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単著刊行のお知らせ
2月に初めての単著を出版しました。2012年に提出した博士論文をベースに、可能な限りのデータを更新し、全体の構成や内容に修正・加筆をしたものです。日本と韓国の大学で調査をした時期(2010年&2012年)から少し時間が経ってしまいましたが、日本学術振興会から研究成果公開促進費を頂き、やっと2015年度内に出版することができました。

研究対象にしたのは、高等教育の国際化政策・戦略のなかで英語を教授媒介言語とした学位プログラム(英語プログラム)。比較・国際教育学という学問の領域横断的な性格から、論じる際には社会言語学、国際関係学などの理論的枠組みを使い、前半では留学移動を地域共同体形成の文脈でどう位置づけるかを欧州地域と東アジア地域の比較で、高等教育国際化政策と言語(特に英語)との関連を日本と韓国を比較しながら論じました。後半では日韓の全英語プログラム調査から専攻や留学生比率などを指標にしてタイプ別の整理を行い(グローバル人材育成モデル、クロスロードモデル、出島モデル)、さらに日本と韓国のリーディング大学(旗艦大学)5校で行った質的調査を元に、英語による教育が留学移動や教育の現場にどのような効果をもたらすのかを分析しています。





以下、帯文です。


「英語プログラム」の意図せぬ展開ー自立性と共同体意識をもたらす
非英語圏の高等教育国際化によって増加する「英語プログラム」は、多様な国からの留学生移動に変容をもたらした・本書は歴史的に国家の言語での「同化型」留学を基本としていた日本と韓国の「英語プログラム」の全容調査とインタビューを通し、留学概念に転換を迫る。個人や大学や国家の思惑を越え、西洋英語圏高等教育の新しい従属性という課題と同時に、多文化理解や欧米から自立した共同体意識の醸成など、留学移動がもたらす従来とは異なる成果に注目、検証した労作。


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東アジアにおける留学生移動のパラダイム転換―大学国際化と「英語プログラム」の日韓比較



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そしてブログを更新していない間に、いつの間にか二児の母になりました。
13ヶ月差の年子を産み、この2年弱は「悪阻で気持ち悪い」「おなかが重い」「入院・出産」「産褥期」「0歳児育児中」の時期の複合版か、その繰り返しでした。

2014年の夏にはハワイ大学マノア校内にあるEast West Ceterで在外研究も行いました(とはいってもちょうど予定していた時期が悪阻時期のど真ん中だったこともあって、当初の予定よりだいぶ早く帰ってこざるを得なかったのですが)。





5月末まではPDとしての研究活動も中断。研究活動再開にむけて、感覚が鈍らないためのトレーニングを死体と思いつつ、新生児と一緒だと、細切れ睡眠なせいか一日が完結するという感覚が希薄になるのに加えて、すべての事が「ながら作業」になってしまっている気がしています。これはストレス。都会で核家族で、育児という世界にどっぷりつかるのは、世の中から隔離されてしまっているような感覚をもたらします。それとはまったく違う話しで、子どもと接していると、「生きる」ということが生きることの目的そのものであることが、とてつもなく正しく、かつ尊いなあとも思います。こういうことを、noteにちょこちょこと書きためています。

年子を産むということ

出来るようになった事よりも、しなくなったことを愛おしむ気持ち


子育て中の「詰み」方と育児世界に存在する不思議な人びとについて


私の保活・結果編(待機から繰り上げ内定するまでと保育の意味、謎の「支給認定書」などについて)

ポスドクの保活事情(研究者と保育園)

子育て世代の家事問題 (家事代行は二万円で可能なのか?)

