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そのときその場所にいなければ分からなかったことがある




真夜中、新生児に授乳しながら、韓国で韓国語を勉強していた時のことを思い出した。

語学を学ぶ機関での留学経験は、ほかの留学経験とは違う、特別な経験だ。
一つの言語を習得していくという過程で、言語の習得という漠然とした目的だけを共有して、一緒に階段を登る感じ。

当時韓国で働いていた学院(塾)の仕事は午後からで、私は午前中の3時間、ソウル市内の大学付属の韓国語クラスに通っていた。そこの語学堂に決めたのは、そのとき住んでいた家から近かったのと勤務地までの便が良かったから、そして大学付属の語学堂のなかで学費が一番安かったからで、それ以上の特段の理由はなかった。そこには、2級(初級)から4級(中級)まで3学期間通った。

その語学堂にいる学生は、中国出身の子たちが9割以上だった。そこに中国の留学生が集まっている理由は、大学側がビザ関連の手続きに協力的だとか取れやすいとか、そんな理由があったらしい。どのクラスでも、中国人以外の学生はだいたい私一人で、休み時間はずっと中国語が聞こえていた。

中国人留学生といっても色んな学生がいた。
華奢で可愛い女の子達の何人かは、語学堂内で彼氏を作っていた。その語学堂内カップルたちは、軒並み男の子の方がものすごく献身的で、送り迎えを始めとして宝物を扱うように彼女をいたわる姿が印象的だった。特に、毎日休み時間の度に国際電話でお母さんと電話しているとても可愛い女の子がいて、その子の彼氏は本当に何でも彼女のいうことを聞いてあげていた。

兄妹でやって来て、優秀な妹とその夢を叶えるため、自分を犠牲にして彼女に尽くす兄もいた。妹の方は韓国語を頑張ってソウル大学に入学する、という明確な夢があったようだが、兄はその聡明で美しい妹を守り助けることを最優先に生活していて、勉強はほとんどしていなかった。突拍子もない発言と明るい性格で、彼のおかげで授業はとても楽しくなったけれど、彼自身の将来については本人があまり期待をしていないように見えた。妹と同じクラスになったとき、「自分のために生きてくれているお兄ちゃんが大好き」と授業中、韓国語で言っているのを聞いた。

韓国の男性と結婚して家庭に入り、姑さんや家族と話すために韓国語を学んでいる子もいた。ものすごく金持ちの子だけど遊んでばかりいて、ドロップアウトして行く子もいた。語学堂では学期に二回大きな試験があり、ある程度の基準を満たさないと進級できない。なかには韓国に来たけれどアルバイトや恋愛や夜遊びをするなかで勉強する目的を失ってしまっている子で辞めて行く子も何人もいたし、勉強には取り組んでいるけれど語学の習得ができない子(おそらく何らかの学習障害を持っているのだと思う)もいて、級が上がるごとに何人かがいなくなっていった。

偶然だが、仲良くなった中国人の留学生は、寒い東北の省の出身者が多かった。北部出身の彼らは休み時間に外に集まって煙草を吸いながら、広い中国では地域によって人柄に特性がある、と言い、たぶんいわゆるステレオタイプなのだと思うのだけど、南の人間はこうだ、俺たちには合わないんだ、といい、あまり積極的に他地域の学生とつるもうとしていなかった。見ていると、上海出身の子達はその周辺出身者とつるみ、南部出身の子達も同様で、出身地域が近いもの同士で仲良くなっている印象を受けた。

東北部の出身者の中には朝鮮族の子達もいたが、朝鮮族だけど韓国語(朝鮮語)はほぼできない、という子たちは中国アイデンティティが強く、ビザ上は朝鮮族のビザでも、朝鮮族という括りで固まっている様子はあまり見られなかった。朝鮮族以外の子達に比べて、韓国へのビザがおりやすいという理由は確かにあるようだったが(当時)、だからといって心理的に韓国に近いという印象もなかったように思う。加えて、朝鮮族のビザで来ている子達は、多くが韓国の大学進学や語学習得自体を目的としている他の漢民族の中国人の子達と違い、より多様な目的を持っているようだった。たとえば就労であったり、結婚であったり。そういう子達は、留学生として韓国語を学んでいるグループとはあまり交流もしなかったし、授業後に一緒にご飯に行ったり、遊びに行ったりという姿もほとんど見られなかった。



中国の子たちばかりの環境で疎外感や居心地の悪さを感じなかったのは、中級になってだいぶ韓国語での意思疎通ができるようになったこと、私に話しかけてくれたり構ってくれる中国人の子達が何人もいたからだと思う。

Sは初級のクラスで出会った日本人の女の子とつき合って、毎日何時間もスカイプばかりしていた。恋愛して、バイトして、稼いだお金を全部自分のファッションと彼女へのプレゼントに費やし、一度留年して、あとから入った私と同じクラスになった。相変わらず勉強はしていなかったけど、会話は上手で、減らず口を叩くのに語学堂の韓国人の先生たち(ほぼ全員女性だった)にもすごく好かれていた。母性本能をくすぐるタイプの不良だったのだと思う。

Hは中級での席がとなりだったので、授業中によく韓国語と中国語の混じったメモを交換して遊んでいた。私が好きな台湾歌手の歌を聞いて、聞き取れない部分を書き起こしたりもしてくれた。毎日数時間の睡眠で、深夜営業をするチキン屋さんの早朝清掃のバイトをしていた。(私から見れば)差別的な扱いを受けながらも、雇用者を「社長様(さじゃんにむ)」と呼び、時給400円位(当時)で毎日朝2時間働いていた。中国では割とキラキラネームっぽい変わった名前をしていて、複数のクラスにまたがって友人がたくさんいてよく声をかけられていて、クラスでもムードメーカーだった。

Yは中級のクラスで私の次に成績が良かった。中国人留学生のなかではすごくまじめに勉強をしている方だったし、授業中もよく質問などもした。性格もまじめで、いつも割ときちんとしたカッコをしていた。一方、私や上記の二人と仲良く遊んで、クラスでも二人とは違った意味で周りに刺激を与える存在だったと思う。その後、韓国でも有名な私立大学に合格し、その後ソウルに行ったときに一度会った。韓国語は格段に上手くなっていたが、韓国人学生に囲まれての生活と勉強は大変だと言って、少し痩せていた。

私の帰国が決まったとき、上の三人とカラオケに行った。Sはおばあちゃんから教わったという「四季の歌」を日本語で歌った。日本語は全く分からないけど、音で覚えているという。Sはその言葉を使わなかった(おそらく韓国語でなんというか分からなかったのだと思う)が、「戦争のあと日本に帰らずに中国(元満州のあった地域)に残っていた」と言っていたから、たぶんおばあちゃんはいわゆる残留孤児だったのだと思う。所々歌詞の適当になるその「四季の歌」を聞きながら、時代を越えて、日本人の彼女に熱を上げるSに受け継がれた日本とのつながりを、なにか切なく思った。




そのときその場所にいなければ分からなかったことがある。韓国語を学ぶ過程で、私はたくさんの中国人留学生と会った。ただ一緒に同じときを過ごしていた人もいれば、ただ一方的に観察していた人、中には一緒に深い時間を過ごした人もいる。そこで知ったことや感じたことのひとつひとつは本当に些細なことだし、中国人学生の韓国語語学研修留学という事象の1ケースで、ひとりの多様な人生のほんの一面に過ぎない。でも、そこで一緒に同じ時間を過ごし、会話し、出来事を共有したからこそ知り得た何かもたくさんある。自分のなかに知識と経験が溜まって行けばいくほど、その特殊性や意外性に気づき、それらがとても豊かで魅力的なことを知り、少しずつ寛容になっていく。

私にとって国際的であるということは、自分の受け皿がどんどん広くなっていくことと同義だ。

| | 13:40 | comments(0) | - |
2014年度総括

2014年の出来事

1つ目。
おばあちゃんの死
花秀(戒名の一部)さんが死んでもう1年たった。彼女が倒れた日、春の嵐のような暖かい暴風が吹いたのだけど、今年の一月に行った一周忌も、あの日と同じように暖かく晴れた日になりました。偶然かも知れないけれど、死者がまだどこかにいるようで、なんだか嬉しかった。

2つ目。
5月、韓国の親友も一緒に東アジアの平和構築に関する会議に参加し、韓国済州島を周りながら
10月にはピースツアーに関するプレゼンをするためにソウルに呼んで貰い、境界を越えた対話の創出をテーマにプレゼンした。

3つ目。
EPRIEヨーロッパでの2週間に渡る会議で、欧州三か国と東アジア三か国から集まった参加者と『「国」のコンセプトと和解』に関し、歴史や教科書問題などを含めディスカッションを重ねた。報告書はこちらから。


4つ目。
訪問研究員としてアメリカのハワイ大学マノア校内にあるEast-West Centerに行った。体調の変化のこともあり、当初予定していたよりだいぶ短いたった1ヶ月という滞在だったけれど、立派な研究室を与えられ、研究活動に専念することが出来た。


最後に。
6月に受精した卵が無事大きくなって、初のこどもを授かった。それにともない、自分の仕事のこと、人生設計、旦那との関係、色々と再考する機会を得ることができた。死んだおばあちゃんに報告できなかったのが残念だけど、きっと喜んでくれているのではないかと思う。

