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集団的自衛権に関する安倍首相の会見を聞いて



5月16日。
大好きな大相撲中継を5時から見ながら事務仕事をしていたら、終了後即この会見が始まってしまい、最後まで見て絶望的な気分になりました。

まず「海外にいる日本国民を守ること」と「能力のある自衛隊があること」と「集団的自衛権を認めること」は基本的に全く異なった次元の話。これらを全部安倍ロジックでつなげ、集団的自衛権を正当化しようとしていることに唖然としました。

誤解を招くことを承知で言えば、知的鍛錬を受けていない人の中にはこの「レトリック」がまったくもって「ロジック」ではないことを理解できない人もいるのではないかと思います。日本の指導的立場にいる人間が、善良で特に無知な国民をだまし、冷静に考えれば勝算のない戦争に精神主義でつっこませていった数十年前を同じことをしているとしか思えません。

一番腹が立ったのは、自衛隊という能力のある人たちをロマン主義的ナショナリズムで戦場に送ろうとしている人間が「こどもの安全」とか「おとうさんおかあさんの安全」とかいうキーワードを繰り返して感情をつかもうとしているそのあざとさ。あと数年後には、その自衛隊に私が教えたことのある学生が入る訳で、とても他人事には思えない。

また、記者会見のあり方にも問題があると思いました。書いたものを棒読みする記者の質問に対し、安倍首相は質問に真っ正面から答えようとせず、「こどもの命」を出して感情に訴えた上で、最初に述べたことを繰り返しているだけ。回答時間も長過ぎて、質問をなるべく少なく、言葉を重ねて聞き手が諦めるようにしむける戦法。


少し時間をおいて落ち着いたあと首相官邸(03-3581-0101)に電話しました。いろいろ考えていたら頭にくるわ泣きたくなるわで興奮していたので、気持ちを鎮めてポイントを整理して、相手が聞き取りやすい形に言葉をまとめました。電話を受け取った人に「意見を伝えたい」というと、一つ声のトーンが落ち、より疲労した暗い感じの声の女性に代わりました。「質問には答えないけれども、意見があったことはお伝えします」と断られた上で、丁寧にこちらの意図を伝えると、「わかりました。一意見としてお伝えします」、とのこと。


私が伝えたのは以下の2点。
ゝ者会見においては、特に安倍総理からの回答に関してもう少し短い時間でまとめるようにし、より多くの記者からの質問を受けてほしいこと、一般市民やジャーナリスト、研究者、海外の知日派知識人などを含めた公開討論会を行ってほしいこと。

どちらも現実的とは言いがたいけれど、不可能ではないと思うし、日本の指導者とことばをやりとりできる場がもっと増えるべきだと思います。

*この記事は記者会見があった日に個人のFacebookに投稿したものの再掲です。
| | 02:18 | comments(0) | - |
「分からないけどなんか面白い」の創出


この歳になって、毎日食べて好きな服を買えるくらいのお給料はもらえるようになって、この世で一番貴重なのは時間じゃないかと思うようになってきた。「先生」って呼ばれているとき、私はみんなからその貴重な時間をあずけられているんだなあと思う。90分×人数分。たとえば市大に一回行くと、私にとっての3時間の間に、75時間を預けられたことになる。

教員として大学にいると、むなしく感じることもたくさんある。一生懸命エッセイを書いていると思っていた学生が小さなコピペを繰り返していたり、すごく時間かけて添削しているのにちゃんと読んでもらえなくて同じ間違いを繰り返していたり、結局学生の人生における大学の授業というものの存在の小ささを実感したり。市大の方でやっているディスカッションゼミで感じるのは、学生が英語力という点で一番刺激を受けるのは、自分と同じ歳で自分よりできる(と思える)友人なんだ、ということ。当たり前だけど、教員は自分より(はるかに)出来るのが当然であって、教員はそういう存在であるべきで、学生達が実は持っている力を引き出せば引き出すほど、他の学生はその引き出された力に目標をおいて頑張ろうって気持ちになるんだ。

それでも時々、私が嬉しくなるのは、自分がいい踏み台になったなと実感できるとき。
「〜を学んだ」以上に、「それで〜する気になった」、と言われるのが一番嬉しい。


学内の英語による授業をどのように行うか、という会議では、専門教科を英語で授業を行うと学生の理解度が落ちる、という懸念があがっていたけれど、個人的に私は大学の授業において、「分かりやすさ」とか学生の100%の理解なんて求める必要がないと思っている。自分が学部時代、つまんないことを独り言のように発話しているだけの大学教授に辟易していた覚えがある。90分も時間を拘束しているのだから、私の頭の肥やしになるような話および知識をもっと出せよ!と思っていた。学生だって、分からないけどなんか面白そう、って言うのが最も知的好奇心が刺激される部分だと思う。理解度70−80%位で、あとは学生の自助努力でどうにかする(そしてそのモチベーションを引き出す)くらいの授業難易度が理想なんじゃないかと思っている。



市大が終わった後も、某A大の授業が2月の第三週まであって、先週末でついに今年の授業&成績付けは全部終わった。









不思議なことに、学生は教室に入ったらどこでも座っていいのに、何故かみんな決まった席に座るの。時々はマイナーチェンジもあるけれど、ほとんどいつも一緒。どこに座席を取るかって、その人の性格やクラスでの位置や、やる気や友人関係と密接に関連していると思う。前期と後期でだいたいみんなどこに座っていたか、ちゃんと覚えてる。そしてその意味を納得し始めたころに一年が終わってしまった。