帝王切開手術出産体験記

妊婦時代に買っておいて本当によかったものベスト8

本当に必要な出産準備品リスト
| | 22:14 | comments(0) | - |
そのときその場所にいなければ分からなかったことがある




真夜中、新生児に授乳しながら、韓国で韓国語を勉強していた時のことを思い出した。

語学を学ぶ機関での留学経験は、ほかの留学経験とは違う、特別な経験だ。
一つの言語を習得していくという過程で、言語の習得という漠然とした目的だけを共有して、一緒に階段を登る感じ。

当時韓国で働いていた学院(塾)の仕事は午後からで、私は午前中の3時間、ソウル市内の大学付属の韓国語クラスに通っていた。そこの語学堂に決めたのは、そのとき住んでいた家から近かったのと勤務地までの便が良かったから、そして大学付属の語学堂のなかで学費が一番安かったからで、それ以上の特段の理由はなかった。そこには、2級(初級)から4級(中級)まで3学期間通った。

その語学堂にいる学生は、中国出身の子たちが9割以上だった。そこに中国の留学生が集まっている理由は、大学側がビザ関連の手続きに協力的だとか取れやすいとか、そんな理由があったらしい。どのクラスでも、中国人以外の学生はだいたい私一人で、休み時間はずっと中国語が聞こえていた。

中国人留学生といっても色んな学生がいた。
華奢で可愛い女の子達の何人かは、語学堂内で彼氏を作っていた。その語学堂内カップルたちは、軒並み男の子の方がものすごく献身的で、送り迎えを始めとして宝物を扱うように彼女をいたわる姿が印象的だった。特に、毎日休み時間の度に国際電話でお母さんと電話しているとても可愛い女の子がいて、その子の彼氏は本当に何でも彼女のいうことを聞いてあげていた。

兄妹でやって来て、優秀な妹とその夢を叶えるため、自分を犠牲にして彼女に尽くす兄もいた。妹の方は韓国語を頑張ってソウル大学に入学する、という明確な夢があったようだが、兄はその聡明で美しい妹を守り助けることを最優先に生活していて、勉強はほとんどしていなかった。突拍子もない発言と明るい性格で、彼のおかげで授業はとても楽しくなったけれど、彼自身の将来については本人があまり期待をしていないように見えた。妹と同じクラスになったとき、「自分のために生きてくれているお兄ちゃんが大好き」と授業中、韓国語で言っているのを聞いた。

韓国の男性と結婚して家庭に入り、姑さんや家族と話すために韓国語を学んでいる子もいた。ものすごく金持ちの子だけど遊んでばかりいて、ドロップアウトして行く子もいた。語学堂では学期に二回大きな試験があり、ある程度の基準を満たさないと進級できない。なかには韓国に来たけれどアルバイトや恋愛や夜遊びをするなかで勉強する目的を失ってしまっている子で辞めて行く子も何人もいたし、勉強には取り組んでいるけれど語学の習得ができない子(おそらく何らかの学習障害を持っているのだと思う)もいて、級が上がるごとに何人かがいなくなっていった。

偶然だが、仲良くなった中国人の留学生は、寒い東北の省の出身者が多かった。北部出身の彼らは休み時間に外に集まって煙草を吸いながら、広い中国では地域によって人柄に特性がある、と言い、たぶんいわゆるステレオタイプなのだと思うのだけど、南の人間はこうだ、俺たちには合わないんだ、といい、あまり積極的に他地域の学生とつるもうとしていなかった。見ていると、上海出身の子達はその周辺出身者とつるみ、南部出身の子達も同様で、出身地域が近いもの同士で仲良くなっている印象を受けた。

東北部の出身者の中には朝鮮族の子達もいたが、朝鮮族だけど韓国語(朝鮮語)はほぼできない、という子たちは中国アイデンティティが強く、ビザ上は朝鮮族のビザでも、朝鮮族という括りで固まっている様子はあまり見られなかった。朝鮮族以外の子達に比べて、韓国へのビザがおりやすいという理由は確かにあるようだったが(当時)、だからといって心理的に韓国に近いという印象もなかったように思う。加えて、朝鮮族のビザで来ている子達は、多くが韓国の大学進学や語学習得自体を目的としている他の漢民族の中国人の子達と違い、より多様な目的を持っているようだった。たとえば就労であったり、結婚であったり。そういう子達は、留学生として韓国語を学んでいるグループとはあまり交流もしなかったし、授業後に一緒にご飯に行ったり、遊びに行ったりという姿もほとんど見られなかった。



中国の子たちばかりの環境で疎外感や居心地の悪さを感じなかったのは、中級になってだいぶ韓国語での意思疎通ができるようになったこと、私に話しかけてくれたり構ってくれる中国人の子達が何人もいたからだと思う。