今年はソーシャルプロトコル的には喪中だったのだが、おばあちゃんが正月も祝い事もケーキもごちそうも大好きな人だったので、我が家ではいつもどおり美味しいものをたくさん食べるお正月を過ごした。私はと言えば、年末にインフルにかかり、5日間は人に移さないように自主的軟禁生活を送り、文字通りの寝正月だった。熱があって辛いとパソコンや携帯を見るのも辛かったのだが、熱が下がってからはドラマをずっと見ていた。おかげでそれまでちょっとずつ観ていた『ホームランド』をシーズン4の最新まで見終わる快挙。2013年に観た『ブレイキングバッド』に続く面白いドラマだった。

著者 :
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日 : 2013-05-31




1月末で、私の2014年度(アカデミックイヤー)業務はいったん終了。

月末には、AERAワーキングマザー1000人委員会のメンバーとして、内閣府の子ども・子育て支援新制度の担当者と意見交換してきた。働く親の立場から、認可保育園の拡充、認定こども園への移行の見通しなどについて質問。保育事情の地域格差是正や、省庁を超えて連携した施策を進めること、幼児教育のあり方などについても意見を聞いてもらった。新しい子育て施策についての資料をたくさん頂き、丁寧な返答を貰ったものの、市井の人間が声を届けるためには、相手は国ではなくまず地方行政で、国のビジョンを動かすにはもっと自分が有識者の立場で行かないといけないなと痛感した。

また、最終授業の前の日には、Twitterで声をかけて頂き、「eマナビバ」という映像コンテンツの収録をしてきた。放送大学のような感じで、インタビュアーに質問されながら、高等教育の国際化やグローバル人材、外国語学習や国際教育とは何か、というテーマで1時間ほど話させて頂いた。そのうちコンテンツとなって配信されるようです。


1月30日の金曜日で2014年度の授業すべて完了。採点と成績付けも完了して、あとは2週間後の出産の為の入院まで自分の研究と今後の準備に時間を使う予定。来年度からの生活は、保育サービスを受けられるかどうかで私の働く時間も大分変わってくる。4月から保育ママに受け入れてもらえるかどうか。5、6月からの受け入れ月齢を超えた段階で認可保育園もしくは一時保育に入れるのかどうか。どちらも可能性は低いのだが、何ヶ月もかけて集めた書類をもって大きな賭けにでるつもり。夫の休みが平日になること、母が週に何日かは手伝いに来てくれそうなことだけが一つの救いです。
結婚・妊娠・出産というライフイベントは、私の人生のなかでも大きな変化をもたらすポイントだったと思うので、noteにシリーズ化してまとめています。自分のなかで整理できていないことも多々あり、もっとテーマごとに分かりやすく簡潔にまとめることができたらブログにもアップしたいと思う。


2014年度の研究業績としては、査読論文を3本、紀要に1本論文を出せた事の他、英語での論文を提出したこと(査読待ち)、出版助成を申請したこと(結果待ち)で、忙しいながらもそれなりの結果を出せたのではなかったかと思います。ただ体調の変化があったことで後半に予定していた海外出張調査を来年度に回さなければならなくなったことが残念。


2015年度は博論の出版を現実化させること、なんとしてでも英語の論文を出すこと、そして何回かに分けて調査にも出かけて結果を出すこと。それに加え、9月には次の年度を見越して、今考えている新しい研究テーマで若手研究の申請を出したいと思っています。この先2週間は、来年度の研究計画を考えるとともに、できることをできるだけやって置く時間にしたい。

去年の後半から読んだ本のまとめ。

saereal booklog - 2015年01月〜2015年12月 (36作品)
脱アイデンティティ
読了日:02月01日

未完の憲法
奥平康弘
読了日:02月01日
評価5

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saereal booklog - 2014年12月 (3作品)
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saereal booklog - 2014年11月 (3作品)
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saereal booklog - 2014年10月 (2作品)
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saereal booklog - 2014年09月 (5作品)
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| | 17:29 | comments(0) | - |
国は闘いを強いても、守ってはくれない
日本人二人の人質事件は、結果的にとても悲しくて悔しい結末を迎えた。

今回のことからよくわかったのは、たとえ同盟国に「日本国と日本国民と連帯してテロ行為と闘って行く」と言われても、「国家」は国民に闘う姿勢は強いても、国民である私たちを守ってくれないということ。そして、国民を守る為の国防の強化や「積極的平和主義」が、結果として国民の平和と安全を脅かしたということ。

安倍批判者への批判がネットで渦巻いているが、「テロリストを許さない=安倍支持」、「安倍批判=テロリストに屈する」みたいな簡単な二元論ではなく、事態はもっと立体的。人質惨殺行為への批判と安倍政治への異議申し立ては当然両立する。

平和と国民の安全を保障するのが国家の役割であり、その命運を動かす政治家の役割。その政治家の行動が自分たちの意思を反映しているかを監視し、行動を起こすのが国民の役割。安倍政権の方針が何をもたらしたか、この国をどこに向かわせているのか、もっと敏感に自覚的にならないと恐ろしい事になる。

いわゆる「イスラム国」の非道なやり方には心から怒りを覚える。彼らの集団に「イスラム」という言葉が冠されることで、嫌な思いをしている世界のすべてのムスリムの方々にも同情する。私はバックパッカー時代に、シリアやヨルダンを含め、パキスタンやクウェート、バングラデシュ、インドネシア、トルコなど、その他多くのイスラム教の人が多く住む国に行って、イスラムの国々にはとても大きな思い入れがある。そして旅の間にはたくさんの人に出会い、たくさんの経験をして、勿論嫌な思いもしたけれど、素敵な思い出がそれ以上にある。イスラム教を信じる人々が、今回の事件を受けて不当な差別や偏見を持たれないように心から願う。

ちょうど昨日(1月末)、憲法学者で9条の会の奥平先生が亡くなったことを知って、戦争を経験した世代の骨のある平和主義者がどんどんいなくなってしまうことに危機感を覚えていたところだった。今朝のニュースをみて、奥平先生だったら一体なんて言っただろうと考える。亡くなってしまった人の声はもう聞く事ができないけれど、人質として捕まってしまった二人の声を聞きたかった。生きて帰ってきてほしかった。


| | 16:24 | comments(0) | - |
東北の旅とロックのほそ道




自分が都会以外で暮らせないとおもうのは、不便なことじゃなくて、不自由だからだと思った。私の「田舎」の概念は横須賀なので、地方にくると自分が如何に都会に飼いならされているかを感じる。人との関係や不便さやものの不足に、自分が縛られて生活が不自由になってしまい、その拘束にすぐに耐えられなくなってしまう。

それでも、今まで見たことのないようなオニヤンマや、透明な黄緑の小さなカエルなんかを見ると、時々帰ることのできるこういう故郷を持つ人のことをどこかでうらやましいと思う気持ちもある。子どもの頃、大手を振って走り抜ける大自然が近くになかったから。

お盆は、盛岡・一ノ関・仙台・松島と周遊した。盛岡での初日は、2食続けて冷麺を食べ(韓国の冷麺には梨が入っているが、日本の夏の盛岡冷麺にはスイカが入っていた)、夜は県民会館でロックの細道を観に行った。

YOーKINGの生歌、さすがの声量とうまさと感じた。ソウルフラワーユニオンの奧野さんキーボードでフラカンのグレート前川ベース、サンコンジュニアドラムっていうすごいバンドで、演奏もいちいちカッコよくて、スピッツの前バンドとしては最高に気分が盛り上がったところでスピッツが出てきた。

始まって一曲目は「ハチミツ」、二曲目は涙がキラリ。田村さんが二階席の客席に向かってピースしてくれたおかげでさ気分的にも大変盛り上がった。二曲目の、そのイントロが来た時は震えが来た。ライブのあとは、一生マサムネについていく!などと騒ぎながら、市内のカラオケに行って、今日聞けなかったスピッツの好きな歌を全部歌った。私が好きなのは以下のもの。

P


このライブのクオリティはヤバい。生で聞いたら失神するレベル。右耳からイヤホンを外す仕草が色っぽすぎる。





『オーロラになれなかった人のために』はこの曲も、「田舎の生活」も大好き。月のライトが涙で飛び散るとか、そのワーディングはマサムネさんの才気が飛び散る。


魔法のコトバ



あわ



Y



甘い手



君だけを
q


猫になりたい



群青


みゅび(MV)が可愛いすぎる。アンガールズがリアルに可愛い。



今回の東北周遊旅行で、久しぶりにコンタックスのレンジファインダー、G1を持ってきた。ビオゴン28をつけて。このシリーズはプラナー45とゾナー90も持っているけど、やっぱり一番好きなのは28。50センチまでしか近づけないのがかなり大きな玉に瑕だけど、AFとシャッターの音にうっとり。古いフィルムを使っているのでどうなっているか分からないけれど、現像して見てみるのが楽しみです。



今やG1は大量に中古カメラ市場に出回っていて、ABランクが6000円くらいで買えたりする。G2で3万以下。こんないいカメラを、二束三文のお金でどうして投げ出すんだろう。中古カメラ検索をすると、今まで「一眼レフ」だった検索項目が「フィルムカメラ」に変わった。