席見て、皆の様子見て、雰囲気を把握してマネジメントできるようになるまで、市大よりも防大の方が大分時間がかかった。一つには、男率95%くらいの環境のなかで、男子の「やる気のつぼ」みたいなものがよくわからなかったこと(正直いまでもよくわからない)。もう一つは、やっぱりこの特殊な生活環境のなかで朝から晩までずっと一緒に過ごしていることが、この一つ一つのグループに他人が簡単には入れないソリッド感みたいなものを作り出していて、そんなつもりは全くないのだろうけれど、他者はなかなか入り込めなかったことにあると思う。その特殊な環境を理解するのに時間がかかったし、今でもまだ理解できているとは思わない。

全員モチベーションの高いいわゆる良い意味での意識高い学生の多い市大(そしてこっちは殆ど女の子。女の子は本当に伸びしろが大きくて、可愛い)と比べて、防大には色んな学生がいて、まじめに授業を聞いて一生懸命勉強する学生も入れば、授業はじめと雑談の時にキラキラしているのに英文読み始めると数秒で寝る学生もいて。

特に規律と命令とよくわからないしきたりの多いこの大学では、学生は多くのことにおいて強制的に選択肢のないまま行動せざるをえないでいて、その中で私は自分の授業で、強制力を発っしたくなかった。少なくとも授業や勉強というのは、自主的にものを学ぶことが大事であって、強制力の元に授業をやることに意味が見いだせないんだもの。寝させたくなければ、寝ないような授業をすればいいことで。前期に比べて後期の方が寝る人も少なかったのがちょっとの救いで、来年は今年の教訓を生かして前期からもっと活発な授業ができるように頑張ろうと思った。


全員個人的には納得の成績を出して、落第する学生もなく送り出したことは嬉しかったけれど、皆はどんどん進級して、卒業していくのに、私はずっと毎年同じ場所に留まっているってことがなんか寂しい。勿論、来年も同じ学年を教えるとしても、自分自身が変わって行っているはずだし、取り残されるなんて思うのはおかしいのだけど。同じようなことを韓国で教えていたときも思った。だから二年くらい教員をやると、今度は自分がインプットする側になりたくなって、学生に戻ったんだった。もうこれ以上取れる学位もないけど、またきっと学生に戻りたくなると思う。
| | 16:02 | comments(0) | - |
感情と論理のすきま(立命館大学での朝鮮学校無償化ビラ配布事件をめぐって)

「立命館大学での授業中に、韓国朝鮮系の教員が、朝鮮学校無償化の嘆願書を書かせた」、といって炎上したツイートは、とある学生が事実を歪曲して伝えたものだった。


「書かせた」というのは明らかに強制の意味を含んだ日本語。
そして以下のサイトに最初にデマの元になったツイート、他の参加者の学生、当該講師を知っており話をきいた金明秀先生のツイートがまとまっている。


【デマ】立命館大学が朝鮮学校無償化の嘆願書を学生に書かせた? - NAVER まとめ


当日起こったことをこれらの情報を元に要約すると、
・当日は当該講師がゲストスピーカーを招いており、ゲストは朝鮮学校への襲撃事件に関することを話した。
・当該活動やそのビラは、学生有志が主体となって行っているもの。
・ビラは、ゲストスピーカーと一緒に来た学生が配り、教員は授業の教材やフィードバックのコメントシートなどを授業のTAに配ってもらっており、明らかに異なる扱いをしている。
・ハガキはあくまでも任意であることを授業終わりにも説明し、回収もハガキは学生、コメントシート等は授業のTAと別々に行っている。
・他の教員や学生も参加できる非常にオープンなセッションだった


今回の事件は、詳細は他の学生のツイートや立命館の説明にもあるように、無償化活動をしている学生が、ビラを配ることを教員に打診して、教員が許可した、という構造だ。授業の内容は朝鮮学校襲撃事件に関することだったとのことであるし、日本で実際に何が起きているのか、そして朝鮮学校をめぐってどのような意見があるのか、という授業を行う上で、無償化活動をしている学生の主張や活動内容を聞くのも授業の一貫だと思う。


署名を「書かせる」というのは明らかな歪曲で、署名をするしないは当然ながら個人の自由であり、その回収にも教員は関わらず、署名してもしなくてもビラ(署名部分が裏にある)は活動団体の学生に返却するように、とわざわざレジュメに明記してある。


この事件に対する大学側の反応(謝罪)はびっくりするものだった。


授業内における学生団体の要請活動への本学嘱託講師の対応について 
デマを流した学生に注意せず、教員を指導して、まずは世間様に謝る立命館クオリティだ。事実の歪曲が諌められるべきであって、 学問の場や主義主張の自由が妨げられるのはあきらかにおかしい。

・・・という内容(ほぼママ)をTwitterに書いたら、300近くRTされ,当然ネトウヨさんをはじめとする様々な方々からメンションが殺到しました。


そして驚くのは、この事件に対する一部のネット住民たちの反応。


まずは立命館ビラ事件で配布物について、「あんなモノ」を配るな、と言い切る人々。
これが「死刑廃止を求める署名活動」とか「米国大使館でのインターンシップ募集」のビラでも同じことをいうのでしょうか。興味があればといってビラを配る、という活動は、どんな教員も多かれ少なかれやっていることではないでしょうか?


