスの活用。
マルクスは、今の自分の問題を解決してくれない。けれども、マルクスを読むと、自分の問題を自分の手で解決しなければいけないということが分かる。

マルクスのしてくれた教育は、そういうことのようです。

【ブログ】内田樹の研究室
「マルクス本を書いています」(2010年2月14日エントリー)
http://blog.tatsuru.com/2010/02/14_1155.php



最近、一人でいるときによく口ずさむ曲。
このライブ、もともととても歌のうまい人なのだけれど、緊張で声が震えているし、声もちゃんと出ていない。
すごいの2番目のAメロの初めて、彼の手にトンボが止まる。
それからの彼は、ちょっと達観したかっこよさを見せる。
トンボが止まって、それに微笑むことのできる自分にたぶん安心したんだと思う。2番目以降の彼は、とても声も伸びてるし、うまく歌えてる。

なんとか人ぽい顔、というのは存在すると思う。
そしてこの人の顔はとても韓国!を連想させる顔。前に付き合っていた韓国の男の子に似てるからか。その時も、嗚呼、この子は韓国の時代劇に出てきそう(しかも両班役で)と思っていた。



Tei (테이) - Same Pillow (같은 베개) live at High1 Cool Summer Concert - 2009.08.01

While Tei was singing, a dragonly flew in and rested on his finger and stayed there until even after he finished his song! See how Tei sang and played with this very daring dragonfly! A very cute performance.



今日は大好きな人の命日なのだった。
龍さん。
| | 02:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
PART AND PARCEL
この1,2カ月、たくさん大事な出来事があって、たくさん大事なことを考えた。それはとてもとても大事なことだったから、ずっと記録をつけていた。その記録は、6月11日で途切れた。トルコへ行っていたこともあるし、論文のせいもある。でも、それから先はそのジェットコースターみたいな流れに、自分の整理がついていけてないんだと思う。

一番初めのころの記録に、
「忘れないために、根本的な部分で、大事にするべきものをなくさないために。」って書いてた。

調子のいいことなんて、ひとつも言わなかった。
ただ楽しいだけの未来を見たわけじゃなかった。
何か降ってきたものだとも思わなかった。
ただ自分がどういう存在になれるか、それを考えていてくれたから。
私が知らず知らずの間にいっていた、こういう風になってほしいという期待を、
全部読んでいてくれたと思ったから。
だから私もその期待にこたえないといけないと思う。

そうやって書いた時の気持ち。まだこんなに変わっていないのに、
私ができてないことがたくさんありすぎて、いやになる。


なんでずっと一緒にいるべきだ、っていう結論になったんだっけ。
今でも、相手が言ってくれる言葉は、
おそらく本当に真剣に考えてくれているからこそ出てくる、すごく重要な言葉だ。
それは一過性のものなんかじゃなくて、私がずっと大事にしなきゃいけないものばかり。
幸せになれる土壌うはたぶんいっぱいあるのに。
でもそれがたくさん残って、刃のように私をえぐり続ける。

いかんいかん、強くならなきゃと思う。切実に。
強さは、もっともっとあふれ出て与えても与えても朽ちないほどの愛情も生み出す力。
そして忘れちゃいけないのは、私がしんどいときは、相手もすごくしんどいってこと。
信じられないことや、理解されないことの辛さは、私は実感してるはずだけど、同じことを相手にもしてることがある。
裏切られることや、残されることも恐れないで、信じて行かなくちゃ。

| | 03:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
Inside all of us is a wild thing
Karen O. & the Kids
Interscope Records
発売日:2009-09-29


原作が大作・名作・すでに殿堂入り、なゆえに、賛否の多い作品であると思う。私は原作のファンで、小さなころ絵本を読んで、大人になってから英語版を読んで、アメリカでこのキャラクターのTシャツを買ったほどのファンだった。そんな私が観た感想。

映画が。今世紀稀に見るほどの傑作だと思った。
ブルーレイの特典映像に、現場の様子を収めたものが入っていて、
子供たちに敬意を払うために、過激な場面もカットせずに入れた、というのを観て、この映画がたんなる子供むけのファンタジーなんかじゃないってことを、作っている人が全部共有しているからこそ、こんな美しい映画が撮れたんだなあ、と思った。

最初の10分くらい、かいじゅうたちの世界の前がもう死ぬほど傑作。たくさんのタオルを抱えておねえちゃんの部屋のカーペットにしみ込んだ雪を拭くカット、電話するお母さんを、机の下から見つめるマックスのカット。それから冷凍コーンが嫌いだ、っていうマックスのエピソード。
この3つのシーンと切り抜き方が秀逸で、かいじゅうたちの世界に行く前の「説明」的なものはものすごく短いのに、この物語が伝えたいことがちゃんと凝縮されている気がした。