写真の価値は明らかにだいぶ下がったと思う。デジカメと、そしてスマホの登場で。でも私にとって写真は、押したら撮れるものではやっぱりない気がする。写真に関する私の価値観は2005年で止まっているから、今でも責任のある写真が好きだ。自分がそこに存在しているという責任をちゃんと撮っている写真。その場の自分以上のものは撮れないんだし、デジカメやiPhoneで撮った写真は、虚像の記録に過ぎない。一応私も、虚像の記憶をアップしておきます。
| | 23:09 | comments(0) | - |
「育休3年」延長案の欺瞞 ー安倍総理案に反対する理由ー

安倍総理が、育児休業を3年まで延長するように経済界に要請したというニュース

私は、働き方の選択肢の一つとして、将来的に「育休3年」が可能になること自体には賛成です。(*選択制夫婦別姓を支持する理由と同じで、多様な価値観の元で、多様な選択肢を保障することには同意)

ただし、今の状況から鑑みてこの政策がどのような効果をもたらすか、またこの案を主張する政治家にどんな意図や根本的な思想があるかを考えると、私はこの提言に強い反発を覚えます。

今の時点での「3年育休」導入は、特に女性の働き方や子育てにおいて、多様な選択肢を保障することにつながるとは到底思えないからです。むしろ、女性の働き方や子育てを一定の価値観の元に方向付けるものだと危惧しています。


以下は、私がこの提言に反対する理由2点、および欺瞞だと感じる点です。

反対するのは、「育休3年」が本人にとっても会社にとってもあまりに非現実的だから。
具体的には、

 3年仕事を休む」ことの意味
3年休んだとして本人や会社や家族にかかる負担 

が考慮されていない(もしくは考慮されているが意図的に無視されている
)ことの2点です。

欺瞞だと感じるのは、安倍さんが口では「女性の社会進出」を応援し、日本の経済力活性化のための重要なキーとして見なすようなスタンスを取っている点です。「育休3年」は、子育てや仕事を含めた女性の生き方を、物理的にも精神的にも制限する政策になると考えています。その背景には女性の仕事に対するリスペクトの足りなさや、子育てを女性中心で押し進めようとする保守的な価値観があります(理由は後半で述べます)。むしろ開き直ってすでに研究上とっくの昔に否定されている「3歳児神話」でも唱えてくれた方が、首尾一貫していて好感がもてるレベル。

現在の育休取得率は、男性2.63%、女性87.8%(2011年度 厚生労働省)
ちなみに2010年までは男性の取得率1%台。その差は歴然としていて、どう考えても今の育休制度は現実的に女性のためのものになっています。

これを踏まえた上で、育休3年延長案へ反対する理由を書いていきたいと思います。


 孱廓仕事を休む」ことの意味

育休をとって復活する人(主に女性)は、よく職場に戻ることの大変さを言います。
私自身、育休ではありませんが、博論を提出したあと、1ヶ月ほどひたすら今まで出来なかったことをやりました。博論を出すまでの長い5年間は博論のための研究が中心の生活で、博論提出直前の3ヶ月は毎日16-17時間パソコンの前に座っていたのが、博論を出してからはひどく解放された気分になて、今まで溜まっていた研究とは関係のない本を読んだり、ドラマや映画を毎日2,3本を観たり、運動不足解消のためにジムに通ったり、完全に今までの研究分野とは離れたことをやりまくりました。そのあと、元々の研究のペースを取り戻すのに、結構な時間がかかりました。

根つめて仕事をやってきた人間が、急に異なった生活ペースになり、またもとの世界に戻ろうとするときには、人間誰でも結構な時間がかかるし、その精神的負担も大きいもの。
ピアノを弾くのを一日休んだら、一週間さぼったのと同じ、というのを聞いたことがあるけれど、仕事も似たようなことが言えると思います。

「育休3年」というのは、結局は3年休んでもどうにか復帰できるような仕事についていることを前提にしているか、もしくはそういうタイプの仕事に女性を押し込めているように感じます。

ツイッターでこの発言をしたとき、「お金のために働く女の人には朗報」というコメントをくれた男友達がいました。「お金のために働く」というのも色んなパターンがあるので一概には言えませんが、時間と労働力を提供する代わりにお金を貰うと割り切って働く、という意味に解釈するとしたら、たしかに3年育休は朗報なのかもしれません。子どもを育てて落ち着いて、またお金が必要になれば働き始めるというのは、現在の元専業主婦だった女性がやっていることでもあります(私の母もそうです)。

ただしそれは、女性自身が仕事を休んで育児が中心の生活になってもいいと思うのであれば、の話。
私を含め、仕事が楽しくて、仕事に意味を見いだし、子どもを産んでも仕事を続けたい女性にとっては、その働き方は決して理想ではない。私は個人的に、自分の今やっている研究という仕事が、3年育児中心になったあと復帰して、また再開できる仕事だとは思っていないし、自分自身、休みたくありません。

育休3年取ってその後社会復帰すればいいと主張する人は、自分が総理大臣や国会議員や名誉教授職や会社の幹部職を3年まるまる休んで、毎日ご飯作って子どもと遊んで過ごした後、3年後に現場に戻って同じ仕事をしようとしてみたらいい。結局、育休を取る側(主に女性)の仕事をその程度の軽さにしか考えていないことの象徴であるように思います。

これは安倍さんが「育休3年」を提言したときに言っていた、女性を会社の管理職に採用するように奨励するという発言と矛盾しているのです。3年間育休をとれるように(=子育てに集中し、キャリアにブランクを空ける)、一方で取締役に女性を一人は登用しましょう・・・なんていうビジョンは、あまりにも都合がよ過ぎだし、非現実的です。


■廓休んだとして本人や会社や家族にかかる負担

2点目は、3年間仕事を休んでその後復帰するということが、女性本人にとってはもちろん、会社にとっても大変な負担をもたらすものであるということ。そして、そのようなキャリアプランを取れる仕事は限られているのではないか、ということです。もちろん職種にもよりますが、会社からしてみれば、今まで活躍していた人がたとえ1週間でも、1ヶ月でも抜けたら残された周りの人が大変なわけです。代理を立てることが難しいポジションにいたり、専門的な知識を要求される仕事ならなおさら。

育休を取らない人にしわ寄せがいなかいようにすることはとても大事なことだと思います。会社などの組織の中で、子どもがいるから大変よね、と協力する環境や雰囲気づくりは確かに大切だけれど、それで子どもがいない人、子どもを作る予定のない人に負担が行くような仕組みはおかしいし、回避すべき。大体、子どもができたら会社を辞めざるをえない女性が多いのも、会社や同僚に負担がかかるから、というものが多いでしょう。

私がインターネットで読んだ意見の中でも、育休3年制度へ反対する人への意見としてこんなものがありました:「何度も書くが、育休3年制は義務ではなく、選択の幅を拡げる制度だ。実際にどのくらい取得するかは個人が決めればよい話だ。最長3年であっても、3ヶ月で切り上げることもできる」。

この考え方は文章上は一理ありますが、現実問題としてこれが本当に「選択」として存在しているのか、選択し得るのか?という点に疑問があります。

実際に今でも、子どもができたら会社を辞める人/辞めざるを得ない人(主に女性)はかなり多い。たとえ1年半でも、育休をとって職場復帰できているような会社や人がどれだけいるのでしょうか。選択肢を与えていると言いつつ、実際は女性は3年育休で休む可能性があるということが、女性が働きにくい(企業に就職しにくい、責任ある仕事を任されにくい)社会の雰囲気を後押ししないでしょうか?

今の日本社会は、そして多くの(自民党の)政治家は、「子育ては女性が重要な役割を果たすもの」という生物学的な現実と「女性がやるべきものであるし、やったほうが子どものためによい」というイデオロギーとを混同して、「女性はやはり子どもができたら子ども優先になってしまう」という女性の自己選択に帰する責任転嫁論に仕立てあげ、女性が子育てをするのが当たり前であるという雰囲気を作り出している


このような社会政策を考えるときに必要な視点として、福島大学で労働経済・社会政策を教えている @kumat1968 先生が「いま育児休業制度を享受できるのはどんなひとか」「そのひとたちの育休が伸びることにどんな意味があるか」「それ以外のひとたちが育休をとりやすくなるか」「育休制度が汲み取るべきなのはどんなニーズか」を想像して論じてもらう必要がある、ということを指摘していました。

女性が3年働かずに育休をとって生活していける夫婦が一体どれくらいいるのでしょうか。先ほども述べたように、私は一つの選択肢として「3年育休」があってもいいとは思います。ただ、育休が3年に伸びたとして、その制度を活用できる人がどれくらいいるのかということを考える必要がある。

今回の提言でも問題になったのは、例えば育休が3年になっても、扶養手当ができるには既存路線の1年半のまま。例え望んだとしても、3年フルで育休をとって暮らせる人は、夫婦のどちらか(基本的には男性)が奥さんと子どもを養えるだけの経済力を持った上位階層の人たちだけです。

もちろん子どもができたのを機に会社を辞めたい人や、育休をより長く取りたい人の意思は尊重されるべきですが、多くの場合、それが女の意思であることに加え、もしくはそれ以上に、女が「そうせざるを得ない」という社会状況にあるのではないかと思っています。そして3年育休は「そうぜざるを得ない」風潮を助長する可能性がある。


ライフワークバランスや育児/家庭/結婚のテーマになるとやたらと、必ず湧いてでるのが、「専業主婦になりたい人もいますよ。」とか、3年休んで働きたい女性もいるのではないのですか?という指摘。(特にこの手の女性の働きたい発言がすべてフェミニストの思考から生まれるものと解釈し、フェミニスト的な考え方にとにかく不快感を覚える人たちというのが一定数存在するのではないかと思えるほど、毎回同じような形の反論がきます。私はフェミニストを自称した覚えは一度もないんですが。)