私はとある大学で、英語で日本社会にまつわる色々なことをディスカッションすると言うゼミを持っていて、以前米国大使館がやっている大使と学生との対話セッションの募集要項を配ったこともあるし、他にも日中韓青少年交流イベントがあるので、興味があれば外務省のホームページをみて応募してごらん、と授業中に話したこともある。


どれも、極論すれば私の持っている授業の当日の内容とは直接関係がない。でも、国際的なことや国際交流に関心の高い学生にとって、興味があるんじゃないか、良い経験になるのではないかと思い、その「機会の存在」を「情報」として提供している。それを見て、面白そうか面白くなさそうか、自分がやりたいことなのかどうか、取捨選択するのは学生であり、その取捨選択のプロセスにまで教員は関わることは出来ない(それとも、特攻志願者の札みたいに「熱望する」に○をつけなきゃいけないような空気や罰があるとでもいうのでしょうか?戦時中じゃあるまいし)。


朝鮮学校無償化という活動に賛同できなければ、署名をしなければいい。その活動にどうしても納得できないのなら、その場で質問したり、懸念を提案したり、議題を持ち出せば良い(もちろんそこで、もし万が一教員が、その疑念を抑えつけるような言動をしたならば、非難されてしかるべき)。自分の主義主張を明確にせずに、その場だけあたかも自分が何かされたかのうような「弱者」の立場になり下がり、「アカハラ」とか「表現の自由を侵害された」などというのはクズの所行だと思います。


そして一番腹が立つのは、自分の気に入らない/相容れないという主張や感情を説明するのに、他のあたかも正当性があるように見える論理を引っ張ってきていること。韓国朝鮮系の教員が、よりにもよって朝鮮学校無償化「なんかの」ビラを配ったから、拒否感を抱き、これだけ噛み付いているんではないでしょうか?それはその人の思想信条や、単なる差別感情に基づいた嫌悪感です。それを「教育の場に関係ないものを持ち込むな」とか、「表現の自由の侵害」とか、ましてや「アカハラ」などという他の論理を拝借してきて反論しているのを見ると大変腹が立ちます。


無償化運動に反論があるなら、議論をすればいい。授業中に自由な議論を許さず、上から押さえつけたり、遮ったり、ただ全否定だけしたり、対話のチャンスを与えないことが「表現の自由の侵害」であり、大学におけるアカデミックハラスメントです。対話ができるチャンスがあるのに始めない人間が、ただビラを配られただけでアカハラだというなんて、どれだけ受け身で自分がない人間なんだ。

| | 14:56 | comments(18) | - |
FP(ファイナンシャルプランナー)技能士試験 3級に、一週間(6日)で受かる方法。



これはまったくFPを仕事に生かす目的がない人間(私)が、6日間でFPの3級試験に望んだ際の記録です。

永遠に終わらないように思えた自分の博士論文を書いているとき、一番思っていたのは、早くこの論文を終わらせて今とは全く違う勉強がしたい、ということ。その勉強は、やればやるだけ結果がでて、点数や合格証を貰えるようなもの。とくに博論が佳境にはいって、でもオリンピックも観なきゃいけないし、夏だから光合成もしなきゃいけないし、そういうのも必死の思い出我慢していた博論提出1ヶ月前の8月などは、早くこの博論を終わらせて、何か語学の勉強をしたくて仕方がなかったのです。


晴れて博論を提出し、ディフェンス(口頭試問)も終わった2013年12月、考えついたのがファイナンシャルプランナー3級を受けること。


これから保険や資金運用について真剣に考慮しなければいけない年になったこともそうだけど、前から確定申告をしたりするなかで、完全に仕組みを理解せずに規定通りに書類を整理しながら、まるでだましだまし作業しているような、居心地の悪い感じを覚えていました。


実際、ファイナンシャルプランナーの勉強は、非常に面白かった、受けてよかったというのが今終わっての感想です。遺言の仕組み、相続、不動産、都市計画に関して自分が全く知らなかったことを知れたり、昔(今はなき)リーマン・ブラザーズでバイトをしていたときに聞いた投資に関する専門用語の意味を、今更ながら理解したり。他にも、所得税や住民税の控除や年金システムについて学べたのはとても良かった。こういう風に検定試験の勉強をやることで、一生懸命覚えようとするし、覚えたらそれがちゃんと試験にでて、◎が貰える、というのも、高校生ぶりのような気がして非常に楽しかった。


ファイナンシャルプランナーの試験があったのは、2週間後に国際学会での発表、3週間後に博論修正版最終提出(製本)を控えていて、物理的にも精神的にも割と追いつめられている時期でした。

そのため、私が元々立てた予定は、試験一週間前の月から金の5日間で試験範囲をすべて終わらせ、そのあと実技対策と試験問題を解くというもの。そのため、平日FP対策に時間を裂くのは2時間以下とはっきり定め、その間はものすごく集中して取り組むことを誓いました。


ちなみに使ったテキストはこの本、『スッキリわかるFP技能士3級』。

スッキリわかるFP技能士3級 (スッキリわかるシリーズ)スッキリわかるFP技能士3級 (スッキリわかるシリーズ)


大事な部分が本当に「すっきり」まとまっていて、これ一冊しっかりやれば十分だと思います。

確認問題で実際の過去問が使われていて、2−3ページのまとめを読んでポイントを覚えると、その覚えたままの知識を問う問題が出てくるので、身に付いた感を得ることができ、モチベーションの維持にも最適です。もう一冊、より詳しく知りたいときに備え、厚めの用語集や問題集を買ってもいいかもしれませんが、1週間で受かりたい人や、とりあえず3級だけ受けたいと考えている人にはお勧めしません。

同様のFPテキストではたとえば、パーフェクトFP技能士3級対策問題集 学科編最短合格3級FP技能士〈’12‐’13年版〉がありますが、前者は学科と実技が分かれているのでもう一冊買わなければならず、後者は「スッキリ」の2/3の分量なので、さすがにもう少し勉強した方がいい気がします。ただ好みが分かれるところだと思うので、実際に書店で手に取って比べて、自分が一番取り組みやすそうと思うものを一冊だけ選ぶことをお勧めします。たくさんのものに手を出すよりも、一冊よくまとまっているものを選んで、しっかり取り組むことが大事です。