Sは初級のクラスで出会った日本人の女の子とつき合って、毎日何時間もスカイプばかりしていた。恋愛して、バイトして、稼いだお金を全部自分のファッションと彼女へのプレゼントに費やし、一度留年して、あとから入った私と同じクラスになった。相変わらず勉強はしていなかったけど、会話は上手で、減らず口を叩くのに語学堂の韓国人の先生たち(ほぼ全員女性だった)にもすごく好かれていた。母性本能をくすぐるタイプの不良だったのだと思う。

Hは中級での席がとなりだったので、授業中によく韓国語と中国語の混じったメモを交換して遊んでいた。私が好きな台湾歌手の歌を聞いて、聞き取れない部分を書き起こしたりもしてくれた。毎日数時間の睡眠で、深夜営業をするチキン屋さんの早朝清掃のバイトをしていた。(私から見れば)差別的な扱いを受けながらも、雇用者を「社長様(さじゃんにむ)」と呼び、時給400円位(当時)で毎日朝2時間働いていた。中国では割とキラキラネームっぽい変わった名前をしていて、複数のクラスにまたがって友人がたくさんいてよく声をかけられていて、クラスでもムードメーカーだった。

Yは中級のクラスで私の次に成績が良かった。中国人留学生のなかではすごくまじめに勉強をしている方だったし、授業中もよく質問などもした。性格もまじめで、いつも割ときちんとしたカッコをしていた。一方、私や上記の二人と仲良く遊んで、クラスでも二人とは違った意味で周りに刺激を与える存在だったと思う。その後、韓国でも有名な私立大学に合格し、その後ソウルに行ったときに一度会った。韓国語は格段に上手くなっていたが、韓国人学生に囲まれての生活と勉強は大変だと言って、少し痩せていた。

私の帰国が決まったとき、上の三人とカラオケに行った。Sはおばあちゃんから教わったという「四季の歌」を日本語で歌った。日本語は全く分からないけど、音で覚えているという。Sはその言葉を使わなかった(おそらく韓国語でなんというか分からなかったのだと思う)が、「戦争のあと日本に帰らずに中国(元満州のあった地域)に残っていた」と言っていたから、たぶんおばあちゃんはいわゆる残留孤児だったのだと思う。所々歌詞の適当になるその「四季の歌」を聞きながら、時代を越えて、日本人の彼女に熱を上げるSに受け継がれた日本とのつながりを、なにか切なく思った。




そのときその場所にいなければ分からなかったことがある。韓国語を学ぶ過程で、私はたくさんの中国人留学生と会った。ただ一緒に同じときを過ごしていた人もいれば、ただ一方的に観察していた人、中には一緒に深い時間を過ごした人もいる。そこで知ったことや感じたことのひとつひとつは本当に些細なことだし、中国人学生の韓国語語学研修留学という事象の1ケースで、ひとりの多様な人生のほんの一面に過ぎない。でも、そこで一緒に同じ時間を過ごし、会話し、出来事を共有したからこそ知り得た何かもたくさんある。自分のなかに知識と経験が溜まって行けばいくほど、その特殊性や意外性に気づき、それらがとても豊かで魅力的なことを知り、少しずつ寛容になっていく。

私にとって国際的であるということは、自分の受け皿がどんどん広くなっていくことと同義だ。

| | 13:40 | comments(0) | - |
2014年度総括

2014年の出来事

1つ目。
おばあちゃんの死
花秀(戒名の一部)さんが死んでもう1年たった。彼女が倒れた日、春の嵐のような暖かい暴風が吹いたのだけど、今年の一月に行った一周忌も、あの日と同じように暖かく晴れた日になりました。偶然かも知れないけれど、死者がまだどこかにいるようで、なんだか嬉しかった。

2つ目。
5月、韓国の親友も一緒に東アジアの平和構築に関する会議に参加し、韓国済州島を周りながら
10月にはピースツアーに関するプレゼンをするためにソウルに呼んで貰い、境界を越えた対話の創出をテーマにプレゼンした。

3つ目。
EPRIEヨーロッパでの2週間に渡る会議で、欧州三か国と東アジア三か国から集まった参加者と『「国」のコンセプトと和解』に関し、歴史や教科書問題などを含めディスカッションを重ねた。報告書はこちらから。