大事なシーンの度に挟まれる音楽も最高。
この音楽がなかったら、この映画の中で出てくるたくさんの動きの場面が、これほど印象的にはならなかったと思う。
カメラワークもすごいし。

| | 02:12 | comments(0) | trackbacks(0) |
大正文学と人

このほかにもいろいろ出ている文豪ナビ。
芥川龍之介のキャッチコピーは、
「カリスマシェフは、短編料理でショーブする」
まあこの本の中で島内景二(奇しくも同じ名前!)が言っている、
「全盛期の」芥川の代表作は、藪の中とか羅生門、鼻みたいに全部短編小説だから仕方ない。

ほかの人の本を見ると
三島由紀夫「時代が後から追いかけた。そうだ!早すぎたんだ」
夏目漱石「先生ったら、超 のロマンチストなのね」
谷崎潤一郎「妖しい心を呼びさます、アブナイ愛の魔術師」
とか、なかなかしゃれたキャッチコピーが付いている。

私が好きな芥川の短編は、断然「蜘蛛の糸」と「蜜柑」。
蜘蛛の糸を初めに知ったのは日本むかしばなしだった。
蜘蛛の糸、なんてなんてロマンチックなタイトルかと思ったのを覚えている。
蜜柑は、主人公が持ってる美意識とか、一瞬ですべてを許せてしまう感覚とか、そういうのにすごく同感した。

もちろん他の作品も、小説としてすごく完成度の高いものだと思うし、
言葉づかいなんて真似できないくらい良く練りあげられていると思う。
でも「藪の中」は、時代的背景もあるだろうけれど、
女に対する差別意識が透けて見えてしまって、「鼻」は教訓じみているので、芥川作品の中では苦手。




好きな作家っていうのはその人の人生観や性格がでると思う。
とくに明治、大正時代の作家なんか。

私は自分が芥川を好きだけど、芥川をましてや末期の作品を好きなんて言う人がいたら
いい友達にはなれるけど付き合ったりはできないと思う。
末期の芥川作品に共感する人なんて面倒くさくてしょうがない。
もし相手が志賀直哉とか武者小路実篤とか高村光太郎が一番好き、
なんて言われた日には友達になれるかさえ疑わしい。
(私は志賀直哉には本当に劣等感に近いほどの苦手意識を抱いている)
室生犀星とか有島武郎を好きな人とかはいいと思う。谷崎潤一郎ファンとか。山本周五郎とか。
この辺を好きな人は、根本的なところで優しくて、人を大事にする人のような気がして信頼できる。
一方で太宰治とか三島由紀夫が好きって言われたら、この人はきっと、自分が一番なんだろうなあ、と思う。
でもこの二人を好きなタイプの人はほおっておけない。
太宰ファンとか三島ファンって、生まれついての俺おれ主義だとは思えないから、
なぜそういう人たちに共感しているのかをひも解くと、実は自分の弱いところの裏返しだったり、
だめな部分への共感だったりするから、一概に嫌いになれない。
(でも付き合ったらすごく面倒くさいし、苦労する。)



芥川を好きになったきっかけは、彼が久米正雄に書いた遺書がきっかけだった。
死ぬ前なのに、なんて美しい文章を書く人なんだろう、っていうのと、
死ぬ前なのに、このひとは最後までかっこつけずにはいられなかったんだな。って思ったこと。
後は「珠儒の言葉」にはまって、全集で彼の書いた手紙類を見ていた。
手紙が本当に素晴らしいんだ。本当にピュアで、この人は孤高の人なんかじゃ全然なくて、
かっこつけだけど本当はものすごいさびしい人なんだと思った。

こんなに成功した人が、なんで自殺しなきゃいけなかったのは最初のころはわからなかったけど、
自殺するタイプの人っていうのは、世間から見たらどんなに成功していても、どこまで行っても、
本人にとっては自分を責めなくてもいい状態、なんて存在しないんだろうと思う。
死んだほうがましだ、と思ったのは、ひっぱってくれる他人の手よりも、
奈落の底へ落ちるように、後ろからぽん、って押される回数がたまたま多かっただけ。



最近マイフレンドフォーエバー的だったのは、この1カ月くらいでいろんなことが変わったとき、
周りにいたみんながちょっとずつ手を差し伸べてくれた。
意識的にでも、無意識的にでも、
落ちていく私の服のすそをちょっとつまんで引っ張るくらいでも、
色んな人がきっかけになってちょっとずつ上昇してると思う。

それで、ときどき、すごく大きな手を見ることもある。
でもそれは、本当に私が掴もうと思って手を伸ばしたら引っ込めてしまうかも。
大きな手、って思うのは私の観ている幻想で、本当は蜘蛛の糸みたいな存在なのかも。
だから何度も見送ってきている。
それはあまりにも美しすぎる万能薬だ。

↓これが私の一番好きなもの!
今年の夏の誕生日には、マイ全集を買おう。

| | 01:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
途中経過
先月末からずっと、マイフレンドフォーエバー的心境。
私が馬鹿なことをしていないか、さりげなくチェックしてきたり、
いつでも出てきてくれる人がいて、まるでペコみたい。

それにしても、ぼろぼろと色んなものをこぼしてる気がする。
昨日の一件でちょっと反省しました。


自分の事情は全部自分の事情。いくらだって言い訳できる。
でも人に何を伝えられるかが一番大事だと思う。
好きだからスカートめくりするとか、そういうテーゼが通用するのは小学生までで、
大人になったら、もちろん全部言わなくても、7割くらいの正確さで伝えなきゃいけないな。