私が最初に立てた勉強の予定は以下の通り。

月曜日:.薀ぅ侫廛薀鵐縫鵐阿隼餠盞弉
火曜日:▲螢好管理、6睛算饂
水曜日:ぅ織奪スプランニング
木曜日:ド堝飴此↓α蠡
金曜日:実技対策、過去問実践
土曜日:見直し


実際かけた時間は、
月:1時間45分
火:1時間15分
水:1時間55分
木:1時間40分
金:4時間
土:3時間

という感じです。

元々土曜日は、式場めぐりが3件も予定に入っていたので、夜見直しするのが精一杯だろうなあと思っていました。

実際この通り進んだかというとそうでもなく、水曜日に恋人と大喧嘩してぐずぐず泣いたり嘆いたりしていたらいすべて終わらず、結局すべての試験範囲を終わらせたのは金曜日の夜でした。この日は学科の過去問を2回分解き、結果は44点と38点。36点が合格点だったので焦りました。でも、間違えたところをもう一度見直せばその分はちゃんと覚えるので、次は大丈夫だろうと自分に言い聞かせて。

土曜日の夜に実技対策として過去問を学科と実技1回分ずつ解きました。学科は48点、実技は85点とれたので、このままいけば大丈夫だろうと思い、見直しして寝ました。実技の練習は過去問を解いただけで他は何もしてないけれど、形式にだけ慣れれば、あとは学科の範囲で学んだことがしっかり頭に入っていればできると思います。


当日は青山学院大学(高等部は我が母校!)で試験を受けました。
学科は120分、実技は60分なのですが、どちらも20分以内に全部解き終わります。
周りの人も、30分くらいで終わっている人が結構いた模様。試験時間は絶対余るとおもいます。
自己採点したら、学科は44点(60満点中36点以上合格)、実技は90点(100点満点中60点以上合格)。学科ではつまらないところで間違ってしまった問題が3つあって、あとで見直して自己嫌悪。

FP3級は学科/実技とも6割以上取ると合格なのですが、私はどっちも8割とれればいいなあと思っていました。なぜかというと、6割とってもできた!ていう気がしないけど、8割越えていると割と手応えがあって自分自身が気持ちいいから。実技はできたけど、学科はあともう少し足りなかったので、それは残念でした。最後の詰めがちょっと甘かったなと思います。

月曜日に勉強始めたときは、「私なんでこの忙しい時期にこんなの申し込んじゃったかなあ」と思ったけど、終わってみたら案外気持ちよくて、ああ、受けてよかったなと思ったよ。本当に勉強になったし、なによりやっぱり何かに向けて勉強して、採点して結果がでるものに接するのが久しぶりで、とても新鮮だった。

ちなみに、元々どれくらいの知識を持っていたかというと、おそらく一般的なレベルだと思います。自分で確定申告はしたことがあるものの、書いたようにそれほどすべて理解して作業していたわけでもないし、大学でも大学院でも歴史や国際関係を専攻していたので、特に詳しいことは何もなかった。ただ、高校生に対して大学受験の現代社会などは指導した経験があるので、高校生レベルの社会科目に出てきそうな範囲(公定歩合とか預金準備率とか)についてはちょっと人より確実に覚えている部分があったかなあ、程度です。


次は、以前取った韓国語能力試験(最高級)も効力が切れて来てるから、今年の6月にハングル検定とろうと思います。まずは2級の問題集をやってカンを取り戻し、6月に一発1級合格を狙う!と目標を立てました。ハングル検定1級持ってると、通訳案内士(韓国語)の筆記が免除になるらしいので、将来的にはそれも考えてもいいかな。本気でTOEICもそろそろ受け直さないと(前回受けたのは2009年の終わりだから)。色彩検定とか、食生活アドバイザーとかもやりたいなあ。


何事も目標があると楽しく勉強できるものです。やってるときは結構辛いし、投げ出したくなるけど、それでも受かってちょっとするとまたなにかやりたくなる。
これを私は「100キロハイクシンドローム」(*)と呼んでいます。



(*)早稲田大学精神高揚会が毎年開催している早稲田本庄から西早稲田キャンパスの大隈講堂まで100キロちょっとを2日間で歩くという意味の分からない鬼畜イベント。毎年一日目の夜中、なかなか抜けられない埼玉県を歩いている際に(いわゆるナイトハイク中)、「なぜ私はここにいるのだろう」という哲学的疑問がふつふつと沸き上がり、参加したことを深く後悔しているはずなのに、何故か毎年春になると「今年こそは閉会式に間に合う!」等の目標まで立てだして、つい申し込んでしまうという不思議な症状が起こる。

| | 00:10 | comments(0) | - |
賛美歌と刷り込みと、私学の一貫校のこと。

私は賛美歌が好きである。自分の中の賛美歌ブームは3〜6ヶ月に一回くらいの割合で突然やってくる。
たいてい午前様な帰り道、帰りの自転車ではたいてい独り言を言ったり、勝手に英語のプレゼン練習をしたりしてるのだけど(寒くて揺れるので、歌は歌えない。ぶれるから)そのときに賛美歌がぽーっとあがってくることがあるのだ。


好きな賛美歌ベスト10 日本基督教団 讃美歌委員会 (1954年版)による
(賛美歌の番号が入っていないのは覚えていなくて、かつこの年度版で何番か調べがつかなかったもの。)

7 主の御稜威と
94 久しく待ちにし
194 栄えにみちたる 神の都は
234 昔主イェスの蒔きたまいし
338 主よおわりまでつかえまつらん
452 ただしくきよくあらまし
453 聞けや愛の言葉を 諸国人らの
467 思えば昔イェス君 幼子をあつめ
神ともにいまして
ここの神のみくになれば