4つ目。
訪問研究員としてアメリカのハワイ大学マノア校内にあるEast-West Centerに行った。体調の変化のこともあり、当初予定していたよりだいぶ短いたった1ヶ月という滞在だったけれど、立派な研究室を与えられ、研究活動に専念することが出来た。


最後に。
6月に受精した卵が無事大きくなって、初のこどもを授かった。それにともない、自分の仕事のこと、人生設計、旦那との関係、色々と再考する機会を得ることができた。死んだおばあちゃんに報告できなかったのが残念だけど、きっと喜んでくれているのではないかと思う。

今年はソーシャルプロトコル的には喪中だったのだが、おばあちゃんが正月も祝い事もケーキもごちそうも大好きな人だったので、我が家ではいつもどおり美味しいものをたくさん食べるお正月を過ごした。私はと言えば、年末にインフルにかかり、5日間は人に移さないように自主的軟禁生活を送り、文字通りの寝正月だった。熱があって辛いとパソコンや携帯を見るのも辛かったのだが、熱が下がってからはドラマをずっと見ていた。おかげでそれまでちょっとずつ観ていた『ホームランド』をシーズン4の最新まで見終わる快挙。2013年に観た『ブレイキングバッド』に続く面白いドラマだった。

著者 :
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
発売日 : 2013-05-31




1月末で、私の2014年度(アカデミックイヤー)業務はいったん終了。

月末には、AERAワーキングマザー1000人委員会のメンバーとして、内閣府の子ども・子育て支援新制度の担当者と意見交換してきた。働く親の立場から、認可保育園の拡充、認定こども園への移行の見通しなどについて質問。保育事情の地域格差是正や、省庁を超えて連携した施策を進めること、幼児教育のあり方などについても意見を聞いてもらった。新しい子育て施策についての資料をたくさん頂き、丁寧な返答を貰ったものの、市井の人間が声を届けるためには、相手は国ではなくまず地方行政で、国のビジョンを動かすにはもっと自分が有識者の立場で行かないといけないなと痛感した。

また、最終授業の前の日には、Twitterで声をかけて頂き、「eマナビバ」という映像コンテンツの収録をしてきた。放送大学のような感じで、インタビュアーに質問されながら、高等教育の国際化やグローバル人材、外国語学習や国際教育とは何か、というテーマで1時間ほど話させて頂いた。そのうちコンテンツとなって配信されるようです。


1月30日の金曜日で2014年度の授業すべて完了。採点と成績付けも完了して、あとは2週間後の出産の為の入院まで自分の研究と今後の準備に時間を使う予定。来年度からの生活は、保育サービスを受けられるかどうかで私の働く時間も大分変わってくる。4月から保育ママに受け入れてもらえるかどうか。5、6月からの受け入れ月齢を超えた段階で認可保育園もしくは一時保育に入れるのかどうか。どちらも可能性は低いのだが、何ヶ月もかけて集めた書類をもって大きな賭けにでるつもり。夫の休みが平日になること、母が週に何日かは手伝いに来てくれそうなことだけが一つの救いです。
結婚・妊娠・出産というライフイベントは、私の人生のなかでも大きな変化をもたらすポイントだったと思うので、noteにシリーズ化してまとめています。自分のなかで整理できていないことも多々あり、もっとテーマごとに分かりやすく簡潔にまとめることができたらブログにもアップしたいと思う。


2014年度の研究業績としては、査読論文を3本、紀要に1本論文を出せた事の他、英語での論文を提出したこと(査読待ち)、出版助成を申請したこと(結果待ち)で、忙しいながらもそれなりの結果を出せたのではなかったかと思います。ただ体調の変化があったことで後半に予定していた海外出張調査を来年度に回さなければならなくなったことが残念。


2015年度は博論の出版を現実化させること、なんとしてでも英語の論文を出すこと、そして何回かに分けて調査にも出かけて結果を出すこと。それに加え、9月には次の年度を見越して、今考えている新しい研究テーマで若手研究の申請を出したいと思っています。この先2週間は、来年度の研究計画を考えるとともに、できることをできるだけやって置く時間にしたい。