何度も言うように、私はそういう人がいることを否定している訳でも生き方を否定しているわけでもまったくない。確かに私は「働きたい女」であり、子どもも生みたければ仕事も続けたいという贅沢な女であるかもしれないし、あなたの知ってる女とは違うかもしれない。しかし、政策を考えるときは、育休3年を活用して恩恵を得ることができる人たちと、「そうせざるを得ない」状況に追い込まれて生きづらくなる人たちを含めて考えながら、その政策が社会に与えるインパクトがどういう点で大きいのか、ということを考えなければいけないでしょう。

私は、少子化対策として有効なのは、多くの方が主張しているように、子育てしながら仕事を続けられる環境を作ることだと考えています。そのためには、パートナーである男性との役割分担や、社会がそれを支える仕組みが必要。確かに「仕事」とは、所属企業等への貢献や自分実現のためだけではなく、子どもを育てることも立派な仕事です。だとしたら、それは母親だけでなく、父親にとっても子育ては立派な仕事です。かつ、子どもは家庭だけでなく、社会のなかで育つもの。

そういう風に意識を変えていかなければ、実際問題として女性の育休を3年に伸ばしても、女性に長い育休の選択肢を与えるという側面より、日本社会における女性の生きづらさを助長するという側面の方が遥かに大きいと思います。


【3年育休案のオルタナティブ】 とも働きしよう、みんなでちょっとずつ働こう

私は、現実的問題も踏まえて、理想としての「共働き」を推奨しています。

その理由は、実際問題として、私もしくは相手の収入が、片方だと二人ないしは将来の子どもが行きていくために十分ではないことです。2人で稼いだら余裕のある生活ができるけど、片方だと切り詰めたらどうにか暮らしていけるが、病気にかかったり何か問題があったときに困るレベル。私自身は、相手(男)が専業主夫になりたいといったらいわゆる「扶養」をしたい気はありますが、残念ながら現在私にはその経済力がないのです。

私にように、現実的に共働きせざるを得ないという人は、現在どんどん増えていると言われています(下記参考文献も参照)。私の友達にも専業主婦をやっている人はたくさんいますが、その子たちは旦那さんが有名企業で働いていたり、不動産を持っていたり、安定した経済収入がある人たちばかりです。しかしそうではない人は、経済的理由から、1人が外で稼いで1人はうちで家事と子育てをするというのは現実的に難しい。

もう一つの理由は、リスクマネージメントです。震災と原発問題があってから、私の将来に対する考え方はより流動的になりました。前から、家を買ったり、一生日本に住み続ける気もなかったけれど、その考えがより加速しました。「どこに行っても生きていける能力」を手に入れることがとても大事だと考えていて、その意味でも、現金収入を得るためのツールやスキルは多い方がいいし、色んな可能性を二人で持っている方がいい。二人がそれぞれ独立して働く能力があれば、たとえどちらかが体調を崩しても、仕事がなくなっても、お互いに支え合っていけるからです。

そして、どんな技術も仕事も、そして自分の価値も、磨き続けなければ廃れていくものだと思います。
3年間、育休しながらそれを磨き続けられればいい。
でも、それはかなり難しいことだと思います。学生のときから、「家では勉強できない、図書館(や塾)に行かなきゃ勉強する気にならない」なんていう人は決して少なくないと思いますが、育児はものすごく大変なことらしいので(私も未体験ですが)、育休をとって育児を1人でこなしながら、将来の仕事復帰に備えて家でその準備もする、なんていうのはかなり困難を伴うように思えます。

だから、女性の社会進出を真の意味でサポートし、育児をカップルで、社会で支える仕組みが不可欠。そのための保育園であり、待機児童問題の解決が望まれます(私は子どもの社会性を伸ばすという点でも、小さなことから誰かに預けたり保育園で家族以外の人たちと交わるチャンスを増やすことに賛成です)。

それは「育休」の年月を伸ばすことではなく、|棒も育休を取りやすくすること(たとえ義務にしたとしても)、男女ともに時短で働ける仕組みを作ること。育休延長を行っても、結局育児休業を取るのは女性だけになってしまうのは、現在の状況をみれば分かること。それよりは、女性も男性も、子どもができたら時短で働けるとか、フレックスタイム制をもっと自由に使えるようになるとか(勿論ある程度の給料減額も考慮に入れて)できるほうが、よっぽど働く人のためになると思います。




共働きで子育てを予定している人にはこんな本もオススメです。家庭での役割分担の考え方から保育園の探し方まで、役立つ情報満載。



以前にも紹介しましたが、女として母として、子育てをどう考えるかについては、この本がとても参考になりました。初版は今から40年も前の本ですが、今でも女性が抱えている問題がそのときと変わりがないということに恐ろしさを覚えるとともに、子育てというのは人間にとっての永遠のテーマなんだなということを考えさせられます。






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博論を終えて
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博論を終えて、提出前に写真まで撮って、無事5部を事務所に提出した。博論提出まで、ずっと長い間寝て起きてパソコンの前に座り続けるという生活を3ヶ月くらいしてきた。恋人とご飯を食べたり散歩したりもしたけど、私の大好きな夏の遊びはほとんどできなかった。海にも行かなかった。

博論を終えて一番ほっとしたのは、何をしても博論のことがどこか頭の隅・・・どころか中枢に居座っている、という状況から抜け出たこと。それはそれはほっとした。終わって一日目は、そのぽっかり埋まった穴をどうしたらいいか分からず、寝不足もあってふらふらとしていた。


そんな風に博論を提出して2日後、陽と富士山に登った。


富士山は色々あって(要するに私がヘタレ過ぎて)頂上にいけなかった。夜中、山小屋を出発し、9合目前まで行って引き返した。人の群れに逆行して降りながら、登っている人には見えない街の灯りと満点の夏の星空を見た。朝、山小屋から太陽が青空を割いた瞬間を見た。

それで思ったのは、「特別な風景」を決定づけるものって、結局個人の気持だけなんだなということ。富士山だったら「頂上から見るご来光」を「見るべき」なのかもしれないけど、私には、陽と二人占めした山中湖から相模湾までの街の灯りと、星空が綺麗すぎて、満足した(要するに言い訳と惚気です)。

とは言いつつも、今回富士山の頂上まで辿りつけなかったのには、いくつかの要因がある(もちろんすべて私に起因してる)。まず前提として、私は富士山チャレンジ2回目であり、1回めは24くらいのとき、190センチくらいの体力と根性!みたいな男友達と1日で頂上から5合目まで往復しているという経験者であるということ。

私は正直体力も肺活量もないが、気力と精神力だけは結構ある。誰か(特に男)といれば、張り合うので余計に頑張る。今回の敗因は、まず第一に、ここ数年で基礎体力が大幅に落ちたこと。特にこの2、3ヶ月間は、起きてパソコンの前に座って論文を書いてという博論月間だったので、運動量が圧倒的に足りなかった。

第二に、今回9月の登山ということもあって、新宿からのガイド付きツアーに参加したのだが、40人規模の大部隊だったので、集団行動の苦手な私には精神的にとても酷だった。歩くペースも自分で決定できないのは、とても疲れた(ただしガイドさんはとても素敵な人で富士山小咄はとても面白かった)。

結果として今回は自分の運動不足と筋力不足、および集団行動への適応能力のなさが露呈した結果であり、後者は性なのでどうしようもない点もあるが、前者は明らかに努力不足なので、妥協せずに今後体力を付けようと思う。今回のちきしょうを忘れずに、10年後も余裕で富士山に登れるような女でいたい。

富士山の筋肉痛(それはそれはひどいもので、終わって4日後まで、地面に足をつける振動だけで痛かった)が収まった頃から、近くに新しくオープンしたジムに通い始めた。自転車で5分ほどの所にあり、ピラティスやヨガ、エアロなどのプログラムも充実している。そこでキックシェイプというボクシング系の運動を始めた。

私はあまりスポーツに関心が高い方ではない。特に勝利への執念というものを自分で味わったことはない。でもスポーツ観戦は好きだ(特に駅伝と相撲とボクシングと柔道)。勝つことよりも、「かっこいい勝ち方」に興味がある。それは「強い」からこそ実現可能なものだと思うし、「強い」ことはかっこいいと思う。

だからこの間のオリンピックで見ていたような"JUDO"の関節技とか、指導でポイントを稼ぐとか、相撲でもやたらと引くとか、ボクシングで相手の血がでているところを狙うと言った戦い方は、私には勝つための汚いテクニックに見えてしまう。とにかくそれをかっこいい強さには思えない。

でも強いことにはとてもあこがれがある。しなやかな筋肉や、疲れない持久力。どちらかと言えば、何か起こったときに対抗できる力みたいなもの。震災があったときに逃げ切ったり、自分を助けるだけじゃなくて誰かを背負って逃げれたり、誰かを守ったり、救ったり。そういう力があったらかっこいいなあと思う。

体の診断をしたら、私はどうやら体幹の筋肉はとても弱いそうなので、とにかく胴体部分のトレーニングをしている。運動をすると気持ちがいい。おしりや太ももなど女として致命的に柔らかい部分が少しきゅっとして、背筋がしゃんとのびる気がする。この何ヶ月かの間に、強くしなやかになりたい。