あと、横浜英和友達は覚えているだろうけど、「うるわしの白百合」と「さやかに星はきらめき」はブリテンホールの合唱コンクールで歌ったから、否応無しに大好き。アルトパートも歌えてしまう。
「神ともにいまして」と「主よ終わりまでつかえまつらん」は卒業ソング、もしくは誰かがなくなったときに歌った記憶があるので、どうもセンチメンタルな気分になる。賛美歌サイトでは、作曲者含め様々な情報が載っていて、今更みて成る程ーと思うこともたくさんある。例えば「栄えにみちたる神の都は」って元々クロアチア民謡だった、とある。今はドイツ国歌で、ワールドカップなんかで流れるたびについ口ずさんでしまう。

さらに、ロード・オブ・ザ・リングのテーマソングは、途中まで「ここも神の御国なれば」にそっくりなのだ。

賛美歌90番「ここも神のみくになれば」


The Lord of the Rings Soundtrack with orchestra (2:10あたりから)


14年間、物心ついた小さい頃から、毎日30分近くを礼拝に費やし、毎日歌っていた賛美歌は、おそらくどの学校の効果よりも身に沁みて残っていて、よく歌っていた賛美歌は3番までそらで歌える。小学校低学年の頃は「空の鳥は小さくとも」とか「慈しみ深き」とか「ひかりひかり」とか、こどもさんびかにできてた曲を歌って、中学になってからいわゆる「大人賛美歌」を歌えるようになった。賛美歌を好きになったのは、「大人賛美歌」になってからだと思う。


日本にはたくさんのカソリック・プロテスタント系学校がある。かつて宣教師が作った学校たちだ。私は幼稚園から中学校まで横浜英和、高校は青山学院で、計14年間プロテスタント系の学校に通ったことになる。どちらも100年くらいの歴史があって、伝統的なキリスト教主義の学校として知られている。しかし、殆どの学生はクリスチャンではなかったし、在学中にクリスチャンになった人間も殆どいない。


しかしそういったキリスト教系の学校で過ごした経験や刷り込みは、もしかしたら年代を経て、後からフラッシュバックのように戻ってくるのかもしれないと思った。私の中に残る賛美歌の記憶や懐かしさ、安心感は甚大で、友達や学校の校舎といったリアルな記憶とつながっているから、宗教的なものに対する抵抗やバリアなしに体に入ってくる気がする。卒業して、時が経って、でも時々ふっと思い出す。思い出して口ずさみ、懐かしく思うこと、それは直接信仰には結びつかないのだけれど、賛美歌の記憶はあまりに小さなころから刷り込まれたものだから、きっと晩年にまで残るだろう。そして晩年になって、寂しいと思ったときに、賛美歌を口ずさんで思い出して抱く安心感が、自分を教会に向かわせたり、そこから信仰に向かったりするのだろうか、と疑問に思う。

キリスト教系学校が行う教育のインパクトは、もしかしたらすごく後に出てくるのかもしれない。

日本基督教団讃美歌委員会
日本基督教団出版局
発売日:1994-12



賛美歌買っちゃった。私が高校時代に使ってた賛美歌は、卒業式の日に当時自分が大事だと思っていた場所に置いて来た。




私は中学まで横浜英和でエスカレーター式にあがって、高校で青山学院を受験して移って、横浜英和にしてみたら外部受験という悪い風習を作ってしまった学生だ。私立の一貫校は、首都圏に限って言えば、それほど(いわゆる)偏差値の低くない学校が多いだからあえて外に出ようとする人は少ない。なによりエスカレーターでそのまま上に上がる人がいっぱいいるなかで、受験勉強するのは結構根性がいる。落ちても戻れない。そういうリスクから、一貫校にいるとそこに安住してしまうし、安住することができるのだ。

一貫校の先生たちも、ずっと自分たちが面倒をみる、という意識も高い先生が多いのかもしれない。私が外に出る時、最後まで嫌みを言われ続けたのは、今まで散々目をかけてやったのに、突然同じようなキリスト教主義でエスカレーター式の他の私学を受けて、その理由がもっとレベルの高いところに行きたいということだったことが、生意気で身の程知らずに思えたのかもしれない。実際「勉強できるだけが人生じゃないぞ」とかとんちんかんなことを言われたし。(高校からの私を知っている人は、私がいわゆる学校秀才じゃないことはすぐに分かるだろうし、大学の友達も、私が勉強の「できる」やまじめで成績の良い生徒というものからかけ離れていることをよく知っていると思う。)

その一貫校の記憶を辿ってみると、後になって改めて気づいたことだけれど、両親のうちどちらかが日本国籍じゃない子も結構いたと思う。当時はそんなこと全く気にしていなかったし、ちょっと肌の色が違ったり、顔つきがエキゾチックだったり、両親の参観日にくる時日本語ではない言語が聞こえたりしたことがあったけど、だからといってそれを原因にしたいじめはなかったし、影でこそこそなにかをいう、ってこともなかったと思う。一方で、親たちのレベルでは、結構噂話的なものがあったようだ。韓国籍のおかあさんたちが、彼女たちだけで固まったり、外交官とか海外赴任が多い家庭のお母さんたちもそういう風に固まっていた気がする。母親レベルでは同じような環境の人々で群れる。


今思えば、ともすればいじめの対象になってしまう親の国籍や、障害といった属性を持ったこどもがいて、いじめられないために、(比較的)「いいところ」の子どもが集まっていて、先生も面倒見が良いであろう一貫校を選ぶ、という意識は、両親の側には少なからずあったような気がする。公立よりは先生の目が行き届いて面倒見がいいだろう。野方図に見える公立にいかせるのが怖いという防衛本能が。