去年の後半から読んだ本のまとめ。

saereal booklog - 2015年01月〜2015年12月 (36作品)
脱アイデンティティ
読了日:02月01日

未完の憲法
奥平康弘
読了日:02月01日
評価5

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saereal booklog - 2014年12月 (3作品)
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saereal booklog - 2014年11月 (3作品)
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saereal booklog - 2014年10月 (2作品)
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saereal booklog - 2014年09月 (5作品)
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| | 17:29 | comments(0) | - |
国は闘いを強いても、守ってはくれない
日本人二人の人質事件は、結果的にとても悲しくて悔しい結末を迎えた。

今回のことからよくわかったのは、たとえ同盟国に「日本国と日本国民と連帯してテロ行為と闘って行く」と言われても、「国家」は国民に闘う姿勢は強いても、国民である私たちを守ってくれないということ。そして、国民を守る為の国防の強化や「積極的平和主義」が、結果として国民の平和と安全を脅かしたということ。

安倍批判者への批判がネットで渦巻いているが、「テロリストを許さない=安倍支持」、「安倍批判=テロリストに屈する」みたいな簡単な二元論ではなく、事態はもっと立体的。人質惨殺行為への批判と安倍政治への異議申し立ては当然両立する。

平和と国民の安全を保障するのが国家の役割であり、その命運を動かす政治家の役割。その政治家の行動が自分たちの意思を反映しているかを監視し、行動を起こすのが国民の役割。安倍政権の方針が何をもたらしたか、この国をどこに向かわせているのか、もっと敏感に自覚的にならないと恐ろしい事になる。

いわゆる「イスラム国」の非道なやり方には心から怒りを覚える。彼らの集団に「イスラム」という言葉が冠されることで、嫌な思いをしている世界のすべてのムスリムの方々にも同情する。私はバックパッカー時代に、シリアやヨルダンを含め、パキスタンやクウェート、バングラデシュ、インドネシア、トルコなど、その他多くのイスラム教の人が多く住む国に行って、イスラムの国々にはとても大きな思い入れがある。そして旅の間にはたくさんの人に出会い、たくさんの経験をして、勿論嫌な思いもしたけれど、素敵な思い出がそれ以上にある。イスラム教を信じる人々が、今回の事件を受けて不当な差別や偏見を持たれないように心から願う。

ちょうど昨日(1月末)、憲法学者で9条の会の奥平先生が亡くなったことを知って、戦争を経験した世代の骨のある平和主義者がどんどんいなくなってしまうことに危機感を覚えていたところだった。今朝のニュースをみて、奥平先生だったら一体なんて言っただろうと考える。亡くなってしまった人の声はもう聞く事ができないけれど、人質として捕まってしまった二人の声を聞きたかった。生きて帰ってきてほしかった。


| | 16:24 | comments(0) | - |
「おめでとう」への違和感、後日談。
先日のポストの最後に書いた、妊娠→「おめでとう!」と言われることへの違和感について、私の伝え方に問題があって、意図がうまく伝わらなかったような気がするので、現在考えている範囲でその違和感の正体について、書いてみたいと思います。

前回私は妊娠して分かったこと、感じたことなどの最後に、こんなふうに書きました(そのまま抜粋)。

今回のことに関して、万が一お祝いの気持ちを持って頂ける際には、謹んでお気持ちだけ頂き、おめでとう系の言葉は固辞させて頂く(なんだか自分以外の人間への配慮がないし粋ではない気がしてどうも腑に落ちないので)。でも先人の方々からは、是非お腹の筋肉を如何に保つか、体重コントロールの仕方、だるいときの気合いの入れ方、子ども関連の保険、頭に来るアドバイス狂たちとのつき合い方など、ざまざまなテーマで体験談を聞きたいなと思う。

これに関しては、まず相手がどういう風に反応するか、そして私のブログをどこまで読むか自体も相手次第なので、「こういう風に言わないで欲しい」ということ自体が傲慢だったように思います。実際、私にコメントをくれる人は、皆ものすごい優しい気持ちや愛を持って気持ちを伝えてきてくれたので、友情や信頼に感謝するとともに、私は自分の傲慢を恥じ、その上でなぜ「ありがとう」に違和感を持つのか、今考えていることを共有できればと思っています。