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この何ヶ月間、私が飢えていたのが、インプットだ。博論はひたすらアウトプットの作業だった。頭の中やパソコンの中にある色んなものを、できるかぎり出し切った私は、狂ったように本を買い、Huluに契約し、本と映画を見まくった。小説も学術書も含め、博論に関係ないからと今まで積読していた本たち。Amazonでもどんどん見境なく買って、映画に関しては日に2、3本は見た。そしてそのインプット枯渇が、9月の末になってやっと少し、落ち着いてきた。


大学院や研究職に関心のない友人たちは、私に会うと今どういう状況なの?と聞いてきます。
先日9月25日、研究指導終了(博士課程に入って3年経過)で大学院を退学したので、学生ではなくなりました。
長かった5年間の大学院生生活。学生証を手放したのは久しぶりです。
学振研究員としての資格が来年の3月まで残っているので、そこから先は、PD(ポスドク)や大学の研究職に応募し、今年中に博士論文のディフェンスを行う予定です。
今年度中に、今いくつか関わっているプロジェクトで論文を2つ、個人で投稿するもので1つ書く予定なのと、
今週末から日本国際教育学会、11月にはアジア教育学会(発表)に参加します。



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studygiftについて思ったこと。気持的支持と方法的問題点。(下剋上を起こせるシステムなのに、結局、階層強化になっていない?)
studygift 〜学費支援プラットフォーム〜という、個人への学費支援サービスが議論を巻き起こしている。

基本的には、支援する人がちゃんといて、好意と感謝で成り立っているのだからいいのではないかと思う一方で、
何故あれほど拒否反応を起こす人が多いのか、っていうところがどうしても気になること、私自身もあのシステムが抱えている爆弾みたいなものに引っかかってしまったので、私なりに考えたことをここに書きたいと思います。


はじめに。
studygiftのアイデア自体はとても魅力的で、今後もこういう活動が続いていったらいいなと思う。
そして、自分も自分の奨学金を返し終えたら(来年の3月に終わる)、今度はこういう形を通して学生を支援できる立場になりたいなと思う。
サイトのデザインもかっこいいし、支援している人たちの顔ぶれも何とも説得力がある。彼女(坂口綾優ちゃん)には一度だけ会ったことがある。私と同じ早稲田生で、代が離れているので一緒に在籍したことはないけれど、「○○○(私の入っていたサークル名)の後輩です!」って「わせだのわ」飲みのときにわざわざ挨拶しに来てくれた。
遠いけれど、やっぱり可愛い後輩愛的なものも含めて、私の立ち位置は「サービスのプレゼン方法には異論があるけれど、気持ち的には支持したい。」というところにあります。



私が思ったことは、3つ。

お金に対する私たちの潔癖さ。
お金がないのにはいろいろと理由がある。
けれど、「お金をもらっているのに遊んでいる」ことに対するこの社会の抵抗は半端なくて、生活保護問題と同じように私生活の隅々まで暴露されてたたかれるってこと、今回のことで本当に実感した。
この社会の人々は、「おしん」みたいなのは大好き。
でも、お金を恵んでもらって無駄に使っている(と端からは思われる)人への反発は半端ない。
「支援」や「寄付」のお金をもらう人は 、それなりの不幸さがなくてはお金を出す人が納得しない、という世間の風潮は本当に悲しいと思う。
ここ(Google+日本一の早稲田大学 坂口綾優さんが旅行で遊び果てたあげくに成績不良で奨学金打ち切られネットで公開乞食をして炎上 )にあるように、旅行に行ったことを指摘して「そんなお金があるなら・・・」というのはこの社会では正当性をもって当たり前のように吐かれる台詞だ。もちろん限度はあるけれど、誰かを応援しているのなら、その人が必要と感じてすることに対する応援をするべきであって、いつまでも「ひも付き援助」みたいな概念を人の生活にまで持ち込むのはやめたほうがいい
私は、お金のない理由をプライベート晒して全部公表するべきだともは思わない。


だとしても、お金を出すという行為は、まず何かそのコンテンツへの「個人的思い入れ」や渡すだけの正当性や見返りがないとできないというのは、(善し悪しは別に)この日本社会に住む多くの人の傾向であると思う。
だからこそ、お金のない理由として、奨学金が切れたから行きたくても大学に行けない、という理由だけをプレゼンしたのは失敗だった。その正当性のなさはすぐに突っ込まれてしまうからだ。
早稲田大学出身として、そして早稲田の大学院生として私が言えるのは、学部生のときによい成績を取るのは、それほど難しいことではない、ということ。とにかく、相対的な人数も多いし、真面目に勉強に取り組んでいる人間も、大学院に比べたら圧倒的に少ない(その善し悪しの問題はとりあえず置いておいて)。誰かも書いているように、JASSOの奨学金(*1)は、1種にしろ2種にしろ、よっぽどサボって単位を落とさない限り止まらないのはすぐわかることだからだ。だから奨学金が止まったから、という理由だけでは、人々の反感は買っても、共感を得るのは難しい。


ネットでは伝わらない魅力。
では、本当に彼女は大学に行きたいのか?なぜ行きたいのか?
この部分がわからなかったことが、読んでいる人たちの違和感を助長させていると思う。寄付を得るための魅力として彼女(とそのプロデューサー)がアピールしているGoogle+日本一やiPhoneで撮り続けている写真と、大学に戻るということのリンクがよくわからないのだ。そもそも彼女が今までサボっていたのになぜ突然、やはり大学に戻った方がいいかなあと思ったのかすらわからない。今のままでは、面白いことやって成果を出した子が、そっちとは別に「普通の大学生」をやるために学費がほしい、ということしか伝わらない。それだったら、学習目標を出せとか、苦学生しろという批判も的外れになる。それでもただたんに卒業し、新卒の資格で就職を得たいと思っているのであれば、その彼女自身の人生設計やこれからのプランを彼女の言葉で伝えるべきじゃないかなと思った。


でも、書いてあることをゆっくり読んでも、彼女の声は聞こえてくるようで聞こえてこない。
彼女は周りの人のプロデュースによって、あまり自我を出さずに、写真や定期的に面白いコンテンツを配信する女子大生として有名になった。
Google+ を見ても、ツイッターを見ても、彼女の発信することはとても無機質で、いくら面白いサイトを見つけてアップしても、いくら話題になりそうな写真をアップしても、それはコンテンツ配信者としての彼女であって、彼女自身の魅力とは伝わっていない。発信する彼女のビジュアル的な可愛さだけ。サイトを見ても、魅力的なのは、「Google+で1位になった」みたいなラベルの部分だけに感じてしまう。そして少なくとも、私にとってネットから分かる情報では、魅力が伝わらない。

彼女の人間性や魅力は、会ったことのある人を中心に、一部しか分からないのだと思う。
(Google+で日本一になる前から、SNSでの人の集め方などをずっと教えて支援して来たヨシナガさんのように)
そして会った人は、魅力的な子だからこそ困っているなら助けたいと思い、サービスを作るきっかけになったのかもしれない。
でもそれは、対外的には伝わっていない。
少なくとも、多くの人には反感や批判を受けてしまい、彼女自体に非難の矛先が向かってしまっているのは、とても不幸なことだと思う。


下剋上を起こせるシステムなのに、結局、階層強化になっていない?
学校に行きたいけれど、学校にいけない魅力的な学生の学費を支援する。
そして世の中にはお金のせいで大学に行けない人がたくさんいる。
とにかくみんなと同じように普通に学校に行って勉強したい、大学生活を送りたい、というのであれば、今後このサービスがほかの人でも活用出来るようになるサービスにならなければいけない。今回広告塔になって叩かれた彼女も、彼女の言葉としてそういうお金がなくて大学をやめた人を助けたいからと書いているし、創始者の家入さんやチームのメンバーも、彼女を皮切りに、多くの学生を支援する仕組みを作りたかったと言っている。(「ただ困っている学生を助けたかった」)。
ならば、彼女を助けることをできても、他の人を助けるような可動性の高いサービスにならず、一過性のもので終わってしまうのは本意ではないだろう。

確かに、本当に裕福でなくて困っている人を助け救う為の組織や仕組みが、すでに名声のあるいわゆるできる人の支援から始まるのは、多くの人の共感を得る上で有効かもしれない。でも、それが結局できる人・できない人、持っている人・持っていない人の格差を広げ、下剋上のできない風潮が生まれるのは怖いと思う。私が今回感じた爆弾的な恐ろしさは、そこだった。


既存の奨学金システムは、「成績がいい」か「わかりやすくお金に困っている人」のためのサポートシステムだ。
今回の彼女の場合は、どちらにもケチがついてしまっているために、これほどの批判を浴びているのだけれど、どちらにも当てはまらない人への学費支援というのもこれからはあっていいと思うし、その意味でStudygiftには可能性を感じる。

Studygiftでは、JASSO(学生支援機構)や大学の奨学金と異なり、大学で勉強したいことに関するもっともらしい作文や、やたらと勉学への熱意を書かされる申請書や、家庭の貧困事情などの条件がなく、何か「一発」を持っているとか、こんなことがしたいとか、プレゼン方法の如何によって幅広い人から支援を集めることができる、という点だと思う。 それは政府組織や大学ではできないことだし、かつ、政府や大学の奨学金が行き届かないところまで、支援の手を広げることができる。