すべての家庭にはそれぞれ色んな問題を抱えていて。それを表には出さないだけで、よう言わないだけで。
ステレオタイプで国民を判断することよりも、ステレオタイプで家庭事情を判断する方がより、残酷な気がする。

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| | 13:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
読み聞かせ。



すっかりWhere the wild things areにぞっこん。
ブルーレイも観れないのにブルーレイ+DVDを買うし、ストーリーブック、英語版絵本、サウンドトラックと関連アイテムを一通り買って落ち着いた。
スパイク・ジョーンズの脚本は本当に素晴らしい。
手放しで、今年一番好きな映画になった。

日本語版は小さいころに読んでいたけれど、英語版を読んだ。
読みながら、自分に子供が生まれたら、
私はたとえば、小さいころからセサミストリート辺りをずっと見させて英語漬けにして、早期イマージョン教育によってバイリンガルに育てる!みたいな欲望はまったくもってないのだけれど、英語の本も日本語の本も韓国語の本も、「そのまま」読み聞かせてあげたいなあっていう欲望はすごくある。







いわむら かずお
童心社
発売日:1983-07-01



私は小さい頃一人遊びばっかりしていて、
近所に友達がいなかったので、放課後とかに公園で遊んだ、とか誰かの家に行ったっていう記憶がほとんどない。私はずっとやっていたのは、頭の中で違う自分の物語を作ることと本を読むこと。

私の母親は、読み聞かせはほとんどやらなかった、っていっていた。
文字は教えてくれた気がする。嶋内さんが昔撮りためた私の写真では、
私はたいてい絵本を読んでる。ここにあげたのは暗記するくらい何度も。
好きだったのは、人や動物がいっぱいでてきて、彼らがたくさんインターアクションする物語。そのあと、宗田理のぼくらシリーズとかが好きだったのも、14ひきのあさごはんを好きなのと同じ気持ちなのかもしれない。
ごんぎつねも好きだった。読むたびに号泣していたし、
今でも読んだら号泣すると思う。
おおきなのっぽの古時計も聞くだけで号泣する自信がある。



こどもができたら、どんな言語環境にするか、ってすごく大きな問題で、
これは多言語主義とか復言語主義とか、はたまた言語政策一般に興味がある私には自分の実体験を通して研究で見えてくることもたくさんあるんだろうと思う。

英語とアジアの言葉はできるようになったらいいなと思う。友達に韓国人と中国語圏の人が多いから、この二つはある程度分かってほしいなあ。私も教えるし。
そのうち、もしなんかほかのことに興味を持ちだしたら、それを主体的に選択してくれればいいし。(たとえばサッカー好きで留学したいからポルトガル語とか、ゲバラに傾倒してスペイン語始めるとか)
でもやっぱりアジア言語がいいと思う。だってアジアだもん、日本は。


| | 01:29 | comments(0) | trackbacks(0) |
うれしいメール

CIES(国際比較教育学会)というこの分野では世界的に一番大きな学会が毎年アメリカで開かれるのだけれど、
そのNew Scholar Workshopという博士の学生なら誰でも憧れる(はずの)ゼミ方式のワークショップがあります。

3日間ほぼ缶詰でお互いのプロポーザルを読みあい、批判しあうという会で、世界各国から36人の新人スカラーが選ばれるのですが、そのうちの一人に入りました。
しかもTravel Grant(旅費の一部にできる)までいただいた。

アプリケーションを出したときにはまさか通るとは思わなかったし、
どれだけ競争率が高いか知っているので運がいいか、テーマを気に入られたか、ほかの日本人の候補者がよっぽど頼りなかったか、
でもとりあえずものすごく光栄でとてもうれしいです。

ということで2月はじめまでにフルペーパーを出さなくてはいけません。


これからの予定を見ると、
12月&1月 
11〜14日北海道
20日TOEFL(何も勉強していない やばい)

2月7〜11日 
オーストラリア(キャンベラ)
オーストラリア国立大学でAsia-Pacific weekに参加

2月27日〜3月6日 
アメリカ(シカゴ)
CIESでNSW参加

アメリカの分は、大学のグローバルCOEの支援スキームを頂いたので、とりあえずチケットは押えました。
オーストラリアの分の支援スキーム申請もしなきゃいけないのだけど、
できればシンガポールかタイとくっつけて、フィールドしながらいけないかと考えています。




最近あんまり寝れていないのですが、全然平気。




アンドリューがBOSCHのポスターのモデルになるらしい。
BMWを所有する小金もちの若手実業家、という設定に戸惑っていた。
| | 15:21 | comments(0) | - |
J-ASEAN学生会議

日ASEAN学生会議

kutu

この一週間、いろいろなことがありすぎて、13日の発表のあと東北に行ったとおもったら、今はシンガポールにいます。

13日、高麗大学とジョイント研究会が終わり、夜遅くまで高麗の教授たちとお話した。教育研究科長と高麗大学の先生の間で通訳もやっていたので、ずっと話しっぱなしだった。発表自体はうまく言ったけど、やはりプロポーザルの問題点は同じ。「欲張りになるな」そういうこと。

14日の朝、東京を出て、ASEANからきた120人の学生たちを日本人学生を含めて東北新幹線で仙台へ向かう。
昨年の夏、こっちは日本からの参加者として参加したJENESYSプログラム(国際交流基金がサポート)と同じく、東アジア青少年大交流計画の一貫で、今まで行ってきた日中交流に加えて、日ASEAN学生会議が今年から始まった。
今回はASEAN事務局とASEAN University Network、JICEが関わっている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/jc_koryu21/sdk_keikaku.html


今回の会議は、環境、政治経済、地域アイデンティティの大きな三つのテーマに分かれていて、
私はもともと政経チームの先生に声をかけられて人間の安全保障(Human Security)グループを担当するはずだったのだけれど、直前の調整で自分の研究とかぶる教育と地域アイデンティティのファシリテーターが抜けてしまい、Regional IdentityのEducationチームを担当することになった。
グループは全部で12人。ASEAN各国からの代表と日本人学生2人。