私の男友達たちは、私の言うことに無下に同調したり、
基本的にわかりやすい味方はしてくれないけど、
いい意味で仕方がない、って達観したことを言って、安全網的な役割を果たしてくれる。
一過性の友人たちは、一緒に並んで同調くれるけど、私が落ちるときは見送るだろう。
(考えてみれば私の仲の良い男友達はみんな微妙に年上だ。)

でもいつもわかっているのだ。
「素直になれなくて」とか今世間ではやっているらしいけど
(当然私も一日遅れで見て一人でTwitterに書いたりしてるけど)
そんな簡単に素直になんかなれるかばか。






ということで今年の夏の予定を今からどんどん埋めていこうとしてる。
早稲田の学費免除プログラムを使って3週間のアジア留学を考え中。
台湾に行くか韓国にいくか本当に迷っています。

今自分の語学力をあげることをかんがえたら、絶対台湾のほうがよい。
国連公用語の中で私が使えるのは中国語だけなので、地盤のあるその言葉を磨くのメリットも多い。
台湾は台北市内からちょっと離れた地方都市なので、ゆっくり勉強もできる。
ただし、韓国で安い値段で滞在出来て、そこで研究を進められるというのも捨てがたい。
あとは韓国語を最近使ってないから、6級に行ったとしてもきっと勉強になるだろうな。考え中です。


明日の夜までにやること。
1.なによりもインタビューの起こし、反省点・改善点など。
2.デイビットクリスタルの本読み終わること
3.OECD用のCV(こっちはほとんどできてる)とカバーレター(去年のに手を入れる)

深夜高速までがんばって終わらせよう。
| | 17:08 | comments(0) | trackbacks(0) |
深夜高速


お風呂の中でこの本を読む。爆笑して、泣いて、どきどきして。
高等部時代、ロッキングオンジャパンの愛読者だった。
時代は96−98年くらい、いきなり中村一義を表紙にしたり、
エレカシの特集やったり、それまで女子校だったこともあって
皆の聴いていて、自分が影響を受ける音楽というのは限られていたのだけど、
高等部時代からはずいぶんこの雑誌に影響されて色んなものを聴くようになった。
そのとき「フラカンけいすけの卑屈王」という連載が始まって、
大好きでいつも読んでいたことをずっと忘れていたけれど、
この本をぱっとめくったページに、その初回の文章が載っていて、
10年以上たった今も、当時読んでこの人が好きだと思ったことを覚えていた。



伝説の流血ライブ。



私が鈴木圭介を、芥川を、好きっていうとき、その感性は同じところから出ていると思う。

(追記)
この川崎でのライブは、6年前の私の誕生日に起ったものでした。
さっきお風呂で読んだ中で、この後救急車に乗って、窓から手を出して自分のために停まってくれている車に笑顔で手を振ってみたかったことや、そのあと5針縫ったこと、などが書いてあった。

| | 00:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
For the greater happiness


今日は元彼の熊さん、じゃなくて量と中目黒でコラーゲン鍋。
一年に一回くらいしか合わないが、
その度に彼は、「これでいいんだと腑に落ちた」ということが増えていっている気がする。
リアルお坊さんの量と「幸せ」に関する談義を梅酒三杯分。
自分をつくりあげているものを把握すること。
その中で自分が何を求めているのか、何をほしいと思って何を選択していて、何が譲れないのか。

でも誰かと一緒にいる過程のなかでは、その譲れない、と信じていたことに疑問を呈するようになる。
そしてその信じていた何かが正しいかどうかなんて誰も知らないし、自分でもわからない。

昨日、高等部時代の友達の広瀬にあって、
彼女と話して彼女がすごく強いなあ、と思ったのは、
でもこれが幸せなんだよね、ってことを、自分でちゃんと腑に落ちてわかっていること。






カトマンズであった時、量は本当にすごくかっこよかったのだ。
(別に今がかっこわるいわけではない。彼は究極の自己肯定ができる人なので、たとえ私がこう言っても、決して卑屈になったりしない。)
そしてその時からたぶん私も彼も根本的なところは本当に変わっていない。(現実的には彼は二児の父になり、私はその時に比べたらだいぶ丸く、常識的な人間になったと思うけど、それでもそういった後付けの部分はあまり二人の関係を変えていないと思う。)


とりあえず私は燃費が悪い。維持費も手間もかかる。面倒くさい。自家発電できない時がある。そういう車あったよな。


究極的にはそんな自分を肯定できるかどうかなのだと思う。
でもアンチ相田みつをの私は、だって人間だもの、って言えないのだ。
相田みつをはいいんだと思う。でも彼の思想を受け入れられないのは、たぶん私がそこまで行きついてないからだ。

| | 02:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
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なんか悲しいことがあったり、ついこの間まであったはずの手がないとき、心を麻痺させる以外の方法が知りたい。
| | 02:36 | comments(7) | - |
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