私はこのサービス、大学が一般的に持っている形式的な条件の多い奨学金ではフォローできない学生にお金を渡すことのできる、すごく可能性のあるシステムだと思うからこそ、一人目の彼女が「〜をした」、「〜になった」っていうすでに持っているラベルしかアピールしていないのはとてももったいないと思う。早稲田のような割合恵まれた奨学金体制を持つ大学生で、すでに強力なサポーターがいるような子だけではなく、今まで社会の恩恵に預かれなかった人がアピール一つで出て来て、そういう今まで支援の行き届かなかった人たちに柔軟な対応ができる、今「持っていない」人が「持てる人」になる、下剋上ができるサービスなのに、結局すでに何かを「持っている人」をより支援するための道具になってしまうのは、怖いなと思う。
それじゃあ、権力組織と同じ。民間レベルですることは、もっとボトムアップアプローチで、既存の階層性や不平等を越えるような機会を提供することなんじゃないのかなと思う。


(*1)
JASSOや校友会の奨学金を得るためには2つの条件が必要となる。
ひとつは境遇条件であり、もうひとつは努力条件である。

境遇条件とは、奨学金を受けるための前提となる「お金がない」理由。兄弟が多くて扶養してくれる両親の所得が少ないなどの根本的なものから、自宅から通えるのか一人暮らしをせざるをえないのか(地方出身なのかどうか)などの学生本人の意向ではどうにもならない境遇のことを指す。

努力条件とは、入試成績や学業成績、申請の際の申請書に書く論文や課外活動など、本人の努力で得てきた経験や能力。

もちろん努力条件だけ(とにかく成績がいい)で受けられる奨学金も多いし、
ほぼ境遇条件だけ(両親が不在など)で受けられる奨学金もある。

ただし、ほとんどの人は上記のような極端な条件を持ち合わせていないため、
境遇条件と努力条件の組み合わせになる。
彼女の場合、境遇条件があまり明らかではない(学費を一人で稼いでいるが、それがなぜなのかわからない)という部分と、努力条件を明らかな自分の努力不足でクリアしていないようにしか見えない、という点で、批判を得やすくなっている。





院にきて思ったのは、大学っていうのは(特に早稲田みたいにでかくて下手なことができない大学は特に)、頑張れば何とかなる制度をちゃんと持っているんだなと思った。学部の頃、成績が良くてほとんど学費を奨学金で出していたやつも周りにいたけれど、私自身は学部生のときに単位もろくに取らず旅行ばっかりしていた、不真面目な学生だった。早稲田の中には、単位落としてなんぼ、成績の良さと人間の面白さは、比例するどころか反比例するような風潮すらあったと思う。そして実際に、授業にでてなくて、大学の勉強以外のことで面白いことをやっている人間はたくさんいて、早稲田にいることの面白さもそこにあった。まじめに勉強してしこしこAを稼いでいるようなやつは、正直あまり面白くなかった。

でも今覚えば、ちょっと頑張ってA集めて、奨学金取るっていうのもなかなかかっこよくていいものだったんじゃないかと思う。
頑張れば(説得力のある成績をとれば)奨学金をくれる大学にいるならなおさらのこと。
早稲田なんて、そういう意味では学内学外含めていろんな種類の奨学金があって、本当に恵まれている。

だからこそ、早稲田みたいな「曲がりなりにも」有名で学生支援の充実している大学の学生じゃなくて、もっと奨学金もなかなかチャンスがないような学生がどんどん支援してもらえるようなシステムになればいいなと思うし、それで誰かに共感したら、ぽんっとお金を出せるような大人になりたい。


| | 01:25 | comments(0) | - |
お金と最後の恋人




Joeyの最後情人(花千樹(廣東語)の國語版)っていう大好きな歌のなかに「你今生的末代情人 以後再沒有別人 不管戀過多戀人 還懷念哪幾任 都已經是往事前塵 只感謝她們來豐富你人生」っていう歌詞があって、こんな気持ちがすとんと落ちる。本当に人を愛するとは、たぶんこういうことなんだろうなあと思う。その人を育ててくれた、環境や今まで出会ったすべての人のことを肯定し、受け入れるってこと。そんなに簡単なことではないし、まだ受け入れられない部分はこれからもたくさん出てくるだろうけど、自分がそうしたい、って思えることが一番の愛のあかしなんじゃないかと思う。



ここ5日くらいのお風呂本であったところの内田樹「ひとりでは生きられないのも芸のうち」はタイトルにもなった最終節が一番良くて、ほっこりした。やっぱりキャッチボールだし(内田せんせ)、熱移動だし(saereal)、ないところのネジをいっぱいもってる(鉄コンのシロ)ことなんだよね、とひとりごちした。



今のお風呂本はこれ。
人間の男と女は不可避的に不平等であり、性的な差別が存在する。なぜなら性行為をするにあたって男が勃起しないかぎり性交は不可能なので、種族保存のためには男の性欲を優先せざるをえないからだ、と。だとすると、男の人が勃起しないことを屈辱的に思って性行為の途中や後に言い訳がましいことを言ったり、性的不能になることを男の人たちがかなり深刻に捉えているのは、対女性への優位性を保てなくなるからだという解釈もできるなあ。




お金のため方、使い方、稼ぎ方、増やし方について、基本的な考え方のアイデアをまとめた本。大変良く整理されているが、家計を管理している人なら誰でもある程度知っている内容なのだろうと思う。

私自身は、家計簿などをつけるのが嫌い、基本的にすべてクレジットの一括で買う、高給では決してないが自分一人を食わせるには十分な給料と時間があってお金に不自由はしていないという状況にあり、お金の管理に関してはかなり適当だったので、この本からいくつかアイデアを盗んで実行することにした。

私が有効だと思ったアイデアは以下の3点。

 ー入を2:6:2の三等分する。
2割は貯金、6割を生活費、2割を自己投資にする。
2割の貯金は、毎月自動積み立て定期などにする。
私は今自分の奨学金の返済を毎月10万(!)自動積み立て定期にしているので、それが終わったら始める予定。

◆〇拿个瞭睫をつかむための10つのボックス
家計簿をつけるのは無理だけれど、買ったもののレシートを取っておいて、あらかじめ10つの項目に分けたボックス(私は10ポケットついているクリアファイルを使用)に入れていき、月末に大まかな計算(100円単位は四捨五入)する。大まかなお金の流れが見えるし、どこをコントロールすべきかがわかりそう。

 定期的にお金で自分が役立てるものを作る。
できれば国内で、できれば震災に関わることで、自分がこれから先定期的に支援できること(お金+α)を見つけて続けること。

△亘榮早速作り、今は,任匹海膨蟯預金を作るのが有効か、ではどんなことができるか、(とある学会で自分が関わっているプロジェクトも含めて)考え中です。

| | 18:02 | comments(0) | - |
FacebookのWall投稿を何故うざいと感じるか (らーめんとこどもの写真をめぐって)
Googleで「facebook うざい」と検索すると、どうやら私のブログが一番上に来るらしい。
そのせい(おかげ)でたくさんの人に読んで頂いているようなので、コメントを含めて、少し加筆・修正しました。
(2012年9月18日追記&修正)

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このブログを書く前に、フェイスブックのWallにつまらない(と私が感じる)書き込みが多いことの不自由さについて、Twitterに書き込みをいました。以下がその全文(3回に分けて投稿)。

「私はfacebookとツイッターではどちらも同じくらいの人(800人)をfriends設定&フォローしているが、ツイッターは自分の好きな人だけをフォロー、Facebookは友達から申請くれば拒否ることはないので、断然ツイッターのほうが納得いくTLになっている。

FBのWallには、疲れる。なぜならフェイスブックのWallで見るものは、自分の嗜好を反映していないからだ。
もちろん全員、「友達」だけれど、友達には色々な種類の「友達」がいる。
特に最近、日本の友達がFacebookに大勢(おそらくmixiから)移行してきて、一日何度も自分のこどもの写真やラーメンの写真をUPしている。私の800人のFriendのうちおよそ600人近くは「日本人」以外の友人なのだけど、外国籍の友人たちはニュースや、面白い情報や、人生で起こった大事な瞬間の共有を、ある程度「昇華」させた形でアップしている人が多いけれど、私の体感では、なぜか日本国籍の友達は個人の日常の、他人にとってはどうでもいいことを気軽にアップする人が多い。

フェイスブックで見たくない人はUnsubscribe(購読停止)するか、Only important eventだけの購読にすればいいとは分かっている。数が多くて面倒くさかったけど、とりあえずツイッターと連動しててどうでもいい書き込みが多い人と、こどもや食べ物の写真ばかり連投する人をUnsubscribeしました。」

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ツイッターとFacebookが圧倒的に違うのは、
購読したいものを選択するときの自由さが、ツイッターの方が断然勝っているということ。
Follow/unfollowとFriend/Unfriendでは、つながり方も、精神的負担も、だいぶ違う。
Facebookでは、「友達」だと Friendにならざるを得ない
→ 彼・彼女が書くものは(恣意的操作をしない限り)自動的にWallに出現し、強制的に見させられる。

見るものに対してつまらないと感じた場合、もっとも安易な解決方法としては、「友達」をやめる(Unfriendする)か、「購読しない(Unsubscribe)」(「友達」は外さないけれど、Wallには表示されないようにする)という選択肢をとるのが一番現実的であり、「そうすればいいじゃん」と言う人もいるかもしれないが、このような問題は私だけではなく、多くの人がSNSに抱く「人間関係の面倒くささ」にも共通するもののような気がする。