どんなに人口の小さい国からも、インドネシアのような人口大国でも、必ず同じ数だけレプレゼンティブを出す、という徹底したASEAN流。

そして終わって今振り返ってみて、リージョナルアイデンティティチームは、協力、団結という点で本当にすばらしかったと思う。学校でもクラスそれぞれに色があるように、今回の大きな3つのグループにも色があった。
うちのグループの素敵だったことは、本当に全員が積極的で、でもどうしても語学力や国民性の問題でおとなしくなってしまいがちな国の子をフォローしつつ、積極的で優秀なリーダーだけじゃなくて全員相撲をこころがけていたこと。3日間の缶詰状態の討論の中でも、それぞれが見事なワークシェアリングをしていたことが印象的でした。

ひとつとても強く感じたのは、今回Sub theme group (Education and creating regional identity)のファシリテーターとして参加して、私はもう十分に大人で、みんなの模範にならなければいけないんだな、ってこと。
いくら私が最年少でも、ファシリテーターというのはモデレータのすぐ下にいて、今回の会議自体をまとめ、議論がそれたり非現実的な方向に走ったときには、知性でカバーする、という役割を果たすことを期待されていた。

私は他のファシリテーターの人たちと比べても、年齢的にも経歴的にも一番ペーペーで(なにしろ東大の助教なんかが来ていたのだ)、カリスマ性もなかったので、学生たちのイニシアチブに任せて、ただ自分の持っている教育に関する知識を含めたコメントは要所要所ではさんで、みんなの意見を生かしつつなるべくいい議論ができるように心がけた。
今回の経験は、本当にスペシャルだったと思う。
自分がいかに未熟かということも分かったし、同時にああ、わたしはこういうことやりたいんだな、ってことがよく分かった。




東京に帰ってきて、レセプションが終わって、次の日からのシンガポール出張の準備でいろいろ事務作業をしながら感じていたのは、ものすごい喪失感。今はいろんなインターネットコミュニケーションツールがあって、世界中のどこでつながることができるけど、やっぱり近くにいて一緒に合宿して共有したものはどんなツールにも勝てない。

願わくば、今はもうそれぞれの国に帰ったみんなが、今回の思い出を、東アジアにおける地域問題に対するポジティブな姿勢をずっと支えるようなエネルギーに変えていってくれること。


続けていろいろと撮った記録をアップロードしようと思います。

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教育的指導
明後日の高麗大学招聘セミナーで研究科代表でプレゼンしなきゃいけない。どんな国際会議よりも、ものすごくストレスフルで胃がきりきりする。
これは先生や早稲田のメンツをつぶしたくないっていう焦りと、傷つきたくないっていう自分の自衛本能だ。
日ASEANとシンガポールが終わったら、ゆっくり自分の研究に専念できる。
(すぐにある程度の答えを出さなきゃ!というプレシャーなしにいろいろ本が読める)






ずっと隠していたけど、実は韓国の学会で日本のある地方国立大学の先生に、結構なことを言われたのだった。
私の発表は基本的に修士論文をもとにして、若干博士へのプロポーザルを含めたものだったのだけど、Methodologyの部分の考察が少し不十分なものだった。私もそれは承知していて、これが今後の課題、ということも含めながら発表したのだけれど、フロアーからの反応は比較的よくて、いろいろなコメントをくれて、終わった後も「well done」とか日本人なのに英語うまいね(不本意だが帰国子女っぽくない日本人がある程度の英語を話すとよく言われる)、とか言われて、とりあえず一安心していたところだったのだ。


その発表のあとのコメントの際に、その先生は手を挙げて
「あなたの方法論がね・・・・これじゃ不十分ね」というようなことをひとこと言った。(ただしその英語の表現がどんなだったか思い出せない)
でもその時には、たとえば・・・とか特にどの部分がという詳しいコメントではなく、すぐにほかの人がほかのコメントをかぶせたのでそのまま流れてしまったのだった。

私たちのセッションが終わった後、廊下でお会いしたので、その先生に、
できれば方法論について指摘していただいた部分で、さらに何かアドバイスというか詳しいコメントを聞ければ、と思って、いつもの通り、
「先ほどはコメントありがとうございました。」と御礼をし、
自分が方法論について今煮詰まっているので、先生の指摘した部分の甘さは自分も理解していることを伝えた。
しかし相手が本当に首をかしげて、うーん、へえ・・・というような感じで、会話が全く成立せず、私にアドバイスなどを話す気はさらさらないかんじだった。

それでも、そこで会話を終わらせるのはあまりに不自然だったので、
うちの指導教授がその先生の大学でかつて働いていたことがあったのを思い出し、「私はK先生の弟子なんです」というようなことをいうと、
びっくりするようなことを言った。

「さすがK先生ね。うちの大学だったら、あなたみたいにメソドロジーがしっかりしていない学生が怖くて取れないわよ。」
私が一瞬呆然とすると、これと同じような台詞をさらに詳しくもう一回言ったと思う。われわれの大学がいかに博士学生の方法論を重視しているか、だからあなたみたいにそれ以外の講釈ができても、方法論が確立していない人をとるのは私は怖くて嫌、ということについて。

そこで私はちょっとうちの大学のスクリーニングシステムや、果ては私の先生まで侮辱されたような気になって、
自分が博士にアプライしたときの内容とは違う方向性に少し変えたので、
今回のプレゼンに甘いところがあること、
実際にスクリーニングのときは今回とは違ったものだったので、
学校側が適当に選んでいるわけじゃないし、
うちの先生ももちろん方法論を重視していることを伝えた。