「おめでとう」の使い方について。
私の博士号取得は「おめでとう」でいいと思う。努力して手に入れたものだから。出産も、10ヶ月乗り越えて、分娩っていう努力をした結果。そして誕生日もおめでとう。誕生日はなんだかもうテンプレになっている。しかし私は妊娠=おめでとうをテンプレ化することにも抵抗がある。何故かというと、妊娠という現象は努力じゃなくて、ほぼ運で、先天的な要素も多く、そしてとてつもなく不平等だから。欲しい人には授からないで、望まないのに授かることもある(私は今回望んだ妊娠だったが、一般論として)。

世の中には流産したり、体調や年齢やタイミングの問題などで産みたくても産めない人がいっぱいいるわけだ。それでも、妊娠できないということで、女だといわれのない批判をされたり、周りからプレッシャーを受けたり、精神的に大変な思いをしている人を、直接的にも間接的にもたくさん知っている。妊娠できるか、子どもを産めるか産めないかで女としての価値や幸せを判断されてしまう風潮は明らかにあって、私はそれにまったく賛同できない。

「おめでとう」と言うと、その運で不平等で、その人の努力でもなんでもないことを祝い、まるでその人自身がでかした!また、それが幸せの姿だ!という一方的な価値観に自分が加担しているようで、まず違和感を感じたのだと思う。


もう一つは、人間関係における「いいとこどり」みたいな風潮への抵抗感もあると思う。
妊娠を公開するとまずそれほど付き合いのない人からも尋常じゃない数の「おめでとう」がやってくる。誰かの悩みなどをきくよりも、良いと思われる報告に「いいね!」をして、「おめでとう!」という方が楽だからだ。しかも、人を祝うことで自分もいい人になれるし、もしかしたら少し幸せな気分になるのかもしれないし、リスクもない。普段、人が丹誠込めて書いた政治的主張や意見などの投稿には見向きもしない人も、人の幸せと思われる報告にはそれこそ簡単に便乗する。それは人間としてものすごく自然なことだと思う一方で、いいとこ取りのような気がして、私自身は他人に対してこういう態度を取ることができない。そしてひねくれものの私は、そうされると「こんなときばっかりなんなんだろう」、と思ってしまう。

この「規範的幸せ」や「いいとこ取り」への違和感は、他のことにもつながっている。
普通とは違うものに対するタブー視や、いわゆる可哀想目線なども、特に日本の人達によるFacebook投稿を見ていると感じる部分だったりする。幸せな結婚、望んだ妊娠、健康な子ども。こういうもの以外にはなるべく触れないことで、色んな幸せの形、もしくは「他の人と違うから幸せじゃないのかも?」と感じている人を排除しているように感じる。正直、自分の子どもが障がいをもっていたら、この社会で育てるのは可哀想だと感じる。多様性への免疫がなく、一方的な価値観で相手を判断し、見なかったことにして回避されるから。

長年様々なSNSとつき合っているものとして、Facebookによる幸せの一方的報告勝ち、みたいな雰囲気があまり好きではない。私の書き込みのほとんどはいわゆる「幸せ報告」ではないので、私の書き込みを好きではない人も多いとは思うがそれで全く構わないと思っている。読みたい人だけ読めば良いし、目に入るのもいやなのであればミュートしたりunfriendしてもらって一向に構わない。私の個人的考えだけど、facebookみたいに(Twitterなどと比べれば)閉じたSNSだからこそ、もう少し多様性のあるコミュニケーションが取れる場だと面白いと思う。




前回のブログにも書いているが、おめでとうと言ってくれる気持ち自体は嬉しい。その気持ちが伝わるものならなおさらだ。今回私は、妊娠自体のおめでたさではなく、妊婦という立場にたって感じたことで伝えたいことがいっぱいあった。主に日本社会における妊婦の扱われ方についてだったのだが、今回はそれがうまく書けなかった(なぜならまだまだもやもやしているから)。結果として妊娠の報告でしかなく、もちろん写真だけみて条件反射してくれた人もいる訳で、私こそが「おめでとうほいほい」のような投稿をしてしまったことも、書き手として失敗だったと思う。これは表現するものとして反省すべき点である。




東京が恋しい夜。
9月1日@ハワイ大学
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