「読みたくないものはたとえ友達の投稿でも視界に入らないようにする」というのが最適な方法であると言い切ってしまう前に、何故このような問題が起こるのか、何故このような投稿が不快感を与えるのか?について考えてみたい。




残念ながら、自分が入れ込んでいるものは、他人にとってはどうでもいいことがほとんどである。
よくツイッターやフェイスブックでつまらないと批判を受けると、
「私(俺)は、自分の記録のためにやっている」という人がいる。

私は、この意味が全く分らない。
自分自身の記録や考えの整理のため「だけ」にやっているのなら、Public(公開)にせず、
日記でも書くか、Mac Book上にアルバムでもつくってそこに写真を溜めていけばいいのだ。

それでもあえて公開するということは、どこかで人に見てほしい、反応がほしい、という欲求があるのだろう。
自分が大事に思っているものを、見ている人にも分ってほしい、好きになってほしい、ポジティブな反応がほしい、と思っている。
そこまで積極的な願望じゃなかったとしても、Like(いいね!)されたら嬉しい、「可愛い」、「美味しそう」って言ってもらえたら・・・というのをどこかで期待してるのではないか。そうでなかったらパブリックにする必要がないのだ。


それはらーめんでもこどもでも一緒である。

言っておくが、私はらーめんもこどもも、別に嫌いではない。
友達がアップしているらーめんをみて、食べたい!とおもって調べたこともあるし、
友達がアップしたこどもの写真にLikeをつけて、可愛い!、いい表情だなあ、みたいなコメントをしたこともある。
ただし、実際にそう思いうる投稿に対してのみ、そうしている。
だから、心情的にそのテーマは見たくない、嫌い、という感情とは違う。
(追記1:コメントの中にも、「こどもに反応するひとは、それに対してなんかあるんじゃない?」との意見もあった。「なんかあるひと」の存在については否定しない。人それぞれ、心に持つものはあるからだ。しかし、何かに関する人の意見に対して、「そう思うのはお前になんか(ネガティブな感情や劣等感やなんか)があるからだ」と一方にその発言者の心情を決めつけ、「そういう人は向いていない」と断言するような言説については、心から抵抗する。)
(追記2:ちなみに私は、子どもを産んでないけれど、子どもは好きなので、結構Likeする方だと思う。ただし、本当に可愛いと思う子どもだけ。あたりまえだけど、自分の子どもではないので「あばたもえくぼ」にはならないし、それこそ芸能人を見るのと同じような判断で可愛い!とスルーをしている。)


これが誰か知らない人のメルマガかなにかであれば事は簡単である。
くだらない。つまらない。→ 購読停止(Unsubscribed)という手段をとればよい。
しかし、フェイスブックのFriendだとそうもいかない。
フェイスブックでは、自分は努力せずに、
「友達」という名前の拘束力によって、一定の読者を獲得している
のだ。
なんという恵まれたプラットフォームだろうか。
その読者は、否応なしに(「友達をやめる」か「購読をしない」を能動的に選択しない限り)、「友達」の書き込みを見ることになる。





ちなみに写真でいえば、私も大量の恋人の写真を持っている。
友人が自分のこどもを可愛いと思うように、私も恋人のことを非常にかっこいいと思っている。
私はそれを去年一回、一つのアルバムにまとめてフェイスブックにアップした。
それだとフィードに流れるのは基本的には一回で、後はWallのアルゴリズムにもよるが、コメントが付いたり人気投稿にならない限り、普通に時系列で流れていき、万が一興味のある人だけが遡って中身を見ることができるからだ。

これを毎日フィードに流せばうざいだろう、ということは容易に想像できる。
他人の恋人や、二人のリア充度なんて、はっきりいってどうでもいいのだ。
私は非常にかっこいいと思っているが、人によっては「痩せすぎだ」とか「髪がながすぎだ」とか「鎖骨をやたらと見せすぎだ」とか、私が思うようには見てもらえないかもしれない。それも、あくまでもそれぞれにとって相対的に判断しているものなので、当然のことだ。

繰り返すが、それはらーめんも子供も一緒である。
他人にとっては、どうでもいいのだ。
らーめんでも、こどもでも、自分の記録のためだけでなく、見ている人をどのように意識するかで、
その書き方やアップの仕方も変わってくるのではないか。
自分が人に見せているものが、どれだけどうでもよいか、ということを自覚しているかどうか、
そして自覚に基づく投稿回数で、かつクオリティーコントロールである。

私がどうしてもうざいと感じてしまうのは、「友達」という名前の強制的な読者を獲得しているなかで、自分の自慰行為を相手に見せつけているように感じるからである。
フェイスブックはブログと違い、自分のページの中に見たくもない相手の自慰行為が、能動的な拒否をしない限り自動的に流れてきてしまう仕組みなのだ。

こんなに簡単に自慰行為を見てくれる人がたくさんいるなんて!
(本来ならばそれなりの努力を払ったり対価を払わなければいけないのに)という状態のなかで、
だから何してもいいんでしょ!何しても自分が好きでやっているんだから自由でしょ!
という開き直りとその横暴さは、ただただ非常にかっこわるいのだ。





さらに、らーめんととこどもは、観ている人にとってはどうでもいい、という点で一緒であるが、
圧倒的に違う点が1つだけある。
強制圧力だ。
自分の子どものことは、親が一番可愛いと思っているに決まっている。
どんなに子どもが不細工でも、デブでも、親は自分のこどもが一番可愛いと思う。
それは当たり前の事実で、そして世にも美しい真実だ。

しかし他人がみて、そのこどもの親より可愛いと思う気持ちが薄いのも当たり前である。
らーめんの写真には様々なコメントを付けうる。
「私、背脂苦手。」「カロリー高そう。」「デブ街道まっしぐらだな」などネガティブなコメントもつけうる。
しかし、こどもの写真にはネガティブなコメントはつけえない。
共通認識として、人のこどもに対してネガティブに響くようなコメントをするのはまるでタブーのような風潮がある。そして、誰もそんなことしたくはない。
さらに言えば、友達のこどもの写真に他人ができるコメントなんて、おそらく指で数えられる程度のバリエーションしかないから、コメントの内容まで自由度が低いのだ。

こうして何故私が「うざいと感じるか」についての理由を考察してみたが、もちろんこれは私の一つの意見であって、だからやめろよ!というメッセージを発するつもりはさらさらない。
SNSは人びとが自由に使うもので、そこには社会的な使い方・捉え方のコンセンサスなどないからだ。
もちろん私のように感じる人だっているし、そうでないひともいる。

一方で、私には「友達」の投稿に対する不快感に声をあげ、それをここで表現する権利もある。
もちろん私には何かを変える力はなく、ただ自分が何を排除し、どれを包摂するかという選択をするというのが唯一の対応策だということはわかっている。それでも、自分の好きなように自分のタイムライン(Twitter)やWall(facebook)を操作できるなかで、そこで気にいらないからフォローを外す、Unfriendするという手段を取ることだけがベストな解決策だとはなかなか思えなかったのだ。それはやっぱり、今自分が視界から排除しようとしている人が、「友達」だからだ。

今回、私は自分の選択として、ツイッターと連動していてやたらと発言数の多い人と、年中同じような写真ばかり流している(私のWallでは主にこどもと食べ物)人を、Unsubscribeしました。
本当はみんなをそのまま受け入れたいし、ずーっと仲良くしたいと思っているんだけど。

(追記)2013年1月9日
コメント欄を拝見していると、facebookに並々ならぬ苛立ちを覚えている人が多いように見受けられます。
私はこんな風に書いてはいますが、友人の子どもの写真や食べ物の写真も楽しんで見ているケースも多く、結局、facebookのヘビーユーザーですし、楽しんで使っている側の人間です。

facebookへの苛立ちは、見る側の問題ではなく、あくまでもコンテンツを提供する側の問題だと思っています。
誰しも、自分のウォールにそれほどの仲良くない友達のたいして可愛くもない子どもの写真が毎日流れてくればうざい、と思ってしまう。これが1か月に一回だったら、こんな感情は産まれないでしょう。同様に、たとえ年中子どもの写真が流れて来ても、その写真のクオリティが高く、創意工夫に溢れていればコンテンツとして楽しんでみられると思います。

どれだけ人を楽しませるコンテンツかどうかというのは、その人のメディアリテラシーとクオリティコントロールの賜物ですが、結局はその人自身が魅力的かどうかということだと思います。

つまり、facebookがつまらないのは、自分や友達がfacebookを使いこなせていないか、もしくは、つまらない投稿ばかりする友達しかいないという自分の責任。というのが私の持論です。
| | 18:03 | comments(50) | - |
12.11 (思想地図β+小熊英二)
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3.11から、9ヶ月。今年最後の月になった。
誤解を恐れずに言うならば、神戸の時には感じることができなかった311の胸の痛みは、罪悪感と劣等感だった。

神戸で大地震が起こった時、私は中学生で、その時起こっていたことのインパクトに対してそれほど深く考えが及んでいなかったように思う。
そのあとに起こった地下鉄サリン事件はあまりに身近でリアルだった一方で、神戸の震災が当事者意識を持って長い間心に響きつづけることはなかった。
それが今回、どこまでいってもしこり、のようなものを感じる。
それは今でも続く原発問題や放射性物質を浴びることへの日常的な恐怖だけのせいではない(後述するが、後者の点に関しては、私は半ばあきらめの心境を持っている)。
今回とても強く感じながらずっと残っているこのしこりを言葉で表すとしたら、それは「罪悪感」と「劣等感」だと思った。