すると。
今度は「女なのになんで博士号がほしいの?卒業したら何する予定なの?」と。
私は自分の将来とかやりたいことのプランは、それほど軽々と話すことではないし、指導教授とかよっぽど近い人にしか話さない。
しかも今回のように軽く侮辱されたあとで、明るい将来設計なんかシェアする気分になれないでしょう。

自分が女だから、「女なのに」といっても失礼に値しないと思ったのだろうけど、大間違いだ。たしかに女なのに、っていう論理はわかるけど、でも近くない人に言われたくない。


あの日、ショーンと肉を食べながらずっと泣きたくなっていたのは、悔しいけれどこれがやっぱり原因だと思う。あれからDC1の通知を見るまでの3日間は、正直休学することを真剣に考えていた。

・・・・

そのことを今日初めてうちの指導教授に話したら
そんなこと言われたら傷つきますよね、といったあとで、
でもあの人は修士ももっていないし、あの人に会いたくないがために研究会に来ないほかの先生もいる、と。コメントが辛辣なことでは有名な方のようだ。
最近教授の吐く台詞で、この人が相手をどう思っているのかわかるようになってきた。

でも私が思ったのは、言ってる内容ではなくて(方法論が甘いのもその通り)もっと嫌だったのは、教育者としての私に対する態度だった。
明らかに私の倍は生きていて、教授という立場で学生を大勢引き連れて学会へ来ている人が、さすがはK先生ね、なんて先生を引き合いにだして嫌味をいってほしくなかった。
私を批判したければまっすぐに私の批判をすればいいのに。
むしろ率直な批判を望んでいたのに、すごく残念だった。


確かに頭の良し悪しはあるし、才能もあるでしょう。
あの人から見れば私は完全に研究者としてだめだめなのかもしれない。
でも、手を抜いてるわけではなくて、どうにか頑張ろうとしているのに、それをくじくようなのは教育者として私は尊敬できない。

大学院の学生と高校生は確かに違うけど、
私が韓国で教えてた時は、私は絶対にあんなに突き放した言い方しなかったよ。全然できなくても、もしかしたら根本的に間違っていても、本人が真剣だったら救いは全然あるし、それを助けようとするのが教師でしょ。
実際に助けられなかったとしても、少なくとも助けになるように精神的な踏み台を用意してあげるのが教育者だと思っていたし、今でもそう思います。

まあ私はもし将来、人を指導する立場になっても、ああいう人間にはならないようにしよう、と思いました。




明日はシンガポール前、ラストJICA。
あと5時間後に起きなきゃ。あ、そのまえにお風呂入ってきます。


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マリッジブルー的なもの。
今日は一日お休み。家で今までたまっていたジム作業をして、名刺も新しく作り直した。
JSPS Research Fellowっていれながら、ああ本格的に研究者としてお給料らしきものをいただけるんだ、ということで改めて嬉しくなった。


この間自分が書いた計画書を読み直して、意外と面白いじゃん、と書いたが、改めて落ち着いて読んでみるとかなりはずかしい。今までの研究状況と、これからの研究計画のうち、背景・着想に至った経緯、問題点、解決すべき点までは、まだいい。
問題はそのあとの研究目的・研究内容の部分。
改めて読み直して鳥肌が立つほど恥ずかしい。もっともらしいこと言ってかっこつけてるけど、かなり見かけ倒しだし、我ながら突っ込みどころ満載だ。
よくこれで受かったものだ・・・と思う。確かにここに書かれているあたしの文章は熱意があって、問題は多いけれど、頑張ってやりそうな子だ、と判断されたのかもしれない。






この学振のことも含めて、昨日の夜遅くまで先生と、もう一人のDC1受給決定者と話した。
同じゼミから2人もでるのは、文系ではそんなによくあることでもないらしく、先生はとてもうれしそう。
うちの大学院は学費が高いうえ(一年間で74万円)、日本人博士への奨学金はあまり恵まれていないので、とても嬉しい。でも実際、学費は免除にならないので、月20万円もらえるとしても、毎月7万円を学費のために貯金するとするとふつうに生活していけない。何か方法を考えなければ。


でもとにかく、これはとても光栄なことにも関わらず、3年間(実質二年半)この枠組みのなかで頑張ってくださいね!といわれるとすっかりまりっじぶるーのような気分になる。(ただそもそもまりっじぶるーになれるような状況にもなったことがないのでこの表現が正しいかどうかはわからないが)




今日1年ぶりくらいにGREEにログインしたら、
誕生日の寄せ書きのところにがあみんとれいじくんがメッセージをくれた。気づかなくてごめなさい。ありがとね。






昔一瞬恋に落ちかけた人がGREEで山田優のコミュニティに入っていてドン引きした。私は完全にターゲットを間違えていたのだ。もしくは彼の思考になにか革命が起こったのかもしれない。これがほしのあきとかだったらまだ勝算があったと思う。周りにいる人間は、似てはいなくても、理解の範囲内の趣味・趣向をお持ちだ。

でも言われてみれば、私だってひどいコミュニティにいっぱい入っているわけで、「戦後の社会科学史」とか「Doing Poetry」とか「アンチ相田みつを」とか一見真面目なコミュニティの合間に、どう考えても韓流か華流狂いとしか思えないコミュニティー(しかも単品ではなくて「ゆんじぇ」とか「うね」とか完全に腐女子だと思われても仕方のないような)に入っていて、私を直接しらない人がどんな印象をもつのかわかったものではない。

とそんなくだらないことを考えていたらすっかり12時をすぎてしまった。明日までに書かなきゃいけない英語の論文が!2冊目のハリーポッター解説本などを熟読している暇ではない。
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