週末ボランティアに参加してたりしたら(しかもボランティア・ツアーみたいなもので守られて、たいして役に立たないのに短期間滞在して、なけなしのお金使って少し貢献したような気になって、優しくされたり、間違って感謝なんかされでもしてしまったら)、私はきっと何かモノを言いたくなって、それを書いたり話したりすることでどこかで分かったような気になってしまう気がして、そういう風に解決してはいけない問題だとずっと思って来た。

考えるより行動、ということを良く言う人が言うけれど、それはすべての人に当てはまる黄金律ではない、と思う。
経験として得たものは、絶対的な感覚となってその人の中にしみ込んでしまう可能性を持つ。
優柔不断とか躊躇というものから無縁の私だからこそ、ここは行動して体感してしまう前に、どんな気持ちも複数形でそのまま受け入れるだけの広さを、まず自分の中に用意しておこうと思ったのだ。

そのなかでツイッターで挙げられた様々な議論に参加したり、雑誌の特集記事を読んだり、テレビの特集やYouTubeの映像を見たりする中で、心にしっくりきた書き物をここで2つ、記録しておく。
ひとつは東浩紀さん編集「思想地図β vol.2」、もうひとつは小熊英二さんの記事、である。

東浩紀,津田大介,和合亮一,藤村龍至,佐々木俊尚,竹熊健太郎,八代嘉美,猪瀬直樹,村上隆,鈴木謙介,福嶋亮大,浅子佳英,石垣のりこ,瀬名秀明,中川恵一,新津保建秀
合同会社コンテクチュアズ
発売日:2011-09-01


本体価格の3分の1(635円)は義援金として被災地に送られるという。
3.11とそれに纏わる自分(私)の責任について、考えるための視点をたくさん提供された気がした。

まずは東浩紀先生の序文、「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」。
逃げる人、残る人のこと、その間の壁のことを以前の日記で書いた。
心配の範囲(東北関東大震災によせて) 

もう先が長くないから、放射性物質にさらされるとわかっていても、逃げたりしない、住み慣れた住処に死ぬまでいたいというひとの、あきらめ感や受け入れる気持ちを私たちはどれくらい分っているのだろうか。それと「先のある」こどものことを心配して逃げる人達の間に、ばらばらになるような精神的距離は生まれないのだろうか。逃げる人は強い人。お金と自由と、新しいところで生活することのできる、強さのある人。

残されるのはいつも弱者だ。もうそんなに「先がない」(ひどい言葉だ)から、生まれた街や村を離れたくないという高齢者の人たちや、守るべき無力な人たち(扶養家族)がいて、新天地で仕事を見つけるのは難しいために今いる場所を離れられない人たち。その人たちに、「原発は危ないから逃げるべきだ、自分の身体や生まれてくるこどものことを考えろ」というのは酷だ。放射性物質なんてなければいいに決まってる。でも、あるからといってどうすることもできないし、ここから動けないというのが多くの今そこに留まる人々の心情なのではないか。

最後に、「考えること」が力を取り戻すことを願うと書いてあった。そして新しい連帯が生まれることも。

和合亮一さんの「詩の礫」は、ことばは本当に音になっておなかのなかに響くような詩だった。
読みながら、彼の言う「精神にかいている冷たい汗」が、自分にも流れてくるように思った。
あの震災をあの場所で体験した人の心の慟哭がひびいてくると、その慟哭を共体験しないものが吐く言葉は、まるでうつろに聞こえる。
共体験はできない。でも寄り添おう、とすることはできる。
でもこの詩を読むと、寄り添うということがいかに難しくて、簡単に寄り添えると思ってはいけないことだという気がする。

最後の言葉は「明けない夜はない」、だった。
でもそれを、私は単純な希望の言葉とはとれなっかった。
それでも否応なしに明けていく空を、あの時あの場所にいなかった「私たち」とはまったく違う温度で、
時には怒りながら、悔しがりながら、時には前を向いて希望を探し足り、時には呆然としながら明けていく夜を見る人たちの孤高な心を見た。


津田さんの「ソーシャルメディアは東北を再生可能か」。
震災のときのソーシャルメディアは、救援要請など新しい可能性をリアルタイムで感じさせるもので、私自身Twitterのヘビーユーザーとしてみていて、ドキドキしたものだ。この寄稿文の中で津田さんは、Twitterなどのソーシャルメディアの役割と可能性に対して、基本的にはとてもポジティブな視線を送る一方で、その情報を持てる人たちと、高齢者などインターネットへのアクセスも難しい人たちとの、いわゆる「情報格差」が生まれ、そこでは情報弱者と強者の間に、死を分けるような情報の隔たりが生まれることもある、という問題を指摘している。その格差を解決するためには、ソーシャルメディアの情報流通だけでは届かない、「ラストワンマイル」を埋めていくために、「非常時に『情報の声がけ』を行う意識を共有できるか」(p.57)を課題として挙げていた。

『リアルタイムメディアが動かす社会』の中で、ジャーナリストの岩上安身さんも話してたのは、
「あらゆる年代の人がお互いの足りないところを補い合い、教育しあう関係が大事だ」ということで、これも津田さんのいう、声掛けと似ていると思う。声掛けという行為が発展して、自分の得意分野をシェアし、コミュニティの中で生かし、お互いに補完し合うような関係をつくるのが大事なのだ。

八木 啓代,常岡 浩介,上杉 隆,岩上 安身,すがや みつる,渋井 哲也,郷原 信郎,津田 大介
東京書籍
発売日:2011-09-01


デジタルとアナログがお互いに補完関係にあるとき、それは二乗効果をもたらす。
それはお年寄りや情報に弱い人達にも使いやすい、簡単なスマートフォンの開発など技術的な進歩だけでは、到達できないゴールだ。
機械は、電池が切れれば終わりなのだ。充電できなければ、どんなに賢い機械もただの固まりでしかない。

情報の声掛けについては、その情報が本当に死を分けるような貴重な情報であったとき・・・どこかに行けばみんなが助かるというような情報であればまだしも、その資源や場所が限りあるときに、人々は本当にその情報を共有し合うことができるのだろうか。それは非常に難しい問題だと思った。

津田さんが書いている中で、Ustreamやニコニコ生放送の良い点として、ソーシャル・ストリームを通して「話されている内容に懐疑的な「ツッコミ」がリアルタイムで入る」、という点をあげていた。そして、このようなソーシャルメディアは、情報の多様性や一般市民の情報へのアクセス機会を増大させているので、ネット中継の批判はできないといい、その意見には賛同している。

そのソーシャル・ストリームに関して、何かを批判している人達に対する絶賛やイエスマンの増大のことを怖いと思ってしまう。ディスる人は、基本的に好かれる。過激派につく信奉者は怖い。空気に弱い「日本人」たちが醸し出してしまう、ディスへの同感が一番恐ろしいと感じる。



思想地図を読んだのは、これが出てすぐの9月初旬だったのだけど、この前に読んだ小熊英二さんのこの記事で、私は自分がもっているしこりに二つのカテゴリー名をつけた。

小熊英二「あすを探る 思想・歴史」“東北と東京の分断くっきり”(朝日新聞2011年4月28日)
新聞の切り抜き画像
文字で打ち直したもの

罪悪感は、私がいかに今まで、東北が継続的に持っていた問題を見逃してきたか。
それは、いかに国内オリエンタリズムみたいな、周辺を見るような視点を持っていたかっていうことにも言い換えられると思う。
テレビで東北の人たちが出てくると、「標準語」に変換された字幕がでてくる。
私は今まで50数カ国の海外に行っているのに、東北には一度も行ったことがなかった。
国内旅行が高いこと、日本よりも外に興味があったことなど色んな理由は挙げられるけど、それでも沖縄や北海道や、京都や広島や、そういう場所には私は何度も旅行や観光で行っているのだ。
でも東北には、数日の学会や国際会議で仙台をとんぼ返りした以外、本当に一度も行ったことがなかった。
自分が見るべきだった東北は、私が無知のために知らなかった間に、その大事な一部が流されてしまったのだ。
私はもう元の場所を知ることがない。


劣等感は、私が手に入れることのできなかった、生まれ育った土地への愛着。
コミュニティへの帰属意識。相互扶助の人付き合い。
お年寄りから教わること、子どもをみんなで育てること、野菜や動物や魚など、いきものと共にする生活。
それは私には、一つもないことだ。私にあるのは家から30メートル歩けば会話せずにモノを買えるコンビニや、まずは電話やインターネットを通じて連絡しないと会えない友達や、電車に2時間ものらなければ会えない祖父母や親戚たちだ。

私が知らなかった世界、私がずっと持てずにいたものを、あの地震と津波がもっていってしまった。
それを取り戻そうとしているのか、それとも新しい何かを作ろうとしているのか。
もし今までのものを取り戻そうとしているのならば、そのかけらも知らない自分には何ができるのか。

私の所属するとある学会(教育分野)で、震災後のプロジェクトが始まり、私もその初期メンバーとして参加することになりました。
まずはやっと第一歩。遅すぎて、ごめんなさい。でもこの東京で、とっくの昔に取り戻したかのような日常の中で、東北のことが風化していかないように、持続的にできることを考えています